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Stage 6-3

教室がざわついていると感じた、火曜日の朝。

(佳織ちゃんのこと、やっぱりみんな噂してる)

どことなく不穏な空気が漂っている理由は、想像していたものとピタリと一致していた。佳織ちゃんが、天野先輩が、ポケモン部の天野部長が、突然部活を辞めたことに他ならない。佳織ちゃんは三年生、私たちから見れば一つ上の先輩だ。同じ部活に所属しているとかでなければ、学年が違えばそこには絶対的な断絶があると言っていい。上の学年のことも下の学年のことも、普通は気に掛けるようなことじゃない。

それが今、私のいる二年一組の教室中を騒然とさせているのだから、天野先輩の存在感と影響力の大きさが分かろうというものだ。面識のない下級生にまで部活を辞めたことを噂されるほどの認知度がある、それが天野先輩だ。私も天野先輩がどれだけの功績を残してきたかはしばしば聞く機会があった。

万年地区予選敗退のポケモン部を女子一人の状況から立て直して、今じゃ全国常連にまでのしあがった。行動力も決断力もずば抜けている、もちろんバトルも強い。小山中どころか榁の中学生の中で最強だと本気で言われていて、その実力は生半可なポケモントレーナーでは足元にも及ばない。そんな、何もかもが完璧な部長だった。

もっとも、イメージや偶像としての天野先輩を知っている人はたくさんいても、実在する人間としての佳織ちゃんを知っている人は、そう多くはないだろうけれど。

(佳織ちゃんは、肩肘張らずに付き合える友達、だった)

佳織ちゃんが中学生になる前、つまり今から二年ぐらい前まで、私は佳織ちゃんと二人で遊ぶことがあった。平日はお互い同級生の友達との付き合いがあったから、会うのは休日がほとんどだった。会う機会の少ない、年上の友達。ともすると緊張する間柄になりそうなものだけど、不思議なことに、私は佳織ちゃんと二人でいる時が一番自然体でいられた。気を遣う必要もなかった、遠慮する必要もなかった。学童にいるより、ずっと穏やかな気持ちになれたものだ。

外を散歩したり、お小遣いを持って買い物に出たり、図書館で本を読んだり。佳織ちゃんとは、静かで居心地のいい時間を過ごしていた。互いに似た境遇、それも幸せとは言えない状況にあったのも、関係を築く上ではプラスになったんじゃないかと感じる。マイナスとマイナスを掛け合わせればプラスに転じるとは、よく言ったものだ。

私と佳織ちゃんの関係はゆるやかに続いていた。私が小六になって、佳織ちゃんが中学へ上がってすぐぐらいまでは。

(ケンカはしなかったけど、『どうして?』とは思った。『裏切られた』とも思った)

(まさか、ポケモン部に入部するなんて、想像もしてなかったから)

中学生になった直後、佳織ちゃんはポケモン部へ入った。私からすると青天の霹靂だ。今までのことを、佳織ちゃんが置かれていた境遇を思えば、一番ありえない選択肢だと思っていた。それなりに分別も付く歳になっていたから、私は佳織ちゃんの選択を悪し様に言うことはしなかった。かと言って、積極的に肯定できたわけでもない。だんだん距離ができて、溝が深くなっていって、壁が高くなっていって。やがて、話すことさえなくなった。

ポケモン部の練習や大会で、休日も家にいないことが多くなった。直接的な理由はそれだ。それとは別に、もちろん心情的なところもある。今まで、佳織ちゃんは自分の側にいてくれる、そんな風に考えていた。けれど佳織ちゃんがポケモン部へ入部したと聞いて、どこか遠くの世界へ旅立ってしまったような気がした。住んでいる家はお互い近いままで、歩いても五分で相手の家のインターホンを押せに行ける。けれど、けれどだ。物理的な距離が近いにもかかわらず疎遠になってしまって、却って距離を感じてしまう。

これは、私の思い込みかもしれないけれど――佳織ちゃんもまた、私と同種の感情を抱いていたように見えた。

(佳織ちゃんとのつながりが薄れて、そして私は、ますますポケモンが嫌いになった)

