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6-1 忘れ形見の言い分

茶の間に座布団を敷いて、ハルが扇風機の風を浴びている。ふう、と小さく息をつくと、火照った頬を涼風がそっと撫ぜる。いつもより少し早めに店を閉めたためか、時計の針はまだ五時を指していなかった。

ペリドットでの仕事が始まってかれこれ三日が経つ。慣れないゆえのぎこちなさはまだ少し残っていたけれど、ハルはあの喫茶店で自分が何をすべきなのか自覚し始めていた。自分からオーダーを取り、お客さんの顔と名前と好みを覚え、彼らが気持ちよく過ごせるように振る舞う。ジムで子供たちを相手にしていた経験が活きている、ハルはそのように感じていた。

ハルがペリドットで働くことに手ごたえを感じ始めていることを、隣に座るシラセはよく理解していた。ハルにとってシラセは唯一人気兼ねなく話しかけられる存在で、シラセにとってハルは同じ境遇の友人だった。人とアブソル、種は違えど心を通わせることにさしたる支障もなく、お互いにすっかり心を許していた。シラセが横で欠伸をすると、ハルもつられて大口を開ける。何でもないことが可笑しくて、ハルはくすくすと笑った。

「シラセって、ダイゴローみたいやな」

「日和田にもおってん。黒ぶち模様のニャースやけどな、街中ぶらぶら散歩して、気ぃ向いたら皆と遊んだりしとったんよ。うちもお腹触ったりしたわ」

「愛嬌あるから皆気に入って、たまにご飯もろたりしてたっけ。夏で毎日あっついけど、元気にしとるかな、ダイゴロー」

どうやら日和田にも、シラセのような気ままな生活を送る野良ポケモンがいたらしかった。ふとかつての故郷が脳裏をよぎったようで、ハルの表情に哀愁の色が微かに滲む。

「なあ、シラセ。おかんのことやねんけど」

シラセがすっと顔を上げて、隣にいるハルを見やる。ちらりと目線を投げかけてから、ハルがぽつぽつと話し始める。

「元々トレーナーやっとったって、そないな話聞いたことあるねん」

「日和田でもスーパーでパートしながら、たまにポケモン連れて他所の人とバトルしとった」

「うちがジムへ通い始めたんも、おかんに言われたからや」

「将来はトレーナーになって世界を回れって、そない言うとったっけ」

ハルの母親、つまり瑞穂と沙絵の母親の話。シラセにしてみればまったく未知の人物で、ここでハルの口から出てくる人物像は初めて知ることばかりだった。ハルが日和田を離れて榁を訪れた理由、それを作ったのが、他ならぬハルたちの母親だった。

「おかんはな、ずっと何かのポケモンを捜しとってん。見つかれへん見つかれへん言いながら、死ぬちょっと前までずっとポケモンを捜しとった」

「西の方に『ウバメの森』いう広い森があってな、ようそこへ行ってたわ。週に三回は必ず、朝から晩までずっとや」

「どんなポケモンを捜しとったんかは分からへん。言おうとせんかったし、うちも訊こうとせんかった。せやから、何が目的やったんかは分からん」

「ただ、ただや。森の奥に小さい祠があって、そこへよう行っとったんは知ってる。ただの古ぼけた祠やったけど、熱心に拝んだりしとったわ」

縁側の向こう、橙色に染まりつつある海と空を見つめて、ハルは淡々と言葉を紡いで。

「うちは、家よりジムに居る時間の方が長かった。家には寝に帰るようなもんやったから」

「ちょっと遠く、小金の辺りからジムに通ってる子おってな、うちその子と仲良うなってん。その子とよう喋っとったせいで、喋くりが小金のそれになったんやわ」

「ジムに朝から晩までうち預けて、おかんが何を捜しとったんか、うちには分からへんし、興味もあらへん」

「おかんには、うちより大事なもんがある。そない思たら、なんかどうでもようなったんや」

諦念さえ通り越して、虚無を感じさせるハルの言葉。母親には自分よりも大切なものがあると幼心に感じたハルの心境はいかばかりか、シラセには測り兼ねた。少なくともシラセの母は、シラセの前でシラセより大事なものがあるという素振りは終ぞ見せたことがなかったからである。

