トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

#38 フィオネたちの来訪

小夏と優真が自転車に乗って走っていく。優真が走らせる自転車の前カゴにはシズクも入っている。向かう先は優真の家から歩いて十五分ほどの海岸。あの日、夏休みが始まった日、小夏が海で溺れて優真に助けられた、他でもないあの海岸だった。

電話越しに聴こえた宮沢くんの声は終始早口で、耳をすましてもなお聞き取りづらいくらいだった。それくらい大変なことが起きているらしい。優真にすぐに来てほしいと言っただけでなく、そこに小夏もいるなら連れてきてほしいとのことだ。何より、シズクをここへ来させてほしいというのが一番の依頼だった。電話を受けた小夏は優真に相談すると、ともかく行ってみようということで合意し、今こうして海岸沿いの道を全力疾走しているわけだ。

「宮沢は生真面目で、俺たちを罠に嵌めるような卑怯なことをするやつじゃない、けど……」

「わたしもそう思うよ。でも、この前エーテル財団の人と一緒に居たし……」

「なんにせよ、気を付けた方がいいのは確かだな。シズクは俺がしっかり抱いて、何があっても離さないようにするよ」

「そうだね。ただ……来てほしいって言った場所は、外からでも様子がよく分かる場所だし、何か企んでるって感じじゃなかったけどね」

「ああ。それに宮沢が言ってたっていう『フィオネの群れ』ってのも気になるしな。本当に海で何か起きてるのかも知れない」

「とにかく急がなきゃね。行こうよ、優真くん」

宮沢くんへの警戒心は保ちつつも、頼まれたからには現場へ急ぐべきだ。二人の意見はピッタリ一致して、海岸まで全速力でぶっ飛ばした。歩いて十五分なら、自転車をフルスピードで漕げば五分くらいで着く。二人は近場に自転車を停めると、階段を下りて砂浜へ向かった。

「あっ! 川村くん! 皆口さんも!」

「来たぞ宮沢。小夏とシズクも一緒だ」

「シズクはわたしが抱いてるから、いいって言うまで宮沢くんたちは手を出しちゃダメだよ。絶対だからね」

「待ってくれん。うちらはシズクば捕まえようとは思うとらん。あんた方に見てもらいたかもんがあるばい」

砂浜には宮沢くん、そして彼の従姉妹であるナツが立っていた。シズクをしっかり抱えて離さない優真を見たナツが、頭を下げながらシズクを連れて行く意思はないことを示す。宮沢くんとナツ、その二人の後ろから、優真にとっては見覚えのあるソラマメのような大きなメガネをかけた男性が姿を現した。直属の部下らしき二名の財団職員を伴い、優真と小夏の前まで歩を進める。

「よく来てくださいました。皆口さんに川村さん」

「あなたは……」

「エーテル財団豊縁ブロック支部長、ザオボーでございます。この度はご足労いただきありがとうございます、ええ」

優真と小夏が警戒しているのをすぐさま見て取ったザオボーが、隣に控えている財団職員にそれとなく指示を出す。

「そうだ、君たち。先程向こうのエリアを漂流していたクズモーたちの監視に回ってください。こちらへ来ることのないように。ああ、伊吹くんはこのままこちらに」

「承知しました」

「分かった。うちゃここしゃぃ残る」

指示を出す形で職員をその場から下げさせる。先程のナツの平身低頭ぶりといい、ザオボーの指示といい、小夏と優真にとっては意外な展開が続く。あれほどシズクに固執していたエーテル財団にしてはなかなか手を出してこないし、居れば役立つだろう頭数を自ら減らすなど、どうもしっくりこないことばかりする。クエスチョンマークを一杯浮かべた様子の少年と少女を見たザオボーが顎に手を当てて、いたって落ち着いたトーンで二人に語り掛ける。

