さて、普段通り勉強と水泳の練習を終えた二人だったのだが、今日に限ってはそのまま家に帰るのではなく、いつもとは違うある場所に足を運んでいた。
「タイヤ公園にひょろ長い体のムーランドみたいなポケモンがいるのは知ってたけど、あいつイヌポケモンじゃなくてドラゴンポケモンだったんだな……」
「パッと見ドラゴンには見えないよね。イヌポケモンって思っちゃうのも無理ないよ」
やってきたのはタイヤ公園。そして目的は、時折遊びに来るあのポケモンにあって。
「……よし、行くぞ。ロンちゃーん! 遊びに来たよー!」
「ぐぉぉう?」
小夏の姿をした優真が大きな声を張り上げると、すみっこの木陰でのんびりしていたジジーロンのロンちゃんがぱっと顔を上げる。声の主が小夏だと知ったからか、すぐさまゆるゆるとゆっくりこちらに向かって来た。最後に会ったのは小夏が海難事故に遭った日だから、かれこれ一か月近くが経っていることになる。ずいぶん久しぶりに小夏の姿を目にして、ロンちゃんも喜んでいる様子……だったのだけど。
ロンちゃんと優真――の姿をした小夏が、ばったりと目を合わせる。途端、ロンちゃんの表情が目に見えて険しくなった。
「……ぐおぉっ」
「ひえっ」
「うぐっ、やっぱり怒ってる……」
「髭なのか髪なのか分かんねえけど、逆立ってるぞ……」
「ろ……ロンちゃんみたいなジジーロンが敵をにらむと、身体を痺れさせたりするって聞いたことがあるよ」
「……バトルじゃ役に立ちそうだけど、今はやめてほしいところだな」
その威圧感たるや凄まじいものがあった。その圧力に、優真はもちろん、小夏も一緒に気圧されてしまう。その様子はさながら蛇に睨まれた蛙。二人揃ってすっかり縮み上がってしまった。足がすくんで動けない小夏と優真が、どちらも額に冷たい汗をかく。
「……みぅ! みぃう!」
「わ、わ、シズクっ、待って待ってっ」
「おいおいおい、無茶するなって!」
二人が危機にさらされていると思ったのだろう、シズクが優真の手から勢いよく飛び出した。二人に手を出させはしないぞ、と言わんばかりに腕を大きく広げて、ロンちゃんの前に立ちはだかった。何ら気後れすることなく堂々と立ち、ロンちゃんに強いまなざしを向けて、自分の大切な親たちを護ろうとしている。その意思はとても立派だ。が、力の差はあまりに歴然としていて、シズクがどうこうできるような相手ではないのは明白だった。優真が慌ててシズクに手を伸ばして、しっかりと抱き締める。
ぎろり、とロンちゃんがまなざしを向けているのは、今は優真の姿をしている小夏の方だった。当然ながら、ロンちゃんは二人が入れ替わっていることなど知らない。そしてロンちゃんには、「優真」に敵意を向けるのに十分な理由があった。
「ごめんね、優真くん。イタズラされた時のこと、よくロンちゃんに話してたから……」
「いや、小夏は悪くない。俺が小夏につまんないことしてたのがいけなかったんだ。因果応報、ってやつだな」
「優真くん……四字熟語、スラスラ出てくるようになったね」
「これも小夏に教えてもらったおかげさ。とは言え、このままじゃ小夏がロンに触るのもままならないからな。あいつとちょっと話をさせてくれないか」
ロンちゃんに睨まれている小夏にシズクを預けると、彼女をそっと背中へ回して、庇うように前へ立つ。ロンちゃんの目を見つめた優真が、思い切って口を開く。
「あのね、ロンちゃん。優真くん、反省したの。前はイタズラばっかりしてたけど、今はもう止めちゃったんだよ」
「わたしが何度も言って、やっと分かってくれたんだ。だから、怒らないであげてほしいな」
「それに……この間、港で危ない目に遭ったんだけどね、その時わたしのこと助けてくれたの」
「今はもうすっかり仲良しになったんだよ。だからロンちゃん、優真くんのこと、許してあげて」
小夏の姿をした優真がロンちゃんに語り掛ける。優真はもう反省したこと、以前怖い思いをした時助けに入ってくれたこと、今はお互いを認め合って仲良くなったこと。優真は小夏として、ロンちゃんの説得を試みたのだ。
