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7-1 いいひと

※これ以後作中に登場する「案件管理局」は、自著の別作品にて登場する架空の組織ですが、本作をお読みいただく分には「超常現象を調査している、警察・消防とは別の公的組織」と認識していただければ差し支えございません。

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「おぉー。似合ってるぅ、かぁわいいー」

開店前のペリドットで、沙絵が驚きの声を上げた。目の前には制服姿のハルが立っている。着替えたハルを見て、沙絵が感想を口にしたところだった。

「いいでしょ? ハルがお目当てのお客さんも増えてくれるかも」

「売上アップ間違いなしだね、これ」

あれこれと好きなことを言っている瑞穂と沙絵に、言われている方のハルは若干気恥ずかしそうにしている。まあ、無理もあるまい。シラセは穏やかな気持ちで三人の会話に耳を傾けている。大きなあくびをして、ふるふると体を振った。

「いやあ、向こうやとあんまり『かわいい』とか言われたことあれへんから、どないしたらええんか分からへん」

「つまるところアレだよ、格好よさと可愛さが共存してるってことで!」

調子のいいことを言いながら、沙絵がアップルソーダをストローで飲む。アップルソーダは瑞穂が開発したオリジナルレシピの一つで、ソーダ水にリンゴ果汁を混ぜたシンプルな飲み物だ。口当たりとのど越しのよさから、ちょうど沙絵のような若いお客さんに人気のメニューだったりする。

他じゃ飲めないんだよ、これ。半分ほど減らしたアップルソーダのグラスを掲げて、沙絵が少し得意げにいう。他じゃ飲めないっていうか、今は他に何か飲むところが無いんだけどね、瑞穂の身もふたもないツッコミに沙絵が吹き出す。喫茶店らしい喫茶店は、今となってはここペリドットくらいしかない、いいのか悪いのかは別として、それは瑞穂も沙絵も、そしてハルも認める事実だった。

「よし! お姉ちゃん、ごちそうさま。出かけてくるね」

「うんうん、行ってらっしゃい。暑いから、無理はしないでね」

「分かってるって。行くよ、パオ」

グラスを空にした沙絵が、パオを伴って席を立つ。出かける時間になったようだ。ちょうど開店も間近に迫っている。あるいは開店に合わせて沙絵は出ていこうとしているのかも知れなかった。

「そうだ沙絵。これ、お弁当」

「ありがと、お姉ちゃん」

瑞穂がラップで巻いたツナドッグを手渡す。沙絵が来る前に手早く作ったものだった。瑞穂は忙しい時も沙絵に必ずお弁当を持たせている。少なくとも、ハルが上月家を訪れてから沙絵がお弁当を持っていかない日はなかったし、沙絵が持っていくことを断るということもなかった。

パオと共に、沙絵はペリドットを出ていった。ハルとシラセがその背中を見送る。沙絵がいなくなってから、ハルが瑞穂に話しかけた。

「別にどうっちゅうわけやないんやけど、沙絵さんって、ペリドットでは働いとらんのやな」

沙絵はペリドットの経営や運営に関わっていない。昨日の夜に「遊びに行ってもいいか」と瑞穂とハルに訊ねたのも、そのためだろう。ハルにとっては少し不思議なことだった。人手が不足しがちなら、沙絵にも手伝ってもらえばいいんじゃないか。榁を訪れた行きずりのトレーナーや、遠方からいきなりやってきた妹をウェイターとして雇うくらいなら、沙絵の方が素性も知れているし気を遣う必要もない。ハルは率直に考えた。

ハルの言葉はもっともだ、と言わんばかりに、瑞穂が微笑んで返す。

「ああ見えて、沙絵は私に気を遣ってくれてるから」

「沙絵さんが……ですか」

「うん。パッと見、ちょっと分かりづらいけどね」

沙絵は瑞穂に気を遣っている。瑞穂はそれを理解している。ハルは瑞穂の言葉が少し腑に落ちなくて、少しばかり戸惑った顔を見せた。

「気遣ってるって、どういうことなんやろな」

耳打ちをされたシラセは、ハルの瞳をまっすぐに見つめるばかりだった。

 

カランカラン、とドアベルが鳴る。来客だ、とハルがすぐさま入口へ向かう。

「いらっしゃいませ」

「あ、どうも」

訪れたのはまだ若さの残る男性だった。眼鏡をかけた人の良さそうな顔立ちをしていて、縦縞のちょっとパッとしない柄のシャツを身に着けている。見た感じ、瑞穂と同い年か一回りくらい年下に見える風貌だった。

