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Stage 6-4

水曜は朝から雨模様だった。けれど、室内で活動する剣道部にはさして関係などなくて。

「親はそう言うんだけど、どう考えてもあたしの方が正しいと思うの。玲ちゃんも思わない?」

「理奈が思うんなら、そっちが正しいんじゃないかな」

朝練が済んだ後の時間。今日は千穂の姿は見えない。部活の続きで理奈と話をしている。話をすると言っても何か中身があるわけじゃなくて、ただの他愛もない中身もない世間話だ。だいたいは理奈があれこれ話して、私が相槌を打つ感じの流れになる。私はこれといって理奈に話すことがあるわけじゃなかったから、こうやって聞き手に回ることが多い。

前にも言った通り、理奈は言い方は悪いが、誰かに依存してないといけないタイプだ。一見すると我が強くて自分の意見を持っているようだけれど、実際のところ自分で何かを決めるということが苦手だったりする。剣道部に入った経緯もそうだし、何かにつけて私に同意を求めてくる辺りにもその片鱗が現れている。とはいえ、理奈は出会った頃から私に依存していたわけじゃない。もちろん自分をしっかり持っていたわけじゃない。別の子にくっついていただけだ。

それが、比奈子だった。以前は私じゃなくて、比奈子の側にいることがほとんどだった。自己主張が強くて、自分のやりたいようにしたがる思いの強い比奈子に迎合して、都合のいい友達として振る舞っていた。比奈子も言うことを聞く理奈を気に入っていた節があったように思う。少なくともわたし達が学童にいる間、二人はいつも行動を共にしていた。

理奈が変わったのは、比奈子が「消えて」からだった。比奈子が私たちの前から忽然と姿を消してしまったとき、真っ先に「このことは黙っていよう」と言い出したのが理奈だった。何故かは分からない。自分たちが比奈子の失踪に関与していると思われたくなかったからかも知れないけれど、事実として私たちは何もしていない。けれどその時は、比奈子が突然消えてしまった事で気が動転してしまって、理奈の言う通りにするべきだと判断してしまった。静恵とつぐみもそれに従った。

大人には「比奈子がはぐれてしまった」とだけ伝え、遊んでいる最中にどこかへ行ってしまったことにした。人が突然消えるなんて、説明したところで信じてもらえるとは思わなかったこともある。比奈子が「消えた」ことは、私たち四人だけの、他に明かしてはいけない秘密になった。

本人が謎の失踪を遂げて、私たちの人間関係が変わってしまった頃を境に、私たちの間で比奈子のことはタブーになった。初めからいなかったかのような扱いで、私たちの間で話題に登ることはなくなってしまった。比奈子の存在は私たちの間から抹殺されて、いなかったことにされたのだ。

私自身、思うところがあって、比奈子のことはあまり話す気にはなれないけれども。

理奈が別の友達に声を掛けられてそっちへ行ったのとほぼ同時に、隣の教室にいる静恵が遊びにきた。私はまだ登校してきていない右隣の席の椅子を引いて座るよう促す。静恵は「ありがと」と言いながら、空いた椅子に腰かけた。

「今週土曜日大会だねぇ。勝てるといいなぁ」

「勝てるようになるためには、練習あるのみだよ」

「ふふっ。玲ちゃんマジメなんだからぁ」

静恵は理奈に苦手意識を持っているというのは以前話した通りで、その理由は理奈にからかわれていたからというのも話した通りだ。けれど理奈が主体的にやっていたわけでもない。むしろ比奈子が静恵を攻撃して、理奈はそれに同調していただけのことだ。静恵はそれを今も憶えていて、あからさまな警戒を仮面の下に隠しながらも、理奈とは確実に距離を置いている。

比奈子が静恵を苛めていた理由なんて、あってないようなものだ。榁にテレビ局がやってきて、洞窟の壁画を取材するという機会があった。その時に「地元の歴史に興味のある子供」というポジションに選ばれて取材を受けたのが静恵だった。静恵は自分がテレビに映ったことが嬉しくて、それを私たちに話して見せた。私やつぐみはこれといってネガティブな気持ちにはならなかったけれど、自分が目立っていないと気が済まない比奈子と、芸能界とかテレビとかを一緒くたにして嫌っていた理奈の二人は癪に障ったらしい。あえて聞こえるように静恵の陰口を叩いたり、学童のおやつを静恵にだけ配らなかったり、今思うとずいぶん陰湿な苛めを繰り返した。静恵はすっかり参ってしまって、一人隅で縮こまっていることが多かった。

こういうことで何か思うことがあったのか、静恵は人一倍ませた性格になった。それをほとんど表に出さないようにするための、感情をコントロールする技術も身に付けている。外面こそ子供っぽく見せているけれど、内面はかなり違っている。私たちの中で一番に彼氏を作って見せたし、時折垣間見せる言葉や態度からして、少なくともキスくらいはしたんじゃないかって感じがする。私も、彼氏の家へ行って二人きりになったと言われたら、何も無かったと考える方が難しいと思う。

ただ、静恵が彼氏を作った経緯を聞くと、実のところ少し同情したくなる気持ちもあった。本人が望んだこともあったけれど、それ以上に両親や親戚から向けられる目が嫌だったから、らしい。それはどういうことかと訊ねると、静恵は事もなげにこう言い放った。

