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Stage 4-2

今日の空は曇っている。分厚い雲に被われて、昨日まで燦々と地面を照らしていた太陽は見事に姿を消している。

ムカつく天候だった。曇りはどっちつかずで嫌いだ。もっともここ数年は、晴れててもムカついたし、雨が降っててもムカついた。結局のところ、あたしは全部の空模様が嫌いだった。

そして今日も、佳織は姿を見せていない。朝練にも来てなかったし、教室にも姿は見当たらない。この分だと今日も欠席で、学校には来ないんじゃないかって思う。心の中でどんな風に望もうとも望まないとも、客観的に見てそう判断せざるを得ないシチュエーションだった。

「あのさ、早紀ちゃん。佳織にお姉ちゃんいたってこと、知ってる?」

「双子だっけ? 確か」

「うん、双子双子。小学校の時見たんだけど、背丈も顔もホントそっくりでさ、全然見分けつかないんだよね」

朝子は今日も表向き、楽しそうに話をしている。本当に楽しいからなのか、そう振る舞うのが得策だと思っているからなのかは分からない。

人はみんな仮面を被って生きている、目の前にいる朝子も、ここにはいない深雪も、そして自分も。仮面を被りながら、相手の仮面の下をちらちら伺う。どんな顔をしているか、どんな表情を自分に向けているか。互いに牽制しながら、付かず離れずの距離を探る。

(……けれど)

けれど、佳織はどうだったろうか。佳織も仮面を被って、本心を隠していたのだろうか。

「トレーナーやってるって聞いたけど、どうなんだろうね。最近見かけないけどさ。どうせなら、佳織も一緒に出てけばよかったのに。早紀ちゃんもそう思わない?」

「別にどっちでもいいでしょ。どうせ、筋金入りのポケモンバカなのは変わんないんだしさ。バカだよ、ホントに」

話を聞いてる限り、深雪は佳織のことを「好きじゃない」って感じだったけど、朝子はトーンが違ってハッキリと「嫌って」いる。なんで佳織が嫌いなのか、その理由が朝子の口から出てきた記憶は無い。無いし、そもそも好き嫌いに理由が必要だろうか。絶対必要ってわけはないだろう。あたしだって、理由もなく好きなものや嫌いなものくらいある。

ただ、朝子が佳織を嫌ってる理由らしきものを、まったく何も知らないわけでもない。

(あれいつだって言ってたかな、小四の時だったっけ? 親が離婚したの)

朝子の両親は、今から結構前に離婚している。けど、離婚するとありがちなことが朝子には起こらなかった。名字が変わらなかったってことだ。朝子は母親じゃなくて父親に引き取られて、今は父親と暮らしてる。つまり、母親の元には置いておけない事情があったってことでもある。

離婚の原因は、母親の不倫だそうだ。これは本人が喋ってたことだから、まず間違いないと見ていい。父親が家を空けがちで、いわゆる欲求不満だったんじゃないかと。欲求不満から不倫へって流れはまあ、正直言ってよくあることだよねありがちだよねって感じだけど、朝子の母親の場合は相手がまずかった。

(相手がプクリンとかさ……想像するとマジ胸やけするんだけど)

プクリン。ポケモン。朝子の母親はポケモンと不倫した。もう一度言う、朝子の母親はポケモンと不倫した。

これが問題にならないわけがない。言い逃れのできない証拠を大量に突きつけられて、朝子の両親の離婚は成立。親権は父親に行ったし、朝子もそれを強く望んでた。離婚まで行ったのも、朝子が母親を絶対に許さないって態度を最後まで崩さなかったところがでかかったみたいだ。

朝子はぼかしてはっきり言わなかったけど、あの様子は、母親がプクリンとヤッてるところを直接見たって感じの顔だった。確証は無いけど、確信はある。そんなんでもなきゃ、話してる途中にマジギレして机をぶっ叩くなんてことはしない。

こんな風にややこしい家庭環境で育ったもんだから、普通で地味っぽい見た目に反して、いろいろ面倒くさい性格をしてるのは間違いない。ちょっとしたことですぐにキレるし、相手が折れるまでやり込めることも少なくない。だから、朝子は何かと面倒くさい。深雪もあれこれ気を遣ってるのが手に取るように分かる。

(で、今は父親と二人で暮らしてる、と)

