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Level 4: 白いリモコンを手にして

さてさて。生き物係になったかよ子は、あれから毎日朝早くに家を出て、鳥小屋でポッポとアチャモのお世話をしてあげているのですが……。

「ちょっと待って、待ってったら!」

「ちゃもちゃもー!」

おとなしいポッポはともかく、アチャモはちっとも言うことを聞いてくれません。鳥小屋の中をちょこまかちょこまかすばしっこく走り回って、のろまなかよ子では触ることもできません。アチャモを追いかけて同じ場所を何べんもぐるぐる回っているうちに、かよ子はすっかりへとへとになってしまいました。

アチャモはとってもやんちゃですから、ただ走り回るだけじゃありません。休んでいるポッポを後ろからくちばしで突っついたり、水を飲もうとしているところをひょいっと横取りしたりと、ちょっかいも出し放題です。ポッポはケンカをしたがらない性格ですから、アチャモにいたずらされても仕返しするどころか、ますますちぢこまってしまいます。

「もう! いたずらするんじゃないのー!」

「ちゃもー!」

あんまりいたずらが過ぎるので、かよ子はとうとう怒ってしまって、アチャモを捕まえようとますます気合いを入れて走り回ります。ですが、やっぱりアチャモはすばしっこくて、うまくいきそうにありません。

「ちゃもっ」

「こらー! ひとの頭に乗らないでー!」

かよ子が屈み込んだときをねらって、頭の上にぴょんっと乗っかって休んでみたり。

「よーし、ここまできたら、もう逃げられないんだからね。つかまえたー!」

「ちゃもちゃもー」

「あーっ! もう、こらー!」

がんばってやっとすみっこまで追いつめたと思ったら、すまし顔でまたくぐりをしていったり。アチャモが逃げていくのを、かよ子が足の間からくやしそうに見つめています。

いっしょに生き物係をしている大介くんも、かよ子と同じようなぐあいでした。暴れん坊のアチャモにやりたい放題いたずらされて、もうくたくたになっています。

「これじゃ、どうしようもないよ」

「ちっこいくせに、好き放題しやがって」

お皿に盛られたごはんをひとりでのんびり食べているアチャモから、ポッポたちをちょっとでも安全なところへ避難させるのが、ふたりにできる精いっぱいのことなのでした。

それからしばらくして、アチャモが派手に食べちらかしたごはんをホウキとちり取りで片付けながら、はぁーっ、と、かよ子はそれはそれは大きなため息をつきます。お行儀の悪いアチャモはと言うと、たくさん遊んでたくさん食べたので、ちょっと眠くなったみたいです。いつも通り、ベッドで大の字になって、気持ちよさそうに寝ています。やんちゃ坊主が静かにしている間に、大急ぎで鳥小屋のお掃除をして、ポッポのお世話をしてあげます。

「まったく、なんでこんなに暴れん坊なんだろうな」

「ホント、毎日たいへんだよ」

「俺、もう生き物係やだよ」

「かよ子だって、もうたくさん」

こんなドタバタが毎日のように続くので、かよ子も大介くんもすっかり参ってしまいました。

 

 

そんなある日のことです。かよ子はお母さんとふたりでテーブルについて、いっしょにごはんを食べています。献立はかよ子の好きなカレーです。プラスチックの入れ物から福神漬けをよそって、お皿のすみっこに盛り付けるのも忘れません。

今日は塾がないので、家でゆっくりしていられます。大好きなカレーをたくさん食べて、早めにお風呂に入って、部屋でちょっとのんびりしようかな。

「ねえかよ子、最近ずいぶん早起きしてるけど、何かあったの?」

……なんて、かよ子が考えていると、急にお母さんから質問が飛んできました。かよ子は口の中でもぐもぐしていたカレーを慌てて飲み込むと、お母さんからの質問に答えました。

「だって、生き物係しなきゃいけないから」

「あら、生き物係になったの? いつから? 二学期になってから?」

あーあ、お母さんの質問攻めが始まっちゃった。そう思いながら、かよ子がスプーンをお皿の上にカランと置きました。

「じゃあ今は、どんな生き物のお世話をしてるの?」

「ポッポとアチャモ」

「えっ、ポッポとアチャモ? かよ子はポケモンの面倒を見てるってこと?」

「うん」

「どうしてそういうことを早く言わないの。ちゃんと言わなきゃダメでしょ」

だって、塾とか宿題とかで忙しかったし、お母さんだって聞いてくれなかったし――かよ子は思わずそんなことを言ってしまいそうになって、慌ててお口にチャックをしました。こんなことを言おうものなら、きっとまたお母さんからお小言を言われるに違いありません。そうなると一段とうんざりしちゃうので、かよ子は絶対に言わないことにしました。

