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Level 7: ひとりきりの夜ごはん

いい子にしてるのよ。最後までそう言って、ハンドバッグを持ったお母さんが家から出発しました。ランドセルを部屋に置きに行ってから、かよ子はお茶の間に置いてある晩ごはんのお皿の前に座りました。

「……なんか、おいしくない」

献立はかよ子の大好きなミートソースのスパゲッティで、まだまだ作りたてでおいしいままのはずなのに、なんだか粘土で作ったニセモノをかんでいるみたいな感じがして、これっぽっちもおいしくありませんでした。がんばって半分くらい食べましたけど、それでお腹がいっぱいになってしまって、もうこれ以上はどうやっても食べられません。しょうがないのでラップをかけなおして、冷蔵庫のスキマへ押し込みました。

それからはなんにもする気が起きなくって、とりあえずお風呂に入って、いつもよりだいぶ長引きながらなんとか学校と塾の宿題を終わらせて、それからひたすらぼーっとしていました。頭に浮かんでくるのは心配事ばかりで、楽しいことはひとつも出てきてくれません。普段聞こえるお母さんの声がないだけなのに、なぜだか居づらさがどんどんつのっていきます。

しん、と静まり返った部屋の中で、かよ子は自分が今独りきりになっているのをはっきりと感じました。ここにはお母さんもいませんし、お兄ちゃんもいません。ひろ美ちゃん家のイーブイや、一博くん家のスボミーやチュリネのように面倒を見てあげているポケモンもいないので、正真正銘独りぼっちなのです。

(どうしよう、なんだかこわい)

まるで自分ひとりだけがこの世界に取り残されてしまったように思えて、かよ子はとても怖くなりました。座っているソファが急にふっと消えて、その次は部屋の壁が消えて、最後は底なしの暗い穴へ真っ逆さまに落ちていくんじゃないか……という気がしました。いやいやそんなことありっこない、絶対ありっこない。頭ではそう分かっているつもりでも、でも……という気持ちをどうしてもぬぐえません。

不安でいっぱいになってどうしようもなくなったかよ子は、いつもよりもずっと早く部屋へ戻って、いそいそと明日の準備をはじめました。時間割を見て、教科書とノートをランドセルへ詰めこみます。もちろん筆箱も忘れません。いつもみたいに明日の準備をして、いつもみたいにおふとんに入れば、きっといつもみたいに明日が来てくれるんだ、かよ子はそう強く思いました。明日になれば何かが解決するわけじゃありませんでしたけど、でも今は、ただ明日になってくれれば、ただそれで十分でした。明日がちゃんと来るのかどうかさえ、今のかよ子には分かりませんでした。それくらい、不安でいっぱいだったのです。

赤いランドセルを机の上に置いて明日の準備をすませたかよ子の目に、棚で明るく笑っているカービィの姿が映りました。今のかよ子は、これからどうなるのか、どうすればいいのかがもうちっとも分からなくなっていて、誰か側にいてほしくて仕方ありません。そんな時に、普段と何も変わらない笑顔のカービィを見たかよ子は、いろんな気持ちがわーっとふくれ上がってきて、迷わず棚からカービィを下ろして胸の中に抱きしめました。

「おねがい、カービィ。かよ子のとなりにいて。かよ子といっしょにおやすみして」

カービィに側にいてほしい、大好きなカービィに助けてほしい。その一心で、かよ子はカービィといっしょにおふとんに入って、すぐに部屋の電気を消しました。目をぎゅうっと閉じて、一秒でも早く夢の世界へ行ってしまいたい。そう思っていますけど、心の中にいろんな不安があふれてきて、なかなか気持ちが落ち着いてくれません。

お兄ちゃんのことが心配でした。心配で心配で、もしかしたらもう会えないんじゃないかって、そんないやな考えなんかが出てきちゃうほどでした。きっとまたお兄ちゃんに会える、いっしょにゲームをして遊んだり、お菓子を食べたりできるって信じています。けど、不安な気持ちは収まってくれません。

