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#20 Bloodstained Lineage

中原さんをベッドに寝かしつけたあと、リビングに朝美さんと隆史さんが戻ってきた。僕から見て左斜め前に、隆史さんが椅子を引いて座る。朝美さんはキッチンで手際よく三人分のお茶を淹れると、各々の前に静かに置いてから、僕の真正面に座った。

朝美さんが隆史さんに目を向ける。

「隆史さん……秀明くんは、どのくらい知ってるのかしら」

「――”いる”ってことは知ってる。今はまだ、それだけだ」

「……分かったわ。ありがとう」

佇まいを直してから、朝美さんが僕と目線を重ね合わせた。

「秀明くん、覚えてるかしら? 前に、私と道路で会ったときのこと……」

「僕が財布を拾ったとき、でしょうか」

「そう、その時よ。あの時、秀明くんは『ともえちゃんにお姉さんがいたなんて』って呟いたのを聞いたの」

言われてみて、僕もその記憶を思い出すことができた。とても母親には見えない若々しい朝美さんの姿を見て、僕はてっきり朝美さんを中原さんの「お姉さん」だと思い込んでいた――という、あの時の出来事だ。

「秀明くんはそう呟いたときに、私のことを『ともえちゃんのお姉さん』だと思っていたみたいだけれども」

「私はその時、ともえちゃんの『本当のお姉ちゃん』の話をしていると思って、とてもびっくりしたの」

あの時朝美さんが固い表情をしていた理由が、僕にもやっと思い当たった。僕が何気なく口にした「お姉さん」という言葉、それの指す人物が僕と朝美さんの間でズレていて、それが朝美さんにとって予想だにしない人物だったからというのが、事の真相だった。

「じゃあ、中原さんには……」

「ええ。ともえちゃんには、お姉ちゃんがいたわ。双子で、ほんの少し先に生まれてきたのよ」

中原さんには姉がいた。もはや疑いようの無いことではあったけれど、朝美さんの口からはっきり言われたことで、その存在が完全に明確になった。

「やっぱり、そうだったんですか……」

「そうね。ともえちゃんとは双子で、『ともみ』ちゃんと……そう呼ばれるはずだったの」

「呼ばれるはずだった、というのは……どういうことなんですか?」

辛そうに顔を伏せて、少し声を詰まらせながらも、朝美さんが僕の問いに答えてくれた。

「私も隆史さんも、ともみちゃんに一度も『ともみちゃん』と呼んであげられないまま――天国へ行ってしまったから」

そう語る朝美さんの目には、涙が浮かんでいた。

中原さんと、その双子の姉に当たるともみちゃん。その二人が生まれてくるまでの経緯を、朝美さんが話し始めた。

「子供ができて、調べてもらったら、双子だって分かったの」

「初めての子供だったから、私も隆史さんも、もう飛び上がっちゃうくらいうれしくて」

「男の子二人でも、男の子と女の子でも、女の子二人でも、きっと仲のいい兄弟になるって、よく話したのを覚えてるわ」

中原家が初めて授かった子宝は、双子だった。同じ歳の子供が二人できて、支え合って競い合って育って、幸せな家庭が築かれていく。朝美さんも隆史さんも、そう信じて少しも疑わなかった。疑うことなんて、考えもしなかった。

「発育も順調で、このまま行けば予定通りに出産を迎えられる。そう聞いていたの」

「けれど……とても急だったわ。予定よりもずっと早く陣痛が始まって、隆史さんに病院まで連れて行ってもらったの」

「病院に連れて行った後も気が気じゃなかった。医者から聞いてた時間をとっくに過ぎても、朝美が手術室から出て来やしねえ」

「そんな難産だったんですか」

「ああ、並大抵のもんじゃなかった。俺はタバコは吸わねえが、もし吸ってたら朝美を待ってる間に三箱くらい開けちまいそうだってくらい気を揉まされたぜ。終わったって聞いた時は、心底安心したもんさ――その時だけはな」

