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Stage 8-2: Phase 1

目が覚めると、涙を流していた。

たくさんの悲しい記憶が、思い出したくない光景が、一度の夢ですべて蘇ってきてしまった。

(お姉ちゃんがいなくなって)

(洋平くんと別れることになって)

(トレーナーになるって夢を奪われて)

(それから、最後に……)

怒濤のように押し寄せる悲しい夢の果てに、わたしは一番見たくない、最もつらい悪夢を見てしまった。

(窓のない暗い部屋にいる)

(淀んだ空気の中で、何もできずに震えて、汚れたからだを縮こまらせて)

(水を飲めなくなって、何日が経っただろう)

(最後に陽の光を浴びたのは、いつのことだろう)

悪夢はいつも、暗い部屋で目を覚ますところから始まった。わたしはその部屋に閉じ込められて、もうずっと長い間、外へ出られずにそこに座り込んでいる。黴と汗の混じった匂いが鮮明に蘇ってきて、猛烈な吐き気を覚える。それは匂いがもたらすものだけじゃない。

忌まわしい記憶が蘇ってしまった、その辛さ、苦しさがもたらすもの。

けれど、わたしの記憶にこんな風景は存在しない。わたしは生まれてからずっと、錦薛の施設で育ったはずだ。殺風景で無機質な施設の記憶。わたしにはそれしかないはずだ。施設へ来る前の記憶は持っていないし、ありもしないはず。けれどあの夢は、あの悪夢は、あまりにも鮮明に、おぞましいほどのリアリティを持って、わたしを毎夜責め苛んだ。

(一枚の立て看板を隔てて、わたしはどこへも行けずにただ座り込んでいる)

(やせ細っていく体、少しずつ弱くなっていく鼓動、失われていく生きるための気力)

(わたし、このままここで死んじゃうのかな)

そう考えて絶望したとき、目の前の光景が悪夢だと気が付いて、涙を流しながら目を覚ます。何度見ても、決して慣れることのない、凄惨で陰惨な、絶対的な悪夢。

幼い頃から繰り返し見る、この世で一番辛い悪夢だった。

佳織ちゃんにも話したことがある。いや、悪夢を見るたびに話をして、その度にわたしの苦しい気持ちを受け止めてくれた、吐き出させてくれた。

「愛佳、悪夢を見たら私に言って。大丈夫、いくらでも話を聞いてあげるから」

「いつか私が、愛佳の悪夢を止めてあげるから」

どこかに閉じ込められることほど恐ろしいことはない、苦しいことはない。佳織ちゃんはわたしの気持ちを汲んで、すべて理解して、力強く励ましてくれた。悪夢に慣れることはなかったけれど、佳織ちゃんがいてくれたから、幾分気持ちが楽になった。

(狭い場所に、ずっと閉じ込められている)

でも、それは。

(佳織ちゃんも……わたしと同じだった)

わたしだけじゃ、なかった。

佳織ちゃんは、ポケモントレーナーになれなかった。わたしとは違う理由で、けれど同じように、ポケモントレーナーにはなることはできなかった。佳織ちゃんは免許を取ることはできたけれど、ポケモントレーナーになるための資格を得ることはできなかった。

その理由は、姉の佐織さんにあった。

(もともと佐織さんは、ポケモントレーナーになる気なんてさらさらなかった)

(佳織ちゃんと違って、するべきこともしていなかった)

佐織さんはポケモントレーナーになることを志望していたわけじゃなかった。旅に出るつもりなんてない、そんな風に吹聴していたことさえある。何の目標も持たずに、ただ佳織ちゃんの双子の姉だと言うだけで佳織ちゃんを抑圧して、自分の方が優れていると根拠なく繰り返していた。ポケモンに興味があったわけじゃなかったし、愛情を持っていたわけでもない。佳織ちゃんが育てていたスバメをたびたび虐めて、寝床を蹴っ飛ばしたりしていた。本当に、ロクなものじゃなかった。

あれは二人が適齢期――十一歳を迎えた頃のことだ。

この頃にはもう、佳織ちゃんは榁でも一目置かれるほどの実力者になっていた。暴風を巻き起こす剛力と、相手の裏をかく狡猾さ。その二つを兼ね備えたオオスバメに、佳織ちゃんは「竜巻」と「曲者」の意味を持つ「ツイスター」という名前を与えた。ツイスターは成長と進化を遂げて強靱な肉体と精神を手に入れ、佳織ちゃんは無数の実戦からたくさんの知識と経験を得ていた。佳織ちゃんの適確な指示とサポートに全幅の信頼を寄せ、ツイスターは恐れることを知らず敵に立ち向かう。二人の強さは、お姉ちゃんも手放しで賞賛するほどのものだった。

佐織さんがポケモントレーナーになると言い出したのは、ひとえに佳織ちゃんの存在が大きかった。佳織ちゃんに倣ったわけじゃない。断じてそういうわけじゃない。佐織さんは知っていた。自分は長女で佳織ちゃんは次女。双子とは言えそこには歴然たる違いが存在している。長女は次女に優先してポケモントレーナーになれることを知っていた。自分より遥かに実力のある佳織ちゃんがポケモントレーナーになることが許せない。ただそれだけの、つまらない理由のために、佐織さんは自分がトレーナーになると言い出したのだ。

