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Stage 3-6

だらだらと時間が流れていって、放課後になった。昨日以上に虚しい気持ちを抱えて、俺は部室へ向かう。

佳織の抜けたポケモン部に未来なんて無いことは分かり切っている、けれど俺は部室へ行く足を止められない。何のためにこうして部室へ行っているのか。それは俺が訊きたいくらいだった。部室の扉を開けて中に入る。

「……よう、啓太」

「康一。来てたのか」

真っ先に目が合ったのは、康一だった。康一も毎日部室に来ている。来てはいるが、何かするわけでもない。練習もしないし、部長として部をまとめていくでもない。ただそこに居るだけだ。佳織が居なくなったことを受け止められていない、俺にはそうにしか見えなかった。

他には話せるやつもいない。自然と康一の隣へ移動する。康一がアサナンを外へ出していたから、それに合わせるように俺もココドラを外に出してやる。

前も言ったように、俺は別に康一のことを友達だと思ってるわけじゃない。友情を感じるタイプじゃないって事だ。けど、なんとなく今は康一の側に居るのが落ち着く気がした。同じ気持ちを、佳織が居なくなった痛みを共有できるとでも言うべきなんだろうか。多分そうなんだろう。

単なる傷の舐め合いだって言われたら、その通りだが。

「なあ康一。佳織って、もう戻って来ないんだよな?」

「知らねえよ。こっちが聞きてえくらいだ」

ぶっきらぼうで、弱音がハッキリ現れた康一の答え。もう強がることもできないんだな、と思う。傷を舐め合う関係でも、ちょっとでも相手の上に立ちたい。無意識のうちにそう考えて、俺はこんな言葉を口に出していた。

「戻って来ないでくれりゃ、俺がレギュラーのままでいられるんだよな」

裏を返せば、佳織がまたポケモン部に戻ってきてくれれば、俺はレギュラーの座から降りることができる。また気楽に部活に参加できるって事だ。佳織ただ一人の力で全国常連の候補にまで押し上げられた小山中ポケモン部の名前は、俺たちには重すぎる。

本心ではそう思っていても、口からはまったく逆の言葉が出てくる。

「佳織が空いた穴は、俺が埋めてやるんだ。俺もやれるってことを見せてやるさ」

落ち込んでる康一の気持ちは理解してるつもりだし、正直言って俺だって気が滅入ってる。佳織が居ないまま大会に出れば、酷い負け方をするのは目に見えてるからだ。それでも強がりを言わずには居られない。おかしくて変な笑いが出てきそうだ。そもそも佳織無しじゃポケモン部自体がまとまらない。ずっと佳織に依存していたツケを支払わされてるってことだ。

佳織のことばかり話してたって仕方ない。無理にでも話題を変えたくなって辺りを見回すと、今日も小松の姿がないことに気付く。もう一週間丸々だ。あいつ、どこ行ったんだろう。

「そういやさ、マネージャーどこ行ったんだ? 昨日も見かけなかったけど」

「またどっかほっつき歩いてんじゃないか。それこそ佳織に頼りきりだったわけだし」

「どこ探したって出てこねえのにな。どうせ赤塚もくっついてんだろ」

「心配性だからさ、赤塚は。他のやつの心配なんてしたって、どうしようもないのにさ」

「あいつ、今週コート押さえてなかったんだよな。確かテニス部のやつらが使ってたはずだ」

小松と赤塚の話はここで終わってしまった。佳織の話題から離れたくても離れられなくて、結局また戻ってきてしまう。

「けど、一回でいいから、ツイスターのやつを撃ち落としてやりたかったな」

「まだ一度も勝ててねえからな、佳織のツイスターに」

俺も康一も、佳織のツイスターには勝てなかった。シングルでもタッグでも、まるで歯が立たなかった。それでも佳織はずいぶん加減してるんだってことを最近になって知った。少なくとも、この間観たバトルビデオで見せたような刺すような殺気を俺たちに向けてくるようなことはなかった。

そんなことをせずとも勝てると、分かり切っていたからかも知れない。

「お前のアサナンの『ねこだまし』も、ツイスターには通じなかったよな」

「他のやつはこれでペースを握れるけど、佳織にはうまく行かねえ。全部読まれてるんだ」

そう、佳織は全部分かってる。俺たちのことも、ポケモンのことも。だからポケモン部をまとめ上げて、どんな試合だってモノにすることができたんだ。

ぼんやりと康一の顔を見ていたら、ふと先週の土曜に商店街を歩いていたときのことを思い出した。

「あー……そう言やさ、こんなこと言うのも何だけどさ」

「なんだよ、言ってみろよ」

「お前んとこの兄貴、また変なやつらと一緒にいて、ポケモンセンターの辺りで集まってるの見たぞ。『ポケモンを解放しろ』とか、そういうこと叫んでさ。モンスターボール踏んでぶっ壊したりしてたぜ」