ポケモンとは縁がない。最後に触れたのは一体いつだろう。小四の体験学習くらいまで遡るんじゃないだろうか。あの時はまだ希望があった。私にもチャンスが与えられると信じていた。肩に留まったキャモメを撫でながら、いつか自分もポケモンに乗って大空を飛べる、どこへでも行ける、世界を股に掛けた活躍ができる! そんな夢を見ていたことだってあった。

草むらをベッドに眠ることがあったっていい、洞窟でポケモンを探して泥まみれになったっていい、強いトレーナーに力の差を分からされて有り金を巻き上げられたっていい、灰をかぶって顔が分からなくなるのだっていいだろう、飢えを凌ぐためにポケモンと木の実を分け合ったっていいじゃないか、志半ばに果てて野ざらしの骸になるのも悪くない、本望だ! 逃げずに死んで大地の糧となるのだから!

けれど。

(けれど、私は今ここにいる)

(ここにいなければならないように、すべてが転がってしまったから)

あれだけ煮えたぎっていた思いは、どこへ行ってしまったのだろう。今はただ、大地を駆け回るポケモンと、自由を謳歌するトレーナーたちに、決して届くことのない無言の呪詛を唱えるだけの惨めな女が一人、狭苦しい教室に座っているだけだ。

外の世界に出てみたかった。自分の力でどこまでやれるか、世界を相手に試してみたかった。榁はとても多くの子がトレーナーになって街を出て行く。私の同級生だって半分も残っていない。六割くらいが一斉に旅立って、小学校を出ればまたまとまった数の子供が榁に別れを告げる。その多くは二度と榁の土を踏むことはない。私に残された人生の中で、恐らく二度と会えないだろう友達など、両手両足の指を使っても足りないほどいる。

(私もみんなみたいになりたかった。外へ旅立ちたかった)

退部した天野先輩の話題でもちきりの教室で、ただ一人佳織ちゃんのことを考えていた最中のことだった。竹刀袋を肩から提げた女子が、廊下を一人歩いていくのが見えた。

つぐみだった。今日はいつも通り朝練に来ていて、終わった後顧問の先生に話し掛けていた記憶がある。少し居残り練習をしていたみたいだ。理奈と静恵を入れた三人が着替え終わってからも続けていたから、今終わったばかりに違いない。つぐみは私が見ていることにも気付かず、自分の教室である三組の方へあるいていく。

剣道部の二年生女子四人のうち、私と理奈は同じクラスで一組にいる。つぐみと静恵は別で、さらに二人共違う組だ。静恵二組でつぐみは三組、全部で三クラスしか無いから見事にバラバラだ。一年生の頃は四人とも同じ二組にいたけれど、二年生の組分けでバラバラにされてしまった。先生たちが普段の交友関係を見て意図的にやったことだろう。いいことだとも悪いことだとも思わない。一緒にいて必ずしも楽しいものではなかったからだ。

こういうクラス分けをされているから、つぐみや静恵と絡むのはお昼休みか部活がメインになる。静恵は私やつぐみのところへしばしば遊びにくるけれど、つぐみが自分から来ることはまずない。以前休み時間に教室へ様子を見に行ったときも、次の時間の準備をして、一人静かに本を読んでいた。小説が、特に恋愛小説が好きだって言っていた記憶がある。おっとりしていて物静かな性格と言えば、大方どんなキャラクターか想像が付くだろう。控えめなタイプで、あまり自己主張をしない。

そんなつぐみと私たちの共通点は、ポケモンとの縁のなさだ。理奈や私がポケモンを嫌いなのと同じように、つぐみもまたポケモンから距離を置いている。学童で顔を合わせてからしばらくもしないうちに、本人から理由を聞かされた。