少なくとも、快い感情ではないということだけは、シラセにも想像が付いた。

「ずっとポケモン捜しして、無理しとったからやろうか。ちょっと前に病気になって、病院へ入院した」

「死ぬ間際にうちを呼んで、こないなこと言いよった」

「自分の故郷は日和田やのうて榁にあること、うちには顔も知らんお姉ちゃんが二人おるってこと」

「家族もおったけど、どうしても日和田に捜しに来たいポケモンがおった。せやから家出てここまで来た。そういう話や」

洗いざらい全部話してすっきりしたんやろな、それから二日も経たんうちにあの世へ行ってしもた。感情のこもらないハルの言葉は、母の死という出来事が彼女にとってどのようなものなのかを如実に物語っていた。生前ポケモンの捜索にかまけて自分を顧みなかった母に、ハルがいかなる感情を抱いでいるか。シラセは少しだけ考えを巡らせて、それからすぐに止めてしまった。

シラセの背中を軽く撫でてから、ハルが空を見ながら呟く。

「瑞穂さんらにとって、うちのおかんがどんな人やったんかは分からへんけど」

「言うたら悪いけど、なんていうか全体的に無責任な人やった」

「無責任言うか、自由って言うか。自分の生きたいように生きとったと思う」

「捜し物したいからって、瑞穂さんと沙絵さんほっぽりだして日和田まで行ってまうくらいやから」

物心ついてからずっと自分の、そして瑞穂と沙絵の母親の姿を見てきたハルの感想は、無責任で自由な人、だった。

「何も死ぬ前になって、うちにお姉ちゃんおるとか、そういう話せんでもええやんって」

「おかんが死んでこれからどないしたらええんか分からんって時に、もっと訳の分からんこと言われるうちの身にもなってほしい」

「ほんま、自分勝手な人やったわ。自分だけすっきりして、三途の川渡ってしまうんやから」

「……ひょっとしたら、うちに身寄りがなくなるから、自分の娘に頼れって言いたかったんかも知れんけど」

でも、うちのおかんに限ってそれは無いわ。ハルが頭を振って自分の言葉を否定する。

「こないなこと、あんまり大きい声で言われへんけど」

「うち、おかんみたいな人にはなりたないって、そない思う。ジムでシズさんとかスズさんみたいなしっかりした人見とったから、尚更や」

「せやけど、そないなこと思てるんうちだけと違うんかなって。おかんみたいになりたないって、普通の子は思てへんのと違うんかなって」

「あんまりよその人には言われへんかって、ちょっと肩身狭かったわ」

表立って母親を悪しざまに言うことはできない。思慮深いハルは、人知れず暗い思いを抱えていたようだった。

「瑞穂さんとはえらい違いや」

「ホンマに、うちのおかんが瑞穂さんのおかんとは、思われへん」

「違うかったら違うで、それはそれで良かったねんけどな」

母を通して、瑞穂と自分に血のつながりがある。ハルはまだその事実をうまく受け止められなくて、信じることができずにいる。いっそのこと他人同士なら、もっと気楽に関わり合えたかも知れない。自分はただのトレーナーで、瑞穂は宿を提供してくれている親切な地元の人。それくらいの間柄の方が、却って心を開くことができたのではないか。ハルがそんな風に考えていることを、シラセは理解していた。

ハルがひとしきり話し終えて、そのままぼんやり過ごしていた最中のことだった。

「ハルちゃん。ちょっといい?」

「瑞穂さん」

茶の間にやってきた瑞穂がハルに声を掛ける。ハルが顔を上げて瑞穂を見ると、瑞穂が笑って応じた。

「これから商店街へ買い出しに行くんだけど、よかったら一緒に行かない?」

「買い出し?」

「そ。ペリドットで使う食材を買いに行くんだよ」

「へぇ。瑞穂さん、自分で食べるもの買いに行ってるんや」

「一部だけだけどね。普段は宅配で持ってきてもらってるんだけど、ほら、今日お客さんたくさん来たでしょ? ちょっとストックが心もとなくなっちゃったから」

次の宅配は明後日なんだ。瑞穂がそう付け加えると、要領のいいハルは事情をすっかり飲み込んだようだった。すっと立ち上がると、佇まいを直して瑞穂の前に立った。

「うちも行くわ。荷物持ちくらいやったらできると思うから」

「わお。さすがに若い子は元気がいいわね」

茶目っ気を見せる瑞穂を目にして、ハルが微かに微笑む。少しずつ笑顔を見せられるようになってきた、側に居るシラセがそんなことを考える。

「それじゃ散歩がてら、シラセも一緒に行きましょ」

「シラセ、うちらに付いてきてくれる?」

言われるまでもなく同行するつもりだった。シラセが体を起こして軽く身震いすると、一声鳴いて二人に応えた。

家を出て街道を歩く。向かう先は商店街、シラセにとっても見知った場所だった。瑞穂に先導されて歩くハルの様子をうかがいながら、シラセは二人にペースを合わせて進んでいく。