一博くんのことだって不安です。来月には延寿市へ引っ越して、このまま会えなくなってしまうかも知れません。来週はもう塾に来ないって言ってましたから、会いたくても会えないのです。もうおしゃべりもできないし、手をつなぐこともできないかもと思うと、胸がちくちく、ずきずきとひどく痛みました。

そして、かよ子の頭には、もうひとつ浮かんでいることがありました。

(アチャモも、こんな風に不安になったりしたのかな)

いつも朝にお世話をしている、あのアチャモのことです。

今のかよ子は、お兄ちゃんのことも一博くんのこともどうにもなりません。どうにもならないのは、鳥小屋の中に閉じこめられて外に出られない、アチャモも同じでした。どんなに出たくても出られなくて、どうしようもなくって、ただずっと外ばかり見つめているのです。

自分じゃどうにもならないことに囲まれてみて、かよ子はようやく、あのアチャモの気持ちが分かった気がしました。

いろんな心配事をいっぱいに抱えて、それでも寝ようとがんばっているうちに、だんだん頭がぼんやりしてきました。かよ子は胸に抱いているカービィが自分のすぐ側にいてくれている気がしてきて、どうにかおやすみすることができました。

 

 

ぼんやりしていた視界が、少しずつはっきりしてゆきます。ふわふわの綿に包まれているような気持ちになりながら、かよ子は目の前に世界が描かれてゆくのを感じました。

「ここ……どこだろ?」

いつもよりぎこちないですが、体を動かせるようになった気がします。ちょっと足元がおぼつかない感じで、よろよろとよろめきながら、かよ子は立ち上がります。立ち上がって、体を目いっぱいのばして、あたりを落ち着いて見回してみました。少なくとも、今まで見たことのない風景なのは間違いありません。

ぐるりと自分のまわりを見わたしてみて、ひとつ大事なことに気がつきました。

(前も後ろも、右も左も、みーんな、カベばっかり……)

かよ子がいたのは、まわり全部を真っ白いカベに囲まれた、小さくて狭い部屋の中でした。背中を見てもカベ、右向け右してもカベ、どこを見てもカベばっかり。出口はどこにも見つからなくて、ただちっちゃな窓が付いているだけです。かよ子はこの部屋の中に、ひとりで閉じこめられていたのでした。

部屋の中にはただかよ子がいるだけで、他にはなんにも見つかりませんし、誰もいません。あっという間に退屈になって、かよ子はいちばん近くの窓から外を覗き込んでみました。

「わあ、きれい……!」

窓から見た外の世界の風景は、緑の草原と青い大空がどこまでも広がっている、とても気持ちよさそうなものでした。終わりなんてどこにもなくて、あちこち好きなように走り回ってもへっちゃらなくらい広そうです。体を動かすのが苦手で、外で遊ぶことの少ないかよ子さえ、今にもわーっと声をあげて走り出したくなる、そんなすてきな世界が広がっていました。

ひるがえって、かよ子のいる部屋の中はどうでしょうか。どこもかしこも真っ白なカベで囲まれていて、走り回ることなんてどうやってもできそうにありません。チリひとつ落ちていなくて清潔なのは分かりますが、どっちを見てもとにかくただ白いばかりで、だんだん息苦しくなってきそうです。外の世界とは、ぜんぜん違います。

(お外に出たいけど、出られないのかな)

何べんも何べんも部屋の中を見回してみますけど、ドアみたいなものはやっぱり見つからなくて、出られそうにありません。普通の方法では、ここから出ることはできないみたいでした。ドンドンとカベを叩いて、ここから出してと大きな声を上げたりしてみますが、うんともすんとも言いません。どうやっても出られそうにないことにかよ子はとてもがっかりして、部屋の真ん中でへなへなとしゃがみこみます。

