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Stage 5-3

さすがに中学校生活も三年目を迎えると、教室を包む空気がどんな感じかを肌で感じ取れるようになってくる。火曜日の三年三組の教室は、昨日までとは少し違うムードが漂っていた。

(天野さんが辞めたってこと、みんな人づてに聞いたんだろうな)

天野、ポケモン部、退部した、天野さん、先週、辞めた、佳織が、金曜日――あちこちから聞こえてくる単語はバラバラだったけれど、ある一つのできごとを指しているのは明白だった。先週の金曜日に、天野さんがポケモン部を退部した。これ以外に考えられない。みんなが噂話のネタにするレベルの事件という意味でも、合点がいく。

女子が固まって数名、ぞろぞろと教室に入ってくるのが見えた。小松さんとその取り巻き数名、ってところだ。中には同じくポケモン部所属の宮部さんの姿も見える。で、その面子が揃いも揃って浮かない顔をしているのが、噂の信憑性を高めているというかなんというか。特にリーダー格の小松さんは明らかにイライラしているのが外に出ていて、宮部さん初め数名が何とか場を取り繕っている感がありありと伺えた。小松さんはマネージャーとして部全体を見ている立場にあるから、天野さんが抜けたダメージの大きさをより強く感じているに違いない。

「よっす、直也」

「おー、おはよう真吾」

荷物を置いてきた真吾が僕の席までやってくる。何の話をするかって? そりゃあもちろん、みんなと同じ話さ。

「真吾真吾、もう聞いた? 天野さん部活辞めたって話」

「聞いた聞いた。ここだけじゃなくてあっちこっちでその話してるぞ、えらいことになったな」

「だねー……。ま、これでさ、僕らもコート使えるようになるね」

「まあ、そうだな」

真吾と雑談を――主に天野さんのことについて話していた最中のことだった。

「でもさー、天野さんどうして辞めちゃったんだろうね。真吾は何か知ってる?」

僕が投げかけた言葉に、真吾からの反応は無かった。普段なら必ず返事があるはず(わからないなら「分かんねえ」とちゃんと言ってくるからね)なのに、この時に限って何も返ってこなかった。あれ、どうしてだろう。僕が違和感を覚えて顔を起こすと、真吾の視線は僕ではなく、廊下の外に向けられていた。

目線に沿って真吾が見ているものを追うと、そこにはわら半紙のプリントを持った女子が一人、ゆっくり廊下を歩いていて。

(あれ、誰だっけ? なーんか見覚えあるけど……うちのクラスの子じゃないから、分かんないな)

真吾があの女子を見ているのは間違いなかった。だって彼女が歩く速度に合わせて、真吾の目線もずずいずずいと動いていたから。けど、誰だか分からない。見たことくらいはあるけど、関わりなんて持ったことはない。なんでそんな子の様子なんて見てるんだろう、僕は密かに首を傾げた。

さらにそれとは別に僕の横から、何やら物騒な話も聞こえてきて。

「なあ……あのさ、マホが死んだってマジなのか? あのマホが?」

「昨日、女子が固まって噂してた……なんか、事件に巻き込まれて殺された、って」

「そういや、こないだ葬式やったって、広瀬が言ってたな」

「嘘だろ……あいつが死ぬなんて、冗談か何かじゃないのかよ」

物騒、なんてレベルじゃ済まされないかも知れない。この近くで人が死んだなんて話は、今初めて聞いたところだ。

けれど、「マホ」――という名前には聞き覚えがない。だからどんな漢字で書くのかもはっきりしない。聞いた話の雰囲気からして、「マホ」は同級生で、きっと女子だろう。男子で「マホ」なんて名前はそうそうありっこない。同級生が死んだ、なんて話が出れば絶対に話題になるはず。その割には、みんなが「マホが死んだ」って口々に言ってるって状況でもない。口々に言われてるのはむしろ天野さんの方だ。それとこれとは別の問題だけど、みんなにとっては天野さんの退部の方がホットな話題なんだろうか。僕にはちょっと判断が付かない。

天野さんの退部、真吾のおかしな様子、死んだって噂の同級生。僕自身には直接関係ないことばかりだったけど、これだけ続けて起きると少しそわそわしてしまう。

(なんだろう、一体僕の周りで何が起きてるんだろう)

ずっと続くと思っていたいつも通りの日常が、ちょっとずつちょっとずつ、崩れ落ちていく感覚がする。

それが、ただの思い込み、ただの思い過ごしであることを願いながら、僕は廊下に目を向けたままの真吾をじっと見つめた。

 

昨日言われたことは、間違いなく本当のことだったようで。

「なんかね、これからしばらくコート使えるみたい。再来週くらいまで」

「じゃあ、ポケモン部はしばらく使わない、ということだな」

「うん。朝小松さんに訊いたらね、なんかね、今それどころじゃないって」

先週までポケモン部の面々で賑わっていたコートは、今はしんと静まり返ってがらんとしていた。沢島さんが予約をしてくれて、二週間くらいはテニス部が自由に使えることになった。この間までグラウンドや裏庭で細々と自主トレをするしかなかったことを思うと、ずいぶん画期的なことのように感じられる。本当は、普段からこうやって使えるのが一番いいはずなんだけども。