「ハルちゃんも、商店街の場所は覚えといた方がいいよ。ほとんどのお店があそこに集中してるからね」

「人の集まる場所なんや、榁の商店街は」

「うん。他にめぼしい場所が無いから、っていうのもあるけどね」

舌をペロリと出して笑って見せる瑞穂。榁に三年近く住んでいるシラセにしてみても、瑞穂の言葉は頷けるところがあった。榁には人が集まれる場所がそれほど多くない。ゆえに人の多い商店街へさらに人が集まっていく。もちろんシラセにとって居心地のいい場所や興味のある場所は数多く存在したが、それはポケモンの、アブソルのシラセの目を通して見たものであって、人間にとって惹かれるものかと言われればそうとは言えないところがあった。

「商店街には駅もあるんだよ。そこから会社へ行ったり、学校へ通ったりしてる人も多いし」

「電車通ってるんや、知らんかった」

「ありゃま。榁にだってさすがに電車くらいはあるよ。もちろん、都会に比べたら本数とかは少ないけどね。けど、ハルちゃんの気持ちも分かるかも」

駅の近くは賑やかで、離れると少しずつ静かになっていって、気が付くと波の音とキャモメの鳴き声しか聞こえなくなるんだ。瑞穂は最後にそう付け加えた。その言葉通りの音――波の音とキャモメの鳴き声――だけが、今の空間には存在している。変わるところのない海沿いの道を、ハルと瑞穂とシラセが歩いていく。

変化が起きたのは、出発してから十分ほど経った頃のことだった。

「いや無理無理。サボテンがリーフブレードを打つ前に、部長のフォクシーのマジカルフレイムでバーンって弾き飛ばされるし」

「攻撃力だけじゃポケモンバトルは決まらない。部長が言ってたことはホントなんだね」

肩にカバンを下げたジャージ姿の男子と女子が、二人並んで歩いている。男子の傍にはアメモースが、女子の傍にはジュプトルがそれぞれ寄り添っている。各々の相棒といったところだろうか。二人の様子に、ハルが思わず目を開く。

