優真と別れた小夏がシズクを連れて、悠々と道を歩いていく。海でたくさん泳いだおかげで、心地よい疲労が全身を包んでいる。帰ったらシャワーを浴びて、夕方のスイミングスクールまでひと眠りするとしよう。ちょうどシズクのお昼寝タイムとも重なる。優美はサマーキャンプに出掛けて不在。内地の山でポケモンと触れ合う三日間とかで、前からとても楽しみにしていた。お母さんはその優美を朝方に港まで送って行って、そのまま仕事へ出かけたはずだった。
「今日はシズクと二人きりだよ」
「みぅ♪」
ふわふわと風船のように浮かぶシズクと仲良くじゃれ合いながら歩いていた小夏だったのだが、そこへ不意に見知った顔の同級生が姿を現す。
「おっ! 川村じゃなぁい。おいーっす」
前から歩いてきたのは綾乃だった。例によって顔はにやついている。防具一式の入った大きなカバンと竹刀袋をぶら下げて、これから剣道の稽古に向かおうという感じの装いだ。小夏は「綾乃ちゃんだ」と特に驚く様子もなく、リラックスした様子で彼女を出迎える。
「よう綾乃。これから稽古か?」
「えっ!? あっ、え、えっと、そ、そう! これから稽古! お稽古の時間!」
小夏はまるっきり気付いていないが、綾乃の様子がどうもいつもと違う。優真……もとい、小夏から掛けられた言葉にたじろいでいて、いつものように優真をからかいに行くといった具合ではない。いや、最初はそのつもりで声をかけてきたようなのだが、何かの拍子にテンポをつかみ損ねてしまったしまったようだ。普段の様子を知らない小夏は平然とした様子で、綾乃との会話を純粋に楽しんでいる。
「みう!」
「そ……そうそう! その子、フィオネでしょ? こなっちゃんと一緒に育ててるんだって? やるじゃない。大したお父さんっぷりね」
「ああ、シズクっていうんだ。ホントに子育てしてるような気分だよ。ま、綾乃だってきっといいお母さんになってやれると思うけどな」
「おおお……お母さんっ!? そ、そんなこと……! ちっ、ちょっ、ちょっと川村っ! からかうのもいい加減にしてよねっ!」
「あれ? 俺なんかヘンなこと言ったか?」
理由はさっぱりわからないが、綾乃はもうタジタジだ。明らかに普段とは勝手が違う。自分の目の前にいるのは本当に優真なのか、と綾乃が動揺を隠せない。実際には本当に優真ではないのだが、そんなことを綾乃が知る由もなかった。
「綾乃さ、前から思ってたけど、剣道やってるのカッコいいよな。俺そういうのやったことねえからさ」
「か、かかっ、カッコいい……!?」
「ジムにある武道場でやってんだろ? この間見かけたぜ。横を通りかかるとでっかい声したから、気合い入ってんなーって思ってたんだ」
「み……見てたの!? 川村っ、私のこと……見てたの!?」
「見たって言っても、ほんの一瞬通りかかっただけだけどな。けどちょうどその時綾乃がセンパイから一本取ってたからさ、すげえなって感心したんだ」
前々から思っていた「剣道をやっている綾乃はカッコいい」という小夏としての率直な意見と、この間優真としてジムへ赴いた際にたまたま見かけた武道場での綾乃の勇姿。その両方を合わせ技で褒めて見せた小夏だったが、綾乃は完全に固まってしまっていた。よもや、優真からそんな言葉を掛けられるとは到底想像もしていなかった。普段綾乃が見せている余裕は見事にぶっ飛んで、完全に小夏がペースを握っている状態だった。当の小夏は、やはりペースを握っている自覚なんてカケラもなかったのけれども。
こんな感じで凸凹な二人が会話していたところへ、まったく別の人物がやってきて。
「やあ、川村くん。こんにちは。佐藤です」
今度はそこへ、案件管理局の佐藤さんがやってきた。
「佐藤……さん?」
佐藤、その名前に聞き覚えがあった。以前、優真とケンカをしてシズクが逃げ出してしまったとき、優真がシズクの行方を知らないかと訊ねたそうだ。なんでも案件管理局で局員として働いていて、優真の家に何度か訪れたことがあるらしい。信頼できる人だと分かっていたから声をかけた、とのことだ。