つぐみの両親は、ポケモンバトルの事故に巻き込まれて死んだ。かつてつぐみが住んでいた、芙圓市で起きた事故だ。

トレーナー同士の試合で、セーフティロープのパイルが正しく打ち込まれていなかったらしい。一方のゴローンが繰り出した「じしん」のエネルギーを吸収しきれずに、辺りの家屋が複数倒壊する事故が起きた。不幸なことに、そこにはつぐみの家も含まれていた。外出していたつぐみは助かったけれど、家にいた両親は助からなかった。つぐみは孤児になって、半年ほど福祉施設にいたらしい。

行く当てを失った彼女を引き取ったのが、榁に住んでいた叔父だった。つぐみは榁へ引っ越してきて、叔父と二人で生活を始めた。小学三年生になりたての頃だ。ここまでの経緯を淡々と語るつぐみに、私は両親を失ったことへの同情心を抱くと同時に、軽率に同情してしまったことにある種の罪悪感を覚えて、居心地の悪い思いをしたものだった。

こういう背景があったために、つぐみはポケモンから距離を置いて遠ざけている。無理もないことだと思う。ポケモンとトレーナーに家族を殺されたようなものなのだから。けれど悲しいかな、つぐみのような子はそう珍しいものではない。ほかの地域でも、似た理由で親しい人や近親者を亡くした事例がたくさん報告されている。

叔父さんはまだ若さの残る人だった。体つきはがっしりしていて、体力がありそうに見えた。少なくとも悪そうな人には見えなくて、つぐみも叔父のことを悪く言ったことはない。ただ、純粋な善人とも思えなかった。悪い人ほど悪そうには見せないとも言うし、いろいろと気になることはある。つぐみの言葉にも、端々に引っかかるところがあった。私も空気が読めるようになってきたここ最近は、特にそう思う。

つぐみと叔父の他に家には誰もいない。二人が何をしているのかは、二人にしか分からない。つぐみには叔父しか拠り所がない。叔父の言うことは絶対と言ってもいい。年頃の女子を見て、叔父が何を思うだろうか。果たして「保護者」のままでいられるだろうか。

(私にはどうしようもない。つぐみと、叔父さんの問題だから)

言ったところで、どうしようもないのだけれど。

 

「玲ちゃん素振り綺麗だよねぇ。どうやって練習してるの?」

「特に変わったことはしてないよ。家でも暇つぶしにしてるくらいで」

「えらいねぇ。わたしん家だとできないから、部活で練習するしかないかなぁ」

放課後。いつも通り剣道着に身を包んだ私と静恵が、部員が集まるまで軽く素振りをする。微かに汗を浮かべている私とは対照的に、静恵は涼しい顔をしている。小柄な体つきだけど、意外に体力があってタフだ。意外なのは体力だけじゃない。間延びした口調に丸っこくて幼い顔つきで子供っぽく見られることの多い静恵だけれど、実際のところ中身は見た目ほど幼いわけじゃない。

私が把握している限り、静恵は私たち四人の中でただ一人の彼氏持ちだ。相手はつぐみのクラスにいる男子で、去年の終わり頃、ちょうど半年ほど前から付き合っているらしい。沢島くん、確かそう呼んでいた。あいにく、沢島って男子がどんな子なのかは知らない。静恵の方から付き合おうと言い出したらしい。電話番号も交換して、家に遊びに行ったこともある、そう電話口で話していた。つぐみはポケギアを持っていないし、家には連絡しないで欲しいと言っていたから、恐らくつぐみはこのことを知らない。相性の悪い理奈は言わずもがなだ。静恵は私の口が固いのを知っていて、あれこれ話をしてきている。

そういう静恵もまた、ポケモンに縁がない。私たちと同じだ。むしろ私たちが今も繋がりを持ちつづけている、一番の理由と言えるかもしれない。

理由を聞かせてもらって納得した覚えがある。納得せざるを得なかったと言うべきかもしれない。理奈の理由とも、つぐみの理由とも、私の理由とも、また色が違っている。普通とは思えないし、嫌いになるのも分かる。

(従姉妹がミロカロスと駆け落ちして、海で暮らしてるなんて言われたら)

