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11-1 ペリドットは今日も

「いらっしゃいませ!」

ハリのある声が店内に響く。お客を出迎えるハルの声だった。今のハルは活力に満ちている。瑞穂から指示を受けることなく、自分の判断で応対ができるようになった。最初は少しばかり浮いていたエプロン姿も、今はもうすっかり板についている。

来店した客を席まで案内するのもお手の物だ。今空席になっているのはどこか、誰がどこによく座るか、そういったことを瞬時に判断して、てきぱきと場所を割り振っていくことができる。それがすべて自然にできているのだから、もはや一人前と言っても差し支えなかろう。ハルが応対から注文取りまですべてこなしてくれるおかげで、瑞穂はキッチンでの仕事に集中することができた。

「瑞穂さん、レッドエスプレッソと、ローストベーコンマトマサンドをひとつ」

「お、美浜さんの『いつもの』だね。了解了解っ」

常連客が毎回注文するものも、少しずつではあるが覚え始めた。それに呼応するかのように、客たちもハルの顔を覚えてきつつある。瑞穂がひとりで切り盛りしていたペリドットに彗星のごとく現れた、静都弁で話す可憐な少女。瑞穂とは正反対のキャラクターが受けて、ハルの様子を見るがてら店を訪れるような客も出てきた。ハルは今や、ペリドットになくてはならない存在になりつつあった。

モーニングセットの食器を片付けたところで、また一人のお客がペリドットを訪れる。水を切ったお皿を流し台に立て掛けて、ハルが入口へ向かった。

「いらっしゃいませ……あっ、ペイズリーおばさん」

丸まった背丈に笑みを浮かべた顔。やってきたのは常連客のひとり、ペイズリーだった。ハルはすぐにペイズリーが普段座っている席が空いていることを確かめると、迷うことなくその座席まで案内する。メニューを渡すと、ペイズリーはほとんど迷うことなくコーヒーのページを開き、以前も注文したイエローコーヒーを指さした。例によって「いつもの」というわけだ。

「イエローコーヒーですね、かしこまりました」

注文を受けて瑞穂の元まで向かおうとしたハルだったけれど、そこでふと何か思い出したようで、ペイズリーの方へ向き直って。

「あの、ペイズリーおばさん。この間、手袋くれてありがとう」

以前ペイズリーからプレゼントしてもらった小さな手袋のことを思い出して、ハルがペイズリーにお礼を言った。礼を言われたペイズリーは普段以上に目を細めて頬を緩めて、こくんこくんと何度も頷いて見せた。相変わらず無口ではあったが、愛嬌は人一倍ある。ちょっと変わった不思議な人やけど、素敵なおばちゃんやな――と、ハルはシラセにそっと囁くのだった。

席に着いたところで、ペイズリーはいつものように編み物を始める。外はカンカン照りの真夏日だが、ペイズリーが編み物に精を出すのは何ら変わらない。瑞穂もシラセも毎年のようにこの光景を見続けていたから、今となっては特段気に掛けるようなこともなかった。前回はハルにプレゼントした小さな手袋を編んでいたが、今日は少し大きなもの、恐らくはセーターを編んでいるように見える。ある程度形が見えていることを考えると、ちょうどセーターが欲しくなる秋の中頃には着られるようになるだろう。そう思うなら、今編み物をしているのはおかしなことでもなんでもないかも知れない。

シラセがペイズリーの様子を見る。ペイズリーはいつも編み物をしているが、編み上げたものを自分で身に着けている様子は見たことがない。あの小さな手袋のように、編み上がったものは他人にプレゼントしているのかも知れない。以前、瑞穂もペイズリーから毛糸の帽子をもらったことがあると言っていた。ペイズリーは誰かに渡すことを目的として編み物をすることでやる気が出るタイプなのだろうか、シラセはそんなことを考える。

「お待たせしました。イエローコーヒーです」

トレイにイエローコーヒーを載せたハルがペイズリーの隣へやってきて、もうもうと湯気を立てるイエローコーヒーをそっとテーブルの上へ置く。ペイズリーが編み物の手を止めてハルとイエローコーヒーを見ると、またにっこり笑って見せる。