佳織ちゃんを榁というかごの中で飼い殺しにして、決して外へ飛び立たせないように。

佳織ちゃんは免許は持っている。けれど佐織さんがポケモントレーナーになった以上、法的には親元を離れられなくなった。もちろん、何もかも捨てて外へ飛び出すという選択肢もあった。実際、それを考えるほどに思い詰めていた時期もあった。それに佳織ちゃんなら、一人でも生き抜くことはできたかも知れない。佳織ちゃんにはそれだけの度胸と胆力、それから覚悟があった。しなかったのは、お母さんがいたから。お父さんは単身赴任で長い間家に帰らなくて、家には病気がちなお母さんがいたからだ。

(優しかった。佳織ちゃんは本当に優しかった)

(だから、お母さんの側に残った。体の弱いお母さんを一人にしないために)

(薄情な佐織さんの代わりに、自分がお母さんを支えていくことにしたんだ)

血を流すほど唇を噛みしめて、目を真っ赤に腫らして泣きながら、佳織ちゃんは外へ出て行かないことを選んだ。選ばざるを得ない状況に置かれて、あらゆる抵抗の芽を潰されて、翼をもがれた鳥のように悶え苦しみながら、榁に残ることを決断した。

「あんた……ふざけるのもいい加減にしなさいよ!」

「佳織ちゃんを閉じ込めて、トレーナーになれなくして、あんたに一体何の得があるっていうのよ!」

お姉ちゃんは佳織ちゃんが不条理な理由でトレーナーになれないと知って、佐織さんに激しく詰め寄った。佐織さんはそれが癪に障って、汚い言葉で喚き散らして、お姉ちゃんの問いにまともに答えようとしなかった。お姉ちゃんの言うことは紛れもない正論で、涙を流して佳織ちゃんへの理不尽な仕打ちに憤慨して、わたしと佳織ちゃんの想いをこれ以上なく正しく代弁してくれた。佳織ちゃんはツイスターと共に佐織さんにずっと目を向けたまま、殺意にも似たギラギラした眼差しを向け続けていた。

思えばこのときの激しい諍いが、佐織さんの中でずっと燻っていて。

偶然再会してしまった折に、不幸にも暴発してしまったのかも知れない。

(これとほとんど同じ事が、凜さんと玲ちゃんのところでも起きていた)

玲ちゃんはトレーナーとして旅に出るつもりでいたらしいけれど、土壇場で凜さんがトレーナーになりたいと言い出した。凜さんは佐織さんからいつも自分を庇ってくれるお姉ちゃんの姿を見ていて、自分もお姉ちゃんのように強くなりたいと思うようになった、そんな話を聞いた。真っ当な理由がある分、凜さんの言い分にはまだ分があったように思う。玲ちゃんにとっては、酷な話かも知れなかったけれど。

三人の姉に、三人の妹。姉たちはそろって旅立って、妹たちはことごとく残された。

お姉ちゃんと凜さんの旅立ちを、わたしと佳織ちゃんが見送る。佐織さんは先に出ていってしまって、玲ちゃんは見送りに訪れなかった。遠ざかっていく船を見つめながら、私は心にぽっかり穴が空いたような感覚を拭えなかった。側にいた姉が遠くへ行ってしまったことへの痛みを、側から居なくなってしまったことへの幻肢痛[ファントムペイン]を感じながら、佳織ちゃんとふたり、港に立ち続けた。

残されたのは、わたしと、佳織ちゃん。ただ、二人だけ。

(わたしのお姉ちゃんや凜さん、それに……同じ船に乗ってた北原くんのような幼馴染みが、いっぺんに遠くへ行った)

(佳織ちゃんは、そのすべての悲しみを胸の内に秘めて、強く立ち続けていた)

人がいなくなった港で、佳織ちゃんとわたしがじっと見つめ合う。

やがて、佳織ちゃんはポケットからモンスターボールを出して、そっと地面へ落とした。中からまぶしい光があふれて、オオスバメのツイスターが姿を現す。ツイスターは佳織ちゃんのすぐ隣へ付いて、彼女の側へ静かに寄り添う。

佳織ちゃんはわたしの目を、わたしの目だけを見つめて、強い意志を感じさせる声で語り始めた。

「愛佳」

「私から、お願いさせてほしいことがあるの」

「ここにいるための、榁にいるための、強い動機がほしい」

「私に、あなたを守らせてほしい」

「ずっと……愛佳の隣にいさせてほしい」

「愛佳を守る、愛佳と一緒にいるためなら」

「私は、ここにいたいと思える、だから!」

わたしを守らせてほしい、わたしの隣にいさせてほしい。それが、佳織ちゃんが榁にいるための理由になる。佳織ちゃんはきっぱりとした短い言葉で、わたしに確かにそう告げた。

