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Stage 7-5

「北原くん」

「愛佳」

翌日、木曜日の朝。席に着いて時間を潰していると、同じクラスの愛佳が隣から声を掛けてきた。椅子に腰掛け直して愛佳を見やる。不安気な面持ちで、どこか怯えているようにも見える。愛佳が内気で引っ込み思案なことは知っていたから、普段ならさほど気に留めなかったに違いない。

普段なら――ということは、今は愛佳の様子に気掛かりなものを感じるということでもあって。

「どうかしたのか」

「えっと……佳織ちゃんのこと、何か知らないかな、って……」

愛佳は佳織を探している。事情はすぐさま理解できた。けれどあいにく、愛佳を喜ばせられそうな情報は俺の手元にない。

「悪い。俺も分からないんだ。学校に来てないのは間違いないが、それくらいだ」

「そっか……分かったよ。ごめんね、北原くん」

肩を落とす愛佳に、俺は何も言葉を掛けてやることができなかった。愛佳と佳織が互いに置かれている立場を慮れば、二人が直接連絡を取り合うことなどできるはずもない。直に電話や対面で話ができたなら苦労はしないだろう。それさえできない状況に、愛佳と佳織は放り込まれているのだから。愛佳は少し間を置いてから、今度は大木の元へ歩いていった。同じことを訊ねるつもりなのだろう。

愛佳は佳織に会いたがっている。ここ数日大変な目に遭い通しなのは根掘り葉掘り聞かずとも想像が付くし、そうでなくても愛佳は佳織を心の支えにしていた。例えどんな状況になろうと、愛佳は佳織を待ち続ける。その意図は理解する。

そして、佳織が教室に姿を見せない理由もまた、俺にはよく理解できた。

(愛佳と佳織は、分かたれてしまった)

ずっと一緒にいた二人が分かたれてしまう、その痛みを知らない俺じゃない。愛佳と佳織のようなとても固い絆で結ばれた二人なら、尚更その痛みは大きなものになるのは想像に難くない。

二人の関係は、分かたれてしまったのだ。

 

それからずっと愛佳のことが頭から離れないまま、俺はいつの間にか授業をすべて受け終わって、自分の部屋に閉じこもっていた。

(あいつは……愛佳は、どう思ってるんだろうな)

愛佳が今、何を思っているのか。俺には知る由もない。だけど、佳織に会いたがっていることだけは疑う余地のない事実だった。強い不安に晒されていて、自分を守ってくれる佳織の姿を求めている。恐る恐る俺に声を掛けてきた愛佳の様子を見れば明らかなことだった。

愛佳と佳織が出会ったきっかけを振り返ってみる。確か二人は、ちょうど佳織がツイスターを保護する少し前に知り合ったはずだ。遠くの街から引っ越してきたという愛佳に、佳織が声を掛けたのがきっかけだと聞いた。

傷付いたツイスターを最初に見つけたのも愛佳だったらしい。血まみれで横たわるツイスターを見てパニックに陥っていた愛佳を佳織が落ち着かせて、手際よくポケモンセンターまで運んだという。愛佳はそこで佳織の頼もしさに触れて、彼女を慕うようになった。佳織もそれが嬉しかったようで、愛佳と親友になるまでさほど時間を要さなかった。二人の相性はとてもよかったというわけだ。

(佳織には姉がいて、愛佳にも姉がいて)

愛佳にも姉がいた。「真帆」という名前だった。愛佳の姉だと聞かされたが、それにしても愛佳と真帆は似ても似つかない顔つきをしていた。真帆も愛佳も進んで言うことはしなかったが、おそらく二人に血のつながりはない。真帆は母親に似ていたから、愛佳に違う血が流れているのだろうと思っていた。他にも思い当たる節はある。真帆は愛佳のことを「親戚の家から引き取った」と言っていたはずだ。つまるところ、愛佳と真帆は義理の姉妹ということだ。愛佳が内気で引っ込み思案なのは、この辺の複雑な家庭環境も影響しているように感じる。

義理の姉妹とはいえ、二人の仲はよかった。愛佳は真帆を慕っていて、真帆は愛佳を大切にしている。俺は一人っ子だから本当のところは分からないにせよ、真帆と愛佳は理想的な姉妹関係と言ってよかったんじゃないか、そう思っている。真帆は愛佳とは正反対で明るく面倒見のいい典型的な姉御肌だった。ただ、負けん気と向こう気もかなり強くて、しばしば佳織の姉と口喧嘩をしたりしていた。とは言え根は優しくて、佳織の姉に理不尽に詰られていたもう一人の同級生を庇っているところを時々見かけた。あの同級生にも妹がいて、よく三組の姉妹で固まっていたのを思い出す。

(姉や佳織の影響を受けて、愛佳もトレーナーを志した)

真帆は根っからのトレーナー志望で、早くから北の洞窟でクチートを捕まえたりしていた。その影響を受けたこともあったし、佳織がツイスターを育てて戦わせている姿を目の当たりにして興味が湧いてきたらしい。愛佳もトレーナーになりたいと口にするようになった。ややこしい法律で雁字搦めにされた佳織とその姉とは違って、真帆と愛佳はこれまた法律の関係で同時に旅立つことができることが分かっていた。だから、姉妹で仲良くポケモンを扱うための免許と、トレーナーになるための資格を取りに行った、そういう話を聞いた。

免許と資格を取って戻ってきたのは、姉の真帆だけだった。

何が理由だったのかは分からない。愛佳も真帆も理由を言おうとしなかったからだ。

ポケモンを扱うための資格は、よほどのことがない限り誰でも取得できる。トレーナーの免許だって、法的な問題がなければほとんどフリーパスだ。筆記試験も実技試験も、せいぜい一週間対策すればクリアできる程度のものでしかない。愛佳だって免許を取るための勉強や練習をしていたはずだし、何もしていなかったわけじゃない。だから、免許を取れない「よほどのこと」があったとしか考えられない。けれどそれが何なのか、少なくとも俺は今でも分からずにいる。

(佳織との関係がますます深くなったのは、この頃で)

愛佳は免許と資格が取得できずにトレーナーの夢を絶たれ、佳織は法律の壁に阻まれて夢を諦めざるを得なくなった。似た境遇にあったことが二人の関係を後押ししたに違いない。愛佳に至っては、慕っていた姉が旅立って榁からいなくなったことも大きかった。俺が榁を発つ直前の愛佳は佳織に依存していると言ってもいい状態で、佳織も愛佳を守ることを何よりも優先しているように見えてならなかった。帰って来てからの様子を見るに、俺がいなかった間も関係に変化はなかったようだ。

佳織は愛佳を守ることに意義を見出していて、愛佳は佳織に強く支えられることで安寧を得ていた。1993年の春先にかけて起きた二組の姉妹の分断。それが佳織と愛佳の関係を強固なものにして、切っても切れない信頼関係で結ばれるほどになった。

(だからこそ)

(だからこそ、あんなことは起きちゃいけなかったんだ)

あの事件が起きてしまったことを知ったとき、俺はこの世の地獄を見た気がした。

愛佳と佳織が共にある、それはもう叶わない。二人がいくら願おうと、周囲がそれを許さないだろう。二人は永劫に分かたれて、もう二度と交わることはない。

二人の関係は……変わってしまったんだ。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。