なんだっけかな、名前は忘れたけど、ポケモンの保護団体みたいな連中だった。よく分かんねえことしてんなって思いながら通り過ぎようとしたら、康一の兄貴の姿を見掛けたんだった。どっかで言おう言おうと思ってずっと言えなかったけど、話題を切り替えるにはちょうどいいって思った。

「あいつ、またやってたのかよ」

「そのうち変な歌歌ったりなんかしてさ、そんでヤバいことしたりすんじゃないのかなって。ほら、そういうのあっただろ、去年ぐらいにさ、関東の方で」

「俺には関係ねえよ。それに、あれは兄貴じゃないって言ってるだろ、従兄弟だって」

「ああ……悪ぃ、従兄弟だったな、従兄弟」

前にも似たようなやり取りがあった気がする。既視感のあるやり取りは、結果が分かってるからこそ落ち着く。分かりきったことを繰り返して、俺たちは無為な時間を積み上げていく。

「なんかポケモンを保護するとか言ってるやつらとつるんで、しょうもないことやってんだよ。ポケモンが住みやすい世界作るとかどうとかそういう綺麗事言ってるけど、ろくなもんじゃねえって」

「この間は東原の神社まで行ってさ、ポケモンを閉じ込めるのをやめろとか叫んでたな」

「俺も見かけたな、それ」

「まあ、めんどくせえよな。親とか兄弟がなんかやらかしたら、俺らまでポケモン持てなくなっちまうし。そういう法律あるって聞いたからな」

「そうだよ。だから関わんなって言ってんのに、聞きやしねえ。もうどうにでもなれってんだ」

康一がイライラしながら吐き捨てるように言って、それきり何も言わなくなった。俺ももう何か言う気になれなくて、ただ時間が流れるに任せていた。

どれくらい経っただろうか。時間の感覚が麻痺しかけてきたところで、康一が覇気の感じられない声でつぶやく。

「なあ、啓太」

「なんだよ康一、どうした」

俺は康一がこれから何を言うのか、おおまかな予想ができた。それはきっと後ろ向きな言葉で、前へ進んでいく意志とかそういうのは感じられないものだろう。今の康一にポジティブなことを言える気力は残っていない。今までのやり取りを見てれば俺にだって分かることだ。

そもそも、俺自身も同じ心境だったわけだけど。

「佳織……戻ってくるのかな」

「戻ってきても、レギュラーは譲らねえぞ。俺はな」

「けどさ、このままずっと戻って来ないとは思えねえんだ」

康一の目に俺は映っていないと思った。会話の流れからは俺の言葉に対する返事のように見えるけど、実際は違う。康一は自分に言い聞かせていた。佳織がこのまま戻ってこないとは思えない、逆に言えば佳織はいつか戻ってくる、と。根拠なんて無い、ただの願望だ。とても都合のいい、ただの願望に過ぎない。

「きっと戻ってくるさ。佳織は」

康一の口からぼそりと出た言葉が、重苦しい空気の流れる部室に虚しく響く。

自分たちの無力さを痛感して、絶望がすべてを支配していると感じていた――その時だった。

 

「先輩! 大木先輩! 天野先輩が、天野先輩が!」

 

誰かが部室に駆け込んできたかと思うと、いきなり「天野先輩」なる言葉を口にした。

飛び込んできたのは女子の後輩・加藤で――「天野先輩」は、「天野先輩」は。

「天野って……佳織か!?」

天野ってのは他の誰でもない。間違いなく、佳織のことだった。

「千穂、佳織がどうしたんだ!?」

「あの……! 友達が見たって言ってたんです! 天野先輩が学校に来て、屋上へ行ったって……!」

加藤が言うには、佳織は今日学校に来ていて、今屋上近くにいるらしい。今のポケモン部で、こんな情報を耳にして落ち着いていられるやつなんて一人もいない。赤塚だって久保だって、康一だって俺だって、みんな冷静じゃいられない言葉だ。

さっきまでの沈みっぷりが嘘のように、康一が椅子を蹴って部室から飛び出した。ざわついていた部内に、「かみなり」が落ちたような衝撃が走った。「佳織」って言葉は、それくらい重みがあるものだってことだ。

