――翌日。
「金曜日、金曜日っ♪」
「ふふふっ。ともえちゃん、ご機嫌ね」
「うん。明日はお休みだからね」
鼻歌交じりで登校の準備を済ませ、ともえが履きなれた運動靴に履き替える。
「お母さん、今日はお仕事どうかな?」
「大丈夫よ。今日は早めに帰ってこられそうだわ。お父さんも同じみたいね」
「じゃ、みんなで一緒に食べられるね」
「ええ。昨日はともえちゃんにおいしい唐揚げを作ってもらったから、今日はお母さんが頑張っちゃうわ」
ともえは昨日、あさみと隆史のために鶏の唐揚げを作ってあげたようだ。微笑むあさみの様子を見る限り、かなり好評だった様子である。
「うおーっ! こんなに悲しいことがあってたまるかーっ!!」
「お、お父さんの声……お母さん、お父さん、どうしたの?」
「ともえちゃんが作ってくれた唐揚げ、お父さんの朝ごはんに出した分で、無くなっちゃったのよ」
「これでともえの唐揚げが終わりだとぉ……?! 嘘だっ、嘘に決まってやがるーっ!!」
「あ、あはは……き、気に入ってくれて、わたしもうれしいよ……あはは……」
好評を通り越して、中毒症状気味の人もいるようである。
「それじゃあ、行ってきます!」
「ええ、気をつけて行ってらっしゃい!」
あさみの笑顔に見送られ、ともえが扉を開く。
「うおあぁぁぁぁぁっ! 端にまだ皮の欠片があるじゃねーかあああぁーっ!!」
内容はともかくとして、朝からそんなに大声を出せる貴方がうらやましい今日この頃である。
内容はともかくとして(二回目)。
――通学路にて。
「おっ……よう、中原!」
「あ、猛くん! おはよっ」
本日一緒に登校することになったのは、猛のようだった。声をかけてきた猛に会釈をして、歩調を合わせて共に行くことになった。
「おはようさん。あいつはいないみたいだな」
「千尋ちゃん? そうだね。多分、今日は教室に駆け込んで入ってくる日だと思うよ」
「守も大変だよな。あんなのが姉貴なんだからよ」
恐らく、始業数分前くらいに「っしゃーっ! 間に合ったわーっ!!」などと言いながら教室のドアをどかーんと叩きつけ(横に)、涼しい顔をして息を整えながらさりげなく(※本人にとってはさりげなく)座席に着くのだろう。大方想像が付く。
「でも、お姉ちゃんがいるのっていいと思うよ。きっと、話し相手になってくれるだろうし」
「俺は一人っ子だから、その辺りのことがよく分からないんだよな」
猛は地元生まれ地元育ちの長男で、かつ一人っ子だった。猛の実家は、みんとの実家には及ばないまでもなかなかの名家であり、猛は当初からその後継者としての教育を施されているとのことである。つまりは、将来を約束されているというわけだ。
「まあでも、兄弟がいたほうが面白そうってのはあるな」
「……そうだね。琥珀ちゃんとかを見てると、そう思うよ」
「琥珀のお兄ちゃんっ子ぶりはすげえからな。前も一緒に買い物をしてるとこを見たくらいだしよ」
琥珀が兄・晶によく懐いていることは、クラスメートの間ではなかなか有名なことのようだった。
「琥珀ちゃん、体が弱いみたいだし、誰かが一緒にいてあげたほうが、琥珀ちゃんも安心できるんじゃないかな?」
「そうだろうな。あいつ、咳き込んでばっかりだから。入学した時から、ずっとあんな調子だぜ」
琥珀の虚弱体質は、萌葱小学校の入学時から変わらず続いているらしい。災難なことだが、側にいてくれる晶の存在が救いと言えた。
「しかし、弟か……弟がいるのなんて、俺には想像もつかないな」
「意外といいもんだぜ、弟ってのはよ」
「……って、おわっ! い、厳島かよ……」
この場に居合わせるとは、想像もしていなかった様子である。曲がり角からあさひが現れ、猛に声をかけた。あさひと猛は顔見知り同士のようだ。
「あさひちゃん、おはよっ!」
「よっす姉貴っ! 今日も元気そうで、俺も安心だぜ!」
「……なんだ? 中原に厳島、お前ら、一体どういう関係なんだ?」
二人の関係を知らぬ人間にしてみれば、ごく自然に出てくるであろう疑問を口にする猛。状況説明をしたのは、ともえのほうだった。
「友達同士だよ。ちょっと前から、一緒に遊んだりするようになったんだよ」
「それはいいけどよ、厳島の『姉貴』ってのは何だ? 異母姉妹とかなのか?」
「そういうのじゃねえけどよ、あれだ、尊敬の証みたいなもんだ」
「厳島が中原を尊敬? 一体どういう構図なんだか、さっぱり分からねえ……」
猛はあさひの性格をよく知っているようで、却って疑問に感じたようだ。ますます「?」の数を増やしつつ、二人の関係について問いただす。
「お前も分からねえヤツだな。単刀直入に言えば、姉貴は俺の命の恩人なんだよ」
「うーん……あさひちゃんが事故に遭いそうなところを助けたというか、そんな感じかな?」
「そうそう! 姉貴の言うとおりだぜ!」
「マジかよ! 中原、お前お手柄だな!」
ともえの口にした「事故」「助けた」という単語で、猛はピンと来たのだろう。猛の頭の中に、車に引かれかけたあさひを身を挺して救うともえ、という構図が浮かび上がっているのが、容易に想像できる。
