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Stage 4-4

佳織のいない学校で、何か記憶に残るようなことなんてありはしない。時間だけが過ぎていって、気が付くと家へ帰って来ていた。ただいまの声に応える声はない、今日はもう自分の存在をアピールすることさえ億劫だった。自分の部屋へこもって、カバンを床へ放り捨てると、雨に濡れた髪も拭わずベッドへ寝そべった。

どうして佳織なんかのことを好きになってしまったんだろう。ポケモン部で活躍してるのを見たから? それで有名になったから? 違う、そうじゃない。あの姿を一目見た時から、今につながる感情を、好きだって気持ちをずっと抱きつづけている。一年生だった頃、休み時間に廊下ですれ違った瞬間、全身に電気が走るような感覚を覚えた。一目惚れ、散々に使い古されて色褪せた言葉が浮かぶ。そう、間違いなく一目惚れだった。笑ってしまうほど見事な一目惚れだ。

(佳織の……何が好きなんだろう)

しゅっとした見た目が好き。滅多に笑わない顔が好き。小手先のおしゃれはしないって感じの飾らないポニーテールが好き。無駄なことは一言も言わないって意志が見える、固く結ばれた口元が好き。何もかも手短に言うことが好き。深く思索を巡らせているような物憂げな表情が好き。理由なく群れることなんてしないのが好き。誠実で真摯な人間には、温めたミルクのような優しさを見せるところが好き。ポケモンに指示を出す姿勢が好き。戦ってるときに張り上げる声が好き。走り込みをしているところが好き。額に浮かんだ汗を拭う仕草が好き。

好き・好き・好き。佳織の全部が何もかも好きになってしまって、まともではいられない。ちょっとした仕草一つで激しく心がかき乱されて、心臓が早鐘を打つようにドクンドクンと脈打つ。このまま心臓が爆発して死んでしまいそうだと思ったことは、両手両足の指の数じゃ到底足りない。倍にしたって、足りない、足りない。

ポケモン部でどれだけ活躍したかってこともよく知っている。これといった取り柄もない小山中ポケモン部を、全国クラスにまで一気に押し上げた。あれをほとんど全部佳織がやったってことは周知の事実だ。しかも一年生の時は全部員のうちでたった一人の女子で、大して実力もないくせにでかい顔してのさばってる年上の男子相手に全力で張り合った。一体どれだけ強い精神力の持ち主なんだろう、ちょっと想像が付かない。

強い女の子だと思う。心も体も強くて、凛とした佇まいを見せている。自分には何かに打ち込んだ経験なんて無い。いつも物事を斜に構えて、傷つかないように距離を置くことに腐心している。佳織は違う。自分が傷だらけになるのも厭わずに、やると決めたらどんな犠牲を払ってでもやり遂げる意志がある。そんな風に何かに向かってまっすぐ努力できることに、眩しさにも似た羨ましさを覚えた。

格好いい、そう思った。

(うちは佳織のことが好きだ。こんなのもう、ごまかしたってしょうがない)

佳織が好き。自分でも分かってる。けど、その感情がどういう意味を持つかってことも、頭ではよく分かってる。

女の子が、女の子を、好きになる――そういうこと。

(なんだっけ、こういうの……本で読んだけど、『レズ』って言うんだっけ)

こういうことには別の名前が付けられて、普通に男の子と女の子が好き同士になることとは区別されている。知ってるのはそれくらいだった。けど、周りの子で同じように女の子が好きだって言う女の子を見たことなんかない。こんな感情を抱いてるのは自分だけ。だから、これっておかしなことなんじゃないか。

ふざけて抱き合ったり、シャレでバレンタインにチョコ渡したりってのはあるけど、こんな風に本気になっちゃって気が狂いそうになってるのなんか見たことない。自分がおかしい、異常だって思ったことは何回もある。その度に無理やり直そうとした。佳織を忘れようとしたり、男子と付き合ってみようとしたり。それに全部こっぴどく失敗して、今の自分がここにいる。

佳織が好きなんだって気持ちは、どうやっても覆しようがない。

(気持ち悪い……吐きそう、気持ち悪い)

好きだって気持ち、それだけがどこまでもどこまでも広がっていって、内側から自分を苦しめてくる。けれど、佳織にその想いを伝える勇気が出ない。言葉にしてしまえばきっと拒絶される、悲惨な結末が容易に想像できてしまう。佳織があの時見せた氷のように冷たい瞳を、「好きだ」なんて想い如きで溶かせるなんて、思い上がりも甚だしい。