「先程伊吹くんからもお伝えした通り、かのフィオネ――シズクを我々がどうこうしようという目的はございません」

「じゃあ、保護するって言ってたのは……」

「その必要は無くなった、と言うべきですかねぇ。まぁ、ともかく今は海をご覧になってください。宮沢くん、場所を」

「川村くん、それに皆口さん。こっちだよ! ほら!」

宮沢くんの指さす先に優真と小夏が目を向ける。二人の顔つきが変わるまでには、ほんの少しの時間も必要なかった。

「あっ、あれは……!」

「フィオネが……たくさんいる……!」

海にはたくさんの、たくさんの、たくさんのフィオネが集まっていた。その数は十や二十は下らない。軽く数えても五十体以上のフィオネが、浜辺から少し沖合に出たところに寄り集まって浮いていたのだ。誰も彼もシズクそっくりのフォルムで、紛れもなくフィオネそのものだった。これだけの数のフィオネが集まったところなど、優真も小夏も見たことが無かった。宮沢くんたちの驚きようからして、彼らも初めて見る光景なのだろう。

「この光景を見てほしかったんだ、フィオネを育ててる東原さんや川村くんたちに」

「だからか、俺の家に電話してきたのは」

「そういうことだよ。あいにく東原さんは留守にしてて、連絡が付かなかったんだけどね」

「ああ、まあ確かに……」

「シズクを彼らと一緒に遊ばせてあげれば喜ぶと思ったんだ。それに……」

「それに……?」

「ここにいる彼らは――シズクに会いたがってるみたいなんだ」

優真がシズクを抱く腕を少しゆるめると、シズクはそっと離れて海へ向かっていった。その様子を見ながら小夏は首をかしげるばかりで、再び宮沢くんに向き直る。

「あいつらがシズクに会いたがってるって……そりゃあ、どういうことだよ」

「川村くんたちが育てたシズクは、特別な存在かもしれないんだ」

シズクが特別な存在かもしれない、そう言われた小夏と優真は互いに顔を見合わせるばかりだ。

二人が戸惑っている間にも、シズクはまっすぐに進んでいく。砂浜から海へ入り込み、波をかき分けて沖へと進んでいく。程なくしてシズクは群れまで辿り着く。迷う様子はまったくない。まるでここが自分の居場所であるかのように。シズクが先頭にいたフィオネと何か言葉を交わすのが見えた。フィオネたちは水から進んで道を開けて、シズクがそこを悠々と泳いでいく。

フィオネの群れは次々に身を引くと、一番の新入りであるはずのシズクを中央へと招き入れていく。シズクはやがて群れの中心に立つと、周囲を取り囲むフィオネたちにその黄金色の瞳を向けていく。

「優真くん、よく見て。シズクの目を」

「ああ。シズクだけ金色で、他はみんな青い目をしてる」

シズクと他のフィオネたちには決定的な違いが一つあった。フィオネの群れが皆揃って青色の瞳を持っているのに対して、シズクはただひとり、黄金色に輝く不思議な目をしていた。遠くから見ていてもシズクは決して他のフィオネに紛れてしまうことなく、シズクはシズクであるとハッキリ見て取ることができる。仲間のフィオネたちはその輝きに吸い寄せられるかのように、シズクの元へ次々に集まっていく。

その様子はさながら、暗い海を照らして往くべき道を示してくれる。一条の光の如く。

「みんな、シズクのこと気に入ってくれたみたいだな」

「そうみたいだね。すっごく仲良くしてるよ」

シズクは瞬く間にフィオネたちに受け入れられ、あれよあれよと言う間に群れと同化してしまった。フィオネらはシズクの来訪を揃って歓迎し、喜びの感情を想起させる声を上げているのが分かる。単なる同族の新入りとあっては、まずこんな待遇は受けられまい。シズクとフィオネたちの様子を目にした優真が、思わずこんな言葉を漏らす。

「まるで……シズクの『凱旋式』みたいだ」

「『凱旋式』――」

凱旋式。優真の発した言葉を受けた小夏が思わず息を呑む。目の前で繰り広げられている光景は、確かに優真の言う通りのものだった。フィオネたちはシズクを仲間というよりも、自分たちにとって特別な存在、もっと言うなら自分たちの上に立つ存在、自分たちの「王」たりえる子として迎え入れているかのよう。