「それ、セーター編んでるんです? ええ感じですね」

ふと目に留まったセーターを目にしたハルが、素直な感想を口にする。ペイズリーはそれがとても嬉しかったのか、すこしばかり頬を紅くして、微笑むハルに満面の笑みを浮かべて返したのだった。

コーヒーをすすりながら編み物を続けるペイズリーを遠巻きに見ていると、また別のお客がペリドットの扉を開く。

「あの、こんにちは」

「アルファさん。いらっしゃいませ」

緑の髪に赤い髪留め。ロボットのトライポッド・タイプαだった。ハルが出迎えて、空いていたカウンター席へ案内する。

「ハルさん。先日はありがとうございました」

「コンビニの時以来ですね。今日は一人なんですか?」

「はい。今日は財団の方とミーティングがあると、博士が仰っていました」

今日はトキノミヤ博士もガンマの姿も見当たらない。いるのはアルファただ一人だ。ハルから手渡されたメニューを受け取りつつ、ポーチから取り出したハンカチで額に浮かんだ汗をそっと拭う。彼女の様子を見たハルが、おや、と言わんばかりの顔をしてアルファに訊ねる。

「アルファさん、ちょっと失礼かもしれませんけど、ロボットやのに汗かくんです?」

「そうなんです。これも、博士が私を『人間らしく』するために付けた機能だと聞きました。頭部プロセッシングユニットの放熱のためですから、ハルさんのような人間の方と目的も同じなんです」

「そっか、汗で体を冷やして熱中症にならんようにするためなんや」

「はい。わたしやガンマの場合は、熱中症というより熱暴走を防ぐため、って言った方がいいかも知れませんね」

内容はさておき、アルファの話しぶりは実に流暢で、いわゆる「ロボットらしさ」のようなものは毛ほども感じられない。頭部の真赤な髪留めをちょいちょいと弄りながら、アルファがメニューを眺める。

「すみません。こちらのアップルソーダをひとつ」

「クリアソーダじゃなくて、アップルソーダでよろしいですか」

「はい。お願いします」

アルファは前回のクリアソーダではなく、隣にあったアップルソーダをオーダーした。ハルが瑞穂に注文を通すと、瑞穂はささっとアップルソーダを作ってハルへ手渡した。できあがったばかりのそれを、ハルがアルファの座るカウンター席へそっと置く。

「好きだね、アルファさん」

「これを飲んでること、博士には秘密にしておいてくださいね」

瑞穂がアルファに声を掛けると、アルファは「博士には内緒にしておいてほしい」と口元に手を当てながら言った。ストローに口をつけて、アルファが体内にアップルソーダを流し込む。それから五分の一ほどカサが減った程度のところで、ちょっとした異変が起きて。

「――ぷはっ」

ストローから口を離したアルファが、そのままへなへなとへたり込んでカウンターに突っ伏したではないか。隣に居たハルが慌てて駆け寄り、ぐったりしているアルファに呼び掛ける。

「体が……じんじんするぅ~……」

「えっ、ちょっ、ちょっとアルファさん、どないしたんです? いけます?」

「はうぅ……ごめんなさい、ハルさん。わたしは大丈夫ですぅ……」

「いや、でも」

「平気だよ、ハル。アルファさんね、アップルソーダを飲むとこうなっちゃうんだ」

「えぇ……?」

「アルファさんの身体はね、甘いものや酸っぱいものが入ってくると、処理するのに時間がかかっちゃうんだって。しばらくすれば治るから、待ってれば大丈夫だよ」

甘味や酸味は情報量が多く、アルファのボディでは処理――すなわち消化に時間とエネルギーを必要とするらしい。トキノミヤと共にいるときに頼んだクリアソーダは、炭酸を加えただけの純粋な水だった。ゆえに甘味も酸味もなく、アルファも速やかに処理することができた。トキノミヤの補佐役として隣にいる手前、一時的とはいえ機能停止してしまうのはよくないという判断ゆえのオーダーだろう。

