――放課後。
「関口さん、そろそろ行こっか」
「……分かった」
帰り支度を済ませたともえが、みんとの席までやってくる。みんとはてきぱきと準備をして、真新しい赤いランドセルに教科書や筆記用具を詰め込んだ。
「関口さんのこと、リアンさんもきっと歓迎してくれるよ!」
「……私も、早く会ってみたい」
これから楽しいことが待っている――みんとの表情は、いつもよりも格段に朗らかに見えた。リアンに合うのが楽しみという言葉が、本心から出ていることを窺わせる。
「あさひちゃんが待ってるから、B組に行かなきゃね」
「……(こくり)」
ともえがみんとを引き連れ、教室のドアをくぐろうとした時のことだった。
「と、ともえちゃ~ん……! 関口さ~ん……!」
「あれ? 琥珀ちゃん?」
「……長倉さん?」
ドア口に立っていた二人の前に、息を切らせて走ってきた琥珀が現れた。
「はぁっ、はぁっ……けほっ、うう……」
「琥珀ちゃん、大丈夫?」
「う、うん……だいじょう、ぶ……」
琥珀は咳き込みながら何とか呼吸を整え、額に浮かんだ汗を拭った。ともえは琥珀に肩を貸してやりながら、少しばかり背中をさすってやる。
「どうしたの? こんなに走ってきて……」
「あ、あのね……向こうで、手島さんがいじめられてて……」
「……手島さんが……?!」
「麻衣ちゃんが……?! まさか!」
ともえの脳裏に、一人の少年の顔が思い浮かぶ。麻衣を苛めるような同級生――思い当たるのは、一人しかいなかった。
「琥珀ちゃん! 琥珀ちゃんは席に座って、少し休んでて! わたしと関口さんが行くからね!」
「ともえちゃん、ありがとう……」
「無理しないでね、琥珀ちゃん。関口さん! 行こっ!」
「……(こくり)」
琥珀を開いていた近くの席に落ち着かせ、ともえはみんとと共に、琥珀の指差していた方向へと向かった。
「お願い、返して……!」
「ダメだぞ! 俺から取り返さない限り、返さないからな!」
お互いの言葉から想像が付くような光景が、空き教室の前で繰り広げられていた。麻衣の筆箱を持った準が、すがりつく麻衣を近寄らせまいとしていたのである。
「それがないと、わたし……!」
「ダメだダメだ! 勉強ばっかりなんて、俺が許さないぞ!」
「こらーっ!!」
泣きそうな表情の麻衣と、憮然とした表情の準が、声のした方へほぼ同時に向き直った。
「曽我部君っ!! 麻衣ちゃんに何やってるの!!」
腰に手を当てて険しい表情をしたともえが、大きな声で怒鳴った。麻衣は怯えきった表情を浮かべ、やってきたともえとみんとを見つめている。
「なんだよ中原、それに委員長まで。お前らには関係ないだろ」
「無いわけないよ! 麻衣ちゃんはわたしの友達だもんっ!」
言い返す準に、ともえは臆せず反論した。以前にも似たようなケースがあったが、こういうときのともえはとにかく引かない。普段から前向きな性格が、一際強く出る瞬間である。
「……曽我部君。手島さんに、筆箱を返してあげて」
「やーなこったい。麻衣が自分で取り返すまで、返してやらねーよ」
「曽我部君……」
穏便に物事を解決しようとしたみんとの申し出を、準はあっさり無碍にしてしまった。麻衣の筆箱を高々と掲げて、どこ吹く風で外を眺めている。
「返して、お願い、返して……!」
「ダメだって言ってるだろ。返して欲しかったら、俺から取り返してみろ」
「そ、そんな……」
涙目ですがる麻衣を、準は事も無げに追い返す。麻衣はどうすればいいのか分からず、目を真っ赤に腫らしていた。
「曽我部君」
「ほら、やってみろ。筆箱はここだぞ」
ともえの呼びかけにも、準は応じない。
「曽我部君……」
「早くしろよ、のろまのまいまい」
二度目の呼びかけも。
「……曽我部君」
「そんなんじゃ、ホントにカタツムリになっちゃうぞ、まいまい」
三度目の呼びかけも。
「……………………」
「まったくお前はダメなやつだな。もう少し頑張って見せろよ」
「……!!」
何かが、切れる音がした。
「いい加減に……しなさいっ!!」
「まいま……どわぁっ?!」
