トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

S:0038 - "Dear My Sister #1"

「帰りは、ゆっくり飛んで帰ろうね」

「もちろんだぜ。あんなことは、もう二度とごめんだからな」

夕暮れ時の空を、ともえとあさひがゆるやかに飛んでゆく。先ほどとは対照的な、安全運転のお手本にでもできそうな飛び方だった。

「でもよ、やっぱりすげえよ。空から落っこちた俺を、無傷で助け出すなんて」

「ホントに夢中だったんだよ。とにかく何とかしなきゃ、って考えてたことしか覚えてないし」

実際のところ、ともえも無我夢中になっていたようだった。ともえが改めて思い返してみても、断片的な記憶しか思い返せない。落ちるあさひ、追いかける自分、とっさの判断で変身したクッション。結果的に、二人とも無傷で助かるという最高の結果を得ることができたものの、過程はものの見事に吹っ飛んでいた。

「とりあえず、それは置いといて……一つ、訊いてもいいかな?」

「ああ、何でも訊いてくれ」

一旦話を切り替え、ともえが別の話題を切り出す。

「えーっと……ちょっと失礼かもしれないけど、怒らないで聞いてね」

「今の俺なら、何て言われても怒らない自信があるぜ」

「そのままの意味なんだけど……厳島さんって、どうしてそんなに男の子っぽいのかな?」

ともえから問いかけられたあさひが、口元に優しい笑みを浮かべた。

「そうだよな、やっぱり、気になるよな」

「うん。すごくかっこいいなー、って思うんだけど、でも、どうしてなのかな? とも思うんだよ」

「……そういう風に言われると、なんだかこっぱずかしいな……」

少しばかり照れた、しかし少なからず喜びを含んだ表情で、あさひが話しはじめた。

「俺が、一応曲がりなりにも女の子だってのに、こんな風に微塵も可愛げのない奴になったのは……」

「……………………」

一拍の間の後、あさひが呟く。

 

「多分、母さんがいなくなってからだな」

 

「俺の母さんは、俺が小学校に上がる頃くらいに、父さんと別れて出てったんだ」

これまでになくしんみりした様子で、あさひが自分の置かれている境遇について語り始めた。

「家に残ったのは、父さんと爺さん、それに兄貴と弟二人。最後に、この俺だ」

無言で相槌を打つともえ。あさひの話に聞き入っている様子だ。

「女一人に男五人。そんな中で、女らしさとかを身に付ける方が、無理な話だ」

寂しげに笑うあさひの顔を、ともえが覗き込む。

「父さんは仕事で忙しいし、兄貴は家事の類は壊滅的に下手。弟二人は俺よりガキだし、爺さんもそうそう動けたもんじゃねえ。だから……」

「厳島さんが、お母さんの代わりになった……そういうこと、だよね」

ともえの言葉に、あさひの境遇が集約されていた。短時間ですべてを理解したともえに、あさひは深く頷く。

「……まだ、小学生だってのにな。忙しい上に男ばっかり相手にしてたもんだから、俺は自分が女だとかどうとか、意識する暇も無かったんだ」

あさひは言う。それよりも前に、目の前にある仕事を片付けていかなければならなかった、と。

「人がいる限り、そこに仕事が発生する。誰かが仕事を引き受けない限り、仕事は手付かずのまま溜まっていく」

「……………………」

「仕事が溜まりきれば、人は動けなくなっちまう。だから……誰かが仕事を引き受けて、道を切りひらかなきゃいけねえ」

父親がそう言っていた、と、あさひが付け加えた。

「そんなだから、俺は女友達とかもいなくて……」

「……へっ、あれだな。この『女友達』って言い方の時点で、もう既に男目線だよな」

「ただでさえ男ばっかりの中で育ったってのに、付き合う奴まで男ばっかりだったからな」

同性の友達はほとんどおらず、付き合うのは男友達ばかりだった――かつてともえがあさひの噂を聞いたときも、彼女を取り囲んでいたのは同級生の男子ばかりだった。

「男の中でナメられるのは嫌だったから、気に食わない奴とは喧嘩もしょっちゅうだった」

「負けようもんならバカにされるのがオチだから、絶対に負けねえって歯を食いしばって、ほとんどの相手に勝ってきた」

「そうしたらいつの間にか、誰にも負けないくらい喧嘩が強くなってた、ってわけだ」

それが功を奏したのか、あさひは同級生の間でも一目置かれる存在となっていた……そう言えば聞こえはいいが、かつて千尋がともえに言った「問題児」という言葉が、あさひの実態を物語っていた。「乱暴者で喧嘩っ早い」――それが、クラスメートや教師たちからの、あさひの評価だった。