腕組みをして軽く天井を仰ぐと、隆史さんは大きく息を吐いた。

「とても時間が掛かって、今にも気を失いそうになりながらだけど、どうにか双子を産むことはできたの。二人とも可愛らしい珠のような女の子で、顔を合わせた時のことは今でも覚えているわ」

「ともえちゃんも、ともみちゃんも、ちゃんとこの世に産んであげることができた。そう思うと、私はとても幸せだった」

「けれど……そのすぐ後に、信じられない、信じたくないようなことが分かったの」

双子の出産を終えたばかりの朝美さんと、妻子の無事を待ちわびていた隆史さん。その二人に、担当の医師から重大な事実が報告された。

「双子の女の子には、どちらにも生まれつきの障害があって、かなり危険な状態だったの」

「それも――それぞれ、まったく違う形で」

産まれてきた子供には、お互いに異なる身体機能の深刻な異常が存在していた。

「双子の女の子のうち――先に生まれたお姉ちゃんの方は、心臓の機能がかなり弱くて、かろうじて動いている程度だった」

「後から生まれた妹の方は、骨髄に深刻な異常があって、すぐにでも移植手術が必要だったの」

「それで……お姉ちゃんの方には、骨髄の異常は見られず」

「妹の方には、心臓の異常は見つからなかったわ」

僕は思わず息を呑んだ。背筋が凍るような思いだった。知らず知らずのうちに体が震えて、姿勢を保っているのがやっとだった。

姉、つまりともみちゃんの方には、心臓に重大な欠陥があった。方や妹、即ち中原さんの方には、骨髄が重篤な状態にあった。どちらも生命の危機に瀕していて、通り一遍の処置や手術でどうにかなるような状態ではなかった。何らかの手立てを打たなければ、どちらも死んでしまう――事態はそれほど重大だった。

嫌な予感がした。予感はあっという間に確信に変わって、この後すぐにそれが事実としての認識に変わるだろうという思いが去来した。中原さんの言っていた言葉、そのすべてを繋ぎ合わせれば、あまりにも簡単かつ他の可能性の余地が一切無いほど明白に、この後双子の姉妹の身に何が起きたかを想像することができた。

「担当の先生から、こう言われたの」

僕が一瞬、目を瞑る。

 

「姉に、妹の心臓を移植するか」

「妹に、姉の骨髄を移植するか」

 

「そのどちらかを選んで欲しい、って……」

あっけないほど容易く、予想通りにして最も外れて欲しいと思っていた内容が、朝美さんの口から告げられた。

「どちらかを選ばなければ、二人とも死んでしまうことになる」

「そう言われて、私と隆史さんで考えて欲しいって言われたの」

できれば、そうであっては欲しくないと願っていた。そうではない、もっと別なことであって欲しいと願っていた。

二人がどれだけ耐え難く、苦渋に満ちた選択をしなければならなかったかは、想像するに余りあった。僕如きの想像力では、朝美さんと隆史さんがどれほど苦しんだか、正確に推し量ることは不可能だった。只管に苦痛で、闇雲に悲痛。僕にはそのように捉えるのが精一杯だった。

双子の少女を授かったばかりの父母に突きつけられたのは――端的に言えば、”一方を殺して一方を助けろ”という、理不尽な命令に他ならなかった。

「心臓も骨髄も、どちらも型が適合することは分かっていたの。ただ、先生が言うには、骨髄移植の方が成功率は高いと言われたわ」

「それで、二人は……」

「……そうだ。その時の選択が、今の結果に繋がってるってこった」

今の結果、即ち、中原さんに双子の姉の骨髄を移植してほしいと、二人は選択したということだ。

姉から骨髄を移植されたことで、中原さんはどうにか死地を脱した。他の身体機能に異常は見られなかったから、無事に命を繋ぎ留めることができた。

――けれど。

(……わたしがいて、ごめんなさい)

その代償として、

(どうしてわたしがいて、お母さんとお父さんに大事にしてもらえるんだろう?)

