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#36 ふたりの選択、ふたりの覚悟

「優真くん、開けて。わたしだよ、小夏だよ」

明くる日の朝。シズクを連れて自分の家へやってきた小夏が、応対した優真と顔を合わせる。小夏の表情はいつになく深刻で、顔面蒼白と言っていい有様だった。すぐに家へ入れてもらうと、しっかり戸締りをして、小夏の部屋へ集合する。もちろん、部屋の鍵をかけることも忘れない。窓も閉めて、自分たちの会話が決して外へ漏れないように気を配る。

一体どうしたんだ、とは訊かなかった。その目を見ただけで何が起きたのか分かってしまったからだ。優真が身を寄せると、小夏が小さく身を震わせているのを感じる。ぎゅっと手に力を込めて強く抱き締めてあげると、小夏は少し落ち着きを取り戻したようだ。不安げな目で優真を映し出すと、優真もまた憂いをいっぱいに帯びた目をしているのが分かった。いつになく切迫した様子の二人を、シズクは静かに見つめている。

「大丈夫か、小夏」

「うん、わたしとシズクは大丈夫。だけど……優真くんに話さなきゃいけないことがあるの」

「実は俺も、小夏に話すことがあるんだ。それもいい話じゃない、大分悪い話だ」

先に口火を切ったのは、優真の方だった。

「昨日ペリドットへ遊びに行った時に、山手と会ったんだ」

「山手は少し前、宮沢とエーテル財団にいる従姉妹が自分に声をかけてきたって話をしてくれた」

「『皆口さんの連れているフィオネについて何か知らないか』……って」

「宮沢と従姉妹は、シズクのことをあちこち嗅ぎ回ってるらしい」

「山手から、エーテル財団には十分気を付けてほしい、小夏にもこの事を伝えてほしい……そう言われたんだ」

山手くんから聞かされたエーテル財団についての話。彼らはシズクに強い興味を示していて、小夏と優真の友人たちを当たって情報を集めているようだ。山手くんにまでその手が及んでいたと聞いて、小夏は思わず戦いた。明らかに宮沢くんが主導している、そう感じざるを得ない。宮沢くんには何か、シズクが明らかにおかしいと思う点があるようだ。けれど何度見たところで、シズクはただのフィオネにしか見えない。せいぜい、目の色が黄色いことくらいしか違いなんてなかった。

小夏は優真の腕をひっしとつかむと、自分の身に起きたことを矢継ぎ早に語り始める。

「あのね、優真くん。実は昨日わたし、その宮沢くんと従姉妹の子に会って」

「えっ!? だ、大丈夫だったか!?」

「う、うん。その場は何とか切り抜けたよ、でも、でも……山手くんの言ってる通り。二人とも、シズクのことすごく気にしてて――『保護』しなきゃいけないかも、って」

「ほっ、『保護』って……! あいつら、俺たちからシズクを取り上げようとしてやがるのか!」

「もしシズクと別れさせられたらって思って、わたし、布団の中で涙が止まらなくて……もう、どうしようって……」

昨日宮沢くんの従姉妹、確かナツといったはずだ。ナツは小夏にこう告げた。

「『皆口しゃんと川村くんの連れとーシズクちゃんは、普通んフィオネとはばり違うと』

「『エーテルハウスでシズクちゃんば詳しかこと調べさせてもらいたかばい。それで、必要なら保護したかばい』」

自分たちの連れているフィオネは――シズクは、どうやら何かが普通のフィオネとは違っている。エーテル財団の施設で詳しく調べさせてもらい、もし必要なら自分たちの手で「保護」させてもらう。ナツの口調はあくまで落ち着いていたが、そこにはかなり強い意志がこもっていた。必要とあらば小夏と優真からシズクを引きはがすことも辞さない、そのような思いを感じさせる言いぶりだった。

なんてことだ、と優真が愕然とする。山手くんの言っていたことが的中した形だった。昨日自分がシズクを連れていたのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。小夏の元に居たら、今頃シズクはエーテル財団の手に落ちていた可能性だってあるのだ。二人が揃って身震いする。