そうして座っていると、不意に、このままずっとここから出られなかったらどうしよう、という考えがわいてきて、かよ子は急に悲しくなりました。ずーっとずーっといつまでも、行くことができない外の風景をただこうやって見ているだけで、好きなように走り回ったりできなかったらどうしよう、どうすればいいんだろう。どうにもできないことへの悲しい気持ちがいっぱいあふれてきて、それはやがてたくさんの涙になって、両方の目からこぼれてきました。

お外に出たい――かよ子は一心に願いながら、ふっと天をあおぎました。

(あれ……? 何か、こっちに飛んでくる……)

するとかよ子はそこで、不思議なものを見つけました。今まで気づかなかったのですが、実は部屋に天井は付いていなくて、青空が広がっているのを見ることができたのです。そして、その空のはるか遠くで何かがきらりと光って、こちらに向かって飛んできていました。なぞの光はぐんぐんスピードを上げながらかよ子に近づいてきて、豆つぶみたいに小さかったのが、今や目をこらさなくてもはっきり見えるくらいになっています。

ひゅうううん、と、どこかで耳にしたことのある音が聞こえてきます。あっ、これは。かよ子が音の正体に気づいて顔を上げると、光はもうかよ子のすぐ近くまで迫ってきていて、形がはっきりと分かるほどになっていました。

(あの星……ワープスターだ!)

マンガやアニメに出てきそうな、角のまるまったかわいらしいお星様。きらきらとかがやく星の軌跡を残しながら空を飛ぶそれは、かよ子もよく知っている乗り物でした。お星様――ワープスターは一直線にかよ子の元へ向かってくると、かよ子のすぐとなりに着陸しました。

ワープスターに乗っていたのは、もちろん……。

「カービィ……!」

まるまるしたピンク色の体に、やさしいつぶらな瞳。目の前にいるのはまぎれもなく、あのカービィでした。

元気よく手を挙げて、カービィがかよ子にあいさつしました。かよ子はすっかりビックリしてしまって、目をまん丸くしています。明るい笑顔を見せるカービィは、かよ子をまっすぐ見つめています。目の前にカービィがいる、そのことにかよ子はおどろきながらも、カービィが自分を助けにきてくれたんだとすぐに納得しました。

そしてかよ子は、あることに気がつきます。

「ねえ、カービィ。それって、ファイアの帽子?」

カービィは帽子をかぶっていました。メラメラ燃える熱い炎をまとった王冠を思わせるその形は、まさしくファイアの帽子です。ファイアは口から火を吹いて攻撃する能力で、炎をまとって敵に体当たりしたり、冷たい氷を溶かしたりすることだってできます。

ですが、ひとつ気になることがありました。

(なんだか、いつもよりも炎が大きい気がする……)

かぶっている帽子の炎は、とても勢いよく燃え盛っています。ごうごうと音を立てて、底知れない強い力を感じさせる、大きな大きな炎です。かよ子は思わず目を奪われて、何べんもぱちぱちとまばたきをしました。

その時でした。カービィがきりっとした表情を見せて、両腕を天にかかげたのです。

「えっ……?」

ぶわっ、と炎がひときわ大きく広がって、カービィをぐるりと取り囲みます。炎はやがてひと繋がりになって、体の長い龍のような形に変わりました。ぐるぐると渦を巻きながら、さらに力をためています。かよ子は炎を自在にあやつるりりしいカービィの姿に、目を大きく開いて釘づけになっていました。

カービィがぐっと視線を上げます。龍の形をした大きな炎がぐおんと動いて、ぽっかり開いた天井からばあっと外へ飛び出していきました。そのまま空を飛んで、かよ子とカービィの後ろ側へ移ります。あっ、と、かよ子はふと思い出しました。このワザには、巨大な炎の龍を呼び出すこのワザには、見覚えがあったのです。

やがて、弓を引きしぼるように小さく身を引いてから、カービィが掛け声と共に、両腕を大きく前へ突き出しました。

そして――。

(グオオオォン!!)