中原さんの、

(『クズな妹は、地獄へ落ちました』――そう伝えておいて)

お姉さんの、

(わたしが――お姉ちゃんを、殺したから、だよ……)

ともみちゃんは。

「……だから、か」

チェリンボの異様なフォルムの謎が、僕の中で氷解した。

後ろ側に付いていた小さな顔。生気のない人形のような表情を浮かべた、大きな「本体」にただ追従するだけに見えた小ぶりな果実。あれは、中原さんを助けるために命を落とした、ともみちゃんを意味していたんだ。

ともみちゃんは生まれて間もなく死んでしまったから、中原さん自身に当たる本体とは違って、後ろの果実はいつまでも小さいまま成長しなかった。そしてあの果実が成長することは、決して有り得ないことだった。

「だから、中原さんは、『わたしがいて、ごめんなさい』なんて、言っていたのか……」

僕が知らず知らずのうちに呟いていた言葉を、朝美さんも隆史さんもしっかり聞き取っていた。

「ともえちゃん、そんなことを言っていたのね……」

「……はい。少し前に、学校で疲れて眠っていたときに、寝言で言っていたんです」

体育館で耳にした中原さんの寝言――「わたしがいて、ごめんなさい」。その言葉の意味するところを、僕はやっときちんと理解することができた。中原さんには姉がいて、その姉から移植された骨髄で生命を繋いだという壮絶な過去があった。どこかでそれを知った中原さんは大きな衝撃を受けて、いつしか「自分がお姉ちゃんを殺して生き延びた」「お姉ちゃんが受けるべき愛情を自分が独り占めしてしまっている」、そんな風に考えるようになってしまった。

中原さんが自室で手首を切りつけたのは、自分が幸せに生きていることがどうしても許せなかったからだった。本来そこにいるべき姉は、自分の命を救うために犠牲になった。それだというのに自分はのうのうと生きていて、朝美さんや隆史さんに大事にされている。姉妹二人に対して平等に注がれるべき愛情を、すべて自分だけのものにしている。

幸せであればあるほど、中原さんは深い絶望に襲われていたのだろうと……僕は思わざるを得なかった。

「ともえがともみのことを知ったのは……俺たちのせいでもある」

「その時のことを記憶に留めておこうと思って、ノートに手記を残していたの」

「ともえちゃんとともみちゃん、二人のうちのどちらかを選ばなければいけない。辛くても……いいえ、辛いからこそ、きちんと形に残して、決して忘れちゃいけない。忘れようとしちゃいけない。隆史さんも私も、そう考えていたの」

「俺と朝美で何度か話をして、ノートを処分しようかどうか考えた……けど、それはどうしてもできなかった」

「もしノートを処分してしまえば、この家に『ともみちゃんがこの世にいたこと』を示すものが、何もなくなってしまう。それは、ともみちゃんを本当の意味で『殺して』しまうような気がして……」

「あのノートは俺たちにとって、ともみとの間に唯一残った『思い出』だったからだ。だが……それでも、ともえの目に触れさせちまうのはまずかった」

「いつかは分からないけれど、ともえちゃんがそれを見つけて、中身を読んだみたいで……」

中原さんが双子の姉の存在を知ったのは、両親が残した手記を目にしたからだった。

「小学校の……四年生の時くらいからだったかしら。ともえちゃんはいつも通りに振舞っているつもりだったかも知れないけれど、よく見るとそれまでとは様子が違っていたの」

「俺や朝美の見てる前じゃまず表には出さなかったが、一人でいることが増えて、連れの数も減ったみたいだった。それに……今もそうだが、難しい年頃とは思えねえくらい聞き分けがよかった」

「私と隆史さんも、ともえちゃんも、お互いに感づいてはいたの。多分、勘の鋭いともえちゃんのことだから、私たちが『ともえちゃんがともみちゃんのことを知った』ってことに気付いたのも、分かっていたと思うわ。だから、あえてそれまで通り明るく見せていたと思うの」

