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Level 3: おだやかな海のような男の子

廊下にある手洗い場できちんと手を洗って、かよ子は自分の教室へ入りました。いつもよりも早く学校へ来たかよ子でしたけど、鳥小屋でずいぶん手こずってしまって時間がかかったので、もう登校してきているクラスメートが何人もいます。その中には、かよ子のお友達のひとりである由香里ちゃんの姿もありました。由香里ちゃんの周りには何人か別のお友達が集まっていて、みんなで何やらおしゃべりをしています。

「ゆかちゃん、それってミクちゃんだよね?」

「そうそう! こないだね、お姉ちゃんからもらったんだよ」

かよ子がちょっと気になって由香里ちゃんの方を見てみると、由香里ちゃんのランドセルに女の子の小さな人形が吊り下げられているのが見えました。どうやら、みんなそれに興味を持っているみたいです。

「せんぼんざくらー、よるにまぎれー」

「きみのこーえもー、とどかないよー」

「ここはうーたげー、はがねのおりー」

「そのだんとうだいで、みおろしてー」

わいわい騒いでいたお友達たちでしたが、由香里ちゃんが急に歌を歌いはじめると、みんなもそれに合わせていっしょに歌いました。

『さんぜんせーかいー、とこよのやみー』

『なげくうーたもー、きこえないよー』

『せいらんのそらー、はるかかなたー』

『そのこうせんじゅうで、うちぬいてー!』

サビの部分をみんなで歌い終わると、由香里ちゃんはニコニコ笑いながら、さっきの続きを話し始めました。

「お姉ちゃんがね、部屋でノートパソコン使って動画見てたんだけど、そしたらさっきの曲が聞こえてきて、それがすごいかっこよかったの!」

「『千本桜』!」

「初音ミクの歌!」

「それそれ! それでね、気に入って鼻歌歌ってたら、お姉ちゃんが気付いて、いっしょに見ようって言われたの!」

ランドセルの中から教科書とノートを出しながら、こっそり聞き耳を立てておしゃべりを聞いていたかよ子でしたが、由香里ちゃんのお友達のひとりが初音ミクと言ったのを耳にして、それならかよ子も知ってる、と心の中で手をポンと叩きました。

前に別のお友達の家へ遊びに行ったときのことです。「おもしろい動画を見つけたよ」と言われて、お友達が使っていたパソコンでその動画を見せてもらいました。プリンと初音ミクがいっしょに歌を歌っている手作りのアニメに合わせて、ふたつの声がうまく重なり合っていたすてきな動画でした。あんまりすてきだったので、かよ子はそのことを今でもはっきりと覚えています。

ですので、かよ子は初音ミクと聞くと、自然といっしょにプリンを思い出します。そして、プリンを思い浮かべると続けて出てくるのが、いつもかよ子の棚に座っているカービィです。プリンとカービィ、ピンクでまるくてかわいらしくて、そして歌を歌うのが大好きなのがいっしょです。でも、プリンの歌はとってもきれいで、思わず眠ってしまいそうになるくらいですが、カービィの歌はまったく逆のとんでもない音痴で、その威力といったら、デデデ大王のお城をこわしてしまうほどです。ちなみに、かよ子はプリンもカービィも好きですが、どっちかひとつと言われたら、カービィの方が好きだったりします。

(プリンにカービィ、どっちもスマブラで戦ってたけ)

お兄ちゃんはWiiとスマブラXを持っていて、かよ子もいっしょに遊んでいました。かよ子が使うのはもちろんカービィでしたが、お兄ちゃんはルカリオをよく使っていたのを覚えています。お兄ちゃんは上手でとっても強かったので、かよ子ではぜんぜん勝てませんでした。なので、よくふたりでチームを組んで、コンピュータがあやつる敵をやっつけたものです。これならケンカになりませんし、たまにかよ子がうまく決めると、お兄ちゃんは「うまいぞかよ子」と褒めてくれたものです。

そんな風にして、かよ子はお兄ちゃんとスマブラXで遊んでいましたけど、実はひとつ、ずーっと気になっていることがあります。

(ゲームに出てくるカービィと、ポケモンのピカチュウとか、プリンとか、ルカリオとかがいっしょに戦ってるのって、なんかふしぎ)

カービィはゲームの中のキャラクターで、ゲームの中にある世界で活躍します。でも、テレビや本でしか見たことのないルカリオはともかく、ピカチュウやプリンはかよ子も実物を見たことがあります。カービィとそんなポケモンたちがいっしょになって戦っているのが、かよ子にはずいぶん変わったものに見えていました。言ってみれば、アニメとかマンガとかの世界で、実物の人が動いているような感じがしたものでした。

「ゆかちゃんのお姉ちゃんって、今も家にいるの?」

「うん。五年生になったらトレーナーになって、モコちゃんといっしょに旅に出ようって思ってたんだけど、お母さんとお父さんに『このまま家にいて勉強してほしい』ってお願いされて、それでやめにしたんだって」

