――アトリエ・セルリアン。
「関口さん、ここがリアンさんのアトリエだよ」
真新しい白壁を持つアトリエを指差しながら、ともえがみんとにアトリエ・セルリアンの所在を教えた。みんとはアトリエの周囲をぐるりと見回し、大まかな外観的特徴を把握しにかかる。
「……ここに、魔女が住んでる?」
「ああ、その通りだぜ。姉貴、呼んでもいいか?」
「うん。あさひちゃん、お願いするね」
ともえからリアンを呼ぶように依頼されたあさひが、ドアをコンコンと軽くノックする。
「リアン! 俺だぜ!」
「はぁ~い」
例によって奥側から、少々間延び気味の声が聞こえてくる。みんとは佇まいを正して、扉が開かれるのを待つ。
「いらっしゃ~……って、あら?」
扉を開けた瞬間、リアンは声をあげて立ち止まった。彼女の目に一番最初に飛び込んできたのが、見慣れない顔――みんと――だったからだ。
「リアンさん、こんにちはっ」
「こんにちは、ともえちゃん。それにあさひちゃん」
「おう、今日も世話になるぜ」
「この二人はいいとして……あなたは?」
ともえとあさひに挨拶を交わした後、リアンは当然の疑問を口にした。目の前にいるみんとは姿勢を崩さず、微動だにしていない。
「……初めまして。関口みんとと言います」
「わたしのクラスの同級生なんです。学級委員をしてくれてます」
「ほほー、ともえちゃんのクラスの同級生。ということは……」
大方予想が付いたのだろう。リアンがにやりと口元に笑みを浮かべる。
「……三人目?」
「はい。三人目です」
「まあ、三人目だな」
この言葉だけで、大体の意味は通じることだろう。
「なるほどね。あなたも弟子入り希望、ってとこかしら?」
「……………………」
みんとは軽く深呼吸をしてから、おもむろにさっと右腕を上げた。その直後……
「……たのもー」
……なんとなく、弟子入りと道場破りを混同している気がしないでもない。
「あははっ。関口さん、そういう風にしなくても大丈夫だよ~」
「……大丈夫?」
「平気平気。うちはイマドキのゆるふわ系魔女の館だから、ね」
ゆるふわ系て。
「ま、ともえちゃんも似たようなことしてたから、分からないでもないけどね」
「中原さんも……?」
「そうなのよ。あたしに弟子入りするってなった時に、ともえちゃん、あたしのことを『師匠』って呼んだのよ」
「あぅ~……リアンさん、その話はしないでくださいよ~」
「あはは、めんごめんご」
いきなり素のテンションで話すリアンの様子に、みんとの心もいい塩梅に解れてきたようだ。
「えーっと……そうそう、みんとちゃんだっけ」
「……はい」
「可愛い名前ね。名前どおり、爽やかな感じがするわ。弟子入り、歓迎するわよ」
「……ありがとうございます」
ぺこり、とお辞儀をするみんとに、リアンが微笑んで応じる。
「うむ! とりあえず立ち話もなんだから、みんな中に入ってちょうだい」
「はいっ!」
「おうよ!」
「……(こくり)」
リアンに招き入れられ、三人はアトリエへと足を踏み入れるのだった。
「……これが、アトリエ……」
「ふふふっ。みんとちゃん、気に入ってくれたみたいね」
アトリエに入るや否や、みんとは目を見開き、瞳を輝かせた。カラフルな原色の粉末が詰まった小瓶が並ぶ棚、オブジェへ変貌している途中の石、洒落た足付きの丸いガラステーブル、程よく散らかったデスク。リアンが一日中気ままに過ごしている様子が一目見て分かる、興味をそそられる光景だった。
「……この絵は……夕焼け?」
「その通り! この間隣の海の夕焼けを見て、こりゃ描かなきゃって思ったのよ」
「わぁ……この前見せてもらった時から、また進んでますね!」
「うむ。日和田は静かで空気もいいし、何をやってもはかどるわ」
「何もねえところだが、何も無いのがかえってよかったりするんだよな」
「そうそう。結局は真っ白なご飯が一番おいしいのと同じで、ね」
「……日本人は、お米の民族……」
ご機嫌な様子で頷くリアンに、隣からともえが声をかけた。
「リアンさん。関口さんに、魔法のこととかを教えてあげてください」
「おー、そうだったそうだった。まずはそこからよね。ちょっとばかし長くなりそうだから、お茶とお菓子を用意してくるわ。待っててちょうだいね」
ぽんと手を叩いて、リアンは颯爽とキッチンへ向かった。その後姿を、みんととともえがじっと見つめる。
「関口さん、あの人がリアンさんだよ。どうかな?」
「……素敵な人だと思う。けれど……少し、驚いた」
「驚いた?」
みんとの「驚いた」という言葉に、ともえがそのまま訊ね返す。
「……中原さんから『魔女』だって聞いて、私はもっと、おばあさんみたいな人を想像してた……」