「でも、それだけじゃない、エーテル財団だけじゃないんだ」

「もしかして優真くん、それって――案件管理局のこと、だったりするのかな」

無言で首を縦に振る優真を見て、小夏がわなわなと体を震わせる。一度キュッと目を閉じてから、それから、再び小夏が口を開いた。

「わたしね、昨日商店街にいたの。清音さんにお使いを頼まれてね。そこで、楓子さんって人に会って」

「楓子さんの先輩がまりちゃんのお姉さんで、その人からこう言われたんだって」

「『まりちゃんは優真くんとその友達の様子がおかしいと思ってる、案件管理局に調べてもらうって言ってる』……って」

「今まで全然気づかなかったけど、まりちゃんはわたしたちのこと怪しんでるみたいなんだよ」

「それで、知り合いの管理局の人と話をして、詳しく調べてもらおうとしてるんだ」

楓子から聞かされた案件管理局についての話。こちらは優真と小夏に何らかの疑いを持っていて、詳細について調査しようと考えているらしかった。毬の姉が楓子に聞かせた言葉に、優真は鼓動が早くなるのを感じずにはいられなかった。毬が案件管理局とどんな伝手を持っているのか分からないが、直接掛け合って調査を依頼できるくらいの繋がりがあるらしい。それでいて、優真と小夏が自分の知っている二人とは違う、しかもそんな二人が夏休みに入ってからいつも一緒にいて怪しい、そう思っているようだ。

優真は唇を真っ青にしながら小夏に寄り掛かると、震えて掠れて上擦った声で、昨日の帰り道での出来事を小夏に打ち明ける。

「聞いてくれ、小夏。俺も昨日家に帰る途中に、毬と案件管理局のやつに会ったんだ」

「うそ!? 優真くんも……!?」

「本田って名前の局員が一緒だった。俺たちのこと番号で呼んで、それですっげー冷たい目で見て、『収容』する必要がある、って……」

「そんな、『収容』って、それ――」

「いつあいつらが来て、俺たちを連れてくか分からない、そう思ったら夜も眠れなくて、俺、怖くなって……」

本田局員はメガネの向こうの瞳を鈍く光らせながら、優真に向かって確かにこう言った。

「『皆口さん。貴女は対象#156472-1、レベル2人型オブジェクトの疑義ありとされています』」

「『近日中に許可状を取り――いつもご一緒されている川村さんと併せて、収容させていただくことになるかも知れません』」

優真と小夏の様子がおかしい、まるで別人のようだ。直感した毬は本田さんに話をして、案件管理局に調査を依頼したようだ。本田さんもまた二人をかなり怪しんでいることに間違いなく、はっきりと「収容」するつもりだと言ってきた。その意思はちょっとやそっとじゃ揺るぎそうにない。近いうちに必ず自分たちの前に表れて、案件管理局の施設へ連れて行くつもりなのは明らかだった。

そんな、と小夏が言葉を失う。楓子さんに言われたことがズバリ当たってしまった形ではないか。このまま放っておけば家に本田さんたちがやってきて、正当な許可を取ったと言って自分たちを拘束してしまうだろう。これほど恐ろしいことは無い。それがまさしく明日、いや今日起きてしまってもおかしくない状況なのだ。

ひとまず今この瞬間は、小夏も優真もそしてシズクも無事だ。ちゃんと揃って同じ場所にいる。優真くんが無事でよかった、小夏が無事で何よりだ、と抱き合って安堵するものの、事態が一刻を争うことに変わりはない。エーテル財団はシズクを、案件管理局は自分たちを狙って動いている。どちらもただの子供に過ぎない自分たちでどうにかできる存在ではなく、こちらの話が通じるともまた思えない。ひとたび事が起これば成す術がないだろう。

「一体どうすりゃいいんだ、案件管理局にエーテル財団なんて……」

「わたしたち、捕まっちゃうの……? みんなに会えなくなっちゃって、外にも出られなくなって……やだよ、そんなのやだよ……っ」

不安。二人を支配する感情は不安だった。二つの大きな影が自分たちとシズクに迫っていて、全員が離れ離れにされてしまうかも知れない。優真も小夏も怯えないはずがなかった。自分たちは確かに誰にも言えない大きな秘密を抱えていて、そして珍しいポケモンであるフィオネのシズクを育てている。エーテル財団が、案件管理局が、各々の目的のために動くだけの理由があったのだ。

