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Stage 4-3

雨が降り続いている。

昨日の夜からずっと、雨が降り続いている。昨日は曇り空、今日は雨模様。どっちにしろ嫌な気分になる天気だ。憂鬱な気持ちになって、何をするのも億劫になる。死にたいような気持ちが広がって、死ぬのが面倒くさいという気持ちで五分五分に打ち消される。かったるくて、鬱陶しい。

佳織は今日も欠席している。これでもう三日連続になる。どうして学校に来ないのかは分からない。何があったかなんて知らない。ただ佳織はここにいない、それだけが確固たる現実、動かざる事実。ぽっかり空いた席は、まるで誰かの心象風景を投影しているかのよう。

(去年の六月、海凪に社会見学行ったときか……雨、あの時も降ってたっけ。帰り際に)

もうすぐ一年くらい前になる。社会見学で海凪(かいな)市まで行く機会があった。梅雨の六月にも関わらず天気は晴れで、予定通り学校から出発。船に揺られて約二時間、無事に海凪市までご到着。かくいう自分は、普通の授業が潰れる分だけマシとか、そんなことばっかり考えてた。少なくとも、移動中は。

とりあえず先生が自分たちに見せたいところ、つまりつまんない場所の見学が一通り終わって、二時間くらい自由時間が与えられた。集合場所を決めて、あとは海凪市を自由に見て回れってことだった。みんなこれ幸いと自分のグループ同士で固まって、好きなように遊び始めた。自分もその時のグループの子たちと集まって、適当に時間が流れるに任せることにしようと思っていた。

それをやめたのは、一人でどこかへ歩いていく佳織の姿を見かけたからだ。

気分悪いからどっかで休んでくる、そう言ってグループから離脱すると、佳織の後を追い掛けた。気分が悪いのは事実だったから、別に嘘は言ってない。それが吐きそうとかお腹痛いとかそういうのじゃなくて、心がガタガタ揺さぶられてたからってだけのこと。それを解消するためには、佳織と接触する必要があった。

佳織に何か言ってやらなきゃ気が済まないって、そう思ってた。

歩いていく佳織の後を追い掛けて辿り着いたのは、ポケモンバトル用のフィールドが設置された広場だった。何人ものトレーナーと、その数倍の数のギャラリーが集まって、あちこちでポケモンを戦わせていた。トレーナーの中には、自分と同年代の子やそれより下の子も少なくない。若いのにご立派なことだ、どうせ大成なんかできやしないのに。

佳織はバトルフィールドの一つが見える位置に立って、始まったばかりの試合を観戦していた。周囲には目もくれずに、その場に出ていたペリッパーとトロピウスの戦いに釘付けになっている。どっちが有利だとかは、詳しくないから知らない。佳織の目線はトロピウスを向いていた。どうせなら、自分が連れてるオオスバメに近いペリッパーの方を見てればいいのに、そんなことを考えながら、佳織のそばまで歩いていく。

自分の声が届く距離まで来たと判断したところで、佳織が提げていたサブバッグに、何やら奇妙なものがぶら下がっているのが見えた。ピンクの体に赤い足。そのキャラクターには見覚えがあった。

「それさ、カービィでしょ? 子供っぽいじゃん、中学生にもなってさ」

佳織がゆっくりと目線をこちらへ投げかける。色の無い目をしていて、何を考えているのかを読み取らせないという意志が感じられた。あたしの姿を確認するように眺めてから、何も言わずにまた視線を前へ戻す。カバンに吊り下げられたカービィの人形がゆらゆら揺れて、平坦な表情をこちらに投げかけてくる。

「何見てんのよ、こんなとこで。何も無いただの公園でしょ」

一切の反応が無かった。佳織は答えなかったけれど、視線の先にあるものが何かは自分にだって分かっていた。佳織はポケモンバトルを観戦していた。こっちには一瞥もくれずに、だ。

「あんたさ、ポケモン部で部長やってんでしょ。まだ二年生なのにさ」

この言葉にも反応は無かった。うざいって顔すらせずに、ただ試合だけを見ている。試合はペリッパーが押していく展開で、トロピウスは守りを固めている。何が面白いのか、さっぱり分からなかった。そんな面白くもなんともないものを佳織が熱心に見ているのは、もっと面白くなかった。

「そんなにポケモン好きなの? だったらさ、学校なんか来ずにトレーナーやってりゃよかったじゃん」

ため息をつく。やっと反応があった。こっちが言ったことに呆れてる、そんなニュアンスを含んだため息。それでも目は向けてくれずに、やっぱりポケモンに釘付けになったまま。だんだん、こっちがイライラしてくる。すました顔して、涼しい顔して、やせ我慢してる。その時は確かにそう見えていた。

その仮面じみた顔を、生々しい怒りに染めてやりたくなった。感情を露にさせてやりたくなった。

「ちょっと強くて目立ってるからって、調子乗ってんじゃないわよ」

強い調子で言葉を投げつけても平然としたもので、顔を向けることさえしない。頑なに前だけを向いている。いくら声を掛けてもこっちを見てくれない、話す気が無い。見ているのはポケモンだけで、自分には興味を持ってくれない。どこかで見たことのある、強い既視感を覚えさせる情景だった。