「天野部長が……!?」

「が、学校に来てるって!?」

康一に続くように、部員たちが次々に走り出す。俺もそれに続いた。屋上に佳織がいるって言うなら、会いに行かないわけにはいかない。話したいことは山ほどあった。山ほどあったけど、それを全部ひっくるめてもかなわないくらい、一つだけどうしても伝えたいことがあった。

ポケモン部に戻ってきてくれ、また部長としてみんなを引っ張ってくれ。

校舎へ飛び込んで廊下を駆け抜けて、階段を一気に登る。屋上に佳織がいる、そう思うと走るスピードは落ちなかったし、息だって切れる気がしなかった。周りの連中も皆同じだ。ただ佳織のいる屋上へ向かうことに夢中になっていて、他のことなんてまるでどうだっていい。

(ん? あれ、誰だ……?)

走ってる最中に誰かが集団に加わるのが見えた。制服からして女子みたいだけど、あれは一体誰なんだ。まあ今はそんなことどうだっていい。佳織だ、佳織が先だ。

屋上に繋がる扉が見えた。開け放たれたままのそれを素早く潜り抜けて、俺たちは屋上へなだれ込んだ。

「はぁ、はぁ……か、佳織は……!?」

康一が声を上げる。揃いも揃って肩で息をしながら、屋上を隅から隅まで眺め回す。佳織はどこだ、その一心で目を凝らして見てみるけれど、屋上のどこにも佳織の姿は見当たらない。そんなはずはない、どこかにいるはずだ。縋るような気持ちで繰り返し繰り返し、舐めるように佳織を探す。

けれど、見当たらないものは見当たらない。佳織の姿はどこにもなかった。

「佳織っ! 佳織ったら! そこにいるんでしょ!? 返事しなよ!」

「はっ、はっ……だ、ダメっぽいよ裕香、ここにいないよ、佳織……」

遅れて駆け込んできたのは小松と赤塚だ。小松が叫ぶような声を上げて、赤塚がそれを窘めている。小松が落胆した表情を見せる。それは今この場にいる全員に共通した感情でもあった。

皆がずっと待ち続けていた佳織の代わりに屋上にいたのは、まったく予想もしていなかったやつで。

「杉本……お前、どうしてここに」

杉本、杉本愛佳。佳織の幼馴染だ。佳織じゃなかったが、佳織と関わりのある人間なのは確かだった。どうしてこんなところにいるのかは分からなかったが、だからこそ何か知っているに違いない。それこそ、佳織の居場所とかそういうことを、だ。

俺は一歩前に歩み出て、思い切って杉本に訊ねてみた。

「なあ、杉本……ここに、佳織来なかったか? 俺も康一も、あいつのこと探してんだ」

もう強がってなんかいられない。佳織はどこにいるのか、ただそれだけを知りたかった。ずっとあいつのことを探してた。

「佳織は? 佳織はどこ? それに、なんであんたがここにいるの? 佳織はどこ!? どこにいるのよ!」

「ねえ、佳織どこ? あたし佳織に言いたいこと山ほどあんだけど、どこ行ったの? ねえホントどこ行っちゃったの?」

近くにいた女子――西野だったのか、さっきのは――と小松が、佳織はどこだと杉本に迫る。気の強い二人が一気にまくし立てたものだから、気弱な杉本はすっかり萎縮してしまっている。けどそんなことに構ってられないのも事実だ。佳織がどこかにいて、それをこいつが知ってるかもしれないって状況なんだから。

杉本が何も言えずに押し黙ってしまって、しばらく間が開いた後だった。康一が身を乗り出して、杉本の足元を指差した。

「お前の足元にあるやつ……モンスターボール、だよな」

「こ、壊れてる……みたい、ですけど」

康一に言われて初めて、俺は杉本の側に何かが転がっていることに気が付いた。それはモンスターボールで、千穂の言う通りぶっ壊れていた。赤い部分が粉々に割れて、接合部分が折れて千切れている。もう使える状態じゃないのは明白だった。

一体アレは誰のモンスターボールなんだ。誰のモンスターボールで、何のポケモンが入ってたっていうんだ。俺の背筋に冷たいものが走る。杉本はトレーナーの免許を持ってないって誰かに話してるのを聞いた記憶がある、だからあれは杉本のボールじゃない。だとすると一体誰のだ。ここにいない誰かのものだっていうのか。

例えば……杉本の幼なじみの、佳織とか、なのか。

「なあ杉本、それは……」

杉本は体を小さく震わせながら、掠れた声で俺たちに返事をして。

「……佳織ちゃん、の」

「佳織ちゃんの、オオスバメの……ツイスターが入ってた、ボールだよ」

確かに――確かに、そう口にした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。