「――みぅ! みぃう!」

「シズク……」

「お前、俺たちのことを……」

今にも心が折れてしまいそうな二人を見たシズクが声を上げて、勇ましい顔をして大きく胸を張ってみせた。シズクは凛とした目を二人に見せて、ぶれることなくそこに立っている。いざとなったら自分が小夏と優真を護って見せる、そんな強い意志を感じさせる姿だ。そこに一片たりとも憂いは無い。恐れることなど何もないというメッセージが伝わってくるかのよう。

自分たちはただ怯えるしかないと思っていた優真と小夏は、威風堂々とした佇まいのシズクからたくさんの勇気をもらうことができた。もう体の震えも止まっている。気を取り直して顔を上げると、二人してシズクの手を取る。

「ありがとう、シズク。元気が出てきたよ」

「こんなところで挫けてる場合じゃないよな。シズク、心配かけて悪かった」

「もうダメって決まったわけじゃないよね。きっとわたしたちにもできることがあるはずだよ」

「ああ、次の手を考えよう。財団と局を出し抜くんだ」

案件管理局とエーテル財団。手を拱いていては、強大なこの二つの存在から自分たちの平穏が奪われてしまう。そのためにはなんとしても、自分たちの身の安全を「確保」しなければならなかった。今や一心同体になった小夏と優真、そしてわが子そのもののシズク。皆が揃って逃げ切ることを第一に考えなければならない。

優真と小夏が黙り込んでそれぞれ首をひねる。これからどうすべきか、どこへ行くべきか、子供なりに一生懸命になって考えているのだ。エーテル財団の手が届かない場所、案件管理局に見つからない場所。自分たちの暮らしている榁にそんな場所があっただろうか、仮にあったとして行くことはできるのだろうか。二人は知っている場所を次々に思い浮かべて、記憶の海を必死に泳ぐ。

ずいぶん長く考えた末に、優真がゆっくり顔を上げた。様子が変わったのを見た小夏が、考えるのをやめて同じく顔を上げる。

「小夏。俺にひとつ、考えがあるんだ」

「聞かせて、優真くん」

重々しくうなずいた優真が、小夏の目をまっすぐ見据えて、並々ならぬ決意を込めてこう告げた。

「俺たち二人で――家出をするんだ」

「……家出!?」

家出。優真の口から飛び出したその言葉は、小夏を驚かせるのに十分だった。椅子に座り直して体制を整えた優真が、口をキュッと真一文字に結んだ小夏に語り掛ける。

「俺と小夏、それからシズクで、どこか遠くへ行っちまおうってわけだ」

「そっか。管理局や財団がわたしたちを捕まえようとするなら、その前にどこか遠くへ行っちゃえばいいんだね」

「ああ、その通りだ。出て行くとしたら船に乗って、内地の方に出ていくことになるだろうな」

「確かに……榁だと隠れられる場所も少ないし、きっとすぐ見つかっちゃう。だったら、船で海凪市まで出れば……ってことだね」

榁を出て遠方の地で身を隠す、優真の考えた案はそれだった。もちろん、家族には行き先を告げずに。小夏は腕組みをして思案する。家族――自分の両親、或いは優真の母と妹を残して行くことに、少なからず葛藤していたから。けれど他によい手立ても見つからない、このまま何もせずにいてはきっとみんなバラバラにされてしまうだろう。優真だって悩んで出した案のはずだ。彼が家族を大切にしているのは骨身に染みて知っている。それでも優真は、自分とシズクの身の安全を確保するために家出という選択肢を出してくれた。だったら、その想いに応えるべきだ。

閉じていた目を開いた小夏が、落ち着いた口調で応える。

「――シズクを護るためだもんね。優真くん、一緒に船で榁を出よう」

「ありがとう、小夏。ここまで来たら……やるっきゃない、そうだよな」

優真と小夏が深くうなずき、共に家出をすることを約束した。

そうと決まれば手はずを考えるのは早かった。今日は持っていくものの用意や行き先を検討する準備にあてて、明日に隙を見て船に乗り込むことにした。幸い、海凪市へ行くため船には何度か乗ったことがあるから乗り方は分かっているし、榁からすると都会に当たる海凪市へ遊びに行く子供は少なくなかったので、ポケモンを連れた子供二人が乗り込んでも怪しまれるようなことはまずなかった。