洋平と沢島さんがラケットを持ってコートへ移動する。僕も続こうと前へ身を乗り出したら、後ろにいた真吾に呼び止められた。

「どうしたのさ、真吾」

「なあ、待てよ直也。コートは洋平と彩花が使うんだろ? 邪魔にならないように、こっちで練習してようぜ」

真吾が指差したのは、昨日まで僕らが壁打ちをしていた校舎の横手だった。あの場所へ移動して練習するってことは、つまりは壁打ちをしよう、と言っているに等しい。

(真吾ったら、コートが空いたのに、どうしてだろう)

僕はそう思いながらも、とりあえずは真吾に付き合って、壁打ちで時間を潰すことにした。

いつもと違って今日は洋平がいない。二人でやる壁打ちはいつもとテンポが違って、そこはかとない寂しさがまとわり付いて離れない。真吾も似たことを考えていたのか、始めてからすぐに、僕に向かって話し掛けてきた。

「朝も言ったけどさ、佳織、部活辞めたんだよな」

「あれから何人かに訊いてみたけど、本当らしいよ。なんで辞めちゃったのかは、誰も知らないみたいだったけどさ」

「そっか。けど、まあ……どうせ、すぐ戻ってくるって」

「どうしてそう言いきれるのさ」

「だってさ、考えてもみろよ。佳織のいないポケモン部が想像できるか? ありえねえだろ」

「確かに、天野さんがいなきゃ大変だとは思うけどさ」

「だろ? 佳織だって同じだって。あいつにはポケモンしか無い、そうだろ? 学校休んでるみたいだけどさ、どうせそのうち来るって。悪いもの食って毒にでも当たったんだろ」

真吾は言う。天野さんはすぐにポケモン部へ戻ってくる、なぜなら天野さんにはポケモンバトルしか道が無いから、と。僕はどう思っていたか。天野さんは強い人だ。練習風景とかを見てると、並の運動部員より速く走れるし持久力もしっかりしてるのが分かる。テストでもいつも高得点で安定してるって話しか聞かない。文武両道の才媛、それが僕の中の天野さんだった。ポケモン部を辞めても、別の場所でまた輝ける存在だって思う。

僕が考えている間も、真吾の壁打ちは続いている。それはいいんだけれど、僕らが最後にまともなテニスの練習をしたのは一体いつのことだろう。ポケモン部が大会で遠征していて、たまたまコートが空いていたときくらいにしかできていない。直近だと去年の十二月中旬、もう四ヶ月以上前のことだ。僕はそれでもよくて、卒業までろくにコートが使えず自主練に明け暮れるしかなかったっていうのも、一つの思い出になる――なんて風に考えてもいた。

けど、今こうして現実に戻ると、コートは空いて、使えるようになっていて。

「まったくどうしようもねえよな、ポケモン部のやつらは。佳織がいなきゃどうしようもねえなんてさ」

壁打ちの最中は、ポケモン部に悪態を付いたり、彼らが学校でちやほやされていることに愚痴を言うのが常だった。僕や洋平も口にしていたけど、その急先鋒と言ってよかったのが他ならぬ真吾だった。

「あいつらがいなくなりゃいいのにな」

「佳織のおかげで全国出たからって、偉そうにしやがってさ」

「小松とか、ホントに気に食わねえんだよな。誰のおかげで練習場所取れてんだって話だよ」

まあ、ざっとこんな感じだ。僕や洋平はそれに同意していたし、特に不快とも思っていなかったけれど、真吾のポケモン部に対する愚痴や不満の多さが突き抜けていたのは確かだった。

ただ――ただ、これは言っておかなきゃいけないと思うから、言っておこう。

(いろいろ言ってるけど、真吾が本気で怒ってるの、見たことなかったりするんだよね)

あれこれ不満を並べはするけれど、ポケモン部に本気で怒りを向けているシーンは目にしたことがない。洋平は練習できないことに本気でイライラしていることがたまにあったけど、真吾の場合は、言い方はアレかも知れないけれど、愚痴を言うこと・不満をぶつけること、それ自体が目的っぽく見えることが時々あった。

校舎の横でちまちま壁打ちをしながら、その原因になっているポケモン部を腐す。けれど心の奥底では、実のところそれを心地よく思っている……今になって僕は、自分がそんな感情を抱いていたことに気が付いた。

(……いつもこの近くで練習してるのかな。なんか、一人だけ音が大きく聞こえるんだよな)

楽器のことはまったく分からないけど……あれだ、ホルン? みたいな音がやけにはっきり響いている。他のパートはぼんやり聞こえてくる程度だってことを考えると、その楽器の奏者だけずいぶん近くで練習していることになる。

(僕らみたいに場所がなくて、個別に自主練してたりするのかも)

だとすると、親近感がわいていいかも知れない。

そう考えたすぐ後に、僕らには練習場所が開放されたことを思い出して、なんとも言い難いもやもや感を抱える羽目になってしまって。

今までとは、何かが確実に違う――言い知れぬ違和感が、じわじわと僕を包囲していく思いだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。