佳織に自分のことを考えてほしい。そう考えるとともに、佳織と距離を置かなきゃダメになる。二つの思いが綯い交ぜになって、佳織の陰口を叩かせる。野暮ったい、ダサい、格好悪い――佳織に向けている言葉は、結局のところ自分自身の有様を言い表しているに過ぎない。野暮ったくてダサくて格好悪いのは、紛れもなく自分自身だ。

それでも、佳織に関わることを口に出しているだけで、気持ちが軽くなる思いがした。今にも暴発してしまいそうな「佳織が好き」って気持ちを押さえつけてくれる。言ってみればクスリみたいなものだ。少しの間だけ楽になって、時間が経つと禁断症状を起こしてまた陰口にすがる。延々とこの繰り返しで、ヘドロの臭いに満ちた泥沼に腰までどっぷり浸かっている。

いつか、この気持ちが晴れることを願っている。どうすれば晴れるのかなんて分からない。卒業して別の進路を歩むようになれば晴れるのか、好きな男ができれば晴れるのか、あるいは手首を切って血溜まりに沈めば晴れるのか。最近はひどい悪夢ばかり見る。佳織を殺す夢、佳織に殺される夢、どっちも死ぬ夢。処理しきれない「好き」の気持ちが腐敗していって、死ねばいい殺せばいいって歪んだ願望に変貌していく。鬱屈は日々増すばかりだ。

今までは何とか保っていた。佳織の姿を見ているだけで、つかの間とは言え安らかな気持ちになれたから。教室で横顔をチラ見するだけでよかった、屋上から練習風景を観察しているだけでよかった、時折すれ違うだけでよかった。瞬間瞬間に佳織と同じ時間を共有していることが分かれば、平静の仮面を被りつづけるだけの気持ちの余裕は得られてた。

今はどうだ。学校へ行っても佳織に会えない、佳織はいない、佳織を見られない。気が変になりそうだ、頭がどうにかなりそうだ。誰でもいいから助けてほしい、このまま放っておかれたらおかしくなる、人としてやっちゃいけないことをしでかしてしまいそうだ。

佳織に会いたい、佳織の顔が見たい。心の中で繰り返しつぶやいているうちに、佳織がいつも側に連れているあのオオスバメの姿が脳裏に浮かぶ。

(あのオオスバメになれれば、いつでも佳織の側にいられる)

何の躊躇いもなくそんなことを考えるほどにまで、佳織に対する熱情は膨れ上がっていた。

佳織のオオスバメは♀だ。それくらいは見れば分かる。いつだって佳織はあのオオスバメに優しい目を向けていて、どんな時でも側に連れている。学校でもほとんどの時間外に出してるくらいだ、よっぽど深く心を通わせているに違いない。あのオオスバメは、きっと自分が知らない佳織の姿をたくさん知っている。外じゃ見せない顔だっていっぱい見てるはずだ。

自分がそのポジションにいたいと思った。あのオオスバメは邪魔だと思った。オオスバメの代わりに佳織のすぐ近くに居ることができれば、どれほど幸せだろうか。そんな不毛な考えばかりが頭を支配する。

オオスバメはポケモンだ。佳織はいつもポケモンにばかりその目を向けている。こっちのことは見向きもせず一瞥すらくれない。ああ畜生が! ポケモンの分際で! ポケモンは嫌いだ、死ぬほど嫌いだ、大嫌いだ。ポケモンなんか見ずにあの目を自分に向けてほしい、どうか自分に振り向いてほしい。自分を見てほしい、自分を意識してほしい。

自分に優しい言葉を掛けて、何もできない骨抜きのダメ人間にしてしまってほしい。佳織にすべてを委ねたい、何もかも捧げてしまいたい、思う存分滅茶苦茶にされて取り返しが付かなくなりたい、佳織無しでは生きていけないクズにしてしまってほしい。佳織、佳織、佳織……ああ、佳織!

行き過ぎた欲求が研ぎたての刃物のような鋭さを帯びて、一般常識と貞操観念でがんじがらめにされた無抵抗な心を容赦なくメッタ刺しにしてくる。わけのわからない感情の昂ぶりを抑え込むために、微かに汗の匂いがする枕に深く顔を埋めた。目をキュッと固く閉じて、荒波と化した感情のうねりが静まるときを待ち望む。

(ダメだ……ホントダメだ、このままじゃおかしくなる、おかしくなっちゃう)

この苦しみから救われる日は来るんだろうか。

身を焼き焦がすような激しい想いを抱えたまま、ただベッドの上で懊悩を続けるばかりで。

救いなんて、どこにもありはしなかった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。