「佐藤くん! いらっしゃい」

瑞穂が声を上げた。知り合いかな、とハルが考える。そもそもペリドットにやってくるお客さんの大半は瑞穂の顔なじみなのだけど、それはそれとして、だ。

「やあどうも。いつもみたいに、コーヒーを飲みに来ましたよ、上月さん」

「毎度あり。今日はお仕事お休み?」

「はい。非番で一日空いたんです。それで、ここで朝ごはんにしようと思って」

気さくに話しかける瑞穂と、柔らかな物腰で応対する佐藤さん。心なしか瑞穂の声が弾んでいることを、ハルは聞き逃さなかった。瑞穂と佐藤さんの会話がひとしきり終わるまで待ってから、佐藤さんにオーダーを取りに行った。

「ご注文はございますか?」

「んーっと、このイッシュ風パープルコーヒーと、クリームチーズのトーストサンドをください」

「かしこまりました」

取った注文を瑞穂に伝えるため、ハルが佐藤さんから離れる。それと入れ替わる形で、シラセが佐藤さんの足元まで歩いて行った。

「シラセさん。元気にしてましたか」

シラセの存在にすぐ気が付いて、佐藤さんが気さくに話しかけてくる。シラセは軽く一声鳴いて、あいさつ代わりに佐藤さんのジーンズへ顔を擦り付ける。佐藤さんはにっこり微笑んで、シラセの背中をそっとなでてやった。シラセは佐藤さんと顔見知りで、人となりもよく知っている。

信頼できる人、というのがシラセの佐藤さん評だった。瑞穂と似たタイプの落ち着いた性格で、声を荒げたりするところを一度として目にしたことがなかった。仕事中も終始冷静で、住民からも信頼されている。どちらかというと「お人好しなタイプ」と言われそうな人柄をしていた。

「新しい豆が入ったばかりなんだ。佐藤くんに出すコーヒー、挽きたてだからね」

「それは楽しみです。今日は来られて良かった」

辺りに仄かなコーヒーの香りが漂う。紫色の豆が挽かれて、鮮やかな色を醸し出している。佐藤さんは瑞穂を、瑞穂は佐藤さんを見ている。互いに見ているだけで、言葉を掛けたりすることはない。お互いにそれで満足しているようだった。

ハルはオーブンで焼いているチーズトーストの具合を見守りつつ、時折瑞穂と佐藤さんの二人に視線を投げかけている。まだここを訪れてひと月も経っていないとは言え、ハルにも瑞穂の人となりは理解できつつあった。それゆえに、瑞穂の佐藤さんに対する姿勢や態度が普段のそれと少し違っていることを敏感に察することができた。

「今日の海はどうかな? 佐藤くん」

「穏やかで、静かですね。変わったところも見当たらない。このまま一日、妙なものが打ち上げられたりしなければいいんですが」

「けどそれだと、佐藤くんの仕事が無くなっちゃうんじゃない?」

「いえ、私たちは暇で仕事がないくらいが一番いいんですよ。平穏無事、ってことですから」

「佐藤くんったら、ホントに真面目なんだから。変わらないね、昔から」

嬉しそうに笑う瑞穂を、ハルが遠巻きに見ていた。

瑞穂さんがいつもより笑っているような気がする、足元へやってきたシラセにハルがそっと囁いた。シラセはハルの言葉に頷いて応じる。ハルの感想は間違っていない、むしろ正しいものだということはシラセも認識していた。笑顔が増えた理由はひとつ、佐藤さんが店を訪れたからだ。言葉は交わさないが、シラセもハルもそれを理解していた。

「お待たせしました」

「ああ、やっぱりこれですね、これ」

ハルがコーヒーとトーストのセットを運ぶ。佐藤さんはテーブルに載せられたそれを嬉しそうに見ている。佐藤さんの様子を、瑞穂が満足げに眺めている。そしてそんな瑞穂の様子を、シラセとハルが見つめている。

「うん。このためにペリドットへ来たんですよ」

「昔っから、これ一筋だもんね。佐藤くんは」

「こだわりがあるって意味だと、上月さんも同じじゃないですか」

「うふふっ。お互い様、だね」

他のテーブルからグラスやお皿を引き上げつつも、ハルは二人の様子が気になってつい目を向けてしまう。何度目かにハルが佐藤さんに視線を投げかけたとき、ふとシャツのポケット辺りにきらりと光るバッジが付けられているのが見えた。