人間であることをやめた、静恵は家を出た従姉妹のことをそう形容していた。

日曜日に海で見かけた「ミサキ」。彼女はかつて静恵の従姉妹だった女性で、今は駆け落ちしたミロカロスと共に海で暮らしているという。静恵いわく、お相手のミロカロスは♀だったそうだ。人間で言うところの男性的な役割を果たすのが♀のミロカロスらしい。お互いに愛し合っていたけれども家族からは受け入れられず、何もかも捨てて家を飛び出したって聞いた。周囲の人には気が触れたようにしか見えなくて、それで「ミサキ」と呼ばれるようになった。

呼ばれるようになった、静恵はそう強調していた。「ミサキ」は人名、それも女性の人名のように聞こえるけれど、彼女の本名ではない。本当の名前はまた別にあるけれど、静恵はただ「本当の名前じゃない」と言うだけで、名前を明かすことはしなかった。

静恵の中では、従姉妹は死んでしまったものとみなされているからかも知れない。私はそう考えている。

「玲ちゃん、ストレッチしよ」

「いいよ」

竹刀を振る手を止めて、私が静恵を見やる。

遠巻きには幼げに見える瞳の向こうに、ゆらめく陰を感じながら。

 

(今日の東原先輩、ちょっと厳しかったな。なんとか付いていけたけど、疲れちゃった)

東原先輩と地稽古をしたけれど、今日はいつもよりずっと打ち込みが激しかった。それでもなんとか食らいついて何度か面や小手を取ったけれど、その何倍も打たれてしまった。すっかりくたくたになった体を引きずりながら、家の門扉をくぐる。まるで意識しないままに郵便ポストを覗き込んでいて、郵便物が何も届いていない光景を目にする。目当てのものが来ることはない、そう分かっていても毎日見てしまうのは、人間の悲しい性だろうか。空っぽのポストを一瞥してから、フタをバタンと閉じた。

家の鍵を開ける。学校カバンを机の上へ置くと、竹刀袋を隅に立てかけて、濡れた面と胴と前垂れを軒下に出して、道着と袴を洗濯機へ放り込む。汗を吸った制服を脱ごうと脱衣所へ向かおうとした時、自室の向かいのドアが開け放たれているのが見えた。ふと足を止める。いや、足が止まると言った方が正しいか。

(お母さん、掃除でもしたのかな)

がらんとした部屋を見つめる。主を失った部屋はずいぶんと寂しいものだ、そう思わずにはいられなかった。掃除はされているから、埃を被っているわけではないのが救いかも知れない。もっとも、今後元の持ち主が使うかどうかも分からない部屋の掃除をしたところで何になるのかという思いもある。

私には、かつて姉がいた。二つ上の姉がいた。

姉は三年前にポケモントレーナーとして旅立って以来、一度も姿を見せていない。榁に帰ってきたこともなければ、現状報告のための写真を寄越してきた記憶もない。一応、一年程前まではそこそこの頻度で手紙や電話をよこしていたけれど、それも最早絶えて久しい。今は連絡を取ることさえできなくて、どこにいるのかも分からない。

失踪、あるいは行方不明。姉の現状を言い表すには、このどちらかの言葉で事足りる。

(きっともう、戻って来ることはない)

姉はもう戻ってこない。私はそう思っている。戻ってくると約束したことを、今でも忘れてはいない。前までは信じていた。けれど今は違う。もう姉の言葉など信じていない。私は裏切られた。その思いで全身が満たされて、憎悪で全身が泡立ちそうになった。

仮に今更戻ってきたところで、どうしようもない。旅に出るための適齢期は過ぎてしまった。姉は私が外へ出たいことを知っていながら、榁へ、自分の家へ戻って来なかった。理由は分からない。事故に巻き込まれたのか、それとも自分が旅を続けたいから戻ってこないのか。どっちだって変わらない。私がここにいなきゃいけないことは同じだからだ。

子供の間で「お留守番法」と通称されている法律がある。兄弟がいて、かついくつかの条件に当てはまる場合、長男または長女が優先的にポケモントレーナーの資格を得られるという法律だ。私もポケモンを扱うための免許は持っている。けれど、職業としての「ポケモントレーナー」にはなれない。だから、ポケモントレーナーなら受けることができる種々の恩恵から外れている。虐待を受けているといった特別な理由が無い限り、自らの意志で親元を離れることもできない。