かよ子がそのままだまっているのを見たお母さんは、構わずに言いたいことをどんどん言っていきます。

「ねえかよ子、聞いてちょうだい。大事な話だから」

「ポケモンはね、とっても危ないの。力だって強いし、凶暴なポケモンも多いのよ」

でも、ポッポはおとなしいよ、と、心の中でちょっと言い返してみます。

「軽い気持ちでポケモンに関わって、大ケガをした人だっているわ。お母さんの知ってる人にもいたもの」

「それにアチャモなんて、火を吹くじゃない。火傷なんかしたら、大変だわ」

勢いよくまくしたてるお母さんに、かよ子はちょっとげんなりしながらも、一応ちゃんと聞いているふりはしておきます。

「大体、学校でポケモンに触れさせるのがおかしいわ。学校は勉強をするところのはずよ」

「PTAでも『ポケモンに関わる行事は減らしてください』ってお願いしてるのに、どうして聞いてくれないのかしら」

そう言えば、お母さんはPTAの役員をしていたのを、かよ子はふと思い出しました。PTAがどんなものか、かよ子にはさっぱり分かりませんでしたけど、お母さんの話を聞くと、学校の先生に保護者から何かお願いをしたりする会のようでした。お母さんが先生に何かヘンなことを言ったりしていないかと、かよ子はちょっと不安になりました。

「とにかく、かよ子はポケモンに関わっちゃいけません」

「生き物係だって、すぐにやめる方がいいわ。岡本先生に言って、係を変えてもらおうかしら」

いいよ、いいよと、かよ子は首を左右に振ります。わざわざお母さんが学校へ出て行って、先生に「係を変えてください」なんて言うところを思い浮かべたら、まるでかよ子がわがままを言って係を変えてもらったみたいです。ややこしくなるので、もうお母さんには静かにしておいてほしいと、かよ子は心から思いました。

せっかくのんびりできると思ったのに、また面倒くさいことになっちゃった。お皿のカレーライスをスプーンでつっつきながら、かよ子は口をへの字に曲げるのでした。

 

 

かよ子が生き物係になって、三週間くらいが経ちました。今日もどうにかポッポとアチャモのお世話を済ませて、かよ子が鳥小屋から出てきました。アチャモはいつも通り大暴れのやんちゃし放題で、かよ子は朝からすっかりくたくたです。しかも、今日の一時間目は体育の授業。体を動かすのが苦手なかよ子は、ますますぐったりしてしまいます。

げんなりした顔をしてふらふら歩いているかよ子の後ろから、誰かが近づいて来ています。だいぶ側によっても気がつかないかよ子に、その子は元気な声をあげて呼び掛けました。

「おはよ! かよちゃん!」

「ひろ美ちゃん、おはよう。今日も元気でうらやましいよ」

「違うよ、かよちゃんが元気なさすぎなんだよ」

「えー」

後ろからあいさつをしてきた子は、「ひろ美」ちゃんといいます。かよ子の言う通り、元気が取り柄の明るいちゃきちゃきした子です。かよ子と性格は正反対ですけど、家が近く同士だったので幼稚園の頃からよくいっしょに遊んでいて、かよ子のいちばんのお友達です。

「かよちゃん、ずいぶん朝早いね。何かあったっけ?」

「生き物係だよー。やりたくなかったのに、なんか知らない間になっちゃってた」

「あっ、そうだったそうだった。かよちゃん生き物係だったね」

「ひろ美ちゃんは体育係だったっけ。運動場に白線ひいたりするの」

「そうそう。あたし体育好きだし」

ひろ美ちゃんは運動が得意です。町内会のキックベースクラブに入っていて、土曜日になると朝から元気に公園を走り回っています。「かよちゃんもやろうよ」とちょくちょく誘っていますが、かよ子は家で本を読んだりゲームをしたりしている方が楽しかったので、いつも遠慮してばかりでした。

