トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

Stage 3-1

金曜日のこと。部室に来て真っ先に思ったのは、いつもいるはずのあいつの姿が見当たらないことだった。

「……あれ? 佳織は?」

佳織は誰よりも早く部室へ来て、練習の準備や部室の掃除をしているのが常だった。俺が先に来て佳織を待っていることは無かったし、部室に入って佳織の姿が見当たらないなんてことも無かった。それがどういうわけか今日に限って、佳織の姿がどこにも見当たらない。

置いてあるカバンをチェックしてみる。佳織のカバンにはカービィのぬいぐるみがぶら下がっていたから、そいつを目印にすれば見つけるのは簡単だった。けれど何度確認してみても、カービィが繋げられているカバンは見当たらなかった。カバンを置いてどこかに出かけたわけでもなさそうだ。

「久保久保、佳織まだ来てねえの?」

「まだ来とらんみたいや。僕が来たときにもおらんかったし」

「マジで? 学校には来てたみたいなんだけどな」

「クラス隣やもんな、自分と佳織」

近くにいた久保に訊ねてみるが、どうやら佳織はまだ来ていないみたいだ。昼休みに廊下ですれ違ったから、間違いなく学校には来ているはずだ。それならどうして部室に顔を出していないんだ。訝しみながら、とりあえず近くの机にカバンを置いて席に着く。

部室には全体の半分くらいのメンバーがいた。男子は久保の他に日野や野崎、女子だと同級生の宮部と飯田、後輩の加藤の姿が見える。他にも何人か来てるみたいだったが、キャプテンの佳織が来ていないせいか、練習を始める気配はちっとも無い。いつもは佳織が声を掛けてトレーニング開始って感じだったから、まあ仕方ない。

「康一は?」

「塾だってさ。来年高校受験だから、親に塾行けって言われたって。で、今日試験らしい」

「じゃあ部活休みかよ。副部長なのに、しっかりしてくれよ」

日野いわく、康一は塾へ行って部活を休んだとのこと。となると、今は部長も副部長もいないってわけだ。

(なんだろうなあ、俺の方がよっぽど真面目に部活やってんじゃないか)

康一はポケモン部の副部長だ。佳織ほどじゃないが実力だってある。けど、時々こうやって部活を休んで穴を開けちまう。それに比べたら、ほとんど休んだことのない俺の方が熱心なんじゃないかって思うことが少なくない。

俺は康一とよく喋ってるし、トレーニングでもお互い組を作ることが多い。じゃあ仲がいいのかっていうと、正直あんまり「友達」とかそういう感情は持てていない。康一がどう考えてるのかは分からないけれど、ただ同じ部活にいるだけの関係、少なくとも俺はそう思っている。

(佳織と康一が揃って来てないってなぁ。二人して塾行くって嘘ついて、どっかで遊んでんじゃねえのか)

この二人がどういう関係かは、少なくともポケモン部の連中は全員知っている。一言で言うと付き合っている。去年の春頃からだ。佳織は自分から言うことはなかったけど、康一が何度かそういう話をしてたのは知ってる。あいつにしてみたら、佳織と付き合ってるっていうのは自慢したいレベルのことだったんだろう。

実際、俺も康一のことを羨ましく思ってた。

別に佳織のことが好きってわけじゃない。もちろん嫌いってわけでもないけど、付き合いたい女子とかそういう存在とはちょっと違う。ただ、「あの佳織と付き合ってる」って事実が羨ましかった。佳織がどんな存在かは近くにいたからよく知っていたし、佳織が凄いやつだってことは周知の事実だ。

康一にはバトルの実力じゃ及ばない、それは俺だって分かってる。それはそうだが、俺は康一よりも真面目に部活やってるって思ってる。康一は、俺から見ても手を抜いてるって思うことが時々あった。だから――部活に対する姿勢って意味だと、俺の方がレギュラーに相応しいんじゃないかって考えることも少なくない。

じゃあ、佳織の方はどう思ってるか。さすがに俺だって、佳織と自分には歴然とした差があることくらいは自覚してる。佳織はあまりにもずば抜けた存在で、悔しいけど俺なんかじゃ遠く及ばない。女子にこんなことを思うのも癪だけど、現実として何一つ勝てそうなものが無いんだからどうしようもない。

ポケモン部じゃいつも佳織が中心になってて、佳織の指示に全員が従うって感じで動いてた。普通なら反発したり茶化してみたりするんだろうけど、佳織相手にそれをやれるやつは誰もいなかった。ただ近くに立っているだけで、その場に緊張感が漂う。佳織の存在感は絶対的だった。