この法律ができたのは、今からたかだか十年ほど前だ。それまでは長女だろうが次女だろうが、満十歳を迎えればポケモントレーナーの資格を取ることができた。免許と同時にトレーナーの資格も発行されて、その場で旅立てるというわけだ。榁だと慣習的に十一歳になってから、つまり小学五年生から六年生へ上がるタイミングで旅立つことが多い。これは、一年間旅をしてみてダメだと思ったら帰ってきて、いろいろな小学校から子供が集まってくる中学でどさくさに紛れて学業に復帰するというやり方が流行ったからだ。中学校には年齢が十四歳までならいつでも編入はできるけれど、二年生以降で編入する子はほとんどいなかった。言うまでも無く、目立つからだ。落ちこぼれだと後ろ指を指されるのは目に見えている。

ところが、誰でも簡単にポケモントレーナーになれてしまうことが、長期的に見てある問題を起こしつつあった。ポケモントレーナー以外の職業への就業者が目に見えて減り、逆にトレーナーが受けられる補助金を利用する人の数が統計的に明らかなほど増えていたのだ。国策として、ポケモントレーナーの総数を抑える必要に迫られたわけだ。

そこで作られた法律が、長男と長女を優先的にポケモントレーナーになれるようにする法律、お留守番法だ。この法律は長男と長女に対して優先的に資格を与え、少なくとも一人は家へ残しておかなければならないという制約を国民に課している。次男次女以下がポケモントレーナーの資格を得るためには、満十八歳になるか長男長女が資格を破棄する必要がある。この余りに歪な仕組みは、政治の上での微妙な駆け引きが行われた末に見いだされたものだと聞いた。

迷惑千万とは、このことだろう。

長男と長女を優先するという摩訶不思議な慣習は、ポケモントレーナーに限った話ではない。分かりやすい例だとジムリーダーにもこの法律は適用されていて、長男から順にジムリーダーになれる法律になっていると聞いたことがある。むしろ、ジムリーダーに適用していたルールをトレーナーにも持ってきたと考えた方が自然かも知れない。それが適切かどうかは、また別の話だけれども。

不幸なことに、姉と私はこの法律に引っかかった。姉が先に旅に出ていって、姉が戻って来るか或いは十八歳になるまで、私にはトレーナーになるための資格がない。ポケモンを持つことはできても、ポケモントレーナーにはなれない。ジムバッジを賭けてリーダーに挑戦することもできなければ、宿泊やポケモン預かりシステムをはじめとするポケモンセンターのトレーナー向けサービスも利用できない。できないことが多すぎて、旅をすることは実質的に不可能だった。言うまでも無く、ポケモンリーグが開催する公式大会にも出場できない。

(佳織ちゃんも、これと同じだった)

(同じように姉がいて、同じように法律に引っかかって、同じように榁に残った)

同じ境遇に置かれたことは、私と佳織ちゃんが仲良くなった理由の一つだった。佳織ちゃんは妹で、佳織ちゃんは次女で、佳織ちゃんにも姉がいて、私とまったく同じ理由でひとり榁に取り残された。お姉さんの名前は「佐織」さんだったか。私と違うのは、佐織さんは佳織ちゃんの「双子」の姉で、誕生日も年齢もまったく同じだったことだ。先に佐織さんの方が生まれたからという理由で、戸籍上の姉として扱われていると聞いた。

かなり前からオオスバメのツイスターを相棒にしていて、野試合でも連戦連勝して才能を見せていた佳織ちゃんとは違って、佐織さんにトレーナーとして光る部分は無かった。これは私にも分かる。どう考えても、旅立つべきは佳織ちゃんの方だった。佐織さんは資格を取らずに、佳織ちゃんに道を譲るべきだった。佳織ちゃんなら間違いなく一流のポケモントレーナーになれたことだろう。ポケモン部でプレイヤーとしても部長としても大活躍しているのを鑑みれば、尚更だ。