「そうなんだあ。さくらのお姉ちゃん、五年生になったら、すぐに家から出て行っちゃったよ」

「あたしもあたしもー。パパとママが『旅に出てほしい』って言ってたの見たー」

「お姉ちゃんね、中学受験するかわりに、さっきのノートパソコン買ってもらったんだよ」

「あっ、それ、わたしのいとこのお兄ちゃんもしなさいって言われてた! 中学受験!」

「こっちもこっちも!」

かよ子の家にもリビングにパソコンがありましたが、ちょっと型が古くてのんびり屋なので、かよ子はあまり触ったことがありません。お母さんがたまに立ち上げて、エクセルとかワードをいじっているのを見るくらいです。そういえば、中学受験がどうとかって、お母さんも言っていたような……そんなことを考えながら、またいつものようにぼーっとしていると、あっという間にチャイムが鳴る時間になって、担任の先生が教室に入ってきました。

先生があいさつをしてから、朝の会を始めます。

「ここにいるみんなは、火遊びをしたりしていませんよね?」

みんなが「してないよ」「してない、してない」と口々に言っているのを見た先生は「よろしい」とうなづいてから、どうしてこんなことを訊いたのかを話しました。

「最近、ここから少し離れた別の小学校で、子どもが自分の家で火遊びをしたんです」

「さいわい、すぐに大人の人が見つけて、部屋を少し焼いただけで済みました。ケガもなかったそうです」

「けれど、もし見つかるのがちょっとでも遅れていたら、家を全部焼いてしまう、大きな火事になっていたかも知れません」

先生は「子供が火遊びをしたおかげで、家が火事になりかけた」という大事なお話をしていますが、かよ子ったら、すっかりうわの空で、ちゃんとお話を聞いていません。先生から見えていないのをいいことに、ノートのすみっこでラクガキをしています。描いているのは、ポンポンの付いた帽子をかぶって、大きな剣を持ったカービィの絵です。目つきをちょっとキリッとさせると、いつもはぽよぽよとかわいらしいカービィが、なんだかずいぶん勇ましく見えます。

お兄ちゃんとはスマブラXでもよく遊びましたが、Wiiのカービィも同じくらい遊んでいました。かよ子とお兄ちゃんが1P2Pで協力して、いろんな仕掛けのあるステージをクリアしていくのです。こういうのだと、決まって年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんが1Pを取って、弟や妹はいつも2Pにされちゃうものなのですが、ちょっと変わったことに、かよ子とお兄ちゃんの場合は逆で、かよ子が1Pで、お兄ちゃんが2Pになることがほとんどでした。というのも、お兄ちゃんはカービィよりもメタナイトが使いたかったのですが、メタナイトは2Pでないと使えなかったからです。1Pは大好きなカービィの指定席だったので、かよ子にとってもうれしいことでした。

かよ子もこれはなかなか上手で、ほとんどのステージはちゃんとクリアできましたし、手ごわいボスにだって負けませんでしたけど、最後の最後に戦うボスだけは、どうしても倒せませんでした。というのも――これでおしまいだと思って倒した敵がよみがえって、悪い夢に出てきそうなくらいおそろしい姿に変身してしまったのですが、かよ子はこれがもう怖くて怖くて、それ以上ゲームを続けられなくなってしまうくらい怖がってしまいました。しょうがないのでこの時だけカービィを代わってもらって、お兄ちゃんが最後のボスをきちんとやっつけるまで目をしっかり閉じて、おまけに両手で耳をふさいでいたくらいです。

お兄ちゃんはへっちゃらで、あの怖い怖いボスもやっつけてたなあ……なんて、かよ子が考え事をしている間も、先生のお話はしっかり続いています。

「みんなはしないと思いますけど、火遊びは絶対にしてはいけませんよ。とても危ないですし、命に関わります」

「それと、家でほのおポケモンを飼っている人は、大人の人といっしょにきちんとしつけて、むやみに火を使わせないようにしてくださいね」

先生からお願いをされて、聞いていたクラスのみんながばらばらに「はい」「はい」「はーい」と返事をします。

「はぁーい」

かよ子もみんなに合わせるように、いつもの間延びした声で答えるのでした。

 

 

学校の授業がおしまいになると、今日もまた塾があります。昨日は算数で、今日は国語の日です。自転車のカゴに入った塾用のカバンをカタカタゆらして、かよ子はいつも通り塾まで走ります。二時間みっちり勉強でやっぱり大変な塾ですけど、不思議なことに、かよ子は昨日に比べてうれしそうな顔をしています。何かいいことがあるのでしょうか。