「けどいいなー、生き物係。あたしもやりたかった」

「ええー。そんなの、いっぺんやったら絶対思わなくなるよ」

「ポケモン触ったりとか、ごはんあげたりできるんでしょ? 楽しそうじゃん」

「楽しくないよ、ぜんぜん。ホントに毎日大変だもん。ひろ美ちゃんと代わってもらいたいくらい」

「でも、あたしポケモン触れないし」

「あ……そっか。ひろ美ちゃんは、ポケモンアレルギーだったっけ」

かよ子の口から「ポケモンアレルギー」なる、ちょっと聞きなれない言葉が出てきました。

ひろ美ちゃんは文字通りの健康優良児で、身体を動かすことは大得意です。ですが、生まれつき「ポケモンアレルギー」という少し変わったアレルギーを持っています。これは、ポケモンを触ったりなでたりすると、アレルギー反応が出てしまうというものです。

他の食べ物や動物は平気なのですが、ポケモンだけはどうしてもダメでした。ひろ美ちゃんの場合、ポケモンは文字通りぜんぶのポケモンで、種類や大きさは関係ありません。どんなポケモンであっても、必ずアレルギー反応が出てしまうのです。さいわい、少しくらいなら触っても涙が出たり軽いじんましんが出たりするくらいで済みますが、ポケモンを抱いたりなでたりすることはとてもできません。ですので、ひろ美ちゃんはポケモンとあまりふれあえないのです。

「翔太はアレルギーないから、家でイーブイなでたりしてるんだ。いっつもいいなーって思いながら見てるよ」

「ひろ美ちゃんの家、イーブイ飼ってるの?」

「ううん。うちで飼ってるというより、翔太が連れてる感じ。トレーナーズスクールで模擬戦やったりしてるし」

翔太くんというのは、ひろ美ちゃんの二つ下の弟です。ひろ美ちゃんと違って翔太くんにはポケモンアレルギーが無くて、どんなポケモンも触ったりなでたりすることができます。学校とは別に、ポケモントレーナーになるための勉強をする「トレーナーズスクール」というところにも通っていて、相棒のイーブイといっしょに他の子と模擬戦をしたりしているそうです。

「将来はプロのトレーナーになって、ポケモンリーグで優勝する、なんて言ってるわ」

「じゃあ、五年生になったら旅に出るのかな?」

「たぶんそうだと思う。お母さんったら翔太にかかりっきりで、すごい期待してるみたいだから」

ごはんの献立はいっつも翔太の食べたいものだし、休みの日なんてあたしをほっとらかして、翔太だけ車で送り迎えしたりしてるんだから。ひろ美ちゃんはちょっと不満そうに口を尖らせて、お母さんが翔太くんにべったりなことをかよ子に教えてくれました。

翔太くんが目指している「プロのポケモントレーナーになって、ポケモンリーグで優勝する」というのは、今の時代の子どもたちがいちばんにあげる夢です。並みいるライバルをみんななぎ倒して、かがやける王位につく。とても格好良くて、憧れる夢だと思います。かよ子は、お兄ちゃんもそんなことを言っていたのを覚えています。

翔太くんとお兄ちゃん、どちらも同じ夢を持っています。でも、王位につけるのはひとりだけです。たったひとりだけなのです。じゃあ、どっちが夢をかなえるのでしょう? 夢をかなえられなかった方は、どうするのでしょう?

かよ子がぼんやり考え事をしている横で、お母さんはそんな感じだけど、お父さんがよく遊び相手になってくれて、キックベースの試合だっていつも応援しにきてくれるから。少し表情をやわらかくして、そう付け加えました。考え事をやめたかよ子は、ひろ美ちゃんの話をうんうんと頷いて素直に聞いていました。

もうすぐ教室というところで、ひろ美ちゃんがかよ子に言いました。

「ねえ、かよちゃん。せっかくだから、もっとポケモンとなかよくなってみなよ」

「あたしはポケモン触れないけど、かよちゃんは触れるでしょ」

「別にトレーナーになんかならなくてもいいけど、ポケモンとなかよくできるのはいいことだし」

「できるのにやらないのは、もったいないよ」

生き物係のかよ子に、もっとポケモンとなかよくなってみたらいいよと、ひろ美ちゃんなりにアドバイスをします。かよ子はいつもみたいに口をへの字に曲げて、アチャモはやんちゃ坊主の暴れん坊で、仲良くなるなんてできっこないよ、と言いそうになりましたけども……