なのに。なのに法律のせいで、お姉さんの方が、それもただ少し早く生まれてきたというだけの双子の姉が、優先してポケモントレーナーになれる。しかも佐織さんは佳織ちゃんの実力を妬んでいて、佳織ちゃんが外へ出られないようにするために自分が旅立っていった。残された佳織ちゃんは、この榁で燻りつづけることになった。どういう心境だったかは、想像するに余りある。筆舌に尽くしがたいものがあったに違いない。

そして――私と佳織ちゃんのどちらも、姉は戻って来なかった。約束の期日を過ぎても戻らない姉の代わりに、いなくなってしまった姉の代わりに、榁で終わることのない留守番を続けている。

(私の前からいなくなった、か)

(いなくなったのは……比奈子も同じかも知れない)

私の前からいなくなった人間はもう一人いる。それが、比奈子だ。

比奈子。かつて私たちのグループにいた、同い年の女子だ。私・静恵・理奈・つぐみ、それから比奈子。私が預けられていた学童では、いつもこの五人でグループを作っていた。

私はかつて学童保育に預けられていた。場所は海沿いの児童館で、小学二年生から四年生にかけてのことだ。姉は一緒じゃなかった。姉は家の鍵を渡されて、自由に出入りすることが許されていた。それは「お姉ちゃんだから」という、有り体に言えば理由になっていない理由のためだ。これもポケモントレーナーと同じこと。大人の思考はいつだってワンパターンだ。私は学童へ行って、他の子ともっと一緒に遊んだりした方がいい。確か母はそう言っていた。私が昔から抑圧的で、物事を醒めた目で見るところがあったのを嫌気したからだと思っている。子供は元気で純粋なのがいい、そういうステレオタイプを押しつけてくるのが、今も昔も変わらない私の母の性質だった。

学童は退屈だった。グループでだらだらと遊んで、時折児童館の掃除当番が回ってくる。あまりにやることがないから、学校が終わって児童館に来てからは真っ先に宿題に取り掛かった。このおかげで、宿題をさっさと済ませてしまう習慣が身に付いたことだけは収穫かも知れない。おやつにはしょっちゅうビスコが出てきた記憶がある。口の中の水分が吸われる感触が嫌で、今でも見ただけで口の中が乾いてしまう。もう食べたいとは思わない。

比奈子は私たち学童グループの中心にいた。五人の中では飛び抜けて活動的で、今相対的に見てまとめ役になっている私とは比べ物にならないほどエネルギッシュだった。あの時のグループと今のグループでは、メンバーはほとんど同じだけど、集団としての色合いが違っていた。

そんなある日、比奈子が突然「姿を消してしまった」。文字通り突然に、言葉通り「姿を消してしまった」。

学童を抜け出して、歩いて十分ぐらいの場所にある神社――星宮神社で遊んでいたときのことだ。ふと気付くと、比奈子の姿が忽然と消えてしまっていた。比奈子がいなくなるほんの数分まで、私たちは彼女の元気な姿を見ていた。それこそ、元気過ぎて振り回されてしまうほどに。あれは事件に巻き込まれたのか、事故に遭ったのか、それすらも判然としない。目の前で突然、文字通り「消えて」しまったのだから。

今も何ら手がかりはつかめないままで、もちろん比奈子の行方なんて分かっていない。生きているのか死んでいるのかさえはっきりしない。比奈子が失踪してから親はすぐに行方を眩ましてしまって、かつて彼女が住んでいた家は今も売りに出されている。

姉も比奈子も、今となっては行方知らずだ。ある時から急に連絡が途絶えて、そのままいなくなってしまう。事実がどうであれ、周りからすれば「消えてしまった」と言うしかないような状態だ。素性をよく知っている身近な人間が二人も失踪するなんて、そうそうあるものでもあるまいし、あってほしくもない。誰かが突然目の前からいなくなること、それはいつ起こるか分からない。

それこそ、何の予兆も無くポケモン部を辞めてしまった、佳織ちゃんのように。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。