戸惑った。佳織ちゃんの言葉にじゃない。わたしなんかにそこまでの動機が、佳織ちゃんを榁に縛り付けておくだけの動機があるとは思えなかった。わたしは佳織ちゃんのことを友達だと思ってる。大切な友達、かけがえのない友達、特別な友達だって思ってる。そこは全然ブレてない。けど、佳織ちゃんがわたしのことをここまで深く想っていてくれたなんて。想ってくれていた、なんて。

(でも、わたしは)

わたしは知っている。自分が何者で、どんな存在か。

(人間にもなれない、ポケモンにもなれない、中途半端な気持ち悪いイキモノ)

それが、わたしだ。

わたしは佳織ちゃんに本当のことを言わなきゃいけない。本当のことを告げて、それでもいいのか、確かめなきゃいけない。佳織ちゃんに隠し事をしたくない、嘘だってつきたくない。だから、もう、洗いざらい話してしまうほかなかった。

「佳織ちゃん」

「わたし、ポケモンの免許、取れなかったんだ」

「検査したらね、分かったんだ」

「わたしの体には、半分、ポケモンの血が流れてるんだって」

「ラルトスの血が……全身を巡ってるんだって」

「だから、わたしはポケモンの話してることが分かる。何を言ってるのか、どんな話をしてるのか」

「それに……人の気持ちだって分かる。考えてることも、ぼんやりしてるけど、分かっちゃうんだ」

「今まで知らない顔して、佳織ちゃんがどんなこと考えてるか、聞いちゃったこともある」

「でも、佳織ちゃんは、口に出して言ってくれる言葉も、心の中で抱いてる気持ちも、いつもいっしょだった」

「本心からわたしのことを大事だって言ってくれて、思ってくれてるのに、わたしは……!」

拳に爪が食い込むほど力を込めて、これ以上ないほど固く握り締めて、わたしは目からはらはらと涙を流す。佳織ちゃんがもう一歩前へ踏み込んで、わたしの前に立った。わたしは顔を上げて、佳織ちゃんの姿を正面から捉える。

佳織ちゃんの口が開くのが見えて、そして。

「愛佳は」

「愛佳だよ」

「人とか、ポケモンとか、その前に」

「愛佳は」

「愛佳だから」

わたしの手を力強く取って、佳織ちゃんが決然と言い放った。

「愛佳は愛佳で、愛佳以外の誰でもない」

わたしはわたしで、わたし以外の誰でもない。

「私は愛佳の側にいたい。それだけだよ」

そうか、やっぱりそうだった。

(理由なんて、必要なかったんだ)

わたしの側にいたい。佳織ちゃんからもらったその言葉を、幾度となく噛み締める。そうしていると、感情が高ぶってきて、気持ちが波打つようにうねってきて、いろんな思いがあふれてきて、言葉になって口から零れていった。

「佳織ちゃん」

「わたし、佳織ちゃんに、側にいてほしい」

「ずっとふたりで、いっしょにいたいよ」

わたしが声を詰まらせながら、ずっと思っていたことを言う。佳織ちゃんの目には涙が滲んでいたけれど、わたしの姿をしばし見つめて、右手でごしごしと目元を拭った。綺麗になった瞳に、わたしの姿が映し出された。

佳織ちゃんとわたしが同時に腕を伸ばして、そして抱き合った。抱き合って、抱き合って、強く抱き締め合う。佳織ちゃんはわたしの熱になって、わたしは佳織ちゃんの鼓動と一つになる。顔を上げた先には佳織ちゃんがいて、佳織ちゃんの見つめる先にはわたしがいて。

それから、それから。

(……あれが、初めてだった)

(わたしも……佳織ちゃんも)

ふたり、約束を――契りを、交わした。

 

木曜日。教室に佳織ちゃんの姿は無くて、佳織ちゃんのことを噂するクラスメートたちがいるだけ。無神経な噂話をしているクラスメートに混じって、一人沈黙を保ったままのよく知った顔を見つけた。意を決して近付いて、なけなしの勇気をかき集めて、横からそっと声を掛けた。

「北原くん」

「愛佳。どうかしたのか」

北原くん。佳織ちゃんの幼馴染みの一人で、以前佳織ちゃんに見送られて榁を旅立った子の一人。中学二年生になった頃に榁へ戻ってきて、わたしたちと机を並べて勉強している。北原くんはわたしが来る前から佳織ちゃんと仲がよかったと聞いたことがあるから、もしかしたら何か知っているかも知れない。そう思って、わたしは呼び掛けてみた。

「えっと……佳織ちゃんのこと、何か知らないかな、って……」

「悪い。俺も分からないんだ。学校に来てないのは間違いないが、それくらいだ」

「そっか……分かったよ。ごめんね、北原くん」

初めから、そんなに期待はしていなかった。北原くんに、じゃない。佳織ちゃんがあんな状況に置かれて、他人に向けてみだりに心境を口にする可能性は高くないと思っていた。やっぱり、佳織ちゃんの今の状況は分からない。分かったことは、ただそれだけ。