「その癖が抜けなかったんだろうな……俺は無駄に肩肘を張って、姉貴にも減らず口ばっかり叩いてたって訳だ」

「……………………」

「姉貴のほうが真面目に練習してて、魔法も上手だって分かりきってるのに……ただ、ナメられるのが嫌だって理由で、無茶をやった……そういうことなんだ」

「厳島さんは、ずっと無理をしてたんだね。他の人に負けないように、馬鹿にされないように、って……」

「……本当に、姉貴の言う通りだ。俺は……無理ばっかりしてたんだな」

結局のところ――あさひは、ともえに負けまいと無理をしていただけだったのだ。ともえに対する態度も、無謀な飛び方をした理由も、最終的にはそこに行き着く形になる。

「俺が魔法に興味を持ったのだって、『魔法が使えるようになれば、女の子らしさが身に付くかもしれない』って考えたからなのにな……」

「それが、結局いつもと同じことになっちまった。全然、修行が足りないな」

あさひが魔女を志した理由は、彼女自身が自分自身を変えたかったからだった。

魔女見習いに最も多い志望理由は、「自己変革のため」だと言われている。考え方や性格を直し、新しい自分へと脱皮するための手段として、魔法を選択するという考え方である。あさひもまた、そうしたポピュラーな理由で魔女を志望した少女の一人だったというわけだ。

「このままじゃ、俺は女なのか男なのか、本当に分からなくなっちまいそうだ」

「俺は……『魔女』の修行を続ける資格があるのか……どうすりゃいいんだ……」

不安に駆られた、あさひにしては珍しい声色だった。あさひの中では、「魔女を志し、魔法を身につけたとしても、なお『女の子らしさ』が身に付くことは無かった」という絶望に近似した感情が、ぐるぐると渦を巻いている。あさひは汚泥の如き渦に、成す術無く飲み込まれようとしていた。