「てかさー、今度サボテンにもあの技教えたげて。ほら、悠人のモグリュー凍らせちゃったやつ」

「えっ、いや、無理だよ多分。ミズアメも自分で編み出したんじゃなくてさ、ほら、あの、技マシン使って覚えたから」

「それじゃさそれじゃさ、その技マシンっていうのを使えば、サボテンもビーム撃てるようになるんじゃないの?」

「使えるポケモンと使えないポケモンがいるらしいけど……どうなんだろう」

わいわいと会話しながら横を通り過ぎて行った二人を目で追うハルに、瑞穂がさりげなく口を開く。

「さっきの二人、ポケモン部の部員さんたちだね」

「ポケモン部って、ポケモンバトルとかやる部活やんな」

「ありゃま、ハルちゃん知ってたんだ」

「日和田の中学にもあって、時々ジムで練習しとったから」

ハル曰く、ジムをバトルの練習場所としてしばしば開放していたらしい。ジムに所属しているトレーナーたちやジムリーダーとスパーリングをすることもあったとのこと。

「バトルはアメモースが有利やけど、人間関係はちょっとちゃうみたいやな」

「ハルちゃん、ポケモンのこと詳しいね」

朗らかに笑う瑞穂に、ハルが少し照れたように鼻を触る。

「この辺りだと、小山中学校の子たちかな」

「へぇ、そういう名前の学校あるんや」

「そうだね。榁にある中学の一つで、もちろんポケモン部もあるよ。部員の数もそこそこ多いみたい」

豊縁の各地で行われる大会に遠征したりもしているようだ、と瑞穂が続ける。先ほどの二人も外でバトルをしたりしたのかも知れないと、シラセが片手間に考える。

「昔とんでもなく凄い部員がいたらしくって、今でも時々話を聞くんだよ。まだ私が赤ちゃんだった頃の話みたいだけど」

「それって、どんな人やったん?」

「大槻さんが言ってたけど、強いオオスバメを連れた女の子だったって。その子はオオスバメのことを『ツイスター』って呼んでたんだって」

「へぇ。竜巻、かぁ」

「お、よく知ってるね。その通りだよ。強い力を持ったオオスバメには、ピッタリの名前だと思うな」

「オオスバメって鳥やんな。鳥ポケモンは苦手やわ、虫をエサにする言うし」

「ハルちゃんは虫ポケモンのジムにいたから、しょうがないね」

先ほどのアメモースとジュプトルの話ではないけれど、ハルは空を飛ぶポケモンに苦手意識があるようだった。理由を汲んで、瑞穂が横で笑う。

「その子滅茶苦茶強くって、一人で三人抜きとか四人抜きとかしちゃうくらいだったんだって」

「リーダーとしてもよくできた子だったみたいで、みんなからアテにされて部長さんやってたみたい」

「だけど、春先になって急に部活を辞めちゃったんだって。ポケモンにも関わらなくなったとか」

「何か事情があったみたいだけど、大槻さんは『不幸な出来事があった』としか言わなかったかな」

押しも押されもせぬエースで部長も務めていた、オオスバメを連れた少女。しかしある時突然退部して、ポケモンにも関わらなくなったという。明らかに何か事情がありそうな雰囲気だったが、それ以上のことは分からなかった。ましてやもう二十年近くも前のこと、何が起きたかを知るには時間が経ちすぎたと言える。このままそっとしておくのが、今に生きる者の礼儀なのかもしれない。

「それからは、ちょっと奮わなくって。全国大会とかにも、ずっと出られずにいるみたい」

「さっき言うとったオオスバメ連れた子に、いろいろ頼り切りやったんやな」

「うーん、そうなっちゃうかな。部長さん頼みだったツケが出てたって、大槻さんも言ってたね」

「やっぱり、ようできる人一人に全部任せるんは、好くないんやな」

「何事もそうだけどね。今は進君が結構頑張ってるみたいだけど」

残念ながら、それからの小山中ポケモン部は目立った成果を残せていないようだ。最近になって、ようやく少し芽が出てきたところだとか。まだまだ道のりは長そうだね、瑞穂はぼやくように言った。

ふぅん、とハルが頷きながら話を聞く。特に意識せずにジーパンのポケットへ手を突っ込むと、手に何かが引っかかる感触がした。あっ、とハルが目を見開く。そのままポケットから手を引き抜くと、くしゃくしゃになった紙切れが一枚、くっつくようにして出てきた。

「忘れとった」

「どうかした?」

「この前散歩してた時、これ貰ってん」

「ありゃま。ハルちゃんこれ、藍子ちゃんからでしょ?」

「そう。藍子ちゃん。えらい元気のええ子やった」

沢島パンのクーポンだった。藍子から貰ったのはいいが、その存在をすっかり忘れてしまっていたらしい。幸い、期間的にはまだ使うことができる。ハルは少し考えてから、瑞穂にクーポンを手渡す。

「うちが持っててもしゃあないし、瑞穂さんに渡すわ」

「ありがと。それなら、ありがたく貰っちゃおうかな。貰えるものは貰っておいた方がいいしね」

貰えるものは貰う、という瑞穂の言葉を聞いたシラセは、人知れず考えた。

ハルと同じだ、と。

 

家を出てからおよそ15分後、瑞穂たちは商店街の入り口付近までやってきた。瑞穂はスマートフォンのメモを見て、買う必要のあるものをチェックしている。頭の後ろで手を組んだハルが、買い物リストを見終わった瑞穂に声を掛ける。

「瑞穂さんって、普段からこの辺りで買い物しとるん」

「そうだよ。色々なお店があって、欲しいなって思うものは大体揃うからね」

「まあ、言うて地元の商店街やもんな」

「こだわりがあるわけじゃないけど、榁のものを榁の人も他所の人も分け隔てなく食べてくれたら、ちょっと嬉しいかなって」

ペリドットには、休憩がてらトレーナーが訪れることもしばしばある。そうした人々に振る舞う料理には、なるべく榁のものを使いたい。瑞穂は少ない言葉の中に、そんな意図を込めていた。

「大槻さんの代から取ってる宅配のサービスがあってね、それで大体賄えるようにはなってるよ」

「せやけど、昨日はようけお客さん来よったから」

「ハルちゃんもお疲れだったね。繁盛してくれるのは嬉しいけど、ちょっと冷蔵庫の中が寂しくなっちゃったから」

「食べる物の管理するのんも、大事な仕事やもんな」

「その通り! ハルちゃんよく分かってるね」

「日和田のジムで年少さんにおやつ出しとったりしてて、うちもリーダーのシズさんとそのことで話したりしたことあるから」

「運営のお手伝いしてたんだ、いいねいいね。そのうち食べ物の管理も、ハルちゃんに任せちゃうかもね」

「そういう大事な仕事、バイトに任せてええもんなんかな」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと正社員へ登用するルートも用意してあるよ。キャリアパスもしっかりしてるのがウリだからね」