自分を取り囲んで声を上げるフィオネたちに驚くことも戸惑うこともなく、シズクは皆に笑顔を向けている。仲間たちが喜んでいることを嬉しく思っているようだ。間もなくシズクがフィオネの手を取って、一緒に遊ぼう、と海へと繰り出すのが見えた。それに他のフィオネたちが続く。フィオネの集団はあたかも仲間を呼んだヨワシのように大きな塊となって、海を縦横無尽に動き回る。

「みぅ! みぃう!」

初めのうち、シズクは皆と同じように遊んでいた。あくまで集団の一員として、他の仲間たちと変わらない高さにいるように見えていた。シズクはあくまで群れの一員であって特別な位置付けにあるわけではない、そのように見て取れた。

だが、それは間もなく終わりを告げる。ほどなくしてシズクはごく自然と皆を率いる形になり、先頭に立って海を周遊し始めた。形が変わったとてシズクは困惑することもなく、皆の前に立つことが自分のするべきことだとしっかり理解しているよう。そしてフィオネたちは、シズクの進む道こそが自分たちの行くべき道だと信じて疑わないかのように、シズクの後を忠実に追いかけて陣を乱すことがない。

「シズクがみんなを引っ張って、先に泳いで行ってる……」

「フィオネたちの……リーダーになってるんだ」

フィオネを率いるシズクの様子から、小夏も優真も片時も目が離せない。いつも自分たちの腕の中にいたシズクが、わがままで、泣き虫で、寂しがり屋で、甘えん坊の子供そのものだったシズクが、仲間たちの先陣を切って堂々たる姿で泳いでいる。自分たちの見ているものが信じられない、どちらもそう言いたげな顔をしていた。海にいるのは紛れもなく自分たちが育ててきたフィオネのシズク、けれどその姿は自分たちの目にしたことのないもの。

目を大きく見開いたままのふたりは、すぐ側に二つの影が歩み寄ってきたことにも気付かなかった。

「――どうやら、かの童はカイ・ケイキらを率いる存在のようであるな」

「えっ!?」

「今の声は……!?」

まるで聞き覚えのない声が耳へと飛び込んできて、小夏と優真がハッとして左手に目を向ける。二人が目にしたのはエーテル財団職員のナツ、そして続けざまに視界へ映りこんだのは、見たこともない謎のポケモンだった。

ナツが連れているポケモンは、優真にとっても小夏にとってもまったく未知の存在だった。かろうじて見た目の形だけは、ねずみポケモンの「サンドパン」に似ているように見える。だが他はサンドパンとは似ても似つかない。背中は無数の鋭い氷柱に覆われていて、その体色は冬空のように冷たく蒼い。全身から凍えるような白い冷気を放ち、日差しが強く照り付けているというのに汗ひとつかいていない。暑さなど感じていないかのようだ。

威風堂々たる佇まい、一目見ただけで圧倒的な力を秘めていることを感じさせる威圧感を持ちながら、どこか気品のある――美しいポケモンだった。さながら、雪と氷の世界から下界へ降り立った女王か、あるいは……女神のようだった。

「紹介する。リージョンフォームんサンドパン、人呼んでアローラんすがたんサンドパンばい」

「こっ、これがサンドパン、なの……!?」

「俺の知ってるのと……全然、全然違う……!」

「前はアローラん霊峰、ラナキラマウンテンで暮らしとった。ラナキラマウンテンは年中雪ん降り積もる極寒ん地、そん厳しか環境に適応したのがこん姿ばい」

「わらわの名はポリアフ。マウナ・ケアを下りた今は、ナツの所へ身を寄せておる。我々は己が身で語り合った仲であるからな」

「しゃ……喋ってる!? ポケモンが……サンドパンが、喋ってる!?」

優真の姿をした小夏が、驚きのあまり完全に裏返った声を上げた。喋るポケモンなんて創作の世界でしか見たことが無かったというのに、今はどうだ。やたら流暢にしゃべるポケモンが今自分のすぐ隣にいて、しかもそのポリアフと名乗るポケモンは、一見サンドパンのようでまるでサンドパンでない、自分が持っていて何度も何度も読み返した2015年版のポケモン図鑑にも載っていない未知の姿をしている! すべてが初めての出会いだ! 小夏は目を白黒させながら、ナツとポリアフを交互に見つめるばかりだった。