中原さんはともみちゃんのことを知って、両親は中原さんが姉の存在を知ったことに気が付いて、さらに中原さんは両親が自分に姉がいるということを知ったことにも感付いていた――幾重にも入り組み合って、お互いを意識しお互いに意識され合いながら、表面上はそれまで通り今までどおり、何も知らない円満な家庭のカタチを保ち続けていた。あまりに脆弱で、笑ってしまうほど簡単に壊れそうな、薄氷の上に成り立つ家族の姿。

思い切って自分から話を切り出すべきか、あるいはこのまま際どい家族関係を続けるのか。その狭間でも、中原さんは悩んでいたに違いなかった。

隆史さんも朝美さんも戸惑ったり取り乱したりしていないのは、いつかこんな事が起きるということを予見――いや、覚悟していたからに違いない。互いに隠していることが表沙汰になって、表面上取り繕っている互いの関係を一度壊さなきゃいけないということを、だ。もちろん、それが中原さんの自殺未遂というショッキングな形で露見するとまでは考えていなかったろうけど、これがまったくの青天の霹靂というほどのものでもなかったはずだ。

「ともえちゃんが悩んでいるのは……ともえちゃんとともみちゃんを産んだ時に、私が子供を産めない体になったから、ということもあると思うわ」

「朝美さんが……?」

「ええ。産まれて来るときに、何か問題があったみたいで……その事も一緒にノートに書いていたから、ともえちゃんもきっと知っているはずよ」

「難産だったせいか、朝美もだいぶ危なかったらしい。あと少し長引いてたら、死んでた可能性もあるって医者に言われたな」

「だからともえちゃんは、もしかすると『自分が家族全員を不幸にしてしまった』……そんな風に考えて、思いつめているかも知れないの」

僕は知らず知らずのうちに目を見開いていた。二人を産むとき、朝美さんもかなり危険な状態にあったと聞いたからだ。しかも、そのときの出来事がきっかけで、朝美さんはこれ以上子供を産むことができない体になってしまったという。

僕は眩暈がしそうになった。中原さんと自分を重ね合わせそうになって、慌てて思考を打ち切った。絶え間なくふらつく意識を抱えながら、僕は改めて二人の顔を見返した。

「けれど、一つだけ間違いないことがあるの」

「私も隆史さんも、それだけは絶対に変わらないというものが、一つだけあるの」

「それは――」

凛とした表情を見せた朝美さんが、僕に向けて決然と言う。

「私達は、ともえちゃんを心から愛している――それだけは、何があっても揺るがないわ」

あらゆる言葉を失って、呆然とした表情のまま、僕は朝美さんに目を向け続ける。

「ともえちゃんが、罪の意識を感じる必要はないの。ともえちゃんが今生きていることは、罪でも、悪いことでも、なんでもないわ」

「自ら命を絶たせるために、そんなことをするために、私達も、そしてともみちゃんも、ともえちゃんの命を繋いだわけじゃないから」

「私も、隆史さんも……ともえちゃんには、どうか、どうか、幸せに生きてほしいと思っているの」

ともえちゃんには、どうか幸せに生きてほしい――朝美さんの言葉が、僕の中で幾度と無くリフレインする。

朝美さんは、隆史さんは、ただ中原さんの幸せだけを願っている。

子の幸せを願う親の姿。それは当たり前のようで、途方も無く尊い。

「僕は……」

目頭が熱くなった。意識がそこへ向いたときには、視界は既にぼやけて滲んでいた。

目を拭おうと指先を伸ばすと、体が揺れて、涙が零れた。

「僕は……僕は……!」

「秀明くん? どうかしたの?」

「川島、どうした、大丈夫か?」

溢れ出る感情を抑えられない。無意識が抑えようとしても、僕の意識がそれを拒絶する。ずっと封印され、心の奥深くに仕舞われていた感情の奔流が、時間を掛けて積み上げてきた理性という名の付いた脆弱な堤防を、ことごとく押し流して破壊していく。

