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Stage 4-1

「早紀ちゃん。佳織、部活やめたんだってさ」

月曜日の朝早くから訳の分からないことを言われて、思わず目を見開く。言ってきたのは朝子で、教室に入ってくるなりいきなりこれだ。展開が速すぎて付いていけない。とにかく、朝子が何を言ったのかもう一度確認しなきゃいけない。

「朝子さ、今なんて言ったの?」

「あ、ごめん。えっと……佳織がさ、部活やめたんだって」

朝子が言っていることを聞き取ることはできた。「佳織が部活を辞めた」、朝子は確かにこう言っている。言葉としては分かったし、意味も理解できる。佳織が部活を――ポケモン部を止めた、そういうことだ。けど、さっぱり分からない。朝子が何を言っているのかさっぱり分からなかった。

佳織が部活を辞めた? そんなことあるわけがない。だって佳織はポケモンとポケモンバトルにしか興味が無い、他に何かする事なんて無いはずだ。辞める理由なんて、どこにも無い。あり得ないことだ。

「あっ、それ土曜日のんちゃんから聞いたよ。金曜日に急に辞めたって、みんなビックリしてたって」

のんちゃん、っていうのは、同じクラスにいる乃絵美のことだ。乃絵美は佳織と同じポケモン部に所属してたから、知っててもおかしくない。乃絵美はハッキリ言ってマジメちゃんで、話してても面白くないし冗談言えるキャラでも無い。だから逆に言うと、乃絵美が言うってことはホントだってことでもある。

じゃあ本当に、佳織は部活を辞めたのか。ウソじゃない、ホントの話だってことなのか。

「けどさー、深雪も吹奏楽部だから分かると思うけどさー、この時期に急に辞めるなんておかしくない? 無責任だよ」

「のんちゃんも言ってたよ。急すぎてこれからどうしたらいいのか分かんないって。あり得ないよね」

「何があったかなんて知らないけどさ、そんなんでよく有名人気取ってたよね、佳織って」

口ぶりから分かる通り、朝子は前から佳織のことが嫌いだった。後輩ですらほとんどの子が知ってるってレベルの校内で一番の有名人だったから大声でヘイトを撒き散らすことはしなかったけど、こんな風に身内の中じゃ言いたいことを言っている。誰だって嫌われるのは嫌だから。

こうして見てれば分かる通り、朝子と深雪はいつも二人くっついていて、そして自分の側にいる。自分だって、自分自身がクラスの中でどんな風に見られてるか、どんなポジションにいるかが分からないほどお子様でもないし純真でもない。朝子と深雪は各々の判断に基づいて、自分と一緒にいるのが得策だって思ってるんだろう。結果的に、傍から見ると友達っぽく見えてるはずだ。

友達っていうのは、別に仲良しこよしのお仲間ってわけじゃなくて、学校で生きていく上でお互い群れた方が都合がいいって考えで側に居る同士のことだ。少なくとも、自分はそう考えている。

「早紀ちゃんもそう思わない? 無責任だって」

朝子が話を振ってきた。

「どうだっていいじゃん。佳織なんて、住んでる世界が違うんだからさ」

佳織は、言い方は悪いけど異常なレベルで部活に打ち込んでいた。毎日欠かさず朝練に出て、ポケモン部の誰よりも遅く帰ってる。有名人で人気者ではあったけど、それと同じくらい変わり者として見ている子も多かった。あらゆる意味で浮いてる存在、それが佳織だった。住んでる世界が違うってのは、割と本気の言葉だ。

「普段からポケモンよく外に出しててさ、邪魔だったんだよね、正直」

「モンスターボールの中に入れとけばいいのにね。人を襲ったりしたらよくないしさ」

深雪と朝子が何か話してる。話してるけど、ほとんど耳に入ってこないし意識も向かない。そして気に掛けようって気にもならない。

あの佳織が部活を辞めた。その事実を受け止められずに、ただぼんやりしている。

(学校、来るのかな)

佳織の姿は、教室のどこにも見当たらなかった。

 

