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Stage 1-3

木曜日の教室で、俺は大きなため息をついていた。

昨日は寝付きが悪かった。はっきり意味の分かる悪夢を見たせいかも知れない。今まで悪い夢なんてロクに見なかったっていうのに、一体どうしちまったっていうんだ。

(これも、佳織がいなくなったせいなのか)

夢には佳織が出てきた。夢の中の佳織は俺に背を向けたまま、決してこちらを振り返ろうとしなかった。何度呼びかけても、声を張り上げても、佳織がこちらに目を向けることはなかった。まるで俺のことなんて忘れてしまったみたいに、ただ背中を向け続けるばかりだった。

俺から佳織が遠ざかっていく――そんなメッセージを突きつけられていたみたいで、目覚めは今まで生きてきた中でも間違いなく最悪だった。

今日はまだ誰も話せるやつが来ていない。誰かと話をして、悪夢を見た胸のむかつきを少しでも紛らわしたかった。船をこぎながら時間がつぶれるに任せていると、隣に誰かが立ったのが見えた。気だるさを感じながら目を向ける。

「あの……大木くん」

「杉本じゃん……どうかしたのか?」

立っていたのはクラスメートの女子、杉本だった。俺は杉本のおどおどした雰囲気が苦手で、少なくとも俺の方から話しかけることはまず無かった。クラスメート同士だって言っても、絡みの少ないもの同士が話す機会なんてまず無い。人間関係なんてそんなもんだ。だから杉本と俺の接点はほとんど無かったと言っていい。

ほとんど――と言ったのは、まったく、ではなかったからで。

「佳織ちゃん……今日も、来てないかな」

「……見ての通りだって。俺も気にしてるけど、分かんねえんだ」

「そっか……分かった、ありがとう」

杉本は、佳織の幼なじみの一人だった。

中学に入る前から仲がよかったみたいで、教室にいるときはいつも一緒にいた。自分のペースを守って動く佳織とは違って、周りに流されやすいタイプだった。自分でなんでも決められる佳織とは、ある意味相性が良かったのかも知れない。

結局今日も佳織は姿を見せずに、何の中身もない一日が終わってしまって。

(どこに行っちまったんだ、佳織)

放課後までずっと、学校にいるはずのない佳織の姿を探して、

 

明けて翌日、金曜日。

明日は土曜日で半日授業、明後日は日曜日で休みだってこともあるせいか、どこか浮かれた空気に包まれている。俺のように部活のある連中を除けば、の話だが。

「佳織来てないなー、今日も」

「もう金曜だし、これでもう丸々一週間? どうしちゃったんだろうね」

杉本の話ぶり、それに女子たちの会話を聞けば分かる通り、佳織はポケモン部に来てないだけじゃなくて、学校そのものに来ていなかった。空いてる席を見れば明らかだ。家にいるのか、どこかへ行ってしまったのかも分からない。俺や杉本が姿すら見てないわけだから、それより佳織との絡みが薄い他のクラスメートが何か知ってるわけもなかった。

「これからどうすんだろうね、佳織。あんなこと起きちゃったら、もうおしまいだよね。おしまい」

「まだ決まったわけじゃないけど、でも学校休んじゃってるってことは、やっぱり……そういうことだよね」

「そんなのさ、どうだっていいじゃん。どうだって。うちらには関係ないことじゃん」

「あ……、ごめん、早紀ちゃん……」

「分かった分かった、深雪さ、この話もうやめよ? 話してもどうしようもないし、佳織のことなんてさ」

「そうだね、あっちゃん。どうしようもないよ、もう。あんな風に書かれちゃったらさ」

佳織が登校していないことはクラスでも話題になっていた。そこかしこでそのことを話してるのが聞こえる。ポケモン部で一緒のやつ同士、運動部同士、頭のいいやつ同士――お互い交わることはなくても、同じ話題で語っている。

心の中に微かに苛立ちの気持ちが起こる。俺と他の連中では、佳織との距離が違うはずだ。俺は佳織に近くて、あいつらは近くない。俺はそう思っていた。けれど、今の状況はどうだ。佳織のことを何一つ知らないっていう意味では、俺とあいつらの佳織との距離はまったく同じだ。