母親がしでかしたことのせいかどうかは分かんないけど、朝子はこの歳になっても父親のことを慕っている。というか、こう言うとアレだけど、割とマジメにファザコン入ってる。何せ呼び方が「パパ」だ、小学生じゃあるまいしって感想しか出てこない。

それでいて、心の底からポケモンを嫌ってる。何せ母親を寝取ったわけだし、好きになれるはずがない。そんな朝子が、ポケモン部でスターになって有名になった佳織を好きなわけがない。みんながいないところでは、どぎついヘイトをあからさまに剥き出しにしてくる。朝子が攻撃的なキャラなんだってことがよく分かる。

(朝子のあからさまさに比べれば、深雪の方はよく分からない)

とはいえ、佳織が好きじゃないのは確かだ。普段から朝子と二人、よく佳織のことを話している。むろん、否定的な文脈で、だ。その深雪は今、ポケモン部の乃絵美と話をしている。席が離れすぎているから、何の話をしているのかは分からない。分からないけど、多分佳織に絡んだことだろう。佳織は今間違いなく、このクラスで一番ホットな存在だ。

(まあ――佳織見てるとイライラしてくるのは、うちも同じだけど)

わけもなく悪口を言いたくなってくる。佳織を見ているとそんな気持ちになる。だから自分もちょくちょく、朝子や深雪に混じって陰口を叩いている。佳織は野暮ったい、佳織はダサい、佳織はつまんない……そういうことを口にして、溜まったフラストレーションを発散している。朝子も深雪もそれに同調して、あれこれ言いたいことを言っている。どんなことを言っても佳織は決してこちらに言い返して来ないと分かっていたから。

佳織はクラスじゃ浮いてた。明らかに浮いてた。ほとんど誰ともつるまずに、休み時間は本を読んで過ごしている。じゃあネクラなのかって言うと全然そうじゃなくて、ポケモン部でキャプテン張って外を走り回ってる。そこらへんの運動部よりよっぽど体力がある。無口で無表情で無愛想。佳織は初めから、誰とも群れるつもりなんてないみたいだった。

地区予選負けが当たり前だったポケモン部を一人で全国まで連れてった女子キャプテン、こんなマンガにでも出てきそうなキャラだったから、有名人でもあった。ファンだって言ってる子も多かった。同級生だけじゃなくて、先輩や後輩にも顔や名前が知られてる。よその学校でも知ってる子がいたくらいだから、まあ相当なものだろう。

(気に入らない)

それが気に入らなかった。それが気に食わなかった。

佳織が有名人でみんなが知ってる存在だってことが、ひたすら癪だった。なんでこんなに有名なんだって心の中で毒づいたのは、一回や二回じゃ到底足りない。それでいて佳織本人は別に有名人を気取ってる風でもなかったのが、余計にムカついた。

その佳織は今日も姿を見せない。昨日と同じように、学校を休むのだろうか。どうして学校に来ないのか、理由はまったく分からない。

(……かったるい)

今日もまた、どうしようもなく憂鬱な一日が、ゆっくりと始まろうとしている。

別に、始まらなくたっていいのに。

 

酒を飲み始めたら止められない、タバコは吸い始めたらやめられない。体に染み付いた習慣は、そう簡単には変えられない。

今日もまた放課後に、屋上まで来てしまった。惰性ってやつなのかも知れない。

「……ちっ。テニス部じゃん……あいつら」

眼下に見下ろしたコートにはぽつぽつと人がいた。一瞬湧いた期待は、そいつらが揃いも揃ってラケットをぶら下げていたことで一瞬で弾け飛んだ。紛らわしいことしやがって。舌打ちをして踵を返すと、さっき閉めたばかりの鉄扉を再び開く。この扉の重さにも慣れた。習慣のひとつってわけだ。

佳織の姿はどこにもなかった。教室にも廊下にも、グラウンドにもコートにも。二日続けての欠席なんて初めてだ。そもそも今までただの一度も欠席なんてしたことなかったってのに。一体何があったっていうんだ。

止まらないため息に更なるため息を重ねながら階段を降りると、誰かが向こうから歩いてくるのが見えて。

(愛佳じゃん、あれ)

