「中原さんに教えてもらったおかげで、今回の英語はまともな点数が稼げそうだよ」
「どういたしましてっ。でも、わたしも川島くんに数学を教えてもらったから、いい点数が取れる気がするよ」
「中原さんは文系で、僕は理系、か。上手い具合にカバーしあえたね」
「一人だとどうしても手薄になっちゃうからね。ホント、定期テストは強敵だよ」
最終下校時刻。チャイムの音に追い出された僕と中原さんは、連れ立って住宅街を歩いていた。如何わしい(といっても僕一人だけが)肩叩きのあとは、図書室にあったポケモンにまつわる本を読んだり、気がつくと間近に迫っている中間テストの対策をしたりして、何だかんだで目一杯時間を使って過ごした。
「でもさ、中原さん。それとは関係ないんだけど、どうしても言いたいことがあるんだ」
「わたしに言いたいこと?」
英語や国語の今回のテスト範囲の要点を教えてもらったりして結構助かっていた僕だけど、そうして話をしている中で出てきた中原さんの趣味の中に、どうしても突っ込まざるを得ないものがあった。
「中原さんってさ、他の人から食べ合わせが悪いって言われたりしない?」
「そうかな? おはぎとコーラ、わたしはいいと思うよ」
中原さんはおはぎが好きだそうだ。それ自体は全然普通で、僕も嫌いじゃない。ただ、おはぎには必ずコーラを合わせると言われたら、その発想はおかしいと横槍を入れたくなる。ここでいうコーラは、もちろんあの赤黒い炭酸の飲み物だ。銘柄はペプシNEX(※カロリーオフ)に拘るという辺りがちょっと女の子っぽくて可愛いなあとか思ったけど、いやいやちょっと待ておはぎ+ペプシNEXはどう考えてもあり得ないぞと一瞬で現実に引き戻された。
「いや、やっぱりそれはヘンだよ。甘い物+甘い物って、合わないよ」
「さっき川島くんに教えてもらったばかりだよ? プラスにプラスを掛けると必ずプラスになるって。マイナスにはならないから、やっぱり合うよ」
「なんか理不尽なものを感じるけど……でも、和菓子に炭酸飲料はやっぱりおかしいって思うよ、僕は」
「和魂洋才に和洋折衷、和と洋の組み合わせは、新しい可能性を広げてくれるんだよ」
さすが文系、切り返しがいちいち回答しづらく手が込んでいる。和魂洋才とか和洋折衷といった便利な言葉を作った昔の人を恨むしかない。
「食べ合わせが変わってるのは、わたしよりも川島くんの方だよ、ぜったい」
「ええっ、どこがさ。いちごショート+熱い緑茶。突っ込みどころの欠片も見当たらないよ」
ぬ、これはいくら相手が中原さんと言えど聞き捨てならない。いちごショートと淹れたての緑茶は、僕の一番好きな取り合わせだと言うのに。
「おかしいよー。だって、やっぱりケーキにはコーヒーじゃないかな?」
「ない。あり得ない。ぶっちゃけあり得ない。甘い物に苦いものなんて、合うわけ無いよ」
「わたしのイメージだと、緑茶も十分苦いと思うけど……違うの?」
「違う違う、もう全っ然違う。コーヒーは苦くて、緑茶は渋い。これは大きな違いだよ、天と地ほどの違い、あるいはゴッドブレスとゴッドプレスくらい違うよ」
えぇー、と困った顔を見せる中原さん。僕には何がおかしいのか分からない。飛び道具と突進技では大きな違いだと言うのに。
それからおよそ五分にも渡って、おはぎ+コーラはおかしい、いやいや、いちごショート+緑茶の方が普通じゃないなどと言い合って、いつ果てるとも知らない壮絶かつショボい論争を続けていた僕らだったけれど。
「うーん……ようし、分かった!」
「分かったって、何がさ?」
「わたしは、川島くんの食べ合わせは”あり”だって思うことにするよ。川島くんが好きなら、それはきっと”あり”なんだ、ってね」
「……よし。じゃ、僕も同じだ。中原さんが好きなら、それを否定するのは良くないね。僕も”あり”だって思うことに決めた」
最後はお互い譲り合って、それぞれが好きな食べ合わせを許容することにした。まあ、最終的にはここに落ち着くだろうとは思っていたけど。
「でもねー……わたし、コーラが好きなんだけど、飲むとほら、空気が溜まっちゃうでしょ?」
「そりゃあ炭酸だからね。昔からよく言うじゃない、コーラを飲んだらげっぷが出るほど確実だ、って」
「うんうん。それで、飲んだ後にげふっ、ってなっちゃうと恥ずかしいから、ちょっとずつちょっとずつ飲むようにしてるんだけど、それでも止められないんだよね。けふっ、って小さくなって、結局出てきちゃう」
そういう時はこうやって口を押さえて、外に音が漏れないようにするのがコツなんだよ――中原さんはいろいろと工夫していて、それを僕に熱心に説明してくれたんだけど、肝心の僕は中原さんの仕草についてことごとく「かわいいなあ」という邪な感想ばかり抱いていた。この辺りの僕はどうやら一般的な健全さを持っている、ような気がする。