北原くんとの話を終えてから、大木くんにも同じようなことを訊いた。帰ってきた答えもまた、ほとんど同じで。何も分からない、分かったのは、ただそれだけだった。

学校へ来てから、他人と交わした言葉は、これだけだった。

晴れない気持ちを抱えて、誰とも口を利かないまま、放課後を迎える。まっすぐ帰っても、家の周りには知りたがりの大人達がたむろしていて、中に入ることにも苦労するだろう。すぐ学校を出る気にはなれなかった。

時間をつぶしたい。そのはっきりした思いを胸に、わたしは意識的に屋上へ向かった。屋上へは誰も来ない。来たとしても私と同じように一人になりたい人だけ。物思いに耽るには、考えごとに没頭するには、とても都合のいい場所だった。

手すりに身を預けて、胸に溜まっていた息を吐き出す。空を見上げて真っ先に浮かんできたのは、佳織ちゃんと、その相棒のツイスターの姿だった。

(わたしを守りたい、佳織ちゃんはそう言ってから、人が変わったように戦い始めた)

それまでも積極的に試合をしていたけれど、港でわたしと契りを交わしてからは、今まで以上に積極的にポケモンバトルを挑んでいくようになった。榁を訪れるトレーナーを相手に、佳織ちゃんはひたすら戦い続けた。もちろん敗北もあったし、敵わないこともあった。でも佳織ちゃんとツイスターはその度に強くなっていって、次々に新しい技や戦法を編み出していった。勝ちよりもむしろ負けから、佳織ちゃんは多くを学んでいたように思う。

一度負けた相手には、もう二度と負けない。佳織ちゃんもツイスターも鋭い眼光を放っていて、勝利に対する執念深さがあった。

(それはひとえに、わたしの前で負けたくないという強い思いがあったから)

佳織ちゃんがポケモンバトルをするとき、そこにはいつもわたしが立ち会っていた。これは、わたしのお願いだったし、佳織ちゃんの希望でもあった。

「愛佳が見ていてくれると、負けられないって思うから」

「それが、私とツイスターに力を与えてくれる」

「私とツイスターが愛佳を守るんだって、そんな思いに火が付くんだ」

いつか愛佳が危ない目に遭ったとき、私とツイスターが全力で愛佳を守る――佳織ちゃんの戦いぶりからは、揺らぐことのないとても強靱な意志の力を感じた。例えどれだけ傷付こうと、相手にひたすら立ち向かっていく。それが佳織ちゃんとツイスターの戦い方だった。

戦いを重ねて身体に傷を増やしていく中で、やがて佳織ちゃんとツイスターは、オオスバメという種に秘められたある能力に気が付いた。

「静都から来たってトレーナーが、マグマラシっていう見たことのないポケモンを使ってきたんだ」

「でも、見た目は明らかに炎を使うポケモン。対ドンメルや対ロコンのセオリー通りに戦ってた」

「『エアスラッシュ』と『でんこうせっか』でヒットアンドアウェイを繰り返して体力を削って、じわじわとこちらが優勢になりはじめた」

「ここで勝負を仕掛ける、そう思って踏み込んだとき、相手が『かえんぐるま』の構えを見せた」

「隙を突かれて、炎を纏った相手の直撃を受けて、ツイスターは火傷をしてしまった」

「でも、私はその時気付いた」

「ツイスターの目に、見たこともないほどの光が宿ったことに」

相手の攻撃で火傷を負ったツイスターが見せた、突き刺すような鋭い眼光。佳織ちゃんはそれを目にした瞬間、ツイスターが秘めていた能力に気が付いた。

凄まじいパワーだった。焼け焦げた身体で飛び上がって、マグマラシの背後を取ったかと思うと「つばめがえし」で瞬時に一閃した。マグマラシにはまだ戦える力が残っていたはずなのに、あたかも剣道で面を綺麗に取られたかのように、一撃でその場になぎ倒されてしまった。

ツイスターの攻撃は所詮「からげんき」に過ぎない、相手のトレーナーはそう言い放って、次はオオタチという、また見たことのない胴長のポケモンを嗾けてきた。先手を取ろうと「でんこうせっか」の構えを見せたけど、佳織ちゃんはすかさず「でんこうせっか」を指示した。相手に直接ぶつける形だ。敢えてぶつかってきたツイスターに不意を突かれて大きくのけぞったオオタチを見逃すほど、ツイスターは甘くない。続けざまに前へ踏み込んで、「つばめがえし」でトドメを刺した。いつも以上の攻撃性と剛力ぶりを見せつけて、ツイスターはオオタチをたったの二撃で沈めてしまった。

相手に焦りが見え始めた。次に繰り出したのはアリアドス。このポケモンは見たことがあった。別のトレーナーが繰り出してきたのを覚えていたから。オオスバメのツイスターにとっては戦いやすい相手だった。距離を取っての「エアスラッシュ」で散々ずたずたにされたあと、急降下からの「でんこうせっか」で呆気なく仕留められた。ツイスターも火傷とここまで受けたダメージでかなり疲弊していたけれど、眼に宿った光は些かも揺らぐことはなく、むしろその強さを増していて。