「やはりこの地に於いても、人の言葉を繰るホロホロナはそうは居らぬようだな」

「ポリアフはポケモンん言葉ば理解して、人ん言葉に言い換える。彼女はそん力ば使うて、エーテル財団で働いとー」

ナツが語る。ポリアフはほとんどのポケモンたちが使う言葉を聞き取ることができ、その意味も理解することができるという。ポケモンたちが発しているのはただの鳴き声のように聞こえて、実は彼らの間でだけ通じる言葉で話しているそうだ。フィオネたちも言葉を交わしていて、ポリアフはそれを正確に聞き取ることができる。彼女はポケモンと人間の言葉の橋渡しを生業としてエーテル財団で働いている、れっきとした職員なのだ。

ポリアフは人の言葉を学んで意味を理解し、さらには自分でも話せるよう訓練を重ねてきたらしい。言い回しは少々古めかしいが、それが却って彼女に風格をもたらしている。一体どんな経緯でそんな能力を身につけようと考えたのか、小夏には皆目見当もつかなかった。だがポリアフが流暢に言葉を使ってみせるのは紛れもない事実で、動かしのようのない現実で、小夏はそれを受け入れるほかなかった。

「あの子がシズクに会いたがっとーちゅうんな、単なる俊昭くんの考えじゃなくて、ポリアフん通訳でわかったことばい」

優真がポリアフの方を向いて、一瞬ためらいを見せてから、その口を開いた。

「教えて、ポリアフ。フィオネたちは……なんて言ってるの?」

「ふむ。要を約すならば――」

小夏もすぐ隣へ寄り添う。フィオネたちの言葉が、ポリアフを介して二人に伝えられる。

「『此処に居る我らの仲間を迎えに来た』」

「『彼の者はその輝ける瞳で我らの行く先を照らし、導いてくださる』」

「『我らの絆を……心を結ぶ力を秘めている』」

「彼らはこう述べておる。それが貴殿らの育んだ『シズク』である、と」

ポリアフは二人に向けてそう述べると、すっ、と静かに瞼を下ろす。

「――シズクは、嘗てのわらわと同じ道を歩むことになるであろうな」

最後にそう呟いたポリアフは再び目を開いて、フィオネたちと戯れるシズクの姿を追い始めた。

彼の者はその輝ける瞳で我らの行き先を照らし、導いてくださる――ポリアフから伝えられたフィオネたちの言葉は、小夏にも優真にも、シズクがフィオネたちにとっていかに特別な存在なのかを理解させるには十分なものだった。シズクは普通のフィオネではない、はっきりと何かが違っているのだ。フィオネたちはここにシズクがいることを知って、自分たちの仲間として……いや、「王」になる存在として、シズクを迎えにやってきたのだ。

「あの子たちは、シズクを捜してここまで来たんだ……」

「進むべき道を教えてくれる、自分たちのリーダーとして迎えるために……」

フィオネたちはシズクを求めてここ榁までやってきた。彼らはシズクをずっと捜していたに違いなかった。だから彼らはシズクと出会うことができて喜んでいる。そしてフィオネたちはきっと、シズクと共に新たな地へ旅立つことを望むだろう。