「でも、この味がどうしても忘れられなくて……」

「お仕事せんでええ時は、こないして飲みにくるっちゅうわけやな」

今日は非番ゆえ、こうして自分が本当に飲みたいと思っていたアップルソーダを飲みに来た、というわけだ。

「それに、このじんじんする感覚、ちょっと癖になっちゃって……」

「うーん……うち、それはどうかと思うけど、まあアルファさんがそない言うんやったら」

処理要求が増して負荷が掛かっている状態に、アルファは少し変わった気持ちよさを見出していたのだった。

ちょっと飲んでは突っ伏し、少し飲んではじんじんし、を繰り返しながら、どうにかアルファがアップルソーダを飲み終える。アルファが何かものごとを一つやり切った表情でへなへなになっていた頃、次の客がペリドットへやってきて。

「こんにちは」

「いらっしゃいませ!」

花子だ、とシラセは姿を見るなり気付く。ハルが壁際のテーブルへ案内すると、花子がその後ろをついていく。花子が席に着いたところで、いつも通りメニューを手渡す……かと思いきや。

「花子ちゃん、いつものでいいですか」

「うん。いつもので」

ハルから「いつもの」でいいか、と訊ねられて、花子が微笑んで「いつもので」と返した。花子が普段何を頼んでいたか、ハルはしっかり記憶していた。花子はハルが自分の好みを覚えていてくれたのが嬉しかったようで、珍しく笑った顔を見せている。

瑞穂が素早く仕上げたソーダフロートを、ハルが花子の元まで運ぶ。花子は以前来店したときとまた同じように、ペリドットの本棚に入っている分厚い古生物の本を熱心に読んでいた。

「古生物の本、好きなんやな」

ソーダフロートをテーブルにそうっと置きながら、さりげなく花子に話しかける。花子が顔を上げてハルを見やると、ハルはにっと笑顔を返して見せた。ハルから見て花子は二回りほど年下の妹分に見える。日和田のジムで年下の子供たちと接する機会が多くあったハルにとっては、同年代の子よりも話しかけやすいところがあったらしい。花子もハルに話しかけられたことを快く思っているようで、大きく頷いて返した。

「ハルさん、ペリドットには慣れましたか」

「見ての通り、やっと半人前ってところや。せやけど瑞穂さん優しいから、うちに色々やらしてくれて」

「よかったです。実は私、ハルさんのこと、こっそり応援してました」

「嬉しいこと言うてくれるやん。こっそりじゃなくて、派手に応援してくれてもええんやで」

冗談めかして言うハルに、花子がぷっと吹き出して笑った。ハル本来のノリの良さが出ている、会話を聞きながら、シラセがそんな感想を抱く。

「お世辞じゃないですけど、ハルさんがペリドットに来てから、少しにぎやかになったと思います」

「せやろか。それでお店が明るなったんやったら、うちも嬉しいねんけど」

「間違いないです。だって、瑞穂さんも楽しそうにしてますから」

ハルが瑞穂に目を向けると、瑞穂がひらひらと手を振って「そうだよ」とでも言いたげな顔をして見せた。ノリの良さでは、瑞穂もハルに少しも負けていない。花子と話すハルの様子をカウンター越しに見守っている。

花子のソーダフロートを持っていった時点で、いったんすべてのオーダーを消化した。新しいお客がやってくる気配もない。ハルが花子の正面の席へ腰かけて、花子と対面する形を取る。

「この間瑞穂さんから聞いたけど、花子ちゃんって博物館で働いてるんやって?」

「はい。鈴木さんの海洋古生物博物館で、お手伝いをさせてもらってます」

「せやせや、海洋古生物博物館。確か、オムナイトとかプロトーガとかの、古代のポケモンの展示もしとるって聞いたわ」

榁の隅には、鈴木さんという男性が運営する小さな博物館がある。ここでは海洋に生息していた古生物について、ポケモンを中心に展示を行っている。花子はここでガイドをして鈴木さんの手伝いをしているという。

