トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

#22 さばきのつぶて

月曜日は何もなくたって憂鬱なものだと思う。それが、土曜日にあんなことが起きてしまったせいで、いつもの比じゃ無い気怠さと身の置き所の無さでいっぱいになってる。文字通り体を引きずるようにして、あたしはどうにか学校に向かって歩いている。歩くのも、カバンを持つのも、息をするのさえ億劫で、正直生きていること自体がつらい。

土曜日の残りと日曜日全部、あたしはずっと家に引きこもっていた。とてもじゃないけど、何かする気力なんて湧いてこなかった。だからベッドの上で時間が潰れるのを待った。こんなにも時間の流れがゆっくりに感じられたのは初めてだ。それでも、ニャスパーが車に轢かれたあの瞬間に比べればまだマシだった。

(寝て、起きて……また寝て、また起きて、その繰り返し……)

ベッドの上で横になって、寝ては起き、起きては寝てを繰り返した。それ以外の事をした記憶がまるで無い。本当にただ寝るのと起きるのを繰り返してただけだ。寝る度に悪い夢ともっと悪い夢を交互に見て、その度に目を覚ました。

悪い夢は、目の前でニャスパーが死ぬ夢。もっと悪い夢は、死んだニャスパーが生き返る夢。

どっちにしても恐ろしいほどに目覚めが悪くて、目の前がぐるぐるして起きていられなくて、少しでも楽になろうと思ってまた横になって眠る。それをひたすら繰り返してた。もうどうしようもないくらい苦しかった。それが全部自業自得、自分のやったことの結果だって思うと、死にたいくらい苦しくなった。

(身体に力が入んない……二日もろくにご飯食べてないからだと思うけどさ……)

こんな有様だから、食欲なんて出るわけもなくて。食べるものがちっとも手につかなくて、ご飯もほとんど食べずに残した。お父さんとお母さんには「食べたくない」って言い訳しといた。幸いというかなんて言うか、時々こんな感じでご飯を食べないことがあったから、あんまり不審がられたりせずに済んだ。いいのか悪いのか、正直もう分かんないけど。

あの様子だとお父さんもお母さんも、たぶん便秘か何かと勘違いしてたっぽかった。あたしは胃腸があんまり強くなくて、普段からも割とこんな調子だったから、またいつものやつだろうって思われたんだと思う。確かに胃はキリキリ痛むし、実際問題お腹の具合も悪くてろくにトイレも行ってないから、当たらずとも遠からずなんだけど。とはいえ、今はそうやって勘違いしてくれてる方が、あたしとしてはまだマシだった。

そうやってお腹を痛くしながら思い悩んでみても、もちろんニャスパーが生き返ることはない。ニャスパーが死んじゃったのは、もうどうしようもない事実なんだ。

(少しの間借りて、気が済んだら城ヶ崎さんに返すつもりだったんだ)

(あたしだって、ニャスパーを死なせるつもりなんてこれっぽっちもなかったんだ)

(けど……だけど、死んじゃったものは、もうどうしようもない)

(とにかく黙ってるしかない。あたしのしたことがみんなにバレたら、人生おしまいだ)

今朝の登校中は、顔見知りとは誰とも出会わなかった。ネネはまた新聞配達で遅れて、ケイはもっと早くから朝練に出てて、城ヶ崎さんはいつもの時間に出たんだろう。学校まで逃げ場のない通学路で誰かと出会わずに済んでいるのは、なんていうか不幸中の幸いって言えるかも知れない。その不幸は、あたし自身が招いたものに他ならないのだけれど。息を殺して周囲の様子を伺いながら、寄り道せず真っ直ぐ学校へ向かう。

とにかく――とにかく黙っていよう。ニャスパーは、あたし以外の誰か別の人が盗んだってことにするんだ。そうじゃない、国府田幸子、お前が盗んだんだって言えるような人は誰もいないはずだ。あたしはニャスパーが教室から消えたときも、事故に遭って死んだ時も、その場には居合わせなかった。そういうことにする、そういうことにするんだ。

あたしは、関係ないんだ。

 

教室へ入って、自分の席まで歩いていく。とりあえず一息――

「ねえねえさっちゃん、今日は仲村渠さん一緒じゃなかったの?」

「えっ?」

入れる間もなく、隣から声を掛けられた。辻井さんだ。

「仲村渠さん。ほら、いつも一緒に来てるから」

「あー……ネネ? んー、いや、今日は一緒じゃないけど。なんか用事あるとか?」

「なんかさなんかさー、仲村渠さん何かしたとか、他の子がウワサしてたから、何かあったのかなって思って」

背中に氷水が流し込まれたような冷たさを覚える。ネネが何かしたってウワサが流れてる。どんなウワサか分かんないし、土日はあれからネネと顔合わせてないから、もしかしたら別のことでなんか言われてるのかも知れない。その可能性はある。けど、今一番現実的に考えられるのは、やっぱりあれしかなくて。

