――B組の前にて。
「ん? おお! 姉貴!」
「あさひちゃん! 待たせちゃってごめんね」
教室の前にいたあさひを見つけ、ともえが声をかける。あさひはすぐさまともえの方に振り向き、右手を上げて呼びかけに応じた。
「俺も今出てきたばっかりだぜ。それより姉貴、向こうから来たみたいだが、何かあったのか?」
「そうなんだよ~。もうね、うんざりしちゃうよ。とりあえず、学校出よっか」
ため息混じりに呟きながら、ともえが大きく肩を落とした。うんざりしている、という言葉どおりの様相だ。あさひとみんとを引きつれ、ともえが歩き出す。
「なあ姉貴、一体何があったんだ?」
「……わたしのクラスの子が、同級生の別の子を苛めてた」
「なるほどな。ったく、ろくでなしはどこにでもいるもんだな」
「ホントにろくでなしだよ! 曽我部君は!」
「曽我部……待てよ姉貴、もしかして曽我部のやつ、朝言ってた手島って子を苛めてたのか?」
「そうそう。筆箱をひったくって、返してあげなかったんだよ」
ともえが簡潔に、さきほど準と麻衣の間で起きた出来事について話した。
「くだらねえことしやがる……俺の筆箱をひったくりでもしたら、ひったくった方の腕を引きちぎってやるんだがよ」
「それくらいやっちゃったほうがいいよ! ホントに!」
あさひはさりげなくサディスティックバイオレンス(造語)全開なことを口走っているが、ともえはそれに素で同調している。恐ろしい子である。
「……それで、注意しても止めない曽我部君を、中原さんが懲らしめてくれた」
「あんまりしつこいから、わたしの方が頭に来ちゃった。足を引っ掛けて、転ばせてやったよ」
「すげえっ、足払いを……! 姉貴っ、俺、姉貴に惚れ直したぜっ!」
今のあさひはともえにぞっこんだ。だが、あさひなら間違いなく足払いでは済まないだろう。今日のおやつを賭けてもよい。
「……中原さんは、本当にすごいと思う」
「そんなことないよ~。あんなのを見せられたら、誰だって怒っちゃうしね」
みんとがともえを見やる。みんとは身長がかなり高かったから、少しばかりともえを見下ろす形になる。対するともえは大きなものを見上げるように、目線を上に上げていた。
「それはいいんだけど、その後が最悪だったんだよ」
「……あれは、女の子として許せない」
「なんだ? 姉貴、曽我部はそのあと何をしでかしたんだ?」
ともえの「最悪」、みんとの「女の子として許せない」という言葉に、あさひが反応して見せた。ともえは再びため息をつきながら、あさひに一部始終を話して聞かせることにした。
「わたしが曽我部君を転ばせて、麻衣ちゃんに筆箱を返してあげたんだけど、そのあと曽我部君は起き上がらなかったんだよ」
「ってことは、そのまま床の上で寝てたってことか」
「そう。それで、わたしが曽我部君に注意したら、曽我部君、何してたと思う?」
「何をしてたか……?」
「構図はこうだよ。わたしがこう立ってて、曽我部君が仰向けでわたしのほうに頭を向けて寝転んでる」
「……………………」
「曽我部君の視線の先には……」
ともえがそこまで言いかけた段階で、あさひは。
「よし姉貴。俺曽我部をちょっと殺してくるわ」
笑顔で臨戦態勢に入っていた!
「わ、あさひちゃんっ! ダメだよ人殺しはっ」
「大丈夫だって姉貴、ちょっと殺すだけだからよ」
「……ちょっとでも殺したら、殺人だと思う」
「気にすんなって姉貴。ちょっとだけ殺すなら大丈夫だって」
もはや言うまでも無いが、大丈夫ではない。
「だってもう殺すしかねえだろ! 転ばされてそのままスカートの中覗くって、ド変態のド畜生じゃねえか!!」
「それはそうだけど、あさひちゃんが手を汚しちゃダメだよ~」
「なら、蹴りだけで十回ぐらいお陀仏にしてやらあ! 次に顔を見たらただじゃ置かねえ!!」
「……………………」
「手とか足とかの問題じゃないよ~」
ともえが準からセクハラを受けたことに、あさひは本気で切れているようであった。まあ、尊敬している人物が辱められて黙っているようなタイプではないから、ある意味自然なこととも言えようが、それにしてもすごい切れっぷりである。
「とりあえず、曽我部君のことはここまでにしようよ。今からアトリエに行くよ!」
「……アトリエ?」
「お昼休みに言った、魔女のリアンさんが住んでるところだよ」
「洒落た中庭も付いてるぜ。俺も、ああいうところで暮らしてみたいもんだ」
「……なるほど」
みんとは感心しながら頷く。大まかにではあるが、リアンの住んでいるアトリエのイメージが付いたらしい。
「二人は、魔女見習いになってどれくらい?」
「わたしもあさひちゃんも、まだ一週間も経ってないよ。リアンさんも、日和田に来たのは一ヶ月くらい前って言ってたし」
「つまりは、まだまだ文字通りの『見習い』ってこった」
「……私も、二人の足を引っ張らないように、頑張りたい」
「関口さんなら大丈夫だよ~。関口さん、何やっても上手だし」
「なぁに、姉貴の噂は聞いてるぜ。文武両道、才色兼備の才媛だ……ってな!」
「……………………」
しきりに自分を称える二人に、みんとがほんの少し困惑した表情を見せる。だが、二人はその微妙な変化に気付かなかったようだ。
「そういえば……」
「おお、どうしたんだ、姉貴」
「……あさひちゃんのお姉ちゃん、もう一人増えたのかな……?」
「……私?」
例によってあまりに自然なので気付かなかったが、あさひはみんとのことも
「姉貴」
と呼ぶようになっていた。当の本人であるみんとは、今の今まで気づかなかったらしい。
「おう! 俺の攻撃をあそこまで綺麗にかわしたのは、姉貴が初めてだからな!」
「……私が、お姉ちゃん……」
「うーん……確かに、関口さんはお姉さんっぽいよね。落ち着いてる感じがするもん」
「そんな、私は……」
ともえからの賞賛に、みんとは慌てて否定した。だが、その様子にすら落ち着きが感じられる。知らず知らずのうちに、ともえの発言を裏付ける形となっていた。
「というわけで、姉貴。俺はこれから姉貴を姉貴と呼ばせてもらうぜ!」
「……もう、呼んでる気がする……」
当然の疑問を口にするみんとだが、あさひの勢いを押し留めるには些か弱かったようだ。
「……私は、厳島さんのお姉さんになれるような人じゃ……」
「いや、そんなことは無いぜっ! あの鋭い動き、見れば本物だって分かるってもんだ!」
「……………………」
困惑するみんとをよそに、あさひはみんとへの賞賛を惜しまない。そうなると、悪い気はしないのが人の性だ。
「……本当に、私が姉でいいの?」
「ああ、もちろんだぜ!」
「……分かった。好きなように呼んでくれれば、私は構わない」
みんとはあさひの「姉貴」呼称を認め、好きに呼んでくれればいいと言った。これで、あさひの「姉貴」は二人になったわけだ。
「二人とも、仲良くなってくれてホントに良かったよ」
「……これも、中原さんのおかげ……」
「おう! 姉貴がいなきゃ、知り合うことも無かっただろうからな」
「えへへっ。どういたしまして!」
少し得意げな顔つきをして、ともえがにっこり笑うのだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。