佳織はとにかく真面目だった。真面目って言葉じゃちっとも物足りないけど、代わりになりそうな言葉も見つからない。誰よりも早く部室に来て準備を済ませて、帰るときは必ず最後まで残っている。練習だって手を抜くことは無くて、たまにやる模擬戦じゃ容赦なくメンバーを叩き潰しにくる。厳しいだけじゃないのも佳織の特徴で、同じように真面目なメンバーには後輩でも丁寧にアドバイスをしたりする。

逆にそうでないメンバーには、「真面目にやって」「やる気が無いなら帰って」……みたいに、手短にキツい言葉を伝えるだけだった。強い弱いはあんまり関係なくて、ポケモンバトルは始めたばっかで正直どうしようもないくらい弱いやつでも、向上心があるなら評価してたみたいだった。だから、佳織を慕うやつは少なくない。

こんな感じだから、佳織はクラスに一人か二人はいるような「キツい感じの女子」とはまた違う。感情的になるってことが全然なくて、ものの言い方だってシンプルでストレートだった。ぐだぐだ回り道をして、結局のところ何が言いたいのかわからない女子とはまるで正反対だ。佳織には静かに場を律する力がある。それでいて「怖い」というより、「頼れる」存在だった。

正直、あの佳織が康一と付き合ってるってのが分からない。康一が言うには「佳織の方から『付き合おう』って言ってきた」らしいが、どうしてそうなったのかが分からない。佳織と康一なんて、文字通り水と油みたいなもんじゃないか。くっつくような関係とは思えない。

(部長も副部長もいないんじゃ、空気が緩むのも当然だよな……)

顧問はあまり部活に顔を出さない。佳織がしっかり取り仕切ってくれるから安心して、他の仕事をしてるってわけだ。時々来て練習を軽く見ていくくらいで、はっきり言って顧問って感じじゃない。逆に言えば、佳織がいなけりゃいつまで経っても練習だって始まらない。これは一年の時からずっとそうだった。

そう言う俺も練習を始める気になれなくて、ぼけーっとその場に座って時間を潰していたわけだけど、ちょっとトイレに行きたくなって席を立った。

用事を済ませてから手を洗って、部室へ戻る途中のことだった。

「……いいんです、これで」

「決まったこと、ですから」

柱の影から、誰かが話している声が、それもずいぶん深刻な調子で話している声が聞こえて、俺は思わず足を止めた。何気なくちらりと視線を投げかけてみると、そこには見慣れた人の姿が二つ。

(顧問に……佳織? あんなとこで何話してんだ?)

普通なら今の時間部室に来ているはずの、顧問と佳織だった。顧問は何か白い紙を手に提げて、正面に立っている佳織をじっと見つめている。かと思うと、紙を折りたたんでポケットへ仕舞う。佳織はそれを見てから一礼して、すたすたとその場を立ち去る。佳織が近づいてきていたのを見て慌てて身を隠す。相手は佳織だし、別に隠れる必要なんてなかったはずだ。けど――今の佳織は何かが違って見えた。何かは分からない、けど何かが違ったのは事実だ。ここで顔を合わせるのはよくない、直感がそう告げて、俺は佳織から見えない位置まで移動した。

一体なんだったんだ。そう思いながら部室へ戻る。部室へ戻って椅子に座ってからも落ち着かなくて、カタカタと足を揺らしてしまう。佳織が顧問に紙を手渡すところを見てから、胸騒ぎが収まらない。あれは一体なんだったんだ。

とりとめもない考えを続けていた最中、急に部室の扉が開いて。

「おーい、武内。ちょっと来てくれ」

「えっ、俺ですか」

「そうだ」

心臓がぴくんと跳ねた気がした。やってきたのは顧問、呼ばれたのは俺。どういうことか分からなくて戸惑いながら、座っていた椅子から立ち上がる。そのまま顧問と一緒に部室を出て、人影の無いところまで連れていかれる。

人払いが済んだところで、顧問は開口一番、俺にこう告げた。

「武内。お前にレギュラーに入ってもらいたい」

「……俺が、レギュラーに……ですか?」

急過ぎる、真っ先に沸いてきたのはその感情だった。どういうことかさっぱり分からない。レギュラーになれるのは六人、その席は全部埋まってるはずだ。佳織、康一、赤塚、久保、中島、栗田……誰も抜けるなんて話は聞いていない。理由を知りたくて、俺は顧問に訊ね返す。

「先生、どうして俺がレギュラーに?」

「それはだな……天野が、部活を辞めることにしたからなんだ」

天野。その名字が誰のものだったかを思い出すのに、思っていた以上の時間が必要で。

すなわち、佳織、だった。

「佳織が? ポケモン部を辞める……?」

「そうだ。だから、レギュラーの枠が一つ空いた。そこへ武内に入ってほしい」

頭が上手く回らない。佳織がポケモン部を辞める? 何かの冗談にしか聞こえなかった。あの佳織がポケモン部からいなくなるなんてことがあるのか、まるで現実感が無い。俺がレギュラーに入るってこともそうだが、何か奇妙な夢でも見てる気分だった。けど、俺の感覚は確かに現実にあって、夢の中のぼんやりした世界にはいない。

