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Stage 3-3

授業が終わった後の放課後。いつものように部室に向かうと、金曜日には見かけなかった顔があった。

(康一、佳織のこと聞いたみたいだな)

いかにも落ち着かなさそうな様子で、康一が椅子に座っていた。話を聞かなくてもどういう心境か分かる気がした。佳織がポケモン部を辞めたと聞かされて、心穏やかでいられるはずがない。康一は佳織と付き合っていたわけだし、尚更だ。それでいて金曜日に部室へ来ずに塾へ行ったってことは、康一にとっても佳織の退部は予想外の出来事だったに違いない。

そんな姿を横目に見ながら歩いて、俺は康一から少し離れた席に座る。康一は考え事で頭が一杯みたいで、俺が部室に入ってきたことにも気付いていないみたいだった。

(見てろよ康一。これから先は、俺がポケモン部の主軸になるんだからな)

康一と違って、俺はもう気持ちを切り替えている。佳織はもういないんだ、だから俺がその穴を埋める。ゆくゆくは康一も今のポジションから下ろしてやる、俺はそれくらいの意気込みを持っている。

やってやるんだ、俺は。

「佳織さー、どうして辞めちゃったのかなー」

「ねー……これからどうしてけばいいんだろうね……」

右手に目を向けると、女子の宮部と飯田が話をしていた。この二人はいつも固まって行動してて、休み時間も部活の時もずっとくっついている。だからこの二人が話してること自体はまるでいつも通りの光景で、はっきり言って大した意味も無かったわけだが、その宮部が座っている席の机に俺は目を留めた。

机には深い傷跡が刻みつけられている。人間なら、彫刻刀でも使わなきゃまず付けられないような傷だ。それもそのはず、この傷は人間が付けたものじゃない。ポケモンが付けたものだ。

この机に傷痕を付けたのは、他でもない佳織のツイスターだ。

(一年の……夏だったかな、あれ)

今から一年半くらい前。俺たちがまだ中一だった頃のことだ。

佳織は部内で一人だけの女子だった。先輩にも同級生にも男子しかいなくて、他に女子は誰もいなかった。それだけでも正直ずいぶん浮いた存在だったのに、おまけに先輩よりずいぶん強いときた。部長も副部長も、他のレギュラーだった先輩もまるで敵わない。マンガか何かから出てきたような「化け物」、佳織はそんなやつだった。

これが面白いわけが無い。先輩は佳織のことが気に入らなくて、しょっちゅうちょっかいを出してた……あれは嫌がらせって言った方が正しかったかもな。やたらと体をベタベタ触られたり、女子だからって細かい仕事を全部押し付けられたり、挙げればキリがなかった。

(今考えると、なんかできなかったのかなって思うよな)

俺も康一も久保も、佳織が酷い目に遭わされてるってことは分かってた。分かってたけど、相手が先輩だってこともあって、止めようにも止められなかった。一緒になってくだらないことをすることもなかったけど、佳織に助け船を出すわけでもなくて、正直情けなかったと思う。こんな感じだったせいだろうか、佳織は初めから俺たちに何も期待していなかったようで、先輩からどんな扱いを受けてもあの涼しい顔でさらりと受け流していた。

無視されても、嫌がらせをされても、雑用を押し付けられても、佳織は一向に意に介していない様子だった。我慢してるって風でもなかった。いつも淡々としていて、必要なこと以外は口もきかない。言い方は悪いが、ちょっかいを出してもまるで張り合いがないタイプだったと思う。それが余計に先輩を苛立たせたんだろう。

夏休み前の部活終わり、いつものように部室の片付けをしていた佳織に……なんて言ったか、名前はもう忘れたけど、三年生だった先輩がちょっかいを出しに行った。佳織は例によって相手にせずに無視して、自分の仕事に集中してた。夏の暑い盛りで、みんなイライラしやすくなってる時期だ。

「おい。女子のくせに、ふざけんな」

突然のことだった。先輩が佳織の首根っこを掴んで凄んだのは。

佳織が自分を無視したのが気に食わなかったに違いなかった。何か反応が欲しかったんだと思う。先輩に掴まれる形になった佳織は、それでも色の無い顔つきをして、黙ったままじっとしていた。