最後に繰り出したのは、頑丈そうな身体を持った小柄なポケモン・ヨーギラスだった。乾坤一擲、地面を殴りつけて、岩塊のイメージを宿したエネルギーをツイスターへぶつけたけれど、ツイスターはまるで意にも介さず、それを眉一つ動かさずに翼で叩き落とした。攻撃を無に帰されたヨーギラスとトレーナーが驚愕している内に、ツイスターは弾丸のように相手へ突進し、決め技の「つばめがえし」で空高く吹き飛ばした。

この一撃で、勝敗は決した。

(ツイスターには、特性があった)

(敵からダメージを……それも火傷を負ったり毒を食らったりすると、相手への怒りと勝利への執念で、いつも以上の凄まじい力を発揮するんだってことを)

この特徴を知ってからのことだ。ツイスターが、わたしに話し掛けてきた。

「マナカちゃん」

「ツイスター、どうしたの?」

「ひとつ、教えてほしいことがあるの」

ツイスターはわたしがポケモンの言葉を聴けることを知っていて、わたしを介して佳織ちゃんと会話ができることを理解していた。わたしが佳織ちゃんに自分がポケモンとのハーフであることを明かしてからのことだ。佳織ちゃんもツイスターもわたしの特徴を少しも忌むべきものだと思わず、むしろ活かせるなら積極的に活かせばいい、というスタンスだった。その割り切りの良さが、わたしの心をずいぶん軽くしてくれた。

「教えてほしいこと? 何かな?」

「ニンゲンって、火をおこすことはできるの?」

「もちろんできるよ。マッチやライターを使えば、誰でも簡単にできるよ」

「本当に!? それなら、カオリちゃんにお願いしなきゃ!」

「お願い……?」

わたしが首を傾げると、ツイスターは翼を広げて、はっきりと言い切った。

「強いテキと戦うたびに、わたしのカラダに火をつけて――って!」

わたしはこのツイスターの言葉に耳を疑った。どうして自分の身体に火を付けて、なんて言い出すのか分からなかったからだ。

「ど……どうして? ツイスター、どうしてそんなことを?」

「わたし、火や毒をもらうと、チカラがわいてくるの。いつもよりずっと強くなって、どんなテキにも勝てるって、そう思えるの」

「この間の、マグマラシと戦ったときみたいに?」

「うん。いたくて、くるしいけど、でも、強くなれる。わたし、強くなりたい!」

「ツイスター……」

「カオリちゃんとマナカちゃんに、おんがえしがしたいから!」

わたしは、わたしとツイスターのやり取りを、そのまま、一言一句変えることなく、佳織ちゃんに伝えた。とても躊躇ったけれど、でも、嘘をついちゃいけない、ポケモンの言葉を聞いて理解できること、それを受け入れて、「いい能力だ」と言ってくれた佳織ちゃんに対して、嘘をつくことなんてできなかった。

「たとえ自分が傷ついても、私たちに恩返しがしたい」

「――ツイスターが、そんなことを言ってたんだ」

の言葉をひとつひとつ噛み締めて、佳織ちゃんがツイスターをまじまじと見つめる。佳織ちゃんの言葉に、穏やかな目をしたツイスターが、深く頷くのが見えた。佳織ちゃんはポケモンの言葉を聞くことはできない、けれどツイスターは佳織ちゃんの言葉を理解しているし、佳織ちゃんはツイスターの意図を余すところなく汲み取れた。

「……分かった」

「私も、身を焼く覚悟を持たなきゃ」

佳織ちゃんとツイスターの間で、ひとつの決まり事ができたのは、その頃だった。

「ツイスター! マッチを擦ったわ、こっちへ来て!」

佳織ちゃんは常日頃から、マッチの入った小箱を持ち歩くようになった。相手が強いと見ると、ツイスターが佳織ちゃんに合図をして、佳織ちゃんがマッチを擦る。そしてツイスターを呼び寄せるか、あるいは自分から駆けていって、ツイスターに火の付いたマッチを放った。当然ツイスターは火傷を負う。けれどそれがトリガーになって、ツイスターは潜在能力を発揮できる。焼け付く体の痛みを敵への怒りのエネルギーに転換して、ツイスターは猛然と敵に立ち向かっていった。

マッチを擦るとき、佳織ちゃんはいつも擦ったマッチの火で手を炙っていた。少しの間手のひらを焼いて、ごく小さな火傷を作ってから、ツイスターへ火を放っていた。火傷はごく小さなもので、目立つことはなかったけれど、決して平気でいられるようなものではなかったはずだ。

「ツイスターを傷つけるなら、まず率先して私が傷つかなきゃいけない」

恐ろしく据わった目で、佳織ちゃんはそう口にしていた。自らツイスターに火を付けて強くする代償として、自分の身体にも火傷の痕を残す。覚悟、という言葉が重く響く。佳織ちゃんにこれだけの「覚悟」があったからこそ、ツイスターは佳織ちゃんが自分の身体を焼くことを全面的に受け入れた。ふたりは同じ痛みを共有して、結束をより強くしていった。