佳織がポケモン部を辞めて、代わりに俺がレギュラーになる。これは動かない、現実のこと。

(佳織はさっき、ポケモン部を辞めるって話をしてたのか)

疑問点が線でつながった気がした。佳織は顧問に話をして、ポケモン部を退部するって伝えた。さっきの紙は退部届に違いない。それを顧問が受け取って、空いたレギュラーの枠に俺が入ることになった。これで全部辻褄が合う。

「先生、部長はどうするんですか」

「副部長の大木に部長になってもらう。今日は欠席してるようだから、後で個別に話をする」

康一がそのまま部長になるのか。まあ、今副部長なわけだし、これは妥当な所だろう。

「佳織は、佳織はどうしたんですか」

「今日はもう帰らせた。練習に参加してもらうわけにもいかなかったからな」

「そうですか……」

「もし小松を見つけたら、先に伝えておいてくれ。あいつはマネージャーだ、このことを知っておく必要がある。どちらにしても、あとでみんなに説明する」

「わ、分かりました」

「先生は少しやることがあるから、部室に戻って待っていてくれ。以上」

顧問は手短に用件を告げると、顧問は背を向けてどこかへ歩いていった。

短い時間に大量の情報が流れ込んできて、普段あまり動かしてない脳が悲鳴を上げている。首筋が緊張して熱くなって、全身がカタカタと小刻みに震えた。

(佳織はポケモン部を辞める、康一が部長に昇格する、俺がレギュラーに入る……)

どこから手を付ければいいのか分からない。レギュラーのこともそうだし、佳織のこともそうだ。佳織がいなくなるなんてことは考えたことすらない。佳織のいないポケモン部の姿がまるで想像できなくて、頭が考えることを拒否しまくってる。

考えようにも考えられず、動こうにも動けず、どうしようもなくてその場に立ち尽くしていると。

「啓太じゃない。こんなところで何やってんの」

「小松、それに……赤塚か」

マネージャーの小松と、それといつもくっついてる赤塚が側によってきた。この二人は毎日少しだけ遅れてくる。今日もそのノリで部活へ行こうとしていたみたいだった。当然、今部活に何が起ころうとしてるのかも知らないはずだ。

顧問の言葉を思い出す。小松を見つけたら、佳織が退部することを伝えておいてほしい、そう言っていた。いつまでも引っ張らずに、さっさと伝えた方がいい。俺は一呼吸置いてから、小松に目を向けた。

「あのさあ、小松。ちょっと聞いてくれるか」

「何? 急に」

「佳織、部活やめるってさ」

小松の目がはっきりと見開かれて、体が後ろへ小さくのけぞる。なんて言うか、予想通りの反応だった。

「……は? 何言ってんの? なんかの冗談?」

「武内くん、どういうこと?」

そう言われたって、俺も詳しいことなんて分からない。いきなり呼び出されて、俺がレギュラーに入る、佳織は退部する、後任は康一だって、一方的に言われただけなわけだし。

「いや、言ったとおりだって。佳織が部活を辞めるらしいんだ」

「それだけじゃ分かんないじゃん。なんで? なんで佳織が?」

「知らないよ、俺だって。あと知ってるのは、康一が部長になるってことくらいだよ」

「康一はこのこと知ってるの?」

「たぶん知らない。あいつ今日塾行ってて部活休んでるからさ、まだ連絡できてないんだ」

「佳織は? 佳織どこ行ったの? まだいるんでしょ?」

「もう帰った。先生が佳織は帰したって言ってたな。佳織となんか話し込んでたみたいだけどさ、どういう話してたかは分からなかった」

後で顧問から話がある、そうとだけ伝えて、俺は先に部室へ戻った。赤塚と小松はさっきの俺のようにその場に突っ立ったままで、しばらくは動けなさそうな感じだった。無理なんてない。俺も佳織が退部するって言われたときは、ショックでしばらく動けなかったわけだし。

部室へ戻ってしばらく待っていると、小松と赤塚が入ってきた。それに続いて顧問も入ってくる。この後の展開が容易に想像できて、俺は小さく息をついた。

「みんな、聞いてくれ」

「本日付けで、天野はポケモン部を辞めることになった」

「今後の体制を見直す。今日と明日の練習は休みにする」

顧問が例によって手短な言葉で言う。もちろん部室内は騒然とする。

ざわつく皆を尻目に、俺は一人こんなことを考えていて。

(俺がレギュラーになるわけ、か……)

(これからどうするか、考えないとな)

佳織のことよりも、自分のことで頭がいっぱいだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。