「だって、今度はわたしがペリッパーと駆け落ちしますって言い出したら困るからでしょ?」

静恵の従姉妹はミロカロスと駆け落ちして「ミサキ」と呼ばれるようになった。家族からしてみれば気が触れたとしか思えない出来事だ。そして、同じ事が静恵にも起きないかと気が気ではなかったらしい。静恵はことあるごとに「彼氏はできないのか」だとか「ポケモンに興奮したりしていないか」などと訊ねてくるデリカシーの無い親戚の目を嫌って、さっさと彼氏を作ってしまうことにしたらしい。静恵にしてみれば、いい迷惑でしかなかっただろう。

どんぐり眼をこちらに向けて来る静恵からは、自分の感情を隠すしたたかさは見て取れない。

「あ、そうだ玲ちゃん。今度駅前の駄菓子屋さん行かない?」

「いいよ。じゃ、どこか予定空けておくから」

このなんて事のない会話も、静恵の中では別の意味を持っているのかもしれないと思うと、少しばかり居づらい思いがした。

 

洗った剣道着と袴を外に干してから、部屋へ戻ってベッドへ腰かける。

静恵は彼氏と帰り、理奈は居残りをすることになって、今日はつぐみと二人で家路に付いた。駅まで差し掛かった頃、つぐみが「叔父を迎えに行くから」と言って、駅の方面へ走って行った。この年頃で、代わりとは言え父親に当たる人を迎えにいくというのは、率直な意見として珍しいと思う。もっとはっきり言うと、何か引っかかるものを感じる。

うまく言えないし確証があるわけでもないけれど、どうしても拭いきれない思いがある。つぐみと叔父は、一般に想像されるような普通の関係ではないんじゃないか、というものだ。ドラマとかでたまに見るような、歪みを孕んだ関係があるんじゃないかと考えてしまう。

殴られたりしないタイプの虐待を受けている――そんな風に感じてしまうことがある。

(男子に近付かれるのを嫌がるのも、あるいは……)

つぐみは潔癖症なところがあって、男子に触れられることを極端に嫌っている。近付いただけでも距離を取るくらいだから、なかなかに根が深い。理由を訊ねたら「汚らわしいから」と言われたはずだ。私もベタベタ触られるのは嫌だけれど、ブレザーの上から肩が掠めただけで声を上げるのは、さすがに別の理由があるとしか思えない。

学童にいた頃、つぐみが私にこんな質問をしてきたことがある。

「レイちゃんは、寝るときって服は着る? パジャマってもう卒業した?」

当時は質問の意味がよく分からなくて、私は「まだパジャマ着てるけど」と普通に回答した覚えがある。振り返れば、あんな質問が出てくる時点で何かがおかしい。なぜ何も着ずに裸で寝る必要があるのか、小学生だった私にはまるで理解が及ばなかった。

幸か不幸か。今の私は、服を着ずに「寝る」こともあるのだということを知っている。それが単純に睡眠を目的としたものではないということも、また。

(『卒業』、か)

(……気持ち悪い)

気持ち悪い。ただその感情しか浮かんでこなかった。

つぐみが両親を事故で亡くして伯父に引き取られてからのことは、私自身朧気ながらにしか知らない。つぐみ自身が話したがらないし、こっちも聞きたいとは思わなかった。聞いてどうするんだ、そんな思いもあった。

大人しくて目立たないキャラクターをしていて、遠巻きに見ている分には無害そうな印象を受ける、それが他の子から見たつぐみだと思う。けれど、私から見たつぐみは少し違う。言葉で言い表すのは難しいけれど、あえて言うなら、どことなく「なまぐさい」匂いのする子だと思う。物理的な意味じゃなくて、雰囲気の問題だ。私とも静恵とも理奈とも違う、微かになまぐさい匂いがまとわりついている。

何がつぐみの地雷か分からなかった。だから私にしてみれば、つぐみもまた触れ辛い所のある子だった。

(静恵がつぐみに彼氏の事を言わないのは、静恵もつぐみのことをよく観察してるからかもしれない)

理奈は苦手で、つぐみは男嫌い。それでいて私は口が固いと思われていて、話し相手にはうってつけだ。彼氏の話を私にしかしないのも、そう考えると合点が行く。

静恵の彼氏――沢島は、以前はポケモン部に所属していたらしい。以前は、と注釈を付けたのは、今はもう退部してしまったからだ。ポケモン部を辞めたのは、部長にしてエースの佳織ちゃん、もとい天野先輩と意見が合わなかったから。という話を聞かされた。部活を辞めさせられた男子がいるという話は、剣道部にいる男子の大塚から聞いた記憶がある。大塚の言い方だと、佳織ちゃんが意見の合わない後輩を冷酷に切り捨てた、という感じだった。

ただ、実情はちょっと違っている。静恵が言うには、沢島は佳織ちゃんと喧嘩別れしたわけではないらしい。沢島の連れていたポケモンと沢島が望むバトルスタイルが噛み合わなくて、佳織ちゃんはそれに対してアドバイスをしたと聞いた。沢島は自分にセンスが無いことを自覚して、佳織ちゃんと合意した上で退部を選択したそうだ。個人としては佳織ちゃんをいいとも悪いとも思っていない静恵の、しかも彼氏に関する話だから、ある意味説得力があった。

何より、佳織ちゃんならありそうだ、と思える内容だった。私が佳織ちゃんと一緒にいたときも、佳織ちゃんは相手のペースに合わせてくれる柔軟さがあった。後輩が燻っていたとしたら、短い的確なアドバイスをしてアシストするだろう。簡単に切り捨ててしまうような性格ではない。

だからこそ。

(自分自身をポケモン部から切り捨ててしまう、そこまでする理由は)

その理由が、どうしても分からなかった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。