火を浴びたツイスターはさながら火の鳥のように、すべてを焼き尽くす獰猛な火の鳥のように、あるいは――かつて欲していながら手に入らなかったアチャモのように、対峙する相手を蹂躙していった。全身に傷痕を作りながら、佳織ちゃんとツイスターはただ戦いつづけた。

すべては、わたしを守るための力を持つために。佳織ちゃんとツイスターは、ただその一心で戦いを重ねていった。

(わたしは、佳織ちゃんに守られることで、ひとりじゃないと思えた)

(佳織ちゃんは、わたしを守ることで、自分がここにいる意味を見出した)

(わたしを守ることで佳織ちゃんが生きる意味を見出せる、それが、とても嬉しかった)

(支えて、支えられて。ふたり、いっしょに)

(わたしと佳織ちゃんは、ふたりで、ひとつだった)

悪い言い方をすれば、共依存。わたしと佳織ちゃんは、共依存の関係にあったんだと思う。けれど、わたしたちの間に後ろ暗いところなんてひとつもなかった。いかなるカタチであれ、お互いがお互いを支えていけるなら、それは理想的な関係だと、わたしは思っていた。

 

こうして佳織ちゃんが戦いを重ねていく中で、とても強いトレーナーと対戦する機会があった。

(あれは、半年くらい前だったかな)

わたしたちより二回りは幼い、二ケタになるかならないかという少女だった。けれど、既に正式なトレーナーとしての免許を手にしていて、傍らにはチルタリスと、ツイスターの同族であるオオスバメを従えていた。

「強いオオスバメを使うトレーナーが榁にいると、そう聞きました。手合わせ願えますか?」

「生憎、私はトレーナーじゃない」

「そうですか。では――」

「……けれど、挑まれた勝負から逃げ出すほど甘くもないよ。行って! ツイスター!」

「これもひとつの試練……舞いましょう! 出なさい、オオスバメ!」

ツイスターと少女のオオスバメが睨み合う。体つきは相手のオオスバメの方が大きかったけれど、ツイスターはまるで動じていなかった。敵意を漲らせた鋭い視線を向けて、虎視眈々と攻撃の機会を伺っている。先手を取った少女のオオスバメに、ツイスターがカウンターの構えを見せた。

文字通り、血で血を洗う激戦になった。翼と翼のぶつかり合いが幾度となく繰り返された。佳織ちゃんのツイスターは強かったけれど、少女のオオスバメも同じか、それ以上に強かった。一進一退の攻防が延々と続いて、どちらも決着の一撃を繰り出せずに攻めあぐねていた。

ちらり、とツイスターが佳織ちゃんの目を見る。戦闘中のアイコンタクト、あの合図だった。すかさず、佳織ちゃんがポケットからマッチを取り出す。慣れた手つきでマッチを擦ると、自分の手に傷を作ってから、ツイスターへ放り投げた。

その光景を目にした少女が、驚きを湛えた顔で声を上げた。

「それは……! 何をしているのですか!?」

「敵に策を明かす必要なんてない。ツイスター! 構えて!」

「自分のポケモンに火をつけるなど……トレーナーの風上にもおけません!」

「……!」

トレーナーの風上にも置けない、その言葉が、佳織ちゃんの心に火を付けた。

「……そうだ。私はポケモントレーナーじゃない」

「あなたとは違う。あなたとは違う、這い上がるしかない人種だ……!」

「それでも私は戦う! 戦い抜いて見せる! どんな手を使ってでも、勝利を手にする!」

「トレーナーになれなかった人間の! 意地を! 見せてやる!」

佳織ちゃんの声に相手が気圧されたところを、ツイスターは見逃さなかった。オオスバメの懐へ、一直線に飛び込む。

「――『つばめがえし』っ!」

ツイスターの「つばめがえし」が、オオスバメにクリーンヒットした。決して躱すことのできない、必殺の一撃。吹き飛ばされたオオスバメが地面に倒れ伏して、ツイスターが勝利を手にした。けれどツイスターも満身創痍で、これ以上戦うことはできないように見えた。なのにその目は鋭さを増すばかりで、溢れ出る敵意を隠そうともせず、少女の隣に立つチルタリスを、射抜くように見つめていて。

バサッ、と荒々しく翼を羽ばたかせて、ツイスターがチルタリスに攻撃を仕掛ける。咄嗟のことに驚きつつも、少女はチルタリスにハンドシグナルでサインを送った。

刹那。チルタリスの口から大きな火球が吐き出されて、ツイスターを火に包み込んだ。ツイスターはそのまま地面に叩きつけられて、力なく倒れ伏す。

「ツイスター!」

全身を焼け焦がしたツイスターが、地面に這いつくばっていた。もう飛ぶ気力も残されていないにも関わらず、目だけはまったく変わることなく、少女の隣で佇むチルタリスを睨みつけ続けていた。駆け寄った佳織ちゃんが首を振って、これ以上戦わなくていい、とツイスターへ告げる。手にした薬で火傷の処置をしっかり済ませて、体力を幾ばくか回復させてから、ツイスターをモンスターボールへ戻した。