(あっ、そういえば)

ここでひとつ、鳥小屋でちょっと気になることがあったのを思い出しました。

(昨日はアチャモ、なんか外ばっかり見てたっけ)

それは昨日のことでした。アチャモはいつもと同じように自分の好きなようにしていましたけど、ポッポにいたずらしたり、かよ子を乗り物にしたりするようなことはしなくて、代わりにずーっと鳥小屋の外を見つめていました。広い広い青空を飛ぶスバメや、道端をひなたぼっこしながらのんびり歩いているのらニャースを目で追いかけてばかりで、かよ子や大介くんがどんなに呼び掛けてもぜんぜん答えなかったのです。

その時は、おとなしくしてて助かるなあ、としか思っていませんでしたけど、ひろ美ちゃんに言われてちょっと振り返って見ると、かよ子はなんだか急に気になってきました。

(アチャモ、何してたんだろ)

外をじいっと見つめるアチャモの姿を思いだして、かよ子は少しふしぎな気持ちになるのでした。

 

 

一週間がぐるりと回って、大変けれど楽しい、水曜日がやってきました。

いつもより少し早く塾に来て、かよ子がいつも座っている席のおとなりを先に取っていた一博くん。塾に入ってくるなり一博くんの姿を見つけて、ぱあっとつぼみのひらいたチェリムのようなお顔のかよ子。ふたりともとても楽しそうで、見ているこちらまでうきうきしてきちゃいそうなくらいです。

「かよ子ちゃんは学校で生き物係をやってるんだ。すごいね」

「そんな、たいしたことじゃないよ。まだまだうまくできないし」

「でも、ちゃんと毎日早起きして学校に行ってるんだよね。見習いたいな」

かよ子は一博くんに、学校で生き物係をしていることを話しました。一博くんの通っている学校でもほとんど同じようなことをしていて、朝早く起きてポケモンのお世話をしにいくところまで同じみたいでした。一博くんのクラスでは「うさぎ小屋」にいるポケモンの面倒を見ていて、そこにはかわいらしいミミロルがいるそうです。

「みんなミミちゃんのこと大好きでさ、生き物係はすごい人気だったよ」

「そうなんだ。ミミロルだったら、かわいくていいよね」

一博くんの学校にいるミミロルのミミちゃんはとってもキュートで、みんなのアイドルです。それに比べてかよ子の学校のアチャモといったら、見てくれは結構かわいらしいですけれど、中身はもう大問題児。みんなが生き物係をやりたがらないのも納得のやんちゃくれです。

生き物係の話から飛んで、一博くんが家で飼っているポケモンの話になりました。

「母さんが子どもの時にポケモントレーナーをしてて、今も家でポケモン飼ってるんだ」

「へえー。どんなポケモンなの?」

「ええっと、スボミーとチュリネだよ。ほら、この写真に写ってる」

僕の足元にちょこんといるのがチュリネで、母さんの腕の中でちんまり収まってるのがスボミーだよと、携帯電話で撮った写真を見せてくれながら、一博くんが詳しく教えてくれました。どちらもあざやかな緑色をしていて、やっぱりかわいらしいポケモンです。スボミーもチュリネも、心なしか顔つきがやさしくやわらかく見えます。一博くんやお母さんによく懐いているみたいですね。

「元々くさポケモンを育てるのが得意だったから、いるのはくさポケモンばっかりなんだ」

「ふたりとも、なんだかすごく幸せそう。一博くんとお母さん、いっぱいやさしくしてあげてるんだね」

「うん、どっちもよく懐いてくれてるよ。僕もときどきお世話してるんだ」

チュリネの頭に付いてる葉っぱはよく抜けて、抜けた葉っぱを料理に使ったりするんだ。苦いけど、食べると元気が出てくるよ、なんて具合で家で飼っているポケモンたちの様子を楽しげに話す一博くんに、かよ子はほほが緩みっぱなしのニコニコ笑顔でずっとうなづいていました。

