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Stage 7-3

火曜日。いつもより少し騒がしい教室。そこに佳織の姿はない。佳織の姿が見当たらないことが、教室にいる同級生たちをそこはかとなくざわつかせている。

佳織の存在は絶対的だった。小山中ポケモン部が誇る最強のオオスバメ使い。不動のポケモン部部長。すべてを圧倒するカリスマ。その存在感は飛び抜けていて、小山中が小さな中学校だということを前提に置いたとしても、異常という言葉がふさわしかった。その佳織の姿がないというのは、他の生徒達を動揺させるには十分なことだった。

クラスメートがグループごとに寄り集まって、口々に佳織やポケモン部のことを噂しあっている。その輪の中に入る気がしなくて、俺は素知らぬ顔をして自分の席についた。時間が経てば経つほど佳織の噂話は広まって、何があったかの情報も共有されていくだろう。その過程を見ているのがどこか心苦しくて、俺はせめて蚊帳の外にいさせてほしいと、ただそう願うばかりだった。

「へぇーっ、これがあの玉虫かぁ」

「都会っぽく作ってるなぁ、でけービルもあるし」

ふと斜め後ろに目を向けてみると、一人の男子を囲むように別の男子が二人固まって、三人で何やら遊んでいるのが見えた。手元にあるのは、黄色い小さなゲーム機。確か、ゲームボーイだったか。学校へこっそり持ち込んでいるようだ。言うまでもなく、本来は校則で禁止されている。禁止したところで、教師が見つけられなければ意味などないのだけれど。

本体に差さっているゲームが何なのか、すぐに察しが付いた。今年の3月頃に発売されたロールプレイングゲーム、その名も「ポケットモンスター」。そのストレートなタイトル通り、ゲームの内容も王道をひた走っている。プレイヤーは関東の地方都市である真更市のトレーナーとなって「ポケモン図鑑」をもらい、ポケモンを捕まえたり倒したりしながら各地を旅していく。このポケモン図鑑を完成させることが、ゲームの第一の目標となる。

その過程では、ライバルとして行く手に立ちふさがる幼馴染との対戦や、ポケモンを使った犯罪に手を染める組織との戦いといったイベントも待ち受けている。実在の人物をモデルにしたジムリーダーに勝利してジムバッジを集め、旅路の果てにすべてのバッジを集めた暁には、強豪の待ち受けるポケモンリーグへの挑戦権が得られる。並み居る強敵を倒してチャンピオンの座に付くこと、それが第二の目標だ。

図鑑を完成させ、チャンピオンになった後も、ゲームは終わらない。自分が手塩にかけて育てたポケモンを、他のトレーナーたちが育てたポケモンと戦わせることができる。プレイヤー同士の戦いで勝利することが最後の目標だ。

(家にいながらトレーナーの体験ができる、そういう意味でも評判だ)

このゲームには、ポケモントレーナーとして旅をしている過程でしばしば起こること――野生のポケモンとの不意の遭遇、他のトレーナーとの野良バトル、暗いトンネルを探検する、ポケモンに乗って海を渡る・空を飛ぶといったことが、ゲーム中のイベントとしてうまく落とし込まれている。辛い部分や面倒な部分はなるべく省いて、そうした出来事の驚きや楽しさの部分だけがうまく抽出されている。家にいながらトレーナーになれるとは、よく言ったものだと思わずにはいられない。

容量の都合で、ゲーム中では関東地方の都市が、それも大きく簡略化された上で擬似的に再現されているに過ぎない。俺たちが住んでいる榁はおろか、豊縁地方は全域が登場しない。登場するポケモンの数も絞られていて、豊縁では誰もが知っているジグザグマやキャモメといった日常的に目にするポケモン、あるいはカイオーガやレジスチルといった伝承上のポケモンも未収録だ。星宮神社に祭られている三体の神様はすべてポケモンが元になったと言われているが、それらも登場していないと聞いた。

それでも、関東の名所旧跡はなるべく収録したいという意図があったのだろう。鈍市の博物館や石竹市のサファリゾーン、紫苑市の慰霊塔「ポケモンタワー」といった、皆が知っている施設や建築物が数多くゲームに登場している。ある意味では、地理の学習ソフト的な一面も持ち合わせていると言えた。