既視感の正体はすぐに分かった。お母さんだ。キルリアにばかり視線が向いていて、他の事は気にも留めない。キルリアとお母さんのことを思い出したこの時、やっと気が付いた。

佳織は別に我慢してるとかそんなんじゃなくて、ナチュラルに自分に興味なんか無いんだってことに。

(なんで)

(なんで、こっちを見てくれないのよ)

ありありと分からされる。気にしてなんかさらさらないってことを。こっちはこんなにも佳織のことが気になってるのに、佳織は目を向けることさえ惜しいってレベルで関心を持ってくれない。この事実を認識した瞬間、顔が、頭が、体がカアッと熱くなって。

「こっち見なさいよ!」

次に意識がハッキリしたときは、佳織の肩を乱暴につかんで、体をこっちに向けさせていた。

(……!)

冷たい瞳があった。

寒空の下で野晒しにされた鉄棒のように、気が遠くなるような冷たさを帯びた瞳があった。

その視線の冷たさにぞっとするしかなかった。冷徹で、冷静で、冷酷で。こんな目で見つめ返してくるなんて想像もしていなかった。少しは動揺するかと思った、素の表情を見せてくれると思った、感情を表に出すと思った。心のどこかで、期待を抱いていたのは間違いない。

とんでもない思い違いだった。佳織の顔つきには動揺なんてカケラも無い、まったく無い。どこまでもどこまでも、どこまでも冷めていて、震え上がるほどだ。視線だけでここまで徹底的に拒絶されるなんて、考えもしていなかった。

佳織は突き刺すような目でこっちを眺めてくる。睨み付けるんじゃなくて、眺め回してくる。「あなたなんて睨み付けるほどの価値もない」そんな侮りを多分に含んだ目をしているように見えた。事実かどうかは分からない。自分からはそんな風に見えていただけかも知れなかった。

それから投げつけられた言葉を、今でも忘れることができない。

「小学生の男子みたいね、貴方」

佳織の言葉は、心の奥底深くに隠して、決して誰にも見られまいと護っていた「本心」を、笑っちゃうほど見事に撃ち抜いていて。佳織は全部お見通しで、その上でいつもの短い言葉でもって、何もかもすべてを言い表して見せた。

自分の感情を眼前に突き付けられるっていうのは、こんな感じなんだと思った。

今すぐ煙のように消えてしまいたかった。ここから走って逃げ出したかった。それができないほどに憔悴していた。足が竦んで膝がガタガタ笑っている。頬がひどく火照って、今にも火傷しそうなくらいに熱くなった。頭に血が上って、脳が凝固しそうなほどの熱を帯びた。何も考えられない、ただ佳織から思い知らされた現実がショックで、頭が回らなかった。

一言だけ伝えてすぐに試合の観戦に戻った佳織を尻目に、放心状態のままその場を離れる。どれくらい歩いただろう、喉がカラカラに乾いていた。近くの自販機に小銭を入れて水を買おうとしたら、小銭を出す手がぶるぶる震えて止まらなかった。どうにか小銭を入れてボタンを押してペットボトルを取り出すと、キャップをかぶせる部分を歯にカタカタ当てながら飲もうとした。水が喉を通り抜けた途端猛烈な吐き気が襲ってきて、その場で水をぶちまけた。

佳織の言った通りだ。何もかもその通りだ。佳織に言われて初めて気が付いた。自分のやってることは確かに男子が、それも小学生の男子みたいなことだ。小学生の男子がしそうなことを、まさに自分がしていたのだ。

(ああ、そうだ、そうなんだ、そうなんだ)

好きな子に、ちょっかいを出している。

(自分……佳織のこと『好き』なんだ)

まさに、それそのものだった。

ショックって言葉じゃ足りなかった。自分がずっと抱いていた感情の正体が分かって、気が狂いそうだった。呼吸のリズムがぐちゃぐちゃになる、視界が白黒に明滅する、ぐわんぐわんと耳鳴りがする、平衡感覚を失いそうになる。立っていることさえ難しくなって、倒れこむように自販機へ寄り掛かる。

自分は佳織が好きだった。そんな馬鹿な、そんな馬鹿なことが! けれど事実だ、疑う余地の無い事実だ! 自分のことは自分が一番よく分かっている。ずっと抱いていた気持ちの正体はこれだ、これなんだ! だけど! だけどもクソもあるか! これが本心なんだよ! いい加減受け入れろ!

(……佳織のこと、『好き』だったんだ)

自問自答の果てに出た答えに、ただ打ちのめされるしかなかった。

思考が今に戻ってくる。閉じていた目をゆっくりと開く。

(そして、今も変わりなく)

降りしきる雨。あの日の帰り道で船の窓から見た空も、咽び泣くような色を帯びていた。

あの日から何もかも変わってしまった。自分の本心を白日の元に晒されて、否が応にもそれと向き合わなきゃいけない、拷問のような毎日が始まった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。