それは言葉にするまでもなく、シズクが榁を去る事、小夏や優真との別れそのものを意味していて。

何も言葉を口にできないままただ顔を見合わせる優真と小夏。そこへ後ろから、これまで沈黙していたザオボーの声が聞こえてくる。

「伊吹さん、これまでお疲れさまでした。今この時を持ちまして、お二方の育てられていたフィオネ……シズクの観察は終了とします」

「えっ?」

「支部長……さん?」

「シズクに我々エーテル財団の保護は必要ありません。現状のままありのままにしておくことこそが、最善手と言えるでしょう」

ザオボーはこの場にいる全員に明瞭に聞こえるように声量を大きくして言うと、続けて自分の隣に立っていた宮沢くんに目を向けた。

「宮沢くん、貴方にも感謝いたします。希少なポケモンについての情報を、我々エーテル財団へ寄せてくださったことを」

「結果として財団が保護する必要はないとの結論には至りましたが……しかし、その結論を得たことが成果と言えます」

「我々が関わらずとも、ポケモンが正しく成長していくのであれば、それに越したことはありませんからねぇ」

話を聞いていたナツと宮沢くんの二人が一度互いの顔を見合わせた後、ほぼ同時にうなずくのが見えた。

「分かったばい、ザオボー支部長。二人とも、ようここまでシズクば育ててくれた。ばりよう頑張ったね」

「皆口さん、川村くん。僕、気持ちが先走っちゃって、シズクを保護しようなんて言ってごめんね。心配させちゃったね」

ナツ、続いて宮沢くんが、もうシズクを「保護」するようなことはしない、とハッキリ言ってきた。彼らのシズクに対するスタンスが変わったのだ。

「皆口さんに川村くん、シズクをここまで育ててくださったことに感謝いたします」

「少々情けないことを言うようですが、今の我々ではこう上手くは行かなかったことでしょう」

「前代表のご息女といい、チャンピオンのあの少女といい……最近の子らは優秀ですな。我々が楽をできる日もそう遠くないですねぇ」

「さて、我々はこれにて手を引かせていただきます。もし何かありましたら、いつでもエーテル財団の窓口までご相談を」

行きましょう、ザオボーがそう言うと、宮沢くんとナツを連れて去っていく。砂浜を歩いていく三つの影はどんどん小さくなって、やがて見えなくなった。

エーテル財団はもはや自分たちの脅威ではなくなったことを、優真も小夏も理解する。もう彼らがシズクに手を出すことは無いだろう。少なくとも、彼らの手でシズクと自分たちが引き離されてしまうことはなくなったのだ。

「エーテル財団の連中は、もうシズクには関わってこないだろうな」

「それは間違いないと思う。でも……」

シズクと共にこれからもいられるかは、また別の問題だったけれど。

フィオネたちはシズクに連れられて海を泳ぎ回っている。このまま放っておけばいつまでも遊んでしまいそうだ。まるで自分たとのことを忘れてしまって、元から彼らの仲間だと思っているかのよう。

小夏はシズクがこのままどこか遠くへ行ってしまうような気がして、思わず不安に駆られた。海の方へ大きく一歩歩み出て、シズクに向かって声の限り叫ぶ。

「シズクーっ! そろそろお家に帰ろうよーっ!」

声はシズクまで届いたようだ。ハッとした顔でシズクがこちらへ振り返るのが見えた。その様子を見た小夏、そして隣にいた優真もホッと胸をなでおろす。自分たちのことを忘れたわけではないらしい。声も届いて、自分たちの顔も覚えていてくれている。シズクが遠くへ行ってしまったわけではない、それが分かっただけでも、今の二人にとっては十分だった。

シズクは仲間たちに別れを告げて、風を切って空を飛んでこちらまで戻って来た。やってきたシズクを服が濡れるのも構わず、小夏が強く抱き締める。優真も後ろからシズクを何度もなでてやって、自分たちの元へ戻ってきてくれたことを確かめる。

「おかえり、シズク。戻ってきてくれたんだね」

「みぅ……」

「さあ、家に帰ろうか。俺たちの家へ」

戻って来たシズクを抱いてやりながら、小夏は海にいるフィオネの群れたちに目を向ける。彼らは未だ海に留まっていて、そこから動く様子を見せない。皆一様に目をこちらに向けていて、誰一人それを外す気配を見せない。

まるで、シズクがここへ戻ってくるのを待っているかのように。

「……行こう、小夏」

「うん……」

海を漂うフィオネたちの様子を、シズクたちを待ちわびている彼らの姿を、しっかりとその目に焼き付けて。

二人は自転車に乗って、優真の家へと戻っていった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。