「あれ――」

花を模した文様のそのバッジに、ハルは見覚えがあって。

「案件、管理局……?」

意識しないうちに、そのバッジの意味するところ、つまり佐藤さんが所属する組織の名前を口にしていた。

「ん? ああ、これですね」

「えっと、はい。もしかして、佐藤さんって」

「ええ、そうなんです。僕が働いてるのは、案件管理局なんです」

案件管理局というのは、公的な組織のひとつだ。警察や消防と似た位置付けの組織ではあるけれど、それらが一般的な事件・事故を取り扱うのに対して、案件管理局は「異常な」事件・事故、あるいは人物や物品を取り扱うという点で一線を画している。「何か訳の分からないものを取り扱う組織」というのが世間一般における認識だったし、そのように捉えておけば間違いはない。

「そう。佐藤くんは管理局の局員さんなんだ。支局長さん直々に抜擢されるくらいの、優秀な局員さんだからね」

「東原支局長には、もう頭が上がりませんよ」

普段は交代で勤務しているんだ、佐藤さんはそう付け加えた。今日は非番になったというのは、そういうことらしい。

「せやったんや。日和田にも支局、あったから」

「豊縁だけじゃなくて、各地に支局を展開させていただいてますからね」

「昔旅行に行った深奥にもあったっけ。ホント、全国にあるからね」

「少しでも皆様のお役に立てれば、って、みんな真面目に働いてますよ」

「本当にね。みんな、お疲れさまって言ってあげたいよ」

佐藤さんの顔を見ながら、瑞穂が落ち着いた声で呟く。

「ほら。昔から、榁には不思議なものや変わったことが多いから。だから、案件管理局の仕事も減らない。そうだよね、佐藤くん」

「本当に……他の地域に比べて案件の数が多いと、会議でもよく言われています」

二人の言葉に、ハルもシラセもそれぞれ思い当たる節があった。ハルは数日前に出くわした「ミサキ」のことを思い出していたし、シラセはシラセでマママートのカガミのことを頭に思い浮かべていた。短期間でそれぞれパッと思い浮かぶレベルの違和感を覚える物/者と出くわしたのだから、佐藤さんの「案件の数が多い」という言葉を真実味をもって受け止めることができた。

「何かあったら知らせてください。もちろん僕だけじゃなくて、近隣を見回っている局員でも構いません。すぐに対応させていただきますから」

「もちろん。頼りにしてるよ、佐藤くん」

少しだけ引き締まった調子で言う佐藤さんに、ハルもまた頷いて応じたのだった。

トーストを食べ、コーヒーを飲み終えたところで、佐藤さんがすっと席を立った。

「ごちそうさま、上月さん。また来させてください」

「うん。今日みたいに、またコーヒー飲みに来てね」

代金を支払ってお店から出ていく、つまり別れ際にあっても、瑞穂と佐藤さんの会話は続く。二人ともどこか照れくさそうにしつつ、充実した表情を見せている。共に過ごすことができてよかった、どちらの表情もそう物語っている。

ドアを押して出ていった佐藤さんを見送ってから、ハルが奥で待っていたシラセの元へ戻った。

「行ってもたな、佐藤さん」

佐藤さんの背中を追うように出入り口へ目を向けたままの瑞穂をちらりと見つつ、ハルが屈み込んでシラセにささやく。

「佐藤さんってこう、シャキッとした人って感じとちゃうし、言うたらちょっとあれやけど、お人好しな感じするな」

お人よし、という言い草は若干失礼ではあったが、シラセにしてみれば言いえて妙だと感じる部分も多くあった。柔らかな物腰や仕事に対する真面目な姿勢は、異性を強く惹き付けるようなものではないにしろ、人柄の良さを感じさせるものではある。

「少なくとも、悪い人とはちゃうと思う」

「瑞穂さんの気持ちも、分かる気ぃするわ」

新しいお客さんが扉を開けてやってくる。シラセの耳元でぽつりと零してから、ハルが仕事へ戻る。

ハルの口にした「瑞穂の気持ち」。それは恐らく、自分が薄々察しているものと同じものだろうと――シラセは一人考えるのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。