結局佳織は今日一日姿を現さずに、そのまま放課後を迎えてしまった。今まで佳織が学校を休んだところなんて見たことが無かった。体調を悪くして休むようなことはなかったし、そもそも風邪一つ引かないやけに頑丈な体をしていた。ずっと学校に来つづけていた佳織がいない、ただそれだけでずいぶんと教室の空気が変わると感じた。

はぁ、と大きなため息をついて、教科書やノートをカバンに詰め込む。家へ帰るという朝子、吹奏楽部の練習に行くという深雪をそれぞれ見送ってから、自分も荷物がまとまったところで立ち上がる。さもそのまま家へ帰るって感じを装いながら教室を出て、足を少し遠くにある奥の階段へ向ける。辺りに誰もいないことをさりげなく確かめてから、階段を登る。

降りてくんじゃなくて、登っていく。

屋上への入り口は、マンガとかドラマでだと錆び付いた重たい鉄の扉だっていうのがメジャーだ。それはここ小山中も変わらない。生徒が勝手に出入りしないようにするためだ。もっとも、ここの鍵が壊れてるってことは知ってる子は知ってるし、それを知っててかつ律儀に先生に伝えるような子はいない。滅多に人が来ないのをいいことに、進んでらっしゃる男子と女子でよろしくやってることもあるとか、ないとか。

とはいえ、それは自分には関係のないことだ。興味があるのは屋上そのものじゃなくて、屋上から見える風景だから。誰もいないと分かりきった屋上へ出て、その足でまっすぐ手すりへ向かう。

カバンを床にバタンと落として、手すりをつかんで下を見下ろすと、グラウンドとコートが一望できた。視線はグラウンドから、校門付近にあるコートに向けられる。いつもならそこで、準備運動をしている姿が見られたはずだった。

「……誰もいないじゃん、どうなってんの」

そこには誰もいなかった。人っ子一人いない、完全な無人状態。グラウンドじゃサッカー部や陸上部がお互いのナワバリを守りながらせせこましく練習をしてるっていうのに、わざわざ設けられたコートには誰もいない。それでいて、これから誰かが来そうな気配も感じられない。

こんなとこにいたってどうしようもない。さっさと諦めてカバンを拾い上げると、さっき出てきたばっかりの扉に向かって歩き出す。

佳織がいなくなったのは、どうやら本当らしい。

(何してんのよ、佳織。学校にも来なかったし、連絡だってよこさないなんて)

一体佳織に何があったっていうんだ。知らず知らずのうちに唇をキュッと噛んで、その痛みで自分がイラついていることを自覚させられる。佳織が学校にいない、その事実に自分が苛立っている。

気分は晴れないままだった、けれど他に行くところもないから帰ることにするしかない。今の自分の顔を鏡でみたら、むすっとしててさぞ不細工なことだろう。そう思ったところで、湧き上がってくる苛立ちを抑えることなんてできない。どうしようもない。

一階まで降りて下足室へ歩いていた最中、後輩っぽい女子二人が会話してるのが見えて。

「玲ちゃんさ、天野先輩のこと何か知らない?」

「何も聞いてない。こっちが詳しいこと知りたいくらい。そう言う千穂はどうなの?」

「分かんないから訊いてるんだよー。他の先輩も困ってるし、どうしたらいいのか……」

天野、その名字はよく知っている。何を隠そう、佳織の名字だから。あの様子だと、訊ねてる方はポケモン部だろうか。もう片方はやたらデカいカバンと、楽器でも入ってそうな長い袋をぶら下げてる。それはともかく、佳織が退部して学校へ来なくなったってことは、下級生でも知ってる子は知ってるってことなのか。

まあどうだっていい。佳織が今どうなってるか誰も分からないって分かっただけのことで、結局何も進展してないし、欠片も変化してない。自分もあの後輩二人も、佳織のことをろくに知ってないって意味では同類なんだ。

もやもやした気持ちでいっぱいになる。気持ちの持っていきどころが無くて、胃の辺りがじわじわと重みを帯びていく。じれったくて不快で気色悪い、嫌な感触だった。

嫌な感触――だった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。