するとどうだろう、怒っていたロンちゃんの顔つきがみるみるうちに変わっていくではないか。悪いことをしていた子が反省して改心した、今はすっかりいい子になっていると聞いて、喜ばないロンちゃんではなかった。小夏を睨みつけていたのをやめて、元の穏やかな表情を取り戻す。雰囲気が変わったと感じた小夏が、優真の背中から顔を出して一歩前に踏み込む。
「……ごめん。もう、小夏のこといじめたりなんかしないから」
「ぐぉぉうぅ」
小夏が優真として頭を下げると、ロンちゃんはゆっくり深々とうなずいて、謝罪をしっかり受け入れてくれた。その様子を、優真が感慨深く見つめている。シズクも警戒を解いて、様子を静かに見守っていた。
ロンちゃんに体を寄せた小夏は大きく腕を回して、その体をぎゅっと抱きしめる。少し前までほとんど毎日していたことなのに、ずいぶん久しぶりに感じる。けれど心はその手つきを憶えていて、例え体が入れ替わっても変わらず同じように振る舞うことができた。
「……ぐぅ……ぉお?」
その抱き方に何か察するところがあったのだろうか。ロンちゃんが外から見てもはっきりと分かるくらい驚いた顔をして見せた。けれどまたすぐにいつもの顔に戻って、かつて小夏にしていたのと同じように、彼女にそっとほおずりをする。懐かしい感触に、小夏は思わず目を細めた。小夏がロンちゃんを抱きしめる、ロンちゃんが小夏にほおずりをする。
まるで、久々の再会を喜ぶかのように。
「ロンちゃん、おみやげ持ってきたよ。はい、オボンの実」
「こっちはうちの庭で採れたモモンの実だぞ。遠慮しないで食べてくれよな」
心行くまでロンちゃんとふれあったところで、小夏と優真がそれぞれ持ってきた木の実をロンちゃんに差し出す。ちょうどお腹が空いていたようで、ロンちゃんはもらった木の実を喜んで食べ始めた。見た目からはあまり想像が付かないが、ロンちゃんは草食で木の実が主食だったりする。小夏がいない時も、あちこちの木に生っている木の実を採って食べているようだった。
木の実を食べ終える頃になってから、優真の腕の中にいたシズクがゆっくり離れていく。ロンちゃんに近付いていくと、ふさふさの白い髪だか髭だかをしげしげと見つめる。やがて好奇心が湧いてきたのか、手を伸ばしてちょんちょんとそれに触れた。触られたロンちゃんはたいそう喜んで、今度はシズクにそっとほほを寄せる。ロンちゃんが心優しいポケモンなのだということに気付いたシズクの表情はたちまち明るくなって、あっという間にロンちゃんと仲良くなってしまう。背中にぴょんと飛び乗ると、ロンちゃんが公園を周遊するように散歩し始めた。
「見てみて! シズクがロンちゃんを乗りこなしてる!」
「なーんか昔テレビで見たことあるな、これに似た風景」
「あれじゃない? 昔ばなしの番組」
「おっ、それだそれ」
ロンちゃんに乗せてもらって大はしゃぎするシズクを、小夏と優真が微笑ましく見守っていた。
それからしばらくして、シズクが満足してロンちゃんから降りる。公園にある時計を見ると、あと少しで正午を迎えるという時間だった。二人はここで帰ることにして、ロンちゃんに別れを告げる。
「じゃあね、ロンちゃん! また遊びに来るからねーっ」
「今度も木の実持ってくるからなーっ」
二人を見送って、ロンちゃんもまた公園を後にする。ねぐらへ戻るようだ。足並みをそろえてタイヤ公園を出て、二人の家の分かれ道まで歩いていく。その道すがら、優真と小夏はこんな会話を交わしていて。
「ちょっといいか小夏。来る途中に聞かせてくれた話って、ホントなのか?」
「それって、ロンちゃんがわたしのポケモンだってこと? もちろん! 嘘なんかじゃないよ」
「いやあ、正直ビックリしたぞ。あのジジーロンがまさか小夏のポケモンだなんて思うわけないし」
「みんなにはナイショだよ。お母さんにも言ってないからね」
なんと驚くべきことに、ロンちゃんは小夏が親になっているポケモンだったのだ。来る途中にその話を聞かされた優真は、詳しいことを聞いてみたくて仕方なかったようだ。小夏もまたちょっと嬉しそうな顔をして、優真の問いに応えている。
「けど、どうやってハイパーボールなんて手に入れたんだ? まだ買えないよな、俺たち免許もバッジも持ってないし」
「去年の夏にね、夜コンビニまで買い物に行く機会があったんだ。前の人がタバコを買う買わないって揉めてたから、よく覚えてるよ」