「母さんと父さんが共働きだから、僕はよくひとりで留守番をしてるけど、ふたりがいるから寂しくないよ」

「一博くん、ちゃんとひとりでお留守番できるんだ、すごぉい」

一博くんは吉野市にある大きな団地で暮らしていて、お父さんとお母さんは共働きでよく家を開けてしまうそうです。なので、ひとりでお留守番をすることが多いとか。かよ子もときどき家でひとりになることがありますけど、そんなに長い時間お留守番をしていたことはなくて、せいぜいお母さんのお仕事が遅くなって帰ってくるまで待っているくらいのものでした。そういうときはお母さんがいないのをいいことに、こっそりゲームをして遊ぶのがひそかな楽しみだったりします。

しばらくお母さんがお世話をしているくさポケモンについてお話していた一博くんですが、ここで少し調子を改めました。

「僕はくさポケモンも好きだよ。みんなかわいらしいし、育つのを見るのはすごく楽しい」

「だけど僕、いつかほのおポケモンともなかよくなってみたいな」

「きっと抱きしめると暖かくて、優しい気持ちになれるよ」

ほのおポケモンという言葉を聞いて、かよ子は興味深そうに一博くんの話を聞いています。

「炎って、もちろん『強い』って感じもするけど、でも、『あったかい』って感じもすると思うんだ」

「寒いときは火に当たればあったかくなれるし、暗いときも火があれば明るくできて怖くなくなるよね」

かよ子は一博くんの言葉を、ふしぎな気持ちで聞いていました。

確かに炎は強い力を持っていて、気をつけないといけません。ですが、炎はただ強いだけじゃありません。人をあったかくしてくれて、暗いところを照らしてくれる存在でもあります。人にとってかけがえのない存在でもあるのです。

クラスの男子がよく言っている「ほのおポケモンは強そうでかっこいいから好き」なんて感じの、いかにも分かりやすい、男の子っぽい考え方とは一味違う一博くんの言葉を、かよ子はかみしめるようにして聞きました。

(やっぱり、一博くんってすてき)

一博くんの別の一面を見て、かよ子は今までよりももっと一博くんのことが好きになったのでした。

 

 

そんなこんなで迎えた、お休みの日のことです。今日は秋雨前線に見舞われて、外はあいにくの雨模様となってしまいましたが、かよ子は普段から家にいることの方が多いので、大して気にしていませんでした。

「宿題おーわりっ。何しよっかなあ」

朝のうちにさくさくと学校と塾の宿題を片付けてしまうと、かよ子はニンテンドー3DSを持って子ども部屋を出て行きました。することがない時は、お茶の間へ行ってテレビを見たりして過ごすのがお決まりのパターンでした。おもしろいテレビが無いときのために、ゲームをいっしょに持っていくのも忘れません。

ソファのはしっこに座ると、かよ子はテレビを点けてチャンネルを送りはじめました。この時間はどのチャンネルも朝のワイドショーを流していて、チャンネルを変えても変えても同じように見えます。おじさんおばさんが小難しい顔をして、ああでもないこうでもないとおしゃべりをしている様子を見ていても、かよ子にとってはあんまりおもしろくありません。テレビはつまんないや、そう思いながらも、かよ子はぼーっと画面を見つづけています。

「……際限なく増え続ける夢眠病患者は、過熱し続ける競争社会にさらされる、子どもたちの無言の反抗とも言えるのではないでしょうか」

「では、次のテーマです。『オーバーライド・キュア』の提唱者が、先日発表された『スピリット・トランスファ』のプロジェクトリーダーである榎本博士を『非人間的』と強く批難しました。アプローチの異なるふたつのポケモンを用いた人体の治療法をめぐって、各界で波紋が広がって……」

お昼からは何しよう、ゲームに出てくるアイテムのキーホルダーを集めてみようかな、なんてふわふわ考えながらチャンネルをぽちぽち変えていると、今までとはちょっと雰囲気の違う番組が始まりました。

「ポケモンリーグ オータムカップ」

テレビ画面のすみっこに出ているロゴはちっちゃくて見づらいですが、確かにそう書いてありました。オータムは「秋」って意味だよと、お兄ちゃんから教えてもらったのを思い出します。春夏秋冬の四回ポケモンリーグの大会があって、みんなそれに出場するんだ、そんなお話も聞いた気がします。これからきっと、オータムカップで行われたポケモンバトルの様子をテレビで流すのでしょう。