愛佳。同じクラスの同級生。話した記憶はほとんどない。なぜなら愛佳が避けてるから。こっちが話しかける理由もない。だからほとんど繋がりはない。じゃあどうでもいいか。そうじゃない。どうでもよくない理由が一つある。

クラスの中、いや同級生の中でも珍しい、ポケモン部じゃない佳織と仲がいい子だった。休み時間とか、体育の「二人一組作って何々」とか、そういうときはいつも佳織にくっついている。佳織もそれを受け入れてるみたいで、嫌な顔一つ見せない。むしろ愛佳といるときはリラックスしてるようにさえ見える。

佳織は愛佳に対してだけ、優しい顔を見せていたように思う。

(なんで、あんな奴と)

優柔不断、おどおどしてる、引っ込み思案、声が小さくて何言ってるのか分からない。愛佳がどんなキャラかはこれだけ並べれば分かるだろう。自分とは決定的なレベルで合わない。見てると、佳織とはまったく別の意味でイライラしてくる。佳織に対する感情と愛佳に対する感情は、似ているようでまったく違う。

佳織と一緒にいるってことが心底気に入らなかった。なんでこんなのと一緒にいるんだって、佳織にもムカつくくらいだ。けど、そういうのとは別の理由で、もっと感覚的にイライラする。理由は分からない、けどイライラするのは間違いない。本当に腹が立ってくる。

目を伏せて、自分と顔を合わせないようにしながらこっちに向かって進んでくる愛佳を睨み付けながら、入れ違いに廊下を歩いていく。愛佳が屋上へ行こうとする理由は分からない。分からないし知りたいとも思わない。そんなことどうだっていい、自分に迷惑が掛からなきゃ、愛佳が何してようが勝手だ。知ったことじゃない。

どうせ、関わりのない相手なんだから。

「あっ、高橋ぃ!」

「お、東原さん」

「お、じゃねーよ。もうすぐ大会じゃん。こんなとこでぼさっとしてねーで、さっさと武道場行くぞっ」

「悪ぃ悪ぃ、今行くからさ。それじゃ北原、またな」

「ああ、頑張ってな」

聞こえてくるありとあらゆる声が例外なく耳障りで仕方ない。もうこれ以上ここにいるのは真っ平だ。頭がキンキンして痛くなってくる。

カバンを乱暴に肩へ引っかけて、早足で学校を後にした。

 

「ただいま」

応える声はない。いつものことだ。じゃあ家に誰もいないのか。そんなことはない。ちゃんと人はいる。ただ、返事が無いだけのこと。カバンを自分の部屋へ放り投げて、その足でリビングに向かう。返事は無くても、帰ってきたってことをちゃんと言っとかなきゃいけない。

リビングに足を踏み入れると、お母さんが席に付いていた。

「ただいま」

また応える声はない。じっと黙ったまま、向かいの席を見つめつづけている。

向かい側に座っているのは、キルリアだった。

うちに来たのは小六の終わり頃だったから、もう三年になるのか。お手伝いさんって名目で住み込んで、掃除とか洗濯とか、家事のサポートをしている。それだけだったら、まだ別に気にしなかった。お母さんを手伝ってくれるなら、まあ別にいいやって、そう思ってた。

お母さんとキルリアは互い一言も喋らずに、お互いをろくに瞬きもせずに見つめあっている。傍から見ると異様な光景だ。二人して何やってんだって思う。けど、やってることの意味と理由が分かると、別に驚くことなんてない。こんな風景をほとんど毎日見せられてる方からしたら、ただのうざったい日常の一つに過ぎない。

お母さんは、喋ることができない。

生まれつき言葉を話せなくて、声を聞いたことは一度もない。意思疎通を図るときはメモを使ったり、相手が使えるなら手話を使っている。電話を取るのはうちやお父さんの仕事だし、来訪者の応対も同じだ。言葉を話せないのは、近眼の人がメガネやコンタクト無しじゃものをろくに見られないのと同じ。だから、どうこう言うことでもない。うちにとっては、ごく普通のことだ。

お母さんが声を出せない、喋れない、言葉を話せないってことは、いわゆる物心付いた頃には当たり前のこととして認識していた。小さい頃は字も読めなかったから、うまくやりとりができなかった。うちが一方的に話すだけで、お母さんはただそれを聞いて頷いたりするだけ。空回りしている感覚が、どうしても拭えなかった。

