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11-2 コトダマ

「よっちゃん! いらっしゃい」

「こんにちは、マスターさん」

シラセがすぐさま顔を上げる。やってきたのはよっちゃん――もとい、頼子だった。ペリドットをたまり場にしている学生の一人で、普段は他に二人か三人ほど別の友人を伴って訪れることが多い。以前は環を伴って店を訪れていた。けれど、今日に限っては一人での来店の様子。食器を片付けたハルが頼子の元まで向かい、海が見える窓際の席まで案内する。他にお客がいない時に優先的に案内するペリドットでもっともいい景色が拝める席であると同時に、店内にお客がいることをアピールできる、ペリドットにとっても都合のいい席でもあった。

頼子がシラセの傍へ寄って、シラセちゃんもこんにちは、と軽く挨拶してから、ふさふさの体毛をそっと撫でてきた。撫でられたシラセは心地よかったようで、くすぐったそうに目を細める。元気のいいヒロや忍の手つきとは違う、ふんわりした柔らかな撫で方だった。

「ハニーレモンソーダとカラフルタルト、一つずつください」

「かしこまりました。少々お待ちください」

オーダーを受けたハルが伝票にさっと品物の名を書き付けてから、瑞穂の元まで持っていく。瑞穂はすぐさま準備を始めた。しばらくもしないうちに出来上がることだろう。

足音を立てることなくゆったり歩いて、シラセが頼子のすぐ近くまで近寄る。学校指定のカバンに加えて、ラケットなどが入っていると思しきテニスバッグが床に置かれている。部活終わりにちょっと寄り道、といったところだろうか。肌がよく日に焼けているのが分かる。テーブルに頬杖をついてため息をつく姿を見るに、何やら少々浮かないことがあったようだ。

「今日のよっちゃんは、友達とは一緒じゃないのかな」

「うん。ちょっと、一人になりたいなって思って」

「その様子だと、また弘ちゃんと環ちゃんがやりあっちゃったみたいだね」

ハニーレモンソーダを作る手を休めることなく、瑞穂が厨房から頼子に話し掛ける。マスターさんには全部お見通しなんだなぁ、と頼子がため息交じりに呟いて、ぐーっと体を大きく伸ばす。

「昔は一緒に遊んでたのに、今は顔を合わせるたびにケンカして……環ちゃんがいる時の弘美ちゃん、すぐトゲトゲしちゃうんだもん」

「大方、環ちゃんの悪口を言う弘ちゃんと一緒にいるのが辛くて、用事があるって言って抜けてきた。そんなところかな」

「ええっ!? そこまで分かっちゃうの?」

「よっちゃんの顔を見てたらね。環ちゃんも弘ちゃんもよく遊びに来てくれて、私もどっちもいい子だって知ってるから、よっちゃんの気持ちは分かるよ」

頼子には、環と弘美という二人の友人がいる。環は近隣の催事を取り仕切る星宮神社の娘で、剣道部に所属している。一方の弘美は商店街で電器店を営む一家の娘で、こちらは陸上部員だ。ここへさらに希という子も入れて、以前は仲良し幼馴染四人組だったのだけれど、もうかれこれ五年ほど、環と弘美の関係がよろしくない。ことあるごとに環に対して弘美が突っかかっていって、頼子が仲裁に入るということを繰り返している。

……というような話を、シラセは頼子が瑞穂に話しているところを幾度か聞いたことがあった。頼子が独りでペリドットを訪れる時は、だいたい友人関係に疲れた時と相場は決まっていた。瑞穂の洞察力は素晴らしいものがあることは認めるが、さすがにシラセだってそれくらいは察しがついた。

「ペリドットに来て好きなものを食べるか、星宮神社の鐘をついてお参りするか、だよね。よっちゃん」

「えっ、なんで星宮神社に行ってること知ってるの!?」

「この間毬ちゃんが遊びに来て、よっちゃんが時々来て鐘を鳴らしてるって話してたよ。お姉ちゃんにはナイショにしててって言っておいたから、安心して」

「そういう問題じゃないよー……」

からからと笑う瑞穂の様子を見て、頼子はテーブルの上にへなへなと突っ伏したのだった。

ハルが運んできたハニーレモンソーダとカラフルタルトをそれぞれ半分ほど口にしたところで、頼子がカバンからスマートフォンを取り出した。慣れた様子で数回タッチとスワイプを繰り返すと、ディスプレイを見つめたまま動かなくなる。コーヒー豆を挽いていた瑞穂が手を止めて頼子を見やり、ハルは何やら思いつめた様子の頼子を見て不思議そうに首をかしげる。

「あれからもう、一年になっちゃうんだね」

「うん……そろそろ区切りを付けなきゃって思ってるけど、でも、どうしても見ちゃって」

頼子がスマートフォンをテーブルの上へ置く。ハルの目に飛び込んできたのは、見覚えのある一体のポケモンの姿だった。

「画面に映ってるん、ポリゴン……?」

「そうだよ。一年前に動かなくなって、電子霊園サービスに送ったんだ」

「電子霊園? な、なんなんそれ」

「ポリゴンを作った会社がやってる、インターネットでいつでも行けるお墓みたいなものだよ。亡くなったポリゴンを受け取って、生前の姿を見たりできる。そうだよね?」

「うん。羽山くんが言ってたよ、開発者の人が提案して始まったサービスだ、って」

ポリゴンは人工的に作られたポケモンだと、シラセは耳にしたことがあった。人の手で作られたポケモンと言えど、寿命には抗うことができないらしい。そういう意味では、かえって生き物らしいとさえ感じる。

「アニモ、私と一緒にいて楽しかったのかなって、そんなこと考えちゃって」

「楽しくなかったら、寿命が尽きるまでよっちゃんの側にいたりしないよ。ポケモンって自由な生き物だから、居たい人の側に居るものだしね」

「そうかな。そうだったら、私も嬉しいな」

頼子とアニモ――ポリゴンの名前らしい――はかなり長い付き合いだったようで、アニモを亡くした時の頼子の落ち込みぶりは相当なものだった。一年前の出来事であるから、シラセもよく覚えている。アニモそのものとは顔を合わせたことがなく、どのような気質のポケモンかを知る術は無かったけれど、頼子の様子を見ているだけで、二人が強い絆で結ばれていただろうことは容易に想像ができた。

グラスに入ったハニーレモンソーダを飲み乾してから、頼子が瑞穂に顔を向ける。

「マスターさん」

「どうかした?」

「昔、おばあちゃんが言ってたことなんだけど」

瑞穂がグラスを磨く手を止めて、頼子の目をじっと見つめる。

「森羅万象、すべてのものに魂が宿ってる。おばあちゃんは、私にそう教えてくれたんだ」

「分かる、って言ったらちょっと軽くなっちゃうけど、でもやっぱり分かるよ。魂の宿ってないものなんかないって」

「うん。それでね、こうも言ってたんだ。私やマスターさん、他のみんなが発する言葉ひとつひとつにも、魂が宿ってるよって」

「言葉にも……?」

言葉。瑞穂が強く反応する。隣に居たハルも呼応するかのようにテーブルを拭く手を止めて、頼子に視線を集中させる。

「今日もまた、悪い言葉が本当になるのを見たんだ。誰かにこのことを打ち明けたくって、それで、ペリドットに来て」

そうだったんだね、と瑞穂が返す。けれどどこか気もそぞろで、頼子が発した言葉をうまく処理できずにいるようで。

「でも、いい言葉だって本当になる。私は、そう思ってるよ」

「伝えたいことや言いたいことは、本当はしっかり言葉にした方がいいんだよね」

「相手にしてほしいこととか、逆に、してほしくないこととか」

「ちゃんと言葉にしないと伝わらないんだって、分かってるのに、うまく言えないのが歯がゆくて」

頼子は瑞穂とハルが自分をまじまじと見つめていることに気づかないまま、心に浮かんだ言葉を次々に口にしていって、そして。

「好きだよ、とか、一緒に居てくれてありがとう、とか」

「思ってるだけじゃ、きっと気持ちは伝わらないから」

言葉にしないと気持ちが伝わらない。言葉にすることで、相手に気持ちが伝わる。

頼子は、確かにそう口にした。

「……よっちゃん」

「ごめんね、マスターさん。なんかちょっと、言葉に出して確かめたくなったから。気にしないでね」

最後に残っていたカラフルタルトの一切れを口へ放り込むと、頼子がもぐもぐと咀嚼しながら外の風景を見つめる。

そんな頼子のことを、瑞穂は片時も目を離すことなく見つめていて。ハルもまったく同じように、頼子に目が釘づけになっている。

(二人の様子が……変わった)

シラセは唯一人、瑞穂とハルの二人に訪れた変化をつぶさに感じ取っていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。