今、あいつらは佳織のことを知らない。そして俺も佳織のことを知らない。あいつらと佳織の距離が同じだってことが、この上なく自分をイラつかせてきて、わけもなく不安な気持ちにさせてくる。佳織は俺のすぐ近くにいたはずじゃなかったのか。それがなんで、俺に何も言わずにポケモン部を辞めるなんてことをしたんだ。

(……今日も来ねえのかな、佳織)

ただ一人その答えを知っているはずの佳織は、今日もまだ、姿を見せていない。

「なあ康一。佳織って、もう戻って来ないんだよな?」

「知らねえよ。こっちが聞きてえくらいだ」

放課後を迎えて、俺は啓太と二人でどうってことのない会話を交わしていた。出てくるのはやっぱり佳織のことばかりで、啓太も佳織が急に退部したことに少なからず驚いているようだった。

ただ、俺とは少しポジションというか、立場が違って。

「戻って来ないでくれりゃ、俺がレギュラーのままでいられるんだよな」

佳織が抜けたことでレギュラーの枠が一つ空いて、補欠のトップで燻っていた啓太が繰り上がりでレギュラー入りした。ついこの間の月曜日のことだ。啓太にしてみれば佳織がいなくなってくれたおかげでレギュラーになれたわけで、佳織に戻って来られるといろいろ困るってことだろう。

啓太の気持ちも分からないってことはない。啓太もそれなりにやれる程度の強さはあったが、佳織や俺には及ばなかった。このまま大会に出られないまま終わるかも知れない、そう思ってたところに佳織の退部話が不意に出てきて、運良くレギュラー入りができた。だから、全部が全部理解できないことはない。

けど、俺にしてみれば佳織がポケモン部に戻ってきてくれることが一番良かった。だから啓太の言葉においそれと同意することはできない。啓太とは友達だったから、面と向かって「そういうこと言うな」とも言えなかったのが、歯がゆいって言えば歯がゆかった。

「佳織が空いた穴は、俺が埋めてやるんだ。俺もやれるってことを見せてやるさ」

レギュラーに入れられてから、啓太はことあるごとにこう言っている。やる気あるんだな、そう感じる。

ただ――佳織がいなくなったポケモン部がどうなるのか、俺には想像が付かなかった。俺や佳織が入部する前のポケモン部はまるっきり平凡で、地区大会の準々決勝くらいまで行って負けるのが一番よくあるパターンだった。激変したのは佳織が入ってからで、全国へ何回も進むくらいの強豪にのし上がった。

優勝に手が届かなかったのは、全国大会じゃ一番手から五番手が場に出て、一番手なら一番手同士、二番手なら二番手同士……って具合で順番に戦って、勝ち星の数で勝敗を決めるってルールを採用してたからだ。いくら佳織が無敵の強さを誇っていて負け知らずでも、残り四人が三敗すれば負ける。これだけはルールの都合で、どうしようもなかった。

「そういやさ、マネージャーどこ行ったんだ? 昨日も見かけなかったけど」

「またどっかほっつき歩いてんじゃないか。それこそ佳織に頼りきりだったわけだし」

「どこ探したって出てこねえのにな。どうせ赤塚もくっついてんだろ」

「心配性だからさ、赤塚は。他のやつの心配なんてしたって、どうしようもないのにさ」

「あいつ、今週コート押さえてなかったんだよな。確かテニス部のやつらが使ってたはずだ」

部長の佳織がいなくなって、今は副部長だった俺が部長になってる。マネージャーの小松と話をして次の方針を決めなきゃいけないが、肝心の小松が佳織のことを探し回っててろくに部室に出てこない。こんな調子だから活動方針が定まらず、部で使うコートの予約もできてなくて、こうして啓太と二人で時間を潰すようなことになってる。

部室には俺たちの他にも何人か部員がいた。けど、誰も彼もいなくなった佳織のことを考えるばかりで、自主的に何か始めようとするやつはいない。それは、俺も含めての話だ。

今の部室、いや、ポケモン部には――無気力な空気が蔓延していた。

「けど、一回でいいから、ツイスターのやつを撃ち落としてやりたかったな」

「まだ一度も勝ててねえからな、佳織のツイスターに」

俺の傍らにはアサナンが、啓太の傍らにはココドラが待機している。この間も二人で挑んで軽くあしらわれたばかりだ。俺たちの実力じゃ佳織には遠く及ばない。相性だとかセオリーだとかそういうのを、佳織とツイスターは平気で跳ね返してくる。