ふっと僕が足元へ目をやると、そこにはカラカラが立っているのが見えた。

(カラカラ……)

いつもとは違う穏やかな瞳で、僕を励ますような目を向けている。その感情を押さえ込むんじゃない、吐き出すんだ。そう言っているようにも見えた。なぜだろう? カラカラに、こんなにも優しい表情ができるなんて。複雑に絡み合っていた僕の心が瞬く間に絆され解き解され、感情が一気に迸る。

止め処のない思いが口を突いて出てくるまでには、ほとんど時間を要さなかった。

 

「僕は――産まれて来る時に、母を失いました」

 

今までずっと押し止め続けていた言葉。僕の中の、最大の闇。

僕は、産まれて来る時に、母を失った。

「母は僕を産むのと引き換えに、この世を去ったんです」

「中原さんと同じ頃に……僕も、産まれて来たときのことを知りました」

カラカラが見えるようになったのも、その時期だった。

僕の心に生じた強い罪の意識。僕は初めてカラカラを目にしたとき、その感情が形を持ったようだと思った。出会ってからというもの、カラカラは時折鳴き声や泣き声を上げるだけで、僕とまともに会話をしたことはない。だけど言葉を用いて話さずとも、僕にはカラカラというポケモンが、どんな存在なのかを理解することができた。

「僕は、母を殺してしまったんだと思いました」

いつしか僕は気付いていた。カラカラの被っている頭蓋骨も、手にしている骨の棍棒も、死に別れた母親のものだということを。僕は死んだ母親の骨を被って、脆い心の内が表情となって顕れることを防ごうとした。僕は死んだ母親の骨を手にして、僕に歩み寄ろうとする人を追い散らそうとした。

カラカラは僕の罪の意識の投影であると同時に、僕のあり方を端的に示す存在だった。

「今まで、朝美さんと隆史さんの話を聞くまで、僕は生きていてはいけない存在なんだ、悪いことをして生きている存在なんだ、そう思っていました」

「中原さんと、同じだったんです」

「だけど……朝美さんの言葉を聞いて、僕は分からなくなりました」

「なぜ母が僕を産んだのか、なぜ僕は今この瞬間生きているのか、こうして今生きていることは、本当に悪いことなのか、って」

「僕はもう、分からなくなりました」

時々嗚咽が混じりながら、僕はありのままのことを話した。話して何かが変わるわけじゃないことくらい分かっている。だけど、話さなきゃいけない、朝美さんと隆史さんのためにも、中原さんのためにも、そして――何より、僕のためにも。

「秀明くん……そんなことが……」

「お前はお前で、重たいもんを抱えてたってわけか……」

僕の話に耳を傾けていた朝美さんと隆史さんは、二人とも揃って僕から微塵も目線を外さず、しっかりとすべてを受け止めているようだった。

僕にはそれが、何よりも嬉しかった。

「なあ……川島」

幾許かの間を置いて、おもむろに隆史さんが口を開いた。

「お前、親父はいるのか」

隆史さんと僕の視線がぶつかり合う。

ずっと踏み出せなかった前への一歩。その先に隆史さんが立っている。何も言わずに手を伸ばして、僕がそこへ来るのを待っている。僕がそこへ行こうとしなければ、これから先も変化が訪れることは無い。今までは、それでも許されたかもしれない。

だけど、今はもう――。

「……います。家に、います」

「話をすることはあるか」

「……ありません。僕が母を死なせてしまったと知ってからは、一度も話していません」

「お前は、それでいいと思ってるのか」

答えは、言わずとも知れていた。

それでいいわけなんか、無かった。

「……俺なんかにゃ言われたかねえかも知れねえ。それは俺が一番よく知ってる」

「それでも、子供のいる親父として言わせてくれ」

「きっと今日はいい機会だ。一度、お前の親父と腹を割って話して来い」

「それが――お前のためにもなるだろう」

隆史さんに、中原さんのお父さんに背中を押されて、僕は椅子から立ち上がった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。