それで必死になって手話を覚えて、小四くらいにはお母さんと話ができるようになった。おかげでお母さんが言っていることも分かるようになって、やっとお互いに言いたいことが言えるようになったと思った。

そう思ってたら、あのキルリアが家にやってきた。

(配慮のつもりだったっけ、お父さんの)

一人で家事をするのは大変だろうし、話し相手がいないのは寂しいだろう。どうやらそんなことを考えたらしい。お母さんが好きそうで、かつ頭のいいポケモンを探していたら、キルリアになったとか。ポケモンセンターで十万円ほど出して買ってきたって、得意気に話してたっけ。

つまんないことしやがって。くだらないことしやがって。

キルリアにはいろいろ能力がある。ラルトスの時みたいに相手の感情を読み取れるっていうのもあるし、そこからさらに進んで、声を使わずに心の中の声で会話ができるらしい。テレパシーって言うのかな、多分それだ。そんな能力も持っている。

手話や筆談よりずっとお手軽で楽ちんだったから、お母さんはすごく喜んだ。何せ今の今まで「おしゃべり」なんてしたことなかったわけだから、ハマるのも当然だ。言いたいことをどんどん言えるようになったものだから、それはもう大変なのめり込みっぷりだった。

おまけに、おまけにだ。このキルリアはかなりの話し上手だった。うちも実際にお喋りをしたから分かる。やたらと聞き上手で、相手に話させるのがうまい。だから、余計にタチが悪かった。お母さんはもう、ちょっとでも空き時間があればキルリアと無言のお喋りをしている。家事をしているときも、夜寝る前も、そしてこうしてヒマな時も。

やっとこさ手話ができるようになったばかりのうちのことは、ハッキリ言ってどうでもよくなったみたいだった。

「お母さん、帰ったよ」

喋れないことは喋れないけど、耳が不自由なわけじゃない。そこは普通に聞こえているみたいだった。だから帰ってきた直後にうちが「ただいま」と言って何の反応も返ってこなかったのは、単にキルリアとのトークに夢中になっているだけだ。すぐ近くまで来て声を掛けないと、うちの存在にさえ気付かない。

お母さんがハッとしてこちらを振り向く、帰ってきたのね、お帰りなさい。そう言いたげな目でこちらを見る。あたしは小さくため息をついて、そうだよ、と応える意味で頷く。

「買い物とか、行かなくていい?」

何か買ってくるものは無いかと訊ねてみる。首を横に振って見せた。買い物はキルリアと二人で済ませてきたらしい。つくづく役に立つポケモンだこと。うちの立場なんてあったもんじゃない。

「そう、分かった。部屋にいるから」

それだけ手短に伝えて部屋に戻る。どうせまた、キルリアとあれこれ話し始めるに違いない。すぐ近くでそんな様子を見せられるのは耐えられない。そんなのを見せつけられるくらいなら、部屋にこもって一人でいる方が万倍マシだ。あたしが近くにいようがいまいが、今のお母さんには関係のないことだろう。

部屋のドアを閉める。鍵も掛ける。窓のカーテンも下ろす。何も見たくないし何も聞きたくない。あいつが、キルリアがお母さんと向かい合って話してる光景を思い出す、ただそれだけで無性に腹が立ってくる。持っていく場所のないイライラがどんどん貯金されていって、今にもパンクしそうになっている。

キルリアはあたしがいるはずの場所を横取りした。お母さんを横から掻っ攫っていって、自分のものにしやがった。本当ならあそこにあたしがいて、お母さんと話をしているはずだったのに。お母さんの目はあいつにばかり向けられていて、あたしのことなんか眼中に無いって言わんばかりだ。それもこれもみんな、あのキルリアのせいだ。

だからあたしはポケモンが嫌いだ。好きでもないし、好きになりたいとも思わない。キルリアだけじゃない、全部のポケモンが等しく平等に嫌いだ。誰が見たって人間じゃないくせに、人間に取り入って、人間につけこんで、のうのうと自分の居場所を確保しやがる。見ているだけで反吐が出る。胸がむかついてくる。

(畜生が)

制服のままベッドに横たわると、そのまま意識が溶けるに任せる。

たかだか数時間寝て起きたところで気持ちが晴れることなんてないことを、心のどこかではっきり自覚しながら。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。