ツイスターの入ったボールを手にした佳織ちゃんが、同じくオオスバメをボールへ収容した少女の前に立つ。佳織ちゃんは冷静さを取り戻した表情で、少女の目をまっすぐに見据えていた。

「私の負け。あなたの勝ち。これで、勝負は決した」

「あなたは……本当に、ポケモントレーナーではないのですか」

「なれなかった。姉がいたの。榁を旅立って、今も戻ってきていない」

「そういうこと、なんですね」

敵意を収めた佳織ちゃんと、穏やかさを取り戻した少女が見つめ合う。

「あなた一人にお願いするには、酷なことだと思う」

「けれど……将来のある人に、願いを託すしかない。私には結局、それしかできない」

「どうか、この歪みを、正してほしい」

そこまで言ってから、一息置いて、佳織ちゃんが付け加えた。

「遅くなるかもしれないけれど、いつか、私も比和槙(ひわまき)へ行きたいと思ってる」

「その時は、また手合わせしてほしい」

「今度は――ポケモントレーナーとして」

佳織ちゃんが差し出した手を、少女が取って握り返す。佳織ちゃんの目に、優しい光が戻るのが見えた。

(終わったあと、佳織ちゃんから聞かされた)

あの子は、将来比和槙のジムリーダーになると目されている、鳥使いの少女だと。

自分のウワサを聞きつけて、比和槙からはるばるやってきたと。

「私は、あんな風に言ったけれど」

「あの子なら、きっと立派なジムリーダーになれると思う」

「遥か高く、空の上に居るのに、こうして、地を這う私に会いに来てくれたのだから」

そう語る佳織ちゃんの表情は、どこか嬉しそうで。

それでいて――儚げだった。

 

眠れない日が続いていた。身体をベッドへ横たえて、時間が過ぎるに任せるしかなかった。

(お姉ちゃんも佳織ちゃんもいなくなって、眠るのが怖くなったからかも知れない)

わたしを苦しめる悪夢。何の前触れも無く現れて、わたしを蝕み苛む悪夢。お姉ちゃんがいた頃は、共に眠ることで心を落ち着かせることができた。佳織ちゃんがいた時は、悪夢を見たという恐怖を吐露することで気持ちを整理することができた。

今はもう、共にわたしの側を離れている。たったひとつの出来事が、わたしから大切な人を二人も奪ってしまった。そんな現実こそが悪夢なのかも知れない。わたしはそう思い始めていた。

(佳織ちゃんは、本気でわたしの悪夢を止めるつもりだった)

あの、狭い場所に監禁される悪夢の話をすると、佳織ちゃんはいつも真剣な面持ちで、最初から最後まできちんと話を聞いてくれた。すべてを聞き終えてから、穏やかな言葉を使って、わたしを勇気づけてくれた。いつか必ず悪夢を止めてみせる、佳織ちゃんはしきりにそう言ってくれた。

どれだけ本気だったかは、佳織ちゃんが丸一日図書館に籠もって、夢や悪夢に関する本を読みふけっていたことからも分かった。本の内容をメモにまとめて読み返しながら、佳織ちゃんがわたしに話をしてくれた。

「図書館でたくさん本を読んで、ひとつ分かったことがあるの」

「分かったこと?」

「そう。正確なところは分からないけれど……ここから遠く離れた深奥には、悪夢を見せるポケモンがいるという伝承があるんだって」

「悪夢を……!?」

そのポケモンを倒すか捕まえるかすれば、愛佳の見ている悪夢を終わらせられるかも知れない。佳織ちゃんはわたしにそんなことを語ってくれた。わたしは佳織ちゃんの熱意を嬉しく思ったし、頼りになるとも感じたけれど、伝承はあくまで伝承で、本当にそんなポケモンがいるとは、本音を言えば、半信半疑なところもあった。

転機が訪れたのは、小学校の卒業と、春を間近に控えた頃のことだった。

「愛佳、これを見て」

「これって……地図帳? 北の、深奥の地図みたいだけど……」

佳織ちゃんの家で遊んでいたわたしに、佳織ちゃんが自分の部屋から持ってきた地図帳を見せてきた。地図帳は、以前話をしていた深奥地方のページが開かれている。開かれているページに目を凝らす。深奥地方の東部、帷(とばり)市近隣の地図だ。そしてある一点を強調するかのように、帷市の南部に赤ペンで何重にも○が付けられていた。

その上には――「夢の泉」、という走り書きがされた桃色の付箋が貼り付けられている。

「深奥の東部、帷市の南の辺りには、地図には載っていない『送りの泉』っていう湖がある。そんな噂が、トレーナーたちの間で流れてる。榁へ来た中にも、何人か同じ事を言ってる人がいた」

「その話を聞いて、思い出したんだ」

地図帳をわたしに渡すと、佳織ちゃんはテレビ台の下から何かを取り出す。出てきたのは、まだ少し真新しさの残る赤と白の機械――ファミリーコンピュータだった。本体には、目立つピンク色のカートリッジが差し込まれている。