かよ子はポケモンバトルが大好きだったお兄ちゃんと違って、バトルにはあんまり興味がありませんでした。お兄ちゃんが好きでテレビでよく見ていて、たまに公園でやっていた野試合なんかにも連れていかれましたけど、やっぱりおもしろさがよくわからなかったのです。別に嫌いではなかったですが、かじりついて見るほどでもない、といった具合でした。そういえば、通学路の途中にある中学校でも、ポケモンバトルをする部活動がありました。でもかよ子といったら、朝から練習してて大変そうだなあとか、夕方までトレーニングして疲れるだろうなあとか、お休みの日も試合で休めないなあとか、そんなことばかり考えていました。

「かよ子、宿題は終わったの?」

「もう終わったよー。学校も塾もー」

お皿洗いを済ませたお母さんがキッチンから出てきて、開口一番「宿題は済ませたの」と聞きますが、かよ子は得意気に「もう終わったよ」と答えます。お母さんは「あら」ときょとんとした顔つきで、かよ子のいるお茶の間までやってきました。お母さんはそのままかよ子の近くまで歩いてきたのですが、ふっとテレビに目を向けたのが見えました。

テレビではポケモントレーナーがふたり入場してきて、今にもバトルが始まろうとしています。かよ子が何の気なしにテレビを見ているのを目にしたお母さんが、さっとすばやく画面の前に立ちました。

「もう宿題を済ませたなんて、えらいわ、かよ子。じゃあ、お母さんといっしょにWiiで遊びましょう」

「いいの? やるやるー!」

お母さんからWiiで遊ぼうと言われるのは珍しかったので、かよ子は喜んで賛成しました。どのゲームがいい? と聞かれて、かよ子は迷わずカービィを選びます。ちょうどディスクが入っていたままだったので、かよ子はリモコンを持ってストラップを手首にかけると、そのままゲームをスタートさせました。

「かよ子が1Pでいい?」

「ええ、いいわよ。お母さんはデデデ大王にするから」

かよ子はもちろんお決まりのカービィですが、お母さんはちょっと意外なことに、デデデ大王を選びました。デデデ大王は攻撃力の高いハンマーが武器ですが、体がカービィより大きくて小回りがききにくいので、慣れないとちょっと操作が難しい中級者向けのキャラクターです。お母さんはちゃんと操作できるのでしょうか……

……と、思いきや。

「わ、またお母さんに決められちゃった」

「この敵は剣を振り下ろすまでに時間がかかるから、そこを狙うといいわ」

大技を相手のスキにしっかり叩き込んだり。

「ここは右を選べば、星や食べ物がたくさんもらえるのよ」

「ホントだ。すっかり忘れちゃってた」

コースの特徴を熟知していたり。

「あっ、火の玉を連射してくる技!」

「その技はガードしちゃいけないわ。空を飛んでかわすのが正解なの」

ボスの強力な攻撃を華麗にかわしたりと、これがなかなかお上手。大ぶりなハンマーをかるがると操って、どんどん敵を倒していきます。自分よりも先へ進んでいることもしばしばあって、かよ子も感心することしきりなくらいです。

「お母さん上手上手ー」

「子どもの頃は、よくファミコンで遊んでたのよ。カービィも得意だったわね」

「へぇー、カービィって、お母さんが小さい頃からあったんだ」

「ええ。お母さんも好きだったから、かよ子といっしょに遊べてうれしいわ」

その頃はデデデ大王は敵で、最後の方のボスで出てきたのよ……と、お母さんがかよ子に豆知識を披露して見せました。

かよ子の操るカービィが、大きな剣を何度もふるってボスを豪快になぎ倒したところで、ふたりともちょっと休憩することにしました。今日は心なしかお母さんの機嫌が良さそうに見えるので、かよ子は前から気になっていたことをこっそり聞いてみました。

「あのね、お母さん。この前3DSのカービィ買ってもらったときに、ポケモンXYはダメって言ってたけど、どうして?」

「あ、かよ子は別にほしくないけど、カービィが大丈夫で、ポケモンがダメなのはどうしてって思って」

聞きたかったのは、お母さんが前に言っていた「ポケモンXYはダメ」というのはどうしてか、ということでした。お母さんのご機嫌を損ねたくないので、「別にほしくない」と付け加えるのも忘れないあたりが、かよ子が意外にしっかりしている証拠です。