まずは海凪市へ向かい、そこからさらに内地を目指すことにする。エーテル財団は最近になって豊縁地方での活動範囲を広げる方針に転換したようで、海凪市にはまだ拠点らしい拠点がない。榁さえ出てしまえば簡単に撒けるだろう。そして海凪市の北部は人の少ない山岳地帯になっているので、都市部を中心に活動している案件管理局の目をかわしやすくなることが期待できた。

行き先は決まった。ある程度の勝ち目もある。こうなれば今は榁を離れることが先決だった。

「家出に必要なものを準備しなきゃね。シズクはわたしが預かるよ」

「分かった。小夏、くれぐれも気を付けてくれ。家に帰ってからもしっかり戸締りをするんだ」

「いつどっちかが押し入ってきて、無理矢理連れてかれないとも限らないからね。優真くんも気を付けて」

固く手を取り合い互いの無事を祈り合うと、小夏は早々に自分の家を出て川村家を向かう。玄関で小夏が無事に帰っていくのを見届けてから、優真はすぐに家へ戻り、鍵をしっかり閉めて中に閉じこもった。

 

 

人目をなるべく避けて裏道を通りつつ、時には普段選ばないようなルートを使って、小夏が優真の家まで戻って来た。急いで自分の部屋に入って窓も扉も固く閉ざしてしまうと、ふすまを引いて押し入れの中を確かめる。優真から、去年のサマーキャンプで使うために買った大きなリュックがあると聞いていたのだ。小夏はそれをすぐに見つけて、押し入れから引っ張り出す。ここに必要なものを詰めるのだ。

「服をいくらかと、あるだけのお金を全部。それから――」

帰る途中にコンビニに立ち寄って、懐中電灯や携帯ライターのような外で役立ちそうなものをいくつか買ってきた。リュックの容量は大きかったから、小夏が詰めたいと思ったものを全部詰めても十分余裕があった。ちょっと重たいものの、持っていくことはできそうだ。帰ってきてから一時間ほどですべての準備を済ませてしまい、小夏は大きく息をつく。今日はスイミングスクールもない、明日が来るのを待つだけだ。

そのまま家で過ごしていると優美が帰ってきて、シズクと遊び始めた。

「シズクちゃん、来たときからずいぶんおっきくなったねー」

「みぅ!」

すっかり成長したシズクは風格も出ていて、今や優美に遊んでもらっているというより、優美を相手に遊んであげている、といった風情だった。優美は変わらず楽しそうに遊んでいて、シズクのことを大事にしてくれている。そして時折小夏のところまで来ると、にっこり笑って「お兄ちゃん」と抱き付いたり手をつないだりしてくる。小夏はそのひとつひとつに応じてあげて、優美を喜ばせてあげた。

明日になれば、しばらくはしてあげられなくなることだったから。

三人で遊んでいる内に仕事を終えた母も帰宅して、台所で夕飯の支度を始めた。その合間を縫って居間で遊ぶ優真・優美とシズクの様子を見に来て、その目を糸のように細めているのが分かる。今日は体の調子が良く、おかげで気分もいいみたいだった。シズクちゃんは可愛らしいね、と語るお母さんの表情は幸せそのもので、自分の子供たちがひとところに集まって仲良く遊んでいるのをとても嬉しく感じているようだった。

そんな母はもちろん、小夏がシズクを連れて家出しようと考えていることなんて、まったく思いもしていないだろう。

(わたしとシズクがいなくなったら、優美ちゃんはきっと悲しんじゃう。お母さんだって……)

優真の家族はみんな揃って仲が良くて、固い絆で結ばれている。優真として一か月近くを過ごしてきた小夏にはよく分かっていた。その絆に救いを感じたことも少なくない。とてもいい家族だと思わずにはいられない。だからこそ、それを自らの手で壊そうとしていることに罪悪感を覚える。優真とシズクがこの家から消えれば優美は泣いてしまうだろうし、母は心労で倒れてしまうかもしれない。明日自分がすることの罪深さに、小夏の心は押しつぶされそうになる。

(……でも、やらなきゃいけないんだ。わたしがシズクと優真くんを護るって、そう決めたから!)