いつものように中原さんを家の前まで送り届けてから、家の門扉の前でお別れとなった。
「今日もありがとう、川島くん。勉強できて、助かったよ」
「こちらこそ。テストはちゃんと点数稼いどかないとね」
「うん。頑張らなきゃ、ね」
別れの挨拶を済ませたところで、僕は中原さんの前から立ち去ろうとした。
「……待って、川島くん」
「中原さん……? どうしたの?」
去ろうとした僕の背中に声を掛けてきた中原さんに、僕はすぐに足を止めて振り向いた。何か言いそびれたことでもあったのかな。僕はそう考え、彼女の次の言葉を待った。
「急に、こんなこと言って、あれだけど……」
憂いを帯びた表情、と言うのが正しいのだろうか。どこか悲しげな色をした瞳で僕を見つめて、そしてふっと視線を下へ落とす。中原さんの表情の機微を真正面から見て取る形になった僕は、思わず息を呑んでいた。少し前とは空気が一変したのが分かる。決して険悪ではない、しかしどこか張り詰めた空気が、僕と彼女の間に流れる。
中原さんは顔を俯けさせたまま、呟くような小さな声で言った。
「今日、一緒に図書室で勉強して……わたし、すごく楽しかったよ」
「ここまで二人で帰ってくるのも、同じくらい楽しくて、ずっと続けばいいなって思ってた」
「だから――」
すっ、と顔を上げて、中原さんの瞳が僕の顔をはっきりと映し出す。
「これからも、わたしと一緒にいてくれるかな」
今日僕と一緒にいたことが楽しかった、だから表情には希望や明るさが窺える。明日も僕と一緒にいられるかは分からない、故に表情には不安や翳りも見え隠れする。どちら側の感情を表に出せばいいのか悩んでいる――そんな顔をした中原さんが、僕の目の前にいる。
どきっとした。彼女から発せられた「一緒にいてくれるかな」という言葉に、僕は軽い眩暈を覚えた気がした。僕に問い掛けの言葉を呟いた彼女は自分のありのままの気持ちを曝け出していて、真っ向から対峙する僕にはあまりに眩しいものだった。なけなしの理性と冷静さをかき集めて、少なくとも表面的にだけは平静を装って、僕は彼女の言葉に答えた。
「もちろんだよ、中原さん」
「……うん。川島くん、ありがとう。わたし、その言葉が聞きたかった」
胸に小さな手を当てて、中原さんがすっと瞼を下ろした。
「わたしと川島くんだけが、カラカラくんやチェリンボみたいなポケモンを、この目で見られる」
「わたしと、川島くんだけが」
彼女の足元に着いていたチェリンボが、顔を上げて僕の目を見つめている。目を閉じた主に代わって、僕の姿を見ようとしているかのように。
「今まで一人でチェリンボといて、それがずっと続くと思ってた。チェリンボと一人で向き合っていかなきゃいけないって、そう思ってた」
「けどね、わたし一人じゃないって分かったんだ。川島くんも、わたしと同じものを見てるんだって分かったから」
「わたしだけじゃない、川島くんもチェリンボが見えてる。そう思うと――わたし、すごく安心できて、心が落ち着いて……」
「だからね……また、チェリンボが見えるのがわたし一人になっちゃうのが、今一番不安で、一番怖くて、一番悲しいことなんだよ」
中原さんはそこまで言い終えると、胸に当てていた手を離して、閉じていた目も一緒に開いた。
僕は中原さんの言葉を反芻する。一人きりでチェリンボと向き合ってきた、それがずっと続くと思っていた、けれど僕が話し掛けたことで一人じゃないって分かった、僕にもチェリンボが見えていると分かるととても安心する……だから、また一人になるのが、チェリンボが見えるのが自分一人になるのが、一番怖いことだとだと――彼女は言った。
無意識のうちに、僕はこう答えていた。
「……心配しないで、中原さん。僕には、チェリンボの姿がはっきりが見えてる」
「自分だけがチェリンボを見られることが怖いなら、中原さんにチェリンボが見える限り、僕が側にいるよ」
僕が中原さんに言葉を返すと、中原さんはしきりに頷いて、ようやく安心した表情を見せた。
「ありがとう、川島くん。ちょっとこそばゆかったけど、でも、すごく嬉しかった」
「えーっと、言った方の僕は、多分中原さんの数倍はこそばゆかったと思うよ、うん」
「えへへっ。お互い様お互い様っ。呼び止めちゃってごめんね、川島くん。それじゃ、また明日っ」
「うん。またね、中原さん」
明るさを取り戻した中原さんが、家の中へ入っていく。
彼女の姿を最後まできちんと見届けてから、僕は中原家の前から立ち去った。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。