機動力と攻撃力が桁違いだった。近づけば嘴と爪で容赦なくズタズタにされ、距離を取れば止むことのない暴風と砂嵐で二度と近づけなくなる。相手との距離は抜群の飛行能力でツイスターの思うがままで、試合は常に佳織とツイスターのペースだ。下手なダメージを与えれば、怒りを買ってもっと悲惨な目に遭わされる。上空から相手をギロリと睨みつけるツイスターには、俺たちすらビビったくらいだ。ツイスター――「竜巻」――の異名は本物だった。

あれは学生のそれじゃない。ポケモントレーナーの戦い方だ――啓太が佳織のバトルを見て、そう口にしたのを覚えている。

「お前のアサナンの『ねこだまし』も、ツイスターには通じなかったよな」

「他のやつはこれでペースを握れるけど、佳織にはうまく行かねえ。全部読まれてるんだ」

俺のアサナンは普通のやつとはちょっと違って、生まれつき「ねこだまし」と呼ばれてる技の型を覚えてた。他のアサナンには教えようとしても覚えられないらしい。タマゴから孵った直後で、道端に捨てられてるところを拾った。以来、俺のパートナーとして側にいる。

佳織以外のやつなら、大抵開幕で「ねこだまし」を使って相手をひるませて、そこから一気に畳み掛けることができた。けれど佳織には通用しなくて、ツイスターに先手を取られるか、あるいは有効射程の範囲外まで余裕を持って逃げられてしまう。奇襲は二度三度と通用するものじゃない。あとはツイスターに有効打を与えられないまま蹂躙されるだけだ。

「あー……そう言やさ、こんなこと言うのも何だけどさ」

「なんだよ、言ってみろよ」

「お前んとこの兄貴、また変なやつらと一緒にいて、ポケモンセンターの辺りで集まってるの見たぞ。『ポケモンを解放しろ』とか、そういうこと叫んでさ。モンスターボール踏んでぶっ壊したりしてたぜ」

「あいつ、またやってたのかよ」

「そのうち変な歌歌ったりなんかしてさ、そんでヤバいことしたりすんじゃないのかなって。ほら、そういうのあっただろ、去年ぐらいにさ、関東の方で」

「俺には関係ねえよ。それに、あれは兄貴じゃないって言ってるだろ、従兄弟だって」

「ああ……悪ぃ、従兄弟だったな、従兄弟」

「なんかポケモンを保護するとか言ってるやつらとつるんで、しょうもないことやってんだよ。ポケモンが住みやすい世界作るとかどうとかそういう綺麗事言ってるけど、ろくなもんじゃねえって」

「この間は東原の神社まで行ってさ、ポケモンを閉じ込めるのをやめろとか叫んでたな」

「俺も見かけたな、それ」

「まあ、めんどくせえよな。親とか兄弟がなんかやらかしたら、俺らまでポケモン持てなくなっちまうし。そういう法律あるって聞いたからな」

「そうだよ。だから関わんなって言ってんのに、聞きやしねえ。もうどうにでもなれってんだ」

俺が吐き捨てるように言うと、啓太はそれ以上俺の従兄弟の話をしようとしなくなった。

何の活動もないまま四時半を過ぎて、窓の外が暗くなり始めるのが見えた。

「なあ、啓太」

「なんだよ康一、どうした」

隣でココドラを撫でていた啓太に、俺が目を向けないまま訊ねてみた。

「佳織……戻ってくるのかな」

「戻ってきても、レギュラーは譲らねえぞ。俺はな」

「けどさ、このままずっと戻って来ないとは思えねえんだ」

佳織がいない部室。たった一人抜けただけでひろくガランとした感じのするその場所を目に映しながら、小さな声で呟く。

「きっと戻ってくるさ。佳織は」

口では確かにそう言っていたのに、戻ってくると言っていたのに。

どうしてだろうか。心の中では、佳織はもう――

「先輩! 大木先輩! 天野先輩が、天野先輩が!」

部室に駆け込んできた後輩の千穂の言葉で、俺は閉じかけていた目を大きく見開いた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。