度重なる麻衣への侮辱に我慢の限界に達したともえが、不意打ちで準に足払いを食らわせてすっ転ばせた。まったく予期しない展開と攻撃に、準はもろに背中を床に打ち付けた。
「いってぇ~……お、おい中原、何すんだよ!」
「それはこっちの台詞だよっ! 麻衣ちゃん、泣いてるじゃないっ!!」
「うっ……ひぐ……うぅ……」
「手島さん……」
準の隣では、準に筆箱を取られて進退窮まっていた麻衣がしゃくりあげて泣いていた。みんとが側に寄り添って慰めるが、泣き止む様子は無かった。
「麻衣ちゃん、大丈夫だよ。ほら、筆箱」
「巴ちゃん……ごめ、ん……わたし……」
泣きじゃくる麻衣に筆箱を手渡し、ともえが背中を優しく叩いてやる。
「早く、いかないと……塾に、遅れちゃう、から……」
「そうだったんだね。麻衣ちゃん、それで筆箱が必要だったんだね」
「……………………」
穏やかに麻衣をあやすともえの姿を、みんとはじっと見つめている。美しいものを見るかのような、澄んだ瞳だ。
「あとはわたしと関口さんがしておくから、麻衣ちゃんは行っていいよ」
「う、ん……巴ちゃん、関口さん、ありがとう……」
麻衣は少々覚束ない様子で筆箱をランドセルに入れると、ハンカチで涙を拭ってから、学習塾へ行くべく早歩きでその場を後にした。麻衣が泣いていたのは、筆箱を返してもらえないことももちろんあったが、塾に遅れてしまうという強迫観念も大きかったに違いない。
「……麻衣ちゃんはよしとして、曽我部君!」
「ちっ、なんだよ」
「どうして麻衣ちゃんをいじめるの! 麻衣ちゃんが曽我部君に何かしたわけじゃないでしょ!」
「俺は苛めてなんかないぞ。まいまいのためにやってるんだ」
「どこが麻衣ちゃんのためなのよ! あんなに泣いて、可哀想じゃない!」
足払いを食らって仰向けに寝そべったまま、準がふてくされたように答える。ともえは例によって腰に手を当てて、呆れた様子で準を見下ろしている。
「麻衣ちゃんはわたしの友達なんだから、いじめたら許さないよ!」
「……………………」
「ちょっと曽我部君! 聞いてるの?!」
なおも準を詰問するともえだったが、寝そべったままの準が突然にやりと笑う。そして、その次に発せられた言葉は。
「……ピンクの水玉、か……」
「……!」
彼の視線の先には――ともえの、少しばかり丈の短めなスカートの「中身」があった。
「外面は可愛くねーけど、パンツは結構可愛いじゃねーか」
「……………………」
「な……中原、さん……」
下からスカートの中身を覗かれたともえは、取り立てて騒ぐ様子もなく、逆に落ち着いた様子で大きく息を吸い込んだ。隣にいるみんとが、ともえの代わりに赤面して慌てているように見えた。
「ふぅー……」
ともえが吸い込んだ息を吐き出す。なんとなく、張り詰めた空気が漂う。
「……………………」
「転ばせたお前が悪いんだぞ。俺を転ばせなかったら、覗かれたりとかは……」
……そして。
「スケベーっ!!!」
ともえはその掛け声と共にものすごい形相を浮かべると、全体重をかけて準の胸の上に肘から倒れこんだ。
「うごぁ!!」
……いわゆる、エルボードロップというやつである。ダウンしている相手に、絶大なダメージを与える攻撃だ。腹部にともえのエルボードロップを受けた準は異様なうめき声を上げると、目を回してそのまま動かなくなってしまった。
「最低っ! 変態っ! 痴漢っ! 女の子の敵っ!」
「……………………」
「関口さんっ! 行くよっ! もうこんなの知らないっ!」
すぐさま起き上がったともえは、エルボードロップで息絶えた(※生きています)準にあらん限りの罵声を浴びせた後、きりっと踵を返す。みんとは倒れた準を少しだけ見やったあと、つかつか歩いていくともえを追いかけて歩き始めた。
「……う、うぐぉあ……い、いてぇ……」
自業自得の準は哀れにも起き上がれなくなったようで、その場でしばらく呻いていたのだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。