その佐藤さんはと言うと、活動的な装いを見る限りフィールドワークをしていた最中だったようで、ケースに入れられたタブレットを持ち歩いている。それ以外に取り立てて変わったところはなかったものの、彼の隣には別の局員の姿もあった。
「川村優真さん、ですか」
「えっと……佐藤さん、この人誰?」
「おっと、紹介が遅れましたね。先日私たちのラインに配属となりました、本田局員です」
「本田と申します。よろしくお願いいたします」
本田さん、として紹介されたのは、二十代になりたてといった感じの若々しい女性の局員だった。その手に佐藤さんと同型のタブレットを持ち歩いているのが見える。その場にピシッと背筋を伸ばして立っている姿は、いかにも生真面目そうな印象を周囲に振りまいていた。この間配属されたばかりということで、優真からしても面識がない。もちろん、自分自身にとっても初対面だ。自然に接すれば大丈夫そうだった。
「えっと、佐藤さん。この間はありがとうございました。小夏がお世話になったみたいで」
「ああ、フィオネの件ですか。今ここに居るということは、無事に見つかったみたいですね。元気そうで何よりです」
「はい。いろいろありましたけど、ちゃんと俺たちのところに帰ってきてくれました」
まさか今目の前に立っているのが優真ではなく小夏だとは、佐藤さんだって夢にも思うはずがない。自分は優真だということを今一度思い返して、小夏が着ている服をぱっぱっと軽く整え直す。
「なるほど、シズクさん、ですか」
「はい。俺と小夏が二人で考えた名前なんです」
「フィオネの特徴をしっかりと捉えていて、よい名前だと思いますよ」
「フィオネの名前、こなっちゃんと二人で考えたんだ」
「ああ。すげえんだぜ、名前を考えようってなった時に、二人同時に『シズク』って言ったんだ」
「そっかぁ……うん。私もいい名前だと思うよ」
談笑する小夏と佐藤さん。その様子を間近で見ている綾乃。残る本田さんは二人の様子をうかがいながらタブレットを操作していたのだが、ふと何か思い当たることがあったのか、二人の会話に割って入ってきた。
「部代、彼は対象#156472-2ではないですか。レベル2人型オブジェクトの疑義ありと報告がなされていますよ」
「……えっ? えっ、えっ……?」
いきなり何の事だかさっぱり分からないことを言われて、小夏が目を白黒させる。何一つ意味は分からないものの、あまり良いことを言われていない雰囲気がするのは確かだった。本田さんのにこりともしていない表情が、それを物語っている。
「直ちに収容許可状を取得しましょう。このまま放置しておくのは危険です」
「あ、あの……すいません、どういうことですか……?」
問われた本田さんがメガネを軽く直して見せる。その奥にある瞳はとても怜悧で冷徹で、鉄のような強い意志を秘めている。小夏は思わずたじろぐ。話が通じそうな気がまったくしなかった。問答無用、という言葉が脳裏をよぎる。剣呑な空気を感じた小夏は、ただ困惑するばかりで。
ところがそこへ、思わぬ人物が割って入ってきた。
「ま……待ってください! 川村を収容するって、それどういうことですか!?」
「彼には社会潜伏系アノマリーであるとの疑義が掛けられています。それ以上の詳細についてお答えすることはできません」
「でも収容って、それ……牢屋に入れて閉じ込めるってことでしょ!? 一生出すつもりなんてないんでしょ!? 私、知ってるんだから!」
「申し訳ございませんが、それが我々の任務なのです」
「川村は普通! 何も変わったところなんてない! 絶対行かせたりなんかしないっ! 連れてったりしないでっ!」
綾乃がものすごい剣幕で本田さんに食って掛かったのだ。こんな姿は今まで見たことがない。なんとしても優真を守り通そうしているのだろうか。ともかく尋常な様子ではなかった。何か腹に一物抱えている様子の本田さん、かつてないほど感情を爆発させている綾乃。あまりのことにおろおろする小夏と、そんな小夏の前に立ちふさがって本田さんから護ろうとするシズクを目の当たりにして、佐藤さんはとても大きなため息をついた。小さくかぶりを振ってから、本田さんにスッと目を向ける。