ただ――誓って言うが、先輩を怖がってる様子は微塵もなかった。心底どうでもいいって顔をして、冷たい目で先輩を見ていた。声を上げた瞬間は先輩の方に怖いって感情を抱いたけど、それから暫くすると、佳織の氷のように冷えきった目の方がずっと恐ろしく感じられた。うざったい――佳織の目はそう言っているようにしか見えなかった。

その時だった。机の上に置いていたモンスターボールが揺れたのを、俺は確かにこの目で見た。

「ギィィィーッ!」

「なっ、わぁあっ!?」

モンスターボールを中からこじ開けて、佳織の相棒・ツイスターが飛び出してきたのだ。ツイスターはバタバタと激しい羽音を立てて甲高い叫び声を上げて、佳織を威圧していた先輩に猛然と襲い掛かった。ポケモンが自分の意志でボールから出てきたこと、それが佳織のツイスターだったこと、そして真っ直ぐに自分に向かってきたことすべてに先輩は面食らって、ずいぶん間の抜けた声を上げた。

ボールの中で様子を見ていたツイスターは、主である佳織が傷付けられそうになったと判断して、自分からボールを飛び出して来た。ポケモンの強い意志があればボールをこじ開けて出てくる可能性があるって話はどこかで聞いたことがあったが、この目で実際に見ることになるとは思ってもみなかった。親が攻撃されている――ツイスターはそう認識して大いに怒り、逆襲に打って出ようとしたわけだ。

佳織から手を離してその場に腰を抜かした先輩に、ツイスターが追い討ちを掛ける。

「――待って、ツイスター。それ以上手を出さないで」

今まで何匹ものポケモンを倒してきた鋭いツメを光らせ、今にも先輩をズタズタにせんとしていたツイスターが、ピタリとその動きを止める。佳織の命令は絶対――ツイスターの急変ぶりは、その力関係を思わせるのに十分に過ぎた。あれだけ怒りを露にしていたツイスターは、眼前の敵への攻撃を即座に止めて、近くの机へ移動した。

「人を傷付けるのは、ポケモンバトルに関わる者の流儀に反すること。ツイスター、ここは抑えて」

机に降り立ったツイスターを宥めながら、佳織が落ち着いた口調で語り掛ける。

ツイスターは佳織の言うことをきちんと聞いて、その場でおとなしくしていた――だが、机に深々と食い込んだツメは、ツイスターの怒りが決して収まっていないことを明らかに物語っていた。ガリガリと音を立てて、本来先輩に付けられるはずだった傷を机に刻み込んでいく。

「心配しないで、ツイスター。私は平気だから」

佳織はそう言葉を掛けてツイスターの気を静めると、モンスターボールへ戻るよう促す。ツイスターは直ちにボールへ戻って、部室に元の静けさが戻ってくる。

「お先に失礼します」

佳織は隅に置いていたカバンをぶっきらぼうに肩に引っ掛けると、先輩には一瞥もくれずにその場を立ち去った。その場にいた俺と久保は終始圧倒されたままで、文字通りただの一言も言葉を発せなかった。

あの時ほど佳織が「まったく別の世界の住人」に見えたことはなかった。具体的にどこの誰だってのは分からない、ただ、学生のそれとは明らかに違うってことだけは確かだった。

(机の傷、あの時付いたんだよな、確か……)

今も生々しく残る机の傷痕をもう一度見る。ツイスターがあの時どれだけの怒りを覚えていたのかがはっきり分かる。裏を返せば、ツイスターがそれだけ佳織を慕ってるってことでもある。

とまあこんな感じで、佳織は女子だからってことで、あれこれ嫌がらせを受けたりしていた。元々男子しかいない部だったからしょうもないエロ話とかもしょっちゅうされてたわけで、佳織はすぐ近くでそれを聞かされたりしてた。そういう環境でも佳織はずっとクールなままで、本当になんとも思っていないように見えた。

結局佳織が二年に上がる頃にはすっかり佳織が部の主導権を握ってて、それに納得の行かない先輩は退部することになった。おかげで部の空気も変わって、佳織を見た女子も入部してくるようになった。今のポケモン部があるのは、何といっても佳織の存在が大きかった。

そう考えたとき、ふと部室がやけにがらんとしているような感覚を覚えて。

(……そっか。佳織はもういないのか)

部室に佳織の姿がないことに気付いて、そして少し遅れて佳織は退部したことを思い出す。佳織はもういない。その事実を今一度噛み締める。

これからは、俺がその穴を埋めるんだ。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。