「鈴木さんと一緒に働いているうちに、私も古生物が好きになりました」

「そうなんや。花子ちゃんが思う古生物のええところって、どんなとこやろ?」

「なんて言えばいいんでしょう、どこか――懐かしさを感じられるから。私はそう思ってます」

「懐かしさ、か」

「種族としてはもう滅びてしまいましたけれど、その子孫は今も生きている。そこに、ちょっとロマンを感じるんです」

年下に見える少女とは思えない回答。ハルはそれを訝しがることなく、ふんふんとしきりに頷きながら、興味深げに耳を傾けていた。子供ながらどこか不思議な雰囲気を醸し出す花子を、ハルは気に入ったようだった。

「こないしてペリドットへ来てくれたんやし、今度はうちが博物館に遊びに行くわ」

「ぜひ来てください。その時は、私が案内させてもらいますから」

今度は自分が海洋古生物博物館へ遊びに行く。そう約束したハルの手を取って、花子がぜひ来てほしい、と嬉しそうに言ったのだった。

それからまたしばらく間をおいてから、また新しい客がペリドットの扉を開いた。ハルが席を立って入口へ向かうと、そこにはまた常連客の顔があって。

「いらっしゃ……あっ、佐藤さん」

「やあ、ハルちゃん。元気にしてたかい?」

姿を現したのは、案件管理局の佐藤さんだった。今日は横縞のシャツを着ている。柄がパッとしないのは相変わらずだけれど、それが佐藤さんらしいところでもあった。

「ありゃま、佐藤くん。いらっしゃい」

「今日もまた来ちゃいました。上月さんもお変わり無さそうで、何よりです」

「私は元気だよ。佐藤くんは遅めの朝ごはんってところ?」

「昨日は夜更かししちゃいまして。存分に寝させてもらいましたよ」

ハルに案内されてカウンター席に着くと、メニューを開くこともなくハルに「いつものを」とオーダーする。パープルコーヒーとチーズトーストだな、とハルはすぐさま察して、かしこまりました、と返礼してから瑞穂へ伝票を持っていく。

「注文、パープルコーヒーとチーズトーストです」

「いつものやつ、だね。佐藤くんはこのセットに思い入れがあるみたいだから」

「単に僕が好きなだけですよ」

瑞穂は佐藤さんと会話しつつ手を止めることはなく、注文された品をテキパキと作っていく。パープルコーヒーを淹れている間に食パンを取り出し、食べやすいように深く切れ目を入れてからチーズをまぶしていく。トーストが焼きあがるまでに鮮やかな紫色を醸し出すコーヒーをカップへ注ぎ、両方をほぼ同時に仕上げてしまう。ハルがそれらをトレイに載せて、佐藤さんの元まで運ぶ。

出来立て熱々のトーストをかじり、パープルコーヒーの入ったカップを時折口元へ持っていく。瑞穂は綺麗に洗ったグラスの水気を拭いながら、それとなく佐藤さんに話しかける。

「佐藤くんのお仕事、忙しいみたいだね」

「ええ、中も外も面倒なことが多くって。手続きが複雑なのは、いつまで経っても慣れませんよ」

「同じこと、お父さんも言ってたよ。家ではあんまりお仕事の話はしなかったから、よく覚えてるね」

「手続きに時間を取られるのを嫌がってましたから。かと言って、疎かにすることもなかったのが部長らしいですけれど」

「うん、お父さんらしいや。佐藤くんが仕事熱心でお父さんも喜んでくれてると思うけど、無理はしないでね」

「大丈夫ですよ。こう見えて、僕は結構抜けてますから」

佐藤さんと話をする瑞穂は、やはりいつもよりずっと楽しそうに見える。案件管理局に勤めていた父の面影を重ねているのだろうか、シラセはそのように考える。けれどその横で話に耳を傾けていたハルは、もっと直球の考えを抱いていて。