「これさ、関東だろ? なんかさ、静都のやつも見てみたいよな」

「だよなだよなー。もっと人気出たら、ひょっとして豊縁をぐるっと一周するやつも出たりするんじゃね?」

「ぜってー欲しいなそれ。俺、親からトレーナーになんてなるなって、ずっと言われてるからな」

トレーナーになれなかった。一人がつぶやいた言葉が、鈍く重く、心の中へ沈んでゆく。

ゲームでは主人公とライバルが共に旅立って、そして最後にチャンピオンの座を賭けて戦う。その光景は、俺と佳織があのとき共に夢見ていたもの、そのものだった。

今はどうだ。自分にそう問いかけて、答えるまでもないとすぐに考えを打ち切る。

俺も、佳織も――一番星の夢を、叶えられなかったんだ。

 

放課後のベルが鳴る。荷物を持って帰ろうとした矢先、隣のクラスにいる高橋と出くわした。大きな荷物を持って歩いている。部活へ行くところだろうか。

「高橋」

「お、よう北原。これから帰るのか?」

「見ての通り、帰宅部だからな。高橋はこれから部活か?」

「ああ。もうすぐ春の地区大会があるから、稽古に本腰を入れないとな」

お前はいつだって本腰だろ、と俺が茶化すように言うと、高橋が天井を仰いで笑った。よく言うな、と高橋が溌剌とした声で応える。迷いなんてどこにも見て取れない、まっすぐなやつだと思った。

気さくで話しやすいやつ、それが他の同級生から見た高橋の評価だった。俺もそれに同意したい。誰に対しても分け隔てなくおおらかに接することができる、気の置けない友人の一人だ。俺がどういう境遇なのかを知っていてこの態度なのだから、尚更そう思わずにはいられない。

「剣道部の方は順調か? いや、何か気になるってわけでもないんだけどさ」

「まあな。みんな熱心に稽古してくれてるし、先生だってやる気だ。俺もやる気が出るってもんだ」

剣道部は小山中の部活の中で比較的メンバーが多い部類に入る。その部をしっかりまとめているのだから、高橋は皆から信頼されていると言っていいだろう。男子だけでなく女子からも慕われているのは、気配りがしっかりできるからに他ならない。言い方はよくないかも知れないが、高橋は特段顔つきがいいとか、そういうキャラクターではない。けれど責任感が強くて、頼り甲斐がある。

こういう人間こそ、本来はポケモントレーナーに向いている。

高橋がトレーナーにならなかった理由は分からないし、俺が聞き出す権利もない。大した背景なんて無い、ただのびのびとありのままに生きているのだろう。俺はそう思うことにして、これ以上考えるのをやめた。

「あっ、高橋ぃ!」

立ち話をしていると、高橋のいる二組の教室から一人の女子が出てくるのが見えた。女子は廊下に出るなり高橋を見つけて、通りのいい声を張り上げて名前を呼んだ。

「お、東原さん」

「お、じゃねーよ。もうすぐ大会じゃん。こんなとこでぼさっとしてねーで、さっさと武道場行くぞっ」

「悪ぃ悪ぃ、今行くからさ。それじゃ北原、またな」

「ああ、頑張ってな」

東原に引っ張られていく形で、高橋が俺の前から去っていく。清楚な感じがする見た目に反して、口ぶりはずいぶん威勢がいい。前はあんな感じじゃなかった気がするが、大会が近くなってきてテンションが上がっているのだろう。さほど気にすることでもない。そして東原にペースを握られつつも、高橋の様子はどこか楽しそうだった。今日に限らず、高橋は東原と一緒にいるといつも嬉しそうな顔をしている。その理由は、そんなに複雑なものじゃない。簡単に言えば、高橋は東原のことが好きだった。

(けど、東原は……)

俺は知っている。東原は三組にいる男子、名前は……確か須藤だったか。須藤と付き合っている。同じ小学校に通っていて、その頃から両思いらしい。だから高橋は、東原に片思いをしていることになる。

思うに、高橋の願いはきっと成就しないだろう。東原のことを想っていて好きではいる、けれど須藤から奪い取るような真似はしない。好きだという気持ちがいつか伝わることを願いながら、部活の同志として側にあり続ける。なんというか、俺には辛くて耐えられそうにない。

(それでも、高橋は東原を好きでいつづけている)

例え想いが通じなくても、高橋の気持ちは変わらない。それは、いつか東原と恋仲になれるという夢を信じているから。

どうして夢を信じることができるのだろう。そう考えて、いつの間にか夢を信じることができなくなった自分がいることに気がつく。夢は夢でしかなく、目が覚めれば手から零れ落ちて跡形もなく消えてしまうもの。どこにも止めることはできず、ただ夢を見たという感情が後に残るだけ。

俺はもう、夢を信じることはできない。

できないんだ。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。