「本田局員、川村くんたちの様子を見てごらんなさい。お困りではないですか。そのようなことは控えてください」
「しかし部代、この情報は局長のご子息から……」
「誰から寄せられた情報であろうと、情報は情報に過ぎません。その信憑性は個々に検証しなければならないと、研修で教わったでしょう」
「ですが……」
「――本田局員。倫理憲章を今一度精読なさい。我々の使命はオブジェクトの管理であって闇雲な収容ではありません。それが分からぬなら、今すぐバッジを外しなさい」
食い下がろうとする本田さんを前にした佐藤さんが、普段通りの穏やかな、けれどどこか厳かに諭すような口調をもって、こう説き伏せた。さすがにこれには思う処があったのか、本田さんはしぶしぶながら引き下がる。
一連のやり取りの渦中にありながら、言っていることが何から何までちんぷんかんぷんだった小夏は、ただ気まずい顔をするほかなかった。佐藤さんが振り返るとまた元の穏やかな表情を取り戻して、小夏に小さく頭を下げた。
「大変お見苦しい所を見せてしまいましたね。申し訳ございません」
「局員さん、川村、連れて行かれませんよね?」
「もちろんです。ご迷惑とご心配をおかけいたしました。お詫びをさせてください」
「あの、佐藤さん……えっと、俺、何か……」
「いえいえ、お気になさらないでください。では、私たちはこれで失礼いたします。行きますよ、本田局員」
佐藤さんは一礼すると、本田さんを伴って歩いていく。二人の背中を見送る小夏の表情には、困惑の色が色濃く浮かんでいて、局員たちの姿が見えなくなった後も、その顔つきが変わることはなかった。
「……ふう。なんだったんだろうな、一体」
「ありえない。訳わかんないこと言って川村を連れてこうとしてたんだよ、信じらんない」
「おっかねえな。とりあえず諦めてくれたみたいだけどさ」
また二人きりになったところで、小夏がそろそろ家に帰ろうと歩き出す。綾乃も稽古の時間が迫ってきていたようで、ここで別れることになった。
「それじゃあな、綾乃。俺も水泳頑張るから、お前も稽古頑張ってな」
「うん。またね……川村」
優真の家に向かって悠々と歩いていく小夏の背中を、綾乃はじっと見つめ続けていて。
すっかり彼の背中が見えなくなってから、心の底から湧き上がってきた言葉を、綾乃がそっと潮風に載せる。
「……いいなあ、こなっちゃんは。うらやましいよ」
「私じゃ――川村のとなりにいるのは、無理みたい」
(レベル2人型オブジェクト……だっけ? あれ、わたしのことを指してたよね……対象なんとかかんとか、っていうのも)
シズクを抱いて家路を行く小夏が、ひとり思案を繰り返す。頭の中をいっぱいにしているのは、つい今しがた案件管理局の本田さんから言われたことだった。『レベル2人型オブジェクト』『対象#156472-2』『社会潜伏系アノマリー』――その温かみというものがまるで感じられない、なんとも冷たい響きのする言葉は、他の誰でもない自分を指しているようにしか見えなかった。本田さんの冷徹な瞳がそのまま言葉になったかのようで、夏だというのに背筋が冷たくなる思いがする。それでいて、本田さんの言葉が何を意味しているのかと言われるとてんで見当が付かない。意味の分からなさが、小夏の居心地悪さを加速させていた。
ただ、ひとつ分かることがある。本田さんは「直ちに収容許可状を取りましょう」……なんてことを言っていた。少なくとも本田さんにとって、自分はすぐにでも収容しないといけない存在に見えていたらしい。「収容」、小夏はその言葉の持つ意味を理解していないほど世間知らずではない。簡単に言えば、案件管理局の建物まで連れて行かれて、安全だと分かるまで中に閉じ込められるのだ。