ACアダプターとRFケーブルを接続して、テレビを点けてビデオ入力にしてから、おもむろに電源を入れる。最初の「絵描き歌」のデモを飛ばして、タイトル画面を表示させる。

「『夢の泉の物語』……」

星のカービィ、夢の泉の物語。少し前に、佳織ちゃんがファミリーコンピュータと一緒に買ったゲーム。ピンク色のかわいいキャラクター「カービィ」が主人公で、敵をやっつけながらひたすら前へ進んでいくアクションゲームだ。佳織ちゃんはこの「カービィ」というキャラクターをとても気に入っていて、可愛さと格好良さを両方感じると、そんな風にベタ褒めしていた。

「丸っこくて、ピンク色で、可愛らしい感じがするよね」

「でも、敵に勇敢に立ち向かって、失われた夢を取り戻すために一人戦うんだ」

「それが、惚れちゃいそうになるくらい、素敵だって思って」

夢の泉の物語。その名前を初めて聞いたときは、少ししゃれたタイトルだと思った。小学校中学年向けの課題図書にでも付いていそうな、綺麗でまじり気のない名前。だからだろうか、とても印象に残っている。

タイトルにもなっている「夢の泉」というのは、その名の通り夢が湧いて出てくる泉で、ゲームの最終目的地になる場所だ。そこは国の宝である「スターロッド」が安置されていて、そこからあふれる力が人々に楽しい夢を見せてくれるという。けれど、ある日カービィのライバルだった敵がスターロッドを奪って七つに割って、部下たちに分け与えてしまった。カービィはそれを一つずつ取り返しながら、夢の泉で待ち受けるライバルを目指して長い旅をする。

佳織ちゃんはこのゲームが好きだった。カービィは敵を飲み込むことで様々な能力を使えて、佳織ちゃんはそのどれを使っても上手にゲームを進められていたのを覚えている。わたしも何回も遊ばせてもらった。安全第一で先へ進むだけなら決して難しくはなく誰でもゴールまで辿り着ける、けれど格好良く立ち回ろうとすると途端に難しくなる。子供ながら、よくできたゲームだと思った。

そう、よくできたゲームだと――そんなことしか、わたしは思っていなくて。

「『夢の泉の物語』には、『レインボーリゾート』という場所が出てくるんだけど」

「北にあるリゾート地で、深奥地方がおおまかなモデルになったって聞いたことがあるの」

「そしてここには、カービィたちが暮らす国の『夢』を司る、『夢の泉』という泉がある」

「けれどそこに、『悪夢』の化身が姿を現した。カービィのライバルがスターロッドを隠したのは、これを封じ込めるためだったんだ」

「寒冷地帯に位置する、夢を司る『泉』。そこに現れた『悪夢』の化身」

「私には、これが偶然とはとても思えなかった」

「夢物語だって思うかも知れないけど、でも私は、可能性に賭けてみたい」

「深奥の奥深くに、悪夢を見せるポケモンがいるのかも知れない。私は、それを探しに行ってみたい」

「愛佳はずっと悪夢に悩まされてる。私はその悪夢を断ち切りたい、ずっとそう思ってる」

「そのために、もっと力をつけて、深奥へ行きたい。行ってみたいよ」

わたしの目を射抜くように見つめて、佳織ちゃんは言った。

佳織ちゃんはあくまで本気で、どこまでも本心から、わたしの悪夢を終わらせたいと考えていた。例え荒唐無稽と言われようと、可能性がわずかでもあるならそれに賭けてみたい。佳織ちゃんの目が爛々と輝いているのを、わたしは見逃さなかった。

「私、新しい目標を見つけたんだ」

「『学生ポケモンリーグ』。そういうのがあるって、星宮神社で教えてくれた子がいてね」

「中学に上がったらポケモン部に入って、学生ポケモンリーグの大会に出場する」

「そこで活躍すれば、トレーナーになる道ができるかも知れない、道が開けるかも知れないんだ」

「プロの目に止まれば、私はもっと力が手に入る。いろんなことができるようになる」

「だから、私――ポケモン部に入るよ」

「少しでも早くトレーナーになって、強くなって、誰よりも強くなって」

「一番星の夢を、掴んでみせる」

「深奥へ乗り込んで、悪夢を見せるポケモンをやっつけて」

「愛佳を苦しめる悪夢を、終わらせられるように」

佳織ちゃんはきっぱりと、わたしにそう言い切った。

戦い続けた。学校のバトルフィールドで、榁のストリートで、大会の会場で、佳織ちゃんはツイスターと共にひたすら戦い続けた。普通の道でポケモントレーナーになれなくても、別の道がある。その道を進めばいいんだ。そう信じて、ただ戦いを重ねていった。

でも。

(その夢は、叶わなかった)

(願いは……届かなかった)

その夢は今や、露と消えた。

流れ星のように堕ちて、影も形も見えなくなってしまった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。