小夏は重圧を自覚したうえで、それを思いきり跳ね除けた。もう覚悟はできている。何もかも捨てて優真とシズクを護るために生きる、そう決めたのだ。自分たちは追いつめられているんだ、もう他に手立てはないんだ――思いつめた小夏はそれでも活路を見出したくて、家出するという苦渋の選択をしたのだ。

ここまで来たらもう後戻りはできない。小夏は拳に力を込めて、己の決意が揺るがぬようキュッと目を閉じた。

 

 

小夏が出ていってすぐ、優真は家出の支度を始める。小夏から所在を教えてもらったリュック――ポケモントレーナーとして旅立つ折に使うつもりだったそれに、着替えやお小遣い、その他使えそうなものを詰めていく。使いどころをよく考えて、必要なものだけを厳選していく。しばらくは野宿をすることもあるだろう、厳しい道のりになることを覚悟せねばなるまい。

「逃げてる途中、食べ物を買えるかも分からないからな」

隙を見て買い物に出て、日持ちのする食べ物をいくらか買ってきた。もちろんこれもすべてリュックの中へ入れる。自分が小夏に使うように言ったリュックよりは一回り小さいとはいえ、アウトドア用のそれには必要なものをしっかり詰めることができた。チャックをきちんと締めて準備を済ませると、優真が小さく息をつく。今日は塾へ通う必要もない。案件管理局やエーテル財団に見つからないよう、このまま家でじっとしていればいい。

部屋の中で息を殺すように過ごして、時折窓の外を見て誰かが自分を監視していないことを確かめたりしているうちに、日が暮れて辺りが暗くなってきた。

「ただいま、なっちゃん」

「あ……お帰り、お母さん」

仕事を終えたお母さんが帰ってくる。優真は家に入ってきたのがお母さんだと分かると少し緊張をゆるめて、玄関でお母さんを出迎える。荷物持つよ、そう言ってお母さんからカバンを受け取ると、連れ立って一緒にリビングまで向かう。なっちゃん、今日は蒸し鶏のサラダを作るわ。仕事が終わったばかりだというのに、お母さんは疲れた顔ひとつせず夕飯を作り始める。わたしも手伝うよ、優真はすかさずお母さんの隣に付く。自分を手伝ってくれる様子を見て、お母さんがうれしそうに笑う。

優真は分かっていた。明日からは、こうしてお母さんのお手伝いをすることもできなくなるのだと。

夕飯を作り終える頃になって、お父さんも家へ帰ってきた。お土産に駅前の洋菓子屋でシューアイスを買ってきてくれたという。食後のデザートにしよう、そう言うお父さんには笑顔が満ちている。出張で家を空けがちなので、こうやって家族三人顔を合わせてご飯を食べられることが嬉しくてならないのだ。それはとりもなおさず、お父さんが家族みんなを大切にしているということでもあって。

全員が揃った夕食の席で、お父さんとお母さんは代わる代わる優真を――いや、小夏を見て、心から楽しげに言葉を交わす。

「こうやって家族三人で夕飯を囲めるのはいいな。できることなら、毎日こうしたいものだ」

「お父さんがいないと、どうしても寂しくなっちゃうものね。もちろん、なっちゃんも同じよ」

「小夏はお父さんの自慢の娘だよ。テストで素晴らしい点数を取ったのもそうだし、何よりこうして、いつも元気でいてくれるからな」

「なっちゃんを見ていると、お母さんたちも頑張ろうって思えるのよ。なっちゃんがいるんだもの、仕事なんかには負けてらんないわ、って」

両親は小夏を目に入れても痛くないほど大切にしていて、自慢の娘だと、自分たちの活力の源だと褒めてくれている。

(俺のしようとしていることは、二人を裏切ることそのものなんだ)

胸に針で刺されたような痛みが走る。自分が何も言わずに家を出れば両親は必ず悲しむだろう。自分のことを探そうとするに違いない。けれど、自分と小夏はそこから逃げなければならないのだ。小夏とシズクを護るために、自分は家族を捨てなければならないのだ。

(やり抜かなくちゃいけないんだ。俺と小夏とシズクが、これからもずっと一緒に居るために……!)

自分の罪業をありのまま理解して、そのうえで優真の決意は変わらなかった。もう他にできることはない、自分がいつまでも家にいたら両親にも迷惑が掛かってしまう。強い意志を持ってここから出ていかなければならない――追いつめられた優真は不退転の決意でもって、榁を飛び出す覚悟を決めた。

もう過去を振り返る時間は終わりだ。優真は瞳に強い意志を宿して、今再び決意を新たにするのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。