小夏には塾で顔を合わせるある友人がいる。彼女の父親はかつて案件管理局に勤めていて、彼らがどんな仕事に従事しているかを話してくれたことがあった。特殊な能力を持った人や得体の知れない物、そういった人や物を集めて皆から隔離し、安全を守ってくれているという。その隔離する作業のことを「収容」と呼んでいて、彼女の父親もしばしば収容を担当していたそうだ。
自分が何の変哲もないただの人間であれば、「収容」がどうこうといったことをことさら気にする必要はなかった。だが、仮に自分が収容される立場の者だとしたらどうか。ちょうど今自分は小夏と心が入れ替わっていて、普通の人間ではなくなっている。自分も小夏もそのことは秘密にしていて誰にも話していないけれど、かと言って誰にも気づかれていないかと問われるとちょっと自信が持てない。だから、もしかすると……という可能性はある。
思い返してみると、最初に優真と心が入れ替わった時、このことを自分たちだけの秘密にしようと考えた理由も、この案件管理局の存在があったからだ。彼らは何か異常があれば即座に「収容」に乗り出し、普通でないものから普通の人とポケモンを護ろうとする。下手に公にすれば、自分たちがまとめて収容されてしまう虞があった。小夏が居心地の悪さを感じていた一因はそこにあった。ともすると、あの場で拘束されてシズクと離れ離れにさせられてしまうかも知れなかった。
(けど、佐藤さんはあんな感じだったし……よく分からないよ)
本田さんは自分を収容したくてたまらないといった感じだったが、上司に当たるだろう佐藤さんは不思議なことにそれを制止していた。つまり佐藤さんは自分を収容すべきとは考えていない、ということだ。なんだかよく飲み込めない状況だ。
すっきりしない気持ちは残ってしまったものの、さしあたって危機的状況ではなさそうだ。ともかく一度家に帰ろう、シズクを抱き直して、小夏が優真の家へ向かう。
「ただいまーっ」
家に誰もいないと分かっていても必ず「ただいま」と言う、小夏が小夏だった頃から当たり前のようにしていたことだ。それは優真に成り代わった今でも変わっていない。
「ああ、お帰り優真」
「……えっ? 母さん?」
ところが、今日に限っては「おかえり」と返事が返ってきたではないか。声の主は明らかに母親、それもどこか力が感じられず弱弱しい感じがする。小夏は急いで戸を閉めると、いつもなら丁寧に並べる靴を乱雑に脱ぎ散らかしたまま、声のした和室の方に向かう。
和室に飛び込んだ小夏が目にしたのは、布団を敷いて横になっている母親の姿だった。
「母さん! 大丈夫!?」
「ごめんね、優真。またちょっと具合を悪くしちゃったみたい」
ずいぶんと顔色が悪い。冷たい汗をじっとりとかいているのが容易に見て取れた。水分が足りていないんだ、小夏がすぐに気付いて、常温の水を洗って干しておいたペットボトルに注ぐ。引き出しからストローを出して差し込むと、和室へ急いで取って返した。
「ほら、水だよ、母さん。喉乾いてるだろ」
「ありがとう。飲まなきゃって思ってたんだけれども、体が重くて」
大儀そうに上半身を起こすと、母親が優真から受け取ったペットボトルを手にしてゆっくり水を飲む。体が小康状態を得たのか、わずかながら顔色がよくなる。ふう、と大きなため息をついて、ペットボトルを畳の上へ置いた。それにしても急にどうしてしまったのだろうか、小夏としては心配でならない。母親が完全に落ち着くのを待ちながら、声をかける頃合いをうかがう。シズクも心配そうな目を向けている。
三分ほど間を空ける。そろそろ大丈夫かな、そう考えた小夏が、なるべく穏やかな声を意識して母親に問い掛けた。
「どうしたんだよ、母さん。風邪でも引いたのか?」
「風邪だったらまだ良かったんだけれど、また持病が出ちゃったみたいで」
持病……? と小夏が息を呑む。優真の母親が何か慢性的な病気を患っていたとは知らずにいたのだ。今までも時折せき込んだり、あまり食欲がなさそうなそぶりを見せていたことはあったが、こんなにはっきりと具合を悪くしたのを見たのは初めてだった。あるいは子供の前で弱っているところを見せたくないという思いがあったのだろうか、いずれにせよ、小夏にとっては少なからず衝撃的な事実だった。