「やっぱり中原はしっかりしてるぜ。千尋や手島も、お前くらいしっかりしてればいいんだけどよ」
手島というのは、ともえの友達の麻衣の苗字のことである。
「……そういえば、曽我部くんって、どうして麻衣ちゃんをいじめるんだろうね?」
「曽我部……? なあ姉貴、曽我部って、曽我部準のことか?」
「そうそう。わたしのクラスにいるんだけど、同級生の麻衣ちゃんっていう子のことをからかったりして、何度注意しても止めないんだよ。あさひちゃん、曽我部君のこと知ってるの?」
「ああ、知ってるぜ。二年生の時に同じクラスだったんだ。話したことはなかったから、どういう奴だったかは分からなかったけどな」
あさひと準は、二年生の時に同じクラスに所属していたようだ。
「あいつも懲りねえなあ。手島を泣かせると面倒なことになるぞって、俺も言ってるんだけどよ」
「麻衣ちゃん、曽我部君が近くにいるだけですごく怖がるんだよね。可哀想だよ」
「そういうやつにはよ、一発お見舞いしてやるのが一番効くぜ」
「厳島……お前が言うと、説得力がありすぎて怖ぇよ」
まったくもって、猛の言うとおりである。
三人はそのまま歩き続け、揃って校門をくぐった。
――四年生の教室が並ぶ、三階の廊下にて。
「……中原さん」
「……え?」
振り向くともえの目に、クラスメートの姿が飛び込んできた。一緒に歩いていたあさひも、同時に足を止める。
「関口さん! おはよっ」
「おはよう、中原さん……」
「お前は……確か、姉貴のクラスの学級委員だったか」
隣にいたあさひが声をあげると、みんとはすっとあさひに目を向けた。あさひとみんとが、真正面から見合う形になる。
「……私は、関口みんと。貴方は……?」
「隣のクラスの厳島あさひってんだ。お前のことは、噂話でよく聞いてるぜ」
「……………………」
あさひの返答に対して、みんとは無言で頷いた。
「……私も、貴方のことはよく聞いてる。あくまで、噂話だけれども……」
「へっ、実態を把握してないのは、お互い様ってことか」
片や上級生の男子を余裕でねじ伏せる女子、片や日和田でも指折りの名家の娘。対照的では在れど強烈なカラーを持つ二人が噂話の話題に上ることは、ごく自然なことといえた。
「関口さん、どうしたのかな? たぶん、わたしに用事があるんだと思うけど……」
「……そう。これを、中原さんに返さないと……」
そう言って、みんとが差し出したのは――。
「通学帽……あっ、そういえば……!」
昨日、ともえがみんとにこっそり貸してあげた、黄色い通学帽であった。
「……中原さんのおかげで、とても助かった。昨日は、返しそびれてしまったから……」
「すっかり忘れてたよ~……こう、朝から何か足りない気はしてたんだけど、通学帽だったんだね。ありがとう、関口さん」
「……こちらこそ」
みんとから通学帽を受け取ると、ともえはぽんぽんと軽く形を直してから、すっと頭に被せた。「足りない」感が解消できたようで、うんうんと納得したように頷いている。
「あと……」
「……え?」
「中原さんに、もう一つ話したいことがある」
「話したい……こと?」
帽子だけで用件が済むと思っていたともえが、意外そうな表情をみんとに向けた。みんとはともえに、この件以外でもう一つ話したいことがあるというのである。
「それから……厳島さん。貴方にも」
「……俺に?」
意外なことはまだ続いた。みんとはともえのみならず、あさひにも話したいことがあると言ったのである。あさひは予想だにしていなかった様子で、少しばかり怪訝な顔をみんとに向けた。
「別に構わねえけどよ、一体何の用件だってんだ?」
「……話すには、少しまとまった時間が必要。だから……」
お昼休みに、学校の屋上まで来てもらいたい――それが、みんとからともえとあさひへの要請事項だった。
「わたしとあさひちゃんに、何か話したいことがあるのかな?」
「……そう。必ず、二人一緒に来て欲しい」
「いいよ。お昼休みに、あさひちゃんと一緒に屋上まで行くね」
「じゃあ、俺は姉貴についていくとするぜ」
「……分かった。じゃあ、私はこれで……」
約束を取り付けると、みんとは職員室のある方角に向かって、すたすたと歩いていってしまった。恐らく、またクラスメートから仕事を依頼されているのだろう。立ち去るみんとを見送ったあと、しばらく言葉を交し合う。
「関口さんの話って、何のことかな?」
「何だろうな……俺と姉貴に同時に用事があるって、そうそうあることでもねえしな……」
みんとはともえとあさひの両方を呼び出し、話をしたいことがあるという。だが、ともえとあさひはクラスも異なっているし、同じ委員会などに所属しているということも無い。みんとの意図を、二人ともつかめずにいるようだった。
「でも、関口さんは悪い人じゃないし、大丈夫だと思うよ」
「そうだな。実際に話を聞いてからでも、遅くは無いよな」
「うん。それじゃ、またお昼休みに!」
「おう! 必ず行くぜっ!」
ここでともえとあさひは一旦別れ、それぞれの教室へ向かうことにした。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。