「へぇ、コンビニに買い物……ああ分かった、向こうのセブンイレブンか! 去年できたんだっけ」
「そこそこ! 夜にアイス食べたいねって話になって、わたしが買いに行ったんだ。その時一緒に買ったものが結構あって、くじ引きができたんだよ」
「ええっと確か、七百円分だか八百円分だか買うとできるやつだっけ?」
「うん、それそれ! その場でわたしが引いたんだけど、ハイパーボールが当たったの。免許持ってますか? って聞かれたんだけどどうしても欲しくて、『お父さんが免許持ってます』って言って、もらっちゃった。免許持ってるのはホントだけどね」
意外と大胆な立ち回りをする小夏に、優真が大きく目を開く。彼女の外の世界を冒険したいという気持ちがどこから来ているのか、なんとなく分かる気がした。けれどそれと共に、小夏はやる時はしっかりやるタイプなのだと改めて思う。
「あれからすぐだったかなぁ。向こうの山のふもとで、大きなタマゴが転がってるのを見つけて……」
「ひょっとして、その中にいたのが――」
「そう、ロンちゃんだったんだ。タマゴを割って、中から出てこようとしてるところだったよ」
「なるほどなあ。ジジーロンが榁にいるなんて聞いたことねえし、トレーナーか誰かがタマゴを置いてったんだろうな。無責任な話だよ」
「気持ちのいい話じゃないよね。それでね、誰もいないところで生まれるのってすごく寂しいんじゃないかなって思ったから、わたしが見てたげようって思って」
「そっか……そうだよな。やっぱり、小夏は優しいな」
「ほっとけないよね。タマゴからなんとか出てきたんだけど、ずいぶん弱ってたの。その時に思い切ってハイパーボールへ入れて、ポケモンセンターまで連れて行ったんだ」
小夏がロンちゃんを捕まえるに至った経緯を知って、優真が納得して何度もうなずく。
「それで元気にはなったんだけど、ボールに入れっぱなしなのは気が引けたし、かと言って家には連れて行けないし、どうしようって思って……」
「まあ、あいつでっかいしな……だから、この辺りでこっそり育ててたってわけだな」
「もっといい方法があればよかったんだけどね。山でねぐらにできそうな場所を見つけてあげて、時々様子を見に行ってたんだ」
「で、たまにタイヤ公園へ遊びに来てたってわけか」
「うん。みんな怖がらずに遊んでくれて、ロンちゃんも嬉しそうで良かったよ」
「子供と遊ぶの好きだもんな。さっきはシズクとも仲良くしてくれてたし」
優真の言葉にうなずきながらも、小夏は少し俯いて、声の調子を落として呟く。
「でも……わたし、自分勝手だよね。自分の家で育てられないのにロンちゃんを捕まえて、外でずっと放し飼いにしてたなんて」
「けど、おかげでロンはああやってみんなに好かれるポケモンになったんだ。小夏が来た時だって、すごく嬉しそうにしてたじゃないか」
「優真くんがそう言ってくれると、心が楽になるよ。わたし、無責任なことしてるって、ずっと気にしてたから」
「気にしてたってことは、小夏はロンのこと心配してたってことだろ? 本当に無責任なやつからは、自分は無責任かも、なんて言葉は出てこないものさ」
独りぼっちだったから側に付き添ってあげた、弱っていたから安全なボールの中へ入れてポケモンセンターまで連れて行ってあげた、山でねぐらを探してあげた、それからもたびたび会いに行っていた。小夏の行動はすべて、ジジーロンを大切にしているからこそ出たものだった。放し飼いにしていたのは事実で、それ自体は正しいとは言えないかも知れない。けれど、小夏は自分にできることを精いっぱいしただけのことだ。優真はそれを伝えたかった。
「小夏が外へ旅立つときは、あいつも連れてくのか?」
「うん! 外の世界をいっしょに見たいんだ。あと、いざ戦うと強くて頼りになるポケモンだしね。いろんな技を覚えてくれるんだよ」
「さしずめ用心棒ってところか。小夏のそういうちゃっかりしたところ、俺は好きだぞ」
「もう、優真くんったら」
朗らかに笑う二人はいつしか手を繋いで、間にシズクを挟んで歩いていくのだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。