かよ子がこんな風にちゃんと気を配ったので、訊ねられたお母さんは別に怒ったり不機嫌になったりすることもなく、かよ子の目を見つめながら、きちんとした態度で質問に答えました。

「かよ子は、ゲームのポケモンがどんな風な内容か、知ってる?」

「ポケモンを捕まえて、戦わせて、最後はチャンピオンになるっていう、そんなゲームよ」

お友達がみんな遊んでいるので、かよ子だってそれくらいのことは知っていました。

「あれはね、かよ子。よくないゲームなの。特に、かよ子みたいな子どもには」

「現実にできることとそっくりだから、あんな風に簡単にトップになれるって、みんなそう思っちゃうの」

「だけど、現実はそんなにうまく行かない。ゲームみたいには、うまく行かないの」

「みんなを勘違いさせて、ダメな方向へ行かせちゃう」

「勘違いして家を出て行って、外の世界で大変な目にあった人は、うんとたくさんいるわ」

「お母さんが子どもの頃からずっと変わらない。本やテレビや映画だったのが、ただゲームに変わっただけなの」

「お母さんは家のことをたくさんしなくちゃいけなかった。だから旅には出られなかったけど、きっとそれでよかったのよ」

「だからね、かよ子。ポケモンのゲームはダメなの。かよ子は遊んじゃいけないの」

お母さんがとっても真剣な様子で「ポケモンのゲームを遊んじゃいけない」と言うので、かよ子は流されるままうんうんとうなづきますけど、ここでちょっと心配になってきたことがあるので、恐る恐る聞き返してみました。

「あのね、お母さん、お母さん。カービィは? カービィは大丈夫?」

このままだと勢いあまって大好きなカービィまでばっさり禁止されちゃう気がして、かよ子は不安になって訊ねずにはいられませんでした。ゲームは全部ダメで、もっとたくさん勉強しなさいとか、毎日塾に行きなさいとか、そんな風になったらたまりません。3DSの方はせっかく最後のステージまでたどり着いて、後はデデデ大王をさらった黒幕のクモみたいな敵をやっつけるだけってところまで来ていたので、ちゃんとクリアしたかったのです。

ところが、お母さんの答えは、かよ子にはちょっと意外なものでした。

「大丈夫。カービィは、やりすぎなきゃいいわよ。かよ子はちゃんと勉強もしてくれるから、それは禁止したりしないわ」

「ホントに?」

「ええ。こんな風に、見ててちゃんと『ゲームだ』ってわかるから。だから、心配しなくてもいいのよ」

お母さんはデデデ大王を動かして、すごく高いところからジャンプして飛び降りたり、ふわふわとホバリングをしたり、ハンマーをぶんぶん振り回したり、勢いをつけてハンマーを投げたりして、遊んでいる様子をかよ子に見せました。確かにお母さんの言うとおり、これはいかにも「ゲームだ」って感じがします。

「お母さんはね、かよ子には家にいてほしいと思ってるの」

「家にいて、学校に通って、きちんとした普通の子になってほしいの」

「学校や塾でしっかり勉強をして、ちゃんとした仕事をする大人になるのが一番いいことなのよ」

「かよ子には、お兄ちゃんみたいになってほしくないの」

お兄ちゃんみたいにはなってほしくない。お母さんからそんな風に言われて、かよ子はとても複雑な気持ちになりました。

かよ子には、お兄ちゃんみたいにポケモントレーナーになって、いろんなところを旅してみたいなんて気持ちはありません。お母さんが言うように、家にいて、学校に通って、勉強している方が合っている気がしています。でも、かよ子はお兄ちゃんのことが大好きです。やんちゃで男の子っぽいお兄ちゃんでしたけど、かよ子はお兄ちゃんにやさしくしてもらった思い出がいっぱいあります。お兄ちゃんはいつもかよ子を大事にしてくれていたのです。

ですから、お母さんから「お兄ちゃんみたいにはならないでほしい」なんて言われると、お兄ちゃんがお母さんに嫌われているような気がして、そしてなんだかかよ子まで悪く言われているような気がして、とても悲しい気持ちになりました。

「かよ子は家にいて、いい子にしててちょうだい」

「いい? かよ子。お母さんとの約束よ」

お母さんから「いい子にしてて」と言われて、かよ子は難しい顔をしながら、なんとなくうなづくことしかできなかったのでした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。