「上手いこと言うてノせよるなあ、瑞穂さんは」

会話が大分こなれてきたな、とシラセは感じる。軽妙で調子のいい瑞穂のトークは、元々おしゃべりなハルの心を絆すには向いていたらしい。話しぶりから、ぎこちなさが大分消えていた。

口を休まず動かす一方で、瑞穂はトマトを手に取っていた。二人は今八百屋の軒下にいる。瑞穂が手にしたトマトは、色も形も申し分ない。うん、と納得した瑞穂が、近くにあったバスケットへトマトを入れた。

「へぇ。八百屋ってこんな感じなんや」

「向こうだと、お野菜はどこで買ってたの?」

「言うて伝わるんかな、静都スーパーっちゅうところでよう買い物しとったけど」

「食品スーパーってやつだね。色々揃ってるけど、こんなのはないでしょ?」

瑞穂が手にとってハルに差し出したのは、真っ赤に染まった茄子のような不思議な野菜だった。

「何これ、うちこんなん初めて見るわ」

「お茄子とマトマの実を掛け合わせて作った『紅茄子』だよ。まだ榁でしか栽培してないんだって」

「見たまんまやな。やっぱり辛いんかな、赤いし、マトマの実やし」

「って思うでしょ? 私もそう思ってたんだけど、この間浅漬けにしてみたんだ。ちょっとピリッとしてたけど、辛いって程じゃなくて美味しかったよ」

シラセにもおすそ分け、と言いながら、ごはん皿に何枚か載せてくれたことを思い出す。瑞穂の言う通り、辛味はあるけれど辛いと言うほどでもなく、引き締まった味が印象的な野菜だった。辛いものが好きなシラセには少し物足りなさもあったものの、その分たくさん食べられるし良いのでは、という感想に落ち着いた。

先ほどと同じようにしてトマトを三つほどバスケットへ選り分けると、丸々としたキャベツが並ぶ店の奥へ向かう。棚の前に立つと、瑞穂がハルに目を向けた。

「せっかくだから、ハルちゃんに選んでもらいたいな、キャベツ」

「キャベツ、うちが選ぶん?」

「そ。ハルちゃんが選ぶんだよ」

キャベツを選んでほしい、と瑞穂から振られて、ハルは少し困惑した顔を見せる。けれどそれも束の間のこと。姿勢を改め佇まいを直すと、ハルはずらりと並べられたキャベツの前に立った。

山をよく見てから、ハルが頷いてキャベツを一玉手に取る。表だけでなく裏の様子もしげしげと眺めて、自分の目に狂いがないことを確かめる。このキャベツはおいしいキャベツだ、十分な確証が得られたところで、ハルが瑞穂に自分の選んだキャベツを見せた。

「どないやろ、瑞穂さん。これ、ええ色しとると思う。うちやったら、これ食べたいなって思うわ」

キャベツを手渡しながら、ハルがそうコメントした。

「ハルちゃんが食べたいと思うキャベツ、か」

瑞穂は受け取ったキャベツを軽く眺めながら、そうぽつりと零して。

「それなら、間違いないね。これを買うよ」

ハルの目を信じる、言外にそう伝えて、瑞穂はバスケットへキャベツを入れた。

自分の選んだキャベツを買うと言ってくれた瑞穂に、ハルの表情が少し綻ぶ。緩んだ頬を目にした瑞穂が、すかさずハルにこう言葉を掛ける。

「あっ、ハルちゃん笑った。いい顔してるよ」

「えっ」

口を押えるハルに、瑞穂が茶目っ気を込めて言う。顔をほんのり赤く染めて、少し恥ずかしそうに瑞穂から目線をそらす。照れ隠しをするハルの様子を、瑞穂は終始微笑みながら見つめている。ハルはハルで、時折ちらりと瑞穂の顔を窺ってはまた俯いてしまうということを繰り返していた。

その内ハルが観念したように顔を上げて、表情を緩めて瑞穂に目を向ける。照れ隠しをやめたハルを、やはり瑞穂は優しく見守っている。

「さ、ハルちゃん。次は果物を買いに行くよ」

野菜の入ったバスケットを店主に手渡して会計を済ませながら、瑞穂がハルを促す。

「瑞穂さん。次もうちが選ぶわ」

ハルは瑞穂にそう応えて、すぐ側まで歩み寄るのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。