あれしか、なくて。

「変なウワサ……いや、あたしは知らない。そんなの知らないよ。今初めて聞いたし」

「そっかー。さっちゃんだったらなんか知ってるかなって思ってたんだけど」

脇の下にじっとり冷や汗をかきながら、なんとか辻井さんをごまかす。別にあたしが怪しまれてるわけじゃない、ただネネといつも一緒にいるから何か知ってるかもって思われただけ、ただそれだけだ。ここで却って変な素振りを見せたら、あたしがなんかやらかしたんじゃないかって疑われる。それだけは絶対に避けなきゃ。

辻井さんが自分の席へ戻ったのを見てから、ふと後ろから視線を感じて、恐る恐る背中へ振り返る。

「はぁ……」

後ろの席にはゆみが座ってた。ゆみが座ってたんだけど、いつもと何か様子が違う。どこか所在なげというか、思いつめたような様子で、教室のドアをちらちらちらちら、見たり見なかったり、見なかったり見たりを繰り返している。明らかにいつもと様子が違っていて、はっきり言っておかしい。人のこと言える状況じゃなかったけど、なんとなく気になった。

「ゆみ……どうしたの? なんかあった……?」

「……なんでもないよ。なんでも」

言葉と態度が全然一致してない。どことなく胸騒ぎを覚えて、あたしはもっとゆみから話を聞き出さなきゃって思った。もしかしたらニャスパーの件で、あたしが引きこもってる間に何か大きな動きがあったかも知れないからだ。

辻井さんはネネがどうこうって言ってた。辻井さんとか笹木さんのネットワークには、ゆみも参加してたはずだ。それ経由で何かウワサが流されてるってこともありえる。十分ありえる。あたしにはそこで何が話されてるかを知る術はない。だからもっと、もっと詳しく知りたかった。

「ゆみさぁ、もしかして……その、ネネがなんか――」

「なんでもないってば!」

「ひぇっ」

ゆみが声を荒らげたおかげで、あたしは思わず竦み上がった。いつもおとなしくて静かなゆみが、ここまで強く突き放してくるとは思わなかった。何が起きたのか分かんなくて、少しの間何も言えずにその場で固まってた。

「ご……ごめんね、幸子ちゃん。ホントに、なんでもないから……」

少しだけ間を挟んでからゆみも我に返ったみたいで、声のトーンを大きく落としてそう続けた。

何かあったのは間違いない。けど、何があったのかは分からない。ゆみからこれ以上聞き出すのは不可能だった。聞き出そうとすれば、あたしに火の粉が飛んで気かねない。それならまだ、黙ってた方がマシだ。

(辻井さんはあたしが来るなりネネのことを訊ねてくるし、ゆみの様子もおかしい……)

立て続けに冷や汗をかくような出来事が起きたせいだろうか。なんだかクラス全体が不穏な空気に包まれているような気がした。んなこと思ってるのはあたしだけだ、そう自分に言い聞かせてみても、不安は消えない。現に辻井さんとゆみは、普段と様子が違ってたんだから。

「おはよーっす」

また少し時間を置いて、今度はケイが姿を表した。いつも話してる橙花や笹木さんがまだ教室に来てないからだと思うけど、あたしの方へ歩いてくるのが見える。平静を装いつつ、右手を上げてさも普通にしてるっぽく応じる。内心は、察しのとおり荒れ模様だったわけだけど。

「よっすサチコ。ねね子はどうした?」

「んー。今朝は会わなかったから、またいつもみたいに新聞配達で遅れてるっぽい。分かんないけど、たぶんそう」

「そっか、新聞配達も大変だな。ねね子は体も小さいのに、ホントよくやってるぜ」

ケイはいつも通りの調子で、何か知ってるってわけじゃなさそうだ。あるいは、単に興味がないだけかもしれない。今までだって、ネネがどうこうってのはリンクでたくさん送られてきてるはずだし。いつものことだって思って、無視してるのかもしれない。

「ケーイちゃーん! おっはよーうさーん!」

「声でけーよ橙花。ビックリするっつってるじゃん」

「いつものことやーん、そのうち慣れる慣れる。それより聞いてや、ちょっとおもろい話あるねんって」

「お前の言う『おもろい話』が面白かった試しがねーんだけどな……まあいいや、なんだ?」

隣に橙花がやってきて、お喋りを始めた。今のあたしは、橙花の気ままなお喋りにはとても付き合えないと思ったから、さりげなく目線を外して輪から外れる。ネネも、それに――城ヶ崎さんも、そろそろ登校してくる時間だ。二人のうちどちらかが教室に入れば、とにかく何かが動くはず。

今一度言い聞かせる。何があっても、あたしは動いちゃダメだ、喋っちゃダメだ。何もしちゃダメなんだ。あたしは何も知らない、ただの影の薄いクラスメートになるって決めたんだ。

「でもさでもさー、ニャスパーちゃん早く見つかればいいのにねー」

その決意を簡単に揺るがしかねないような台詞が、教室の前方から聞こえてきた。そこにいたのは二人の女子。一方は、いつも辻井さんと一緒にいる笹木さん。そして、もう一方は。