「わたしは、続けて欲しいな」

「……姉貴……?」

あさひが我に返ったのは、ともえが前触れなしに口にした一言だった。

「厳島さんがいてくれたほうが、一緒に頑張れるし、やる気になるよ。わたしも負けないぞー、ってね」

「姉貴……」

ともえの言葉を、あさひは黙ったまま聞いていた。

「かっこよくて、凛々しくて、強い人にも立ち向かう。そういう女の子がいたって、わたしはいいと思うよ」

「……………………」

「それで魔法も使えちゃったら……なんかこう、完全無欠っ、って感じがしない?」

迷いが無い。ともえの言葉には飾り気も無いが、迷いも無い。今のあさひには、一番強く伝わる言葉だった。

「それに、厳島さんはせっかく魔法に興味を持ってくれたんだもん。このままやめちゃうなんて、もったいないよ!」

「……………………」

「あと……うん。魔女見習いの服も、よく似合ってて、可愛かったしね」

ともえの言葉に、あさひは目を開いて口元に手を当てた。頬に少し、赤みが差している。

「か、可愛いって、そんな、俺は……」

「ホントホント! 嘘じゃないよ!」

「う、うぅ~……正面切って『可愛い』だなんて言われたの、初めてだ……」

動揺が収まらないあさひの様子を、ともえがくすくすと笑って見つめている。すっかり、ともえのペースだ。

「だからね、厳島さん。わたしと、一緒に頑張ろうよ!」

「姉貴……」

「わたしも、魔女になってどうするかは、まだちゃんと考えてるわけじゃないけど……」

「……………………」

「でも、わたしには分かるよ! 魔女見習いになったこと、魔法が使えるようになったことが、新しい人や新しい物、新しい世界との出会いに繋がるんだって!」

「新しい……世界……」

「今までだってそうだよ! 魔女見習いにならなかったら、魔法も使えなかったし、空も飛べなかったし……それに、厳島さんとも会えなかった!」

「俺と……姉貴が……出会えなかった……!」

そう。ともえがあさひと知り合ったのは――ともえが魔女見習いだと、あさひの弟の正人に見破られたからだった。

「魔法はね、新しい世界を切り開いてくれるんだよ! それって、きっとすごく素敵なことだよ!」

「……!」

「だからね、厳島さん! まだまだこれからだよっ! 一緒に頑張ろっ!」

「ああ……決めたぜ! 俺は……俺は姉貴と一緒に、立派な魔女になってやらあ!」

完全に吹っ切れたあさひの表情は、これまでになく爽快で晴れ晴れとしたものだった。もはや一片の迷いも見られない。

「俺は……やってやるぜ!!」

力強く拳を握り締めるあさひを見つめつつ、ともえが少しトーンを落として、別の話題を切り出す。

「……ごめんね、厳島さん。盛り上がるだけ盛り上げてから、ちょっと水を差しちゃうんだけど……」

「おう姉貴、どうした?」

「えーっとぉ……」

 

「……わたし、厳島さんのお姉ちゃんだったっけ……?」

 

「そうだぜ。姉貴は、俺の姉貴だぜ!」

あまりに自然な流れだったために突っ込み忘れていたが、あさひはともえのことをいつの間にか

「姉貴」

と呼ぶようになっていた。呼んでいる方のあさひはまったく気に留めていないようだったが、ともえにしてみれば、同級生(しかも、見た目の凛々しさなどからすればあさひの方が年かさに見えてもおかしくない)から「姉貴」と呼ばれるのは、戸惑いがあるようだった。

「どっちかって言うと、厳島さんのほうがお姉さんっぽい気がするけど……」

「何言ってるんだ姉貴! 見た目とか年齢とかそういうのじゃなくて、俺は姉貴を尊敬してるから『姉貴』と呼ぶんだっ!」

「えぇっ?! ど、どこに尊敬する要素が?!」

ともえの戸惑い具合が半端ではない。ここに来て、あさひが別の意味でペースを握りなおしている。

「だって姉貴、姉貴は俺の命の恩人だぜ? これはもうそれだけで尊敬に値するぜ!」

「あわわわわ……で、でも、あれはわたしも必死で……」

「落ちていく俺を疾風の如く追いかけて、冷静な判断でやることを決めて、自分の身を犠牲にしてまで俺を救ってくれた……尊敬できない部分がないだろ!」

あさひが無駄に熱く語っている一方、ともえはこれっぽっちも付いていけていない。温度差を感じる瞬間である。

「だから姉貴っ! 俺は、姉貴を姉貴と呼ばせてもらうぜ!」

「呼ばせてもらうというか、その前に呼んでる気がするよ~」

姉貴を姉貴と呼ばせてもらう。この微妙な日本語は「みちるは、みちるっていうんだぞー」「かのりんはかのりんっていうんだよぉ」的なニュアンスを感じる。ただ感じるというだけであって、本編の文脈からすると心底どうでもいい解説である。

「厳島さんの気持ちは分かったけど、なんだかちょっと恥ずかしいよ~」

ともえは少々困りながらも、笑いは隠せないようだった。あさひの様子が微笑ましいやら可笑しいやらで、ともえの気持ちも解れてきたようである。

「うーん……それじゃあ、わたしも厳島さんの呼び方、変えてもいいかな?」

「ああ! 呼び捨てでもあだ名でも、何でも構わねえぜ!」

「じゃあ……あさひちゃん、でいいかな?」

あさひのことを苗字で呼ぶのを止めて、名前で呼ぶことに決めたようだ。

「そっちもそっちでこそばゆいけどよ……姉貴の頼みとあっちゃ断れねえな!」

「えへへっ。これからもよろしくね、あさひちゃん!」

「おうよ!」

すっかり打ち解けた二人は、夕焼けが朱に染める空を背にして、共にアトリエへと飛んでゆくのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。