「なるほどな。姉貴の言いたいことも、俺には分かるぜ」
「そっか……うん、そうだよね。普通に『魔女』って言われたら、やっぱりそういう人を思い浮かべると思うよ」
かつてともえがそうだったように、みんとも「魔女」に固定的なイメージを抱いていたようだった。
「……けれども、あの人は違う。普通の、優しいお姉さんにしか見えない」
「そうそう! わたしもそう思うよ!」
「あれで魔法をポンポン使っちまうんだから、イメージなんてアテにならねえもんだよな」
今回のことだけではない。実物とイメージの著しい乖離は、往々にして起こりうることだ。あさひの言うとおり、人の中で創られたイメージというものは、存外アテにならないものなのかも知れない。
「なあ姉貴。むしろ、リアンが黒いローブを着てニタニタ笑いながら土鍋で怪しいクスリを煮込んでたりしたら、そっちの方が不自然だよな」
「絶対そっちの方がおかしいよ~。エプロン姿で涼しい顔をしながらパレットで絵の具を調合してるとかだったら、普通に想像できるけどね」
「だよな! 俺もそう思うぜ!」
妙に細かいたとえ話を出しながら、ともえとあさひが談笑する。
……その隣で。
「偶像と実体は、いつも一致しないもの……」
「……………………」
「……偶像を護るために、実体が反故にされて」
「……………………」
「……実体を保つために、偶像が増長していく……」
――みんとの呟きが、二人の耳に届くことはなかった。
「――というわけで、魔女・魔女見習い、それから魔法についての説明は以上よ」
「……ありがとうございます」
丸テーブルにシナモンティーとレーズンクッキーを囲み、リアンがみんとに簡単なオリエンテーションを行った。ともえとあさひも、隣で一緒に話を聞いている。
「一気に説明しちゃったけど、みんとちゃん、大丈夫だったかしら?」
「……はい。ちゃんと、理解できました」
「うむ! 心強い言葉ね。みんとちゃんなら、きっとすぐに立派な魔女になれるわ」
相変わらず表情一つ変えず頷くみんとに、リアンは満足そうな表情を見せて応じた。
「リアンさんのクッキー、毎回種類が違うんだよ」
「洒落たことしてくれるぜ。しかもいけるな、こいつは」
ともえとあさひは、リアンが出してくれたレーズンクッキーを手に手に、楽しそうに談笑していた。相変わらず、リアンのクッキーは好評なようだ。
「よしよし、好評なようね。よかったよかった……あら?」
二人がおいしそうにクッキーを食べている様子を気分よく眺めていたリアンだったが、あるタイミングでふと声をあげた。それにつられるように、ともえが疑問の声をあげる。
「リアンさん、どうしたんですか?」
「んー……いや、大したことじゃないんだけど、ね」
少し言いづらそうに前置きをしてから、リアンは。
「みんとちゃんって、クッキー嫌いだったりする?」
「……………………」
みんとが、クッキーに一切手をつけていないことについて訊ねた。名前を出されたみんとは少し俯いてから、こう答えた。
「……かなり嫌いじゃない」
「あさひちゃん、これはお約束だよね」
「おう。いつか絶対やると思ってたぜ」
やってやったやってやった(ゆっくり系のしたり顔で)。
「……むしろ、すごくおいしそう……」
「およ? それなら、食べていいのよ。遠慮なく」
「……ごめんなさい。母上から、『外でお菓子を食べてはいけない』と言われているから……」
「……なるほど。そういうことだったのね」
みんとがリアンのクッキーに手をつけなかった理由は、リアンのクッキーに不満があったり、みんとがクッキー嫌いだったりしたわけではなく、母親からの「躾」によるものだったようだ。リアンが納得したように頷き、みんとの肩にそっと手を乗せる。
「みんとちゃん、偉いわね。お母さんの言うこと、しっかり守ってるなんて」
「……ごめんなさい。せっかく、出してもらったのに……」
「いいのいいの。そういう真面目な子、最近だと少なくなっちゃったから、ね」
リアンが優しく肩を抱くと、みんとは表情を緩ませた。
「俺だったら、これを目の前に出されたら手が伸びてもおかしくねえと思うぜ」
「……大丈夫。こういうのには、慣れてるから……」
「今までずっとそうしてきた、ってわけね」
「関口さん、ホントに真面目だよね。わたしだったら、こっそり食べちゃうと思うよ」
口々に賞賛する面々を見ながら、どう反応すべきか、みんとは少しばかり困っていたように見えた。
「……………………」
困っている、ということを、みんとはあえて口には出さなかったけれども。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。