「本当に……誰が連れてっちゃったんだろう……」

城ヶ崎さん――その人だった。

悟られないように悟られないようにと懸命に念じながら、明らかにぎこちない仕草で目を伏せる。とてもじゃないけど、落ち込んでいる城ヶ崎さんの姿を直視することなんてできなかった。そんなことできない、できやしない、できるわけがない。ニャスパーはもうどこにもいないんだってことを知ってるあたしには、城ヶ崎さんから目を逸らさないなんて、とてもそんな勇気のいることはできなかった。

ただこのまま時間が過ぎて、一日が終わってほしい。そんなあたしの都合のいい願いを、神様は聞き入れてくれるわけなんてなくて。

「あ、なんか来た」

あたしの斜め前に座っていた辻井さんが、カバンのポケットへ入れていたスマホを取り出した。タッチしたりスライドしたりして弄ってるのが見える。後ろ――ゆみの席からも何か通知されたっぽい音が聞こえてきて、悟られない程度に目を向ける。ゆみもまたスマホを取り出して、辛そうな表情をして画面を見ていた。見ているものが何かまでは分かんないから、あたしにしてみればただ不安が増すだけのことだった。

何か起きてる。クラスの中で、何か起きてる。それも、結構ヤバいことが、現在進行形で起きてるんだ。スマホが無いのが心の底から歯がゆい。みんな何に関心を持ってて、どれだけの情報が共有されてるのか、さっぱり分からない。今ほどこれを辛いと思ったことはなかった。

こうなったら辻井さんに直接聞いてみようか、いや、ケイの方がすんなり見せてくれるかもしれない、あるいは事情通の橙花に訊ねてみるとか、手は打てないこともない。けど……ここで下手に動いてヘンに怪しまれるより、ガマンして黙ってた方がいいのか。どっちにしようか、誰になんて言おうか、決断を下せないまま、ただ視線を泳がせ続ける。

「おはよう。サチコ、ケイちゃん」

ネネが、渦中のネネが教室に入ってきたのは、直後のことだった。

「よーっすねね子。今日も新聞配達か?」

「うん。がんばって配ってきた」

「そうかそうか。朝からお疲れさん」

「ありがとう、ケイちゃん」

息を止めて、真っ直ぐ歩いてくるネネの姿を見つめる。学校指定の青いカバンと、ジャージが入ってるだろう体育袋をそれぞれ提げて、いつもと何も、何も変わらない顔つきのまま、自分の座席へ向かっていく。

あたしがネネを見ていると、ネネがそれに気付いて視線をこっちに向けてきた。お互いに見つめ合うカタチになっても、ネネの表情はやはりいつも通りのまま変わらない。どこかぼんやりした感じの、見ているうちに眠くなってきそうな野暮ったい顔をして、ネネが自分の席の前まで

 

「――寧々っ! あんた、絵里香のニャスパー殺したでしょ!」

 

その時声を上げたのが知代だと気付くのに、普段の何十倍・何百倍もの時間を要した気がした。

知代の声は、クラス全体を黙らせるのに十分な声量と内容だった。三割くらいの子が知代に、残り全員がネネに目を向けている。あたしはただ独り、水を打ったように静まり返っている教室を、止まらない寒気と共に眺め回していた。風邪でも引いたのかと思うほどの猛烈な冷たさが、あたしの全身を包み込んでいた。

城ヶ崎さんを見る。城ヶ崎さんは顔を強張らせて、ネネの姿をその瞳の中にしっかり捉えていた。今の城ヶ崎さんには、おそらくネネの姿しか見えていない。知代が叫んだことを思えば、当然のことだと思った。

ネネを見る。こんな異常な状況にあっても、ネネは平然としたまま、城ヶ崎さんでもなく知代でもなくあたしでもなく、ただ教室の正面を見つめている。知代の言うことに興味なんて無い、言外にそう言いたげな態度は、まさしくいつも通りのネネそのものだった。興味がないことには関心を示さない。それが例え自分に関わることであっても一貫していて、変わることがない。

騒然とする教室の中心で、知代がさらに声を上げた。

「見たんだから! 土曜日の朝、仲村渠さんが血まみれのニャスパー抱いて歩いてるところ!」

血まみれのニャスパーを抱えたネネ。その構図を作ったのは、他でもないあたしだ。

ネネはあたしに言われた通り、交通事故で死んだニャスパーを埋葬するつもりで抱いてたんだ。その後いくつかある墓所にまで持っていく途中、知代がそれを目撃した――そうに違いなかった。事情を知らない人が、例えば知代のような子がその様子だけ見たら、ネネがニャスパーを殺したようにしか見えないだろう。

「ちゃんみお、あのさあのさ……仲村渠さん、よくポケモンの死体持って歩いてるって……」

「言ってた言ってた。じゃあさじゃあさ、知代が言ってるのもそれじゃない……?」

辻井さんと笹木さんが小声で、だけどはっきり聞き取れるような声で話してるのが聞こえてきた。ほとんど同じタイミングで、似たような話があちこちでされているