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11-3 妹

六時を過ぎた。最後まで残っていたお客が退店し、ペリドットには瑞穂とハル、そしてシラセだけが残される。

入口に「CLOSED」の札を掛けた瑞穂が、テーブル席に座るハルを瞳の中へ映し出す。掃除を終えたばかりのハルが席に着くと、瑞穂はカウンターから湯気を立てるカップを二つ持ってきてテーブルの上へ置き、ハルの対面の座席に座る。ハルと瑞穂、二人が正面から向かい合う形になった。

「ハル、お疲れさま。はいこれ、エネココア」

「ありがとう」

出来上がったばかりのエネココアが注がれたグラスをハルへ差し向けて、口にするよう薦める。ハルが熱いエネココアを少し冷ましてから軽く啜り、はぁ、と小さく息をつく。こくりと頷く様子が見える。

「うん……おいしいわ、瑞穂さん。甘い味がはっきり出てて、心がスッとする感じや」

「気に入ってくれたみたいだね、良かったよ」

自分自身もエネココアを一口飲んでから、瑞穂がサッと佇まいを改めて身を乗り出す。

「今日もありがとう、ハル。おかげで今日も一日、お客さんたちに楽しい時間を過ごせてもらえたよ」

「瑞穂さんのお手伝いができたんやったら、うちも嬉しいわ」

「もうペリドットに欠かせない存在になっちゃったよ、ハルちゃんは」

ハルが店員になったことでペリドットの雰囲気が変わったのは、シラセも認めるところだった。瑞穂が注文を取りにキッチンから出る必要がなくなり、カウンターで余裕をもって仕事ができるようになった。元来快活なハルの性質がペリドットに活気を与えて、心なしかお店の中が以前よりも明るくなったようにも思える。気の持ちようという考え方もあるけれど、一つ確かなことがある。ハルはペリドットにプラスの変化をもたらした、ということだ。

ペリドット、そして瑞穂がハルによって変化したように、ハルもまたペリドットと瑞穂によって変化していて。

「ここへ来て、最初は分からんことだらけで戸惑ったけど、お客さんは皆ええ人ばっかりやったし、瑞穂さんもなんでも教えてくれた。そのおかげで、うちもやっとちゃんと注文取れるようになった」

自分を見守る温かなまなざし。その存在に気付いたハルは少しずつ成長を重ねて、自分の殻を破っていき、今やペリドットになくてはならない存在にまでなっている。自分が成長したことと、自分を見守ってくれていた人々がいること。ハルはどちらも明確に認識していた。

「ええ場所やな、ペリドットって。見たことないのに懐かしい気持ちになれて、変わってるけどおいしいもん出てきて、風変わりやのに優しい人がいっぱいおる」

「ずっと居りたくなる、不思議な場所や。いろんなお客さんがひっきりなしに来るんも、分かる気ぃする」

「これも、瑞穂さんのおかげなんやなって。ほんまうち、心からそない思う」

エネココアを二口ほど飲んだハルが少しばかり間を置いてから、意を決したようにぐっと顔を上げて、前に座る瑞穂をしっかり見据える。

「瑞穂さん――ありがとう」

「照れてたんか、躊躇ってたんか、今まではっきり言われへんかったけど」

「さっきの、頼子さんいうお客さんの話横で聞いとって、ちゃんと言わな気持ちは伝わらへんのやって、やっと気づいて」

「うち、瑞穂さんに感謝してる。めっちゃ感謝してる。感謝してるとしか言われへんけど、ほんまに感謝しとる」

「榁へ来て、それからどないしたらええんか分からんかったうちを、ペリドットに居らせてくれたから」

ありがとう、とハルは瑞穂に言った。

まっすぐで一点の曇りもない、ただ心からの感謝の言葉。瑞穂のおかげで、ハルは榁に来たこと、榁にいることの意義を見出せた。今までも感謝していたけれど、その気持ちをはっきりと示したくて、言葉にして瑞穂に伝えた。店を訪れた頼子の言葉がハルを動かしたのだ。

瑞穂がハルの顔をまじまじと見つめる。何もかも受け入れた穏やかな顔をした瑞穂が、ゆっくりと口を開く。

「もう、言っちゃっていいかな」

少しだけ目を閉じてから、ハルをもう一度、もう一度正面から見据えて。

「私、そろそろハルと姉妹になりたいな」

ハルと姉妹になりたい。

瑞穂は、確かにそう口にした。

「私もはっきり言おうって、さっき頼子ちゃんと話してて思ったから」

「もちろん、無理にベタベタはしなくていいよ。ハルはハル、私は私で、どこまで行っても自分は自分だからね」

「でも、それはそれとして、そろそろ『姉と妹』って関係になりたいな。きっと、その方が自然だと思う」

「ハルちゃんのお姉ちゃんになれたらいいなって、私も沙絵も思ってるから」

エネココアを一口飲んで、気持ちを落ち着けてからハルに語り掛ける。

「別にね、私と沙絵がお姉ちゃんだから、ハルは言うこと聞きなさいとか、そういうのじゃないよ。そういうのじゃない」

「私と沙絵とハルがいて、それぞれの関係を説明するために、お姉ちゃんとか妹って言葉を使ってるだけ」

「ただ、なんて言えばいいのかな」

「ハルが何か困ったり迷ったり、苦しかったりしたとき、一人じゃないよ、お姉ちゃんがいるんだよって思ってもらえたら」

「私も沙絵も、ハルのお姉ちゃんで、ハルが妹でよかった。そう感じることができるから」

ハルが瑞穂の目をじっと見つめる。彼女の目に戸惑いの色はなく、瑞穂の言葉を自然なものとして受け止めていて。

瑞穂の言葉を受け入れた。その様子がはっきりと見て取れる。

「さあ、そろそろ沙絵が帰ってくるから」

「いっしょに、家に帰ろっか」

立ち上がる瑞穂を見て、ハルもまたすっと立ち上がるのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。