起こした背中にそっと手を当ててさすってやる。少しでも楽になってくれれば、小夏の本心からの想いだった。
「おかげで仕事も休んじゃって、みんなに迷惑がかかっちゃうわ」
「気にするなよ。他の人たちが休んだ時には、母さんが代わりに仕事してるんだからさ」
「優真……気を遣わせちゃって、お母さんは情けないわ。本当は、家のことは気にしなくていいって言ってあげたいのに」
母親の言葉に、小夏はますます戸惑う。どういうことなのか分からない。優真が家のことを気にしている? いや、優真が母親や妹を大切にしている、ということはよく知っている。だからこそ自分もすんなり川村家に入っていくことができたのだ。けれど優真の母親は、何か別のことを言おうとしているように見える。今まで見えていなかったものが、自分の意思とは無関係に見えてくる思いがして、小夏は思わず身を強張らせる。
「水泳の強化選手になれば補助金が出る、大きな大会で優勝すればもっとお金が貰える、だからお母さんは無理しなくていい、って……」
こんなことを言わせてしまうなんて、優真に申し訳ないわ。母親は言葉通り辛そうな表情を浮かべて、項垂れながら言葉を紡いだ。
(優真くん……! だから、だからあんなに、大会で優勝しなきゃいけない、って……!)
目の前が真っ白になるとはこのことだった。小夏は知らなかったのだ、優真がなぜ水泳大会で優勝することにこだわっていたのかを、今年が最後のチャンスだと真面目な顔をして言っていたのかを。ジュニア部門に出られるのは今年が最後、そこで優勝すれば強化選手として認められる可能性がぐっと高まる――いや、ほとんど内定したものと言っていいだろう。
優真は水泳のプロ選手になるために、その為の第一歩として、ジュニア大会での優勝を目指していたのだ。
「母さんと優美を護るんだって、そう言ってくれて……私がもっとしっかりしていれば、優真に心配を掛けずに済んだのだけれど」
母親は病気がちで、妹の優美はまだまだ幼い。優真は二人を護るために水泳の練習を重ねて、それをお金に換えられるよう努力を続けてきたのだ。優真はこの川村家の大黒柱になろうとしている、その事実は、小夏を絶句させるには十分に過ぎた。
あの優真が――ほんの少し前まで、イタズラばかりしているやんちゃな男子にしか見えなかった優真が、「家族」というとてつもなく重いものを背負っていたとは。夏休みの間何度も顔を合わせていたけれど、出てくるのはシズクと小夏への気遣いの言葉ばかりだった。自分のことは決して語らなかった。水泳大会で優勝してほしい、ただそれだけを小夏に頼んでいた。自分の背負っているものを小夏に押し付けたくない、その思いを強く強く感じて、小夏の胸がぎゅっと締め付けられる。
胸のざわつきが収まらない中で、不意に家の戸をノックする音が聞こえた。小夏はともかく一度気持ちを切り替えると、すぐに応対することに決めた。
「誰か来たみたいだ。母さん、俺が出るよ」
さっと立ち上がった小夏が玄関へ向かい、戸の鍵を開いて横へスライドさせる。
「おっ、優真クンじゃないですか。こんちゃっす。清音サンですよ」
「こ、こんにちは」
そこに立っていたのは、見知らぬ若い女性だった。どうも清音という名前らしいが、一体誰なのか? なぜ優真の名前を知っているのか? 優真や母親とどんな関係の人なのか? 小夏はクエスチョンマークだらけになりながら、とりあえず形ばかりのあいさつを返す。
「まぁまぁ、そんなにカタくならないで。ちょっとお節介を焼きに来ただけだからサ」
「は、はぁ」
清音さんは手に提げたビニール袋を軽く持ち上げて見せると、おもむろにこう言った。
「義姉さん、今家にいるでしょ?」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。