二人が話に夢中になっている隙を見つけて、ハルがさっと屈み込んでシラセに耳打ちする。

「……なあシラセ。瑞穂さんと佐藤さん、好き同士とちゃうん?」

好き同士――そのハルの言葉に、シラセは思わずドキリとしてしまう。内心はそうではないか、つまり瑞穂と佐藤さんは両想いではないかという考えを抱いていたことは否定しないが、こうして面と向かってしっかり言葉にされるとやはり少々心臓によろしくない。色恋沙汰には疎いシラセだったが、さすがにここまで直球で来られると知らないふりをすることもできない。曖昧に頷いて、ハルの言葉に肯定の意を返す。

沙絵も「お姉ちゃんが誰かと結婚したいって言ったら、それを祝福してあげたい」というようなことを口にしていた。思慮深い沙絵のことだ、瑞穂が佐藤さんのことを好いていることくらいとっくにお見通しなのだろう。何せ、榁へ来てひと月が経つか経たないかというハルがその関係性をズバリ言い当てているのだから。お姉ちゃんには幸せになってもらいたいという沙絵の言葉は、瑞穂に早く佐藤さんと結ばれてほしいという意味に受け取っても差し支えなかった。

「見え見えやけど……うちから瑞穂さんとか佐藤さんに言うんも、なんかおかしいし」

相手の気持ちをしっかり分かっていながら、はっきり口に出すことはしない。瑞穂も、沙絵も、そしてハルも、この点は一致していた。瑞穂は沙絵とハルに、沙絵は瑞穂とハルに、ハルは沙絵と瑞穂に、ネガティブではないにしろ思う処があって、けれどそれをハッキリ口にすることができずにいる。それは自分の意見を押し付けないという点で美点であったけれど、それゆえ互いに少し距離があるのもまた事実で。

悪い言い方をするなら、自分の気持ちに蓋をしている。そのように捉えることもできると、各々から話を聞いているシラセは感じていた。

そうこうしている内にお昼を回って、客足が少しばかり途絶える。がらんとした店内で、瑞穂がすばやく二人分のマトマパスタを作り上げる。さっとお皿に盛ると、ハルと二人で昼食をとった。

「今日も朝からようさんお客さん来たな」

「ホントにね。でも、みんな元気そうで何よりだよ」

「瑞穂さんに会いたくて来てる人、結構おるんとちゃうんかな」

「最近はハルが目当てのお客さんも増えたよ。制服もよく似合ってるし。ペリドットのアイドル、ってところかな」

「アイドルって、うちそういうキャラとちゃうし」

マトマパスタをフォークでくるんと巻いて食べながら、ハルが苦笑いを浮かべる。

「夏休み、もうすぐ終わりだね」

「せやな。あと一週間かそこらや。うちもどないするか決めやなあかんな」

ハルは十一歳。ポケモントレーナーにはならなかったので、夏休みが終われば学業へ戻らなければならない。それはいいのだが、どこへ「戻る」かが課題だった。

それは即ち、日和田へ帰るのか、榁に住むのか。それを決める必要があることを意味していた。

「ハルの好きなように決めたらいいよ。ハルの決めたことなら、私も沙絵も応援するから」

「瑞穂さん」

「だって、ハルは……」

瑞穂は何か言い掛けたけれど、そこで言葉を引っ込めてしまう。ハルは瑞穂の様子を見ながら、瑞穂が何を言おうとしたのかを追及することはしなかった。

きっと瑞穂は「ハルは私たちの妹だから」、そのように言おうとしたに違いなかった。けれどハルの気持ちを考えすぎて、妹という言葉を口に出せずにいる。言葉にして気持ちを伝えることの難しさよ。瑞穂もハルも互いの心情を理解し共感しているというのに、はっきりと言葉という形にできずにいる。それを引きずり続けて、もう一か月が経とうとしている。

夏の終わりは、もうすぐ側にまで迫ってきている。

「……何でもないよ。さあ、お昼食べ終わったら、仕事に戻らなきゃね」

結局瑞穂はそれ以上言葉を紡ぐことができずに、話を打ち切ってしまった。ハルは無言のまま頷いて、空になったお皿を重ねて流しまで持っていく。

「――こんにちはっ」

ペリドットを新しいお客が訪れてきたのは、その時だった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。