耳をつんざくようなごう音と共に、炎の龍がかよ子を閉じこめていた部屋に思いっきり体当たりしたのです。

「わあっ!?」

ものすごい衝撃に、かよ子は思わず声を上げました。ぶわんぶわんと猛烈な風がまき起こって、かよ子は吹き飛ばされそうになりました。おどろいているかよ子と、勇ましい顔をしているカービィの間を、炎の龍が駆け抜けてゆきます。

(あっ、カベが――)

その時、かよ子は確かに目にしました。

大きな炎が勢いよくぶつかっていって、かよ子を閉じこめていた白いカベをこっぱみじんに粉砕していくのを、確かに目にしたのです。

「すごい……カベ、こわしちゃった……!」

四方を取り囲んでいたカベを、炎の龍がきれいに全部吹き飛ばしてしまいました。文字通り、あとかたもありません。今のかよ子の周りには、窓から見えたあの美しい草原と空の風景が、どこまでもどこまでも広がっています。走り出そうと思えば、いつでも走り出すことができるでしょう。かよ子はさわやかな風を体いっぱいにあびながら、瞳をきらきらと輝かせました。 閉じこめられていた自分を助けてくれたカービィに目を向けると、カービィはいつも見せてくれている明るい笑顔を浮かべて返してくれました。

と、その時です。カービィがかぶっていた大きなファイアの帽子を外して、かよ子に向かってパスしたのです。不意のことにきょとんとしながら、かよ子がカービィから放り投げられた帽子を受けとります。するとどうしたことでしょう、帽子がぱあっと白く光りかがやき、その形を変えていくではありませんか。かよ子がおどろきながら様子を見守っていると、やがて光が形をなして、あるべき姿へ戻ってゆきました。

そこにあったのは、かよ子の胸の中にあったのは……。

「アチャモ……! あなた、学校にいるアチャモだよね……!?」

生き物係でいつもお世話をしてあげている、あのアチャモの姿でした。

「そっか、分かった! カービィは、アチャモの能力をコピーしてたんだ!」

カービィは吸い込んだものを飲み込んで、自分の能力として使う「コピー能力」というワザを持っています。さっきカービィが大きな炎の龍を呼び出してカベを壊すことができたのは、アチャモの持っている炎の能力をコピーしたからなんだと、かよ子は合点がいきました。

「すごい……あんなに大きな炎を起こして、カベをこわしちゃうなんて……」

帽子から元の姿に戻ったアチャモはかよ子の腕の中にちょこんと収まっていて、抱いているかよ子の目をじっと見つめています。かよ子はアチャモの黒い瞳の奥へ、すうーっと吸い込まれていきそうな気がしました。

しばらくそうやって、アチャモはかよ子に抱かれていましたけれど、不意にぴょんとかよ子の腕の中から飛び降りると、広い広い草原をたかたかと駆けてゆきました。あっ、とかよ子が目をまん丸くしていると、アチャモはどんどん遠くへ走っていきます。放っておくと、今にも見失ってしまいそうです。

かよ子がカービィを見ると、カービィは腕をまっすぐのばして前を指しました。

先に進んでみなよ――カービィは言葉でこそ何も言いませんでしたけど、でも、かよ子には確かにそう言っているように思えました。思い切って、まだ見ぬ新しい世界へ走り出していってほしい。カービィは自分にそう伝えたいんだと、かよ子は感じていました。

カービィからのメッセージを受け取ったかよ子が、大きく頷きます。

「……わかった。ありがとう、カービィ」

「かよ子、行ってくるね!」

笑顔で手を振るカービィに見送られながら、かよ子はアチャモを追いかけて、部屋だった場所からだっと走り出しました。自らの足で大地を蹴って、青空の下で無限に広がる緑の草原を、力強く、とても力強く、まるで風のように駆けてゆきます。

どこまでも、どこまでも、どこまでも――。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。