自転車を止めて教室へ入ると、いつも座っている席をすばやく取りました。ふう、と一息ついてから、机の上に置いたカバンからちょっと厚めの文庫本を取り出します。表紙には「放課後の時間割」という題名があって、若い男の人の背中と、イスにすわって男の人に話をする変わったネズミの絵が描かれています。これは塾の国語で使う課題図書で、ちょうどかよ子くらいの子どもに向けて書かれた児童文学です。塾でもらった本だからきっと難しくて退屈に違いないと思って、かよ子は最初読む気がしませんでしたけど、宿題をするためにしぶしぶ読んでみるとこれがなかなかおもしろくって、あっという間に全部読んでしまいました。すっかり気に入って、もう三回も読み直しているくらいです。

塾の授業が始まるまでの暇つぶしに、かよ子が文庫本を開いて読み始めました。途中から10ページほど読んで、これから次のお話が始まる、というところで、おとなりに誰かが座るのが見えて、かよ子は顔を上げました。

「あっ、一博くん」

「かよ子ちゃん、こんばんは」

一博くんはカバンを置いてイスを引くと、そっと静かに腰かけました。一博くんを迎えたかよ子はすっかりご機嫌で、ニコニコ笑っておとなりに釘づけです。かよ子だけじゃなくて、一博くんもうれしいみたいで、同じようにほほえんでいます。ふたりとも、なんだかとっても楽しそう。

かよ子と一博くんがふたりしてちょっぴりずつイスを引いて、おたがいにもっと近寄り合います。かよ子が笑うと、一博くんもにっこり。やっぱり、いつもよりずっと楽しそうです。

「かよ子ちゃん、宿題やってきた?」

「もちろん、ちゃんとやってきたよ。国語は算数よりもかんたんだし」

「すごいよかよ子ちゃん。僕は国語の方が苦手かなあ」

さっきから、かよ子はずっとニコニコしっぱなし。一博くんとおしゃべりするのが、よっぽど楽しいみたいです。

「一博くんは、今日も電車に乗って来たの?」

「そうだよ。ほら、これが定期券」

「わあ、ホント。吉野市役所前駅から、わかば市駅って書いてある」

使い古されて少し文字の消えかかった定期券を見せてもらって、かよ子がおどろいたように声をあげました。

一博くんは吉野市に家があって、そこから電車に乗ってこの塾まで通っています。吉野市にもいくつか塾はありますけども、残念なことに、一博くんに合う塾は見つからなかったとか。もう少し探してみると、かよ子が通っている塾の評判がよかったので、家からはちょっと遠いですが、ここに通うようにしたそうです。

「今日はシャーペンと消しゴムある? また、いつでも貸したげるからね」

「ありがとう、かよ子ちゃん。大丈夫、今日はちゃんと持ってきたよ」

かよ子と一博くんがなかよしになったのは、ちょうど半年くらい前のことでした。その日急いで塾に来た一博くんは、筆記用具を持ってくるのを忘れてしまいました。どうしよう、どうしよう、と困っていた一博くんを見たかよ子が、持っていたシャープペンシルと消しゴムを貸してあげたのです。ひかえめで内気なかよ子ですけど、こんな風に困っている子は放っておけなくって、意外と優しいところもあるのです。かよ子から書くものを貸してもらって、一博くんはとっても助かりました。「ありがとう」とお礼を言って、それからふたりはすぐになかよくなりました。

「今日は電車に乗ってるときに、ハネッコやポポッコがたくさん集まって、みんなで空をとんでるのを見たんだ。ハネッコもポポッコも、かわいいね」

「うん、お花みたいでかわいいよね。かよ子も見たかったなあ」

塾にいるとは思えないくらい、かよこは本当に楽しそうにしています。一博くんはもちろん男子ですけど、乱暴だったり、がさつだったり、やんちゃだったり、うるさかったりするところがこれっぽっちもなくて、いつでもやさしいおだやかな雰囲気につつまれています。周りにいる他の男子よりもうんと大人っぽくて、かよ子はいっしょにいるととても楽しい気持ちになったのです。ですから、かよ子は一博くんのことが大好きでした。一博くんの方もかよ子とおしゃべりをするのを楽しみにしてくれていて、同じようにかよ子のことがとっても好きみたいです。

ただ、ひとつ残念なことがありました。一週間のうち、かよ子は火曜日・水曜日・金曜日に塾へ通っています。いっぽう一博くんの方はと言うと、これが月曜日・水曜日・木曜日なんです。ふたりの通う日がずれていて、いっしょになるのはこの水曜日だけなのでした。ご覧のとおり週に一度だけなので、かよ子はそれだけがとても残念でした。ふたりとも、もっといっしょにおしゃべりしたり遊んだりしたいと思っているのですが、なかなかうまくいきません。

(もっとたくさん、一博くんといっしょにいたいなあ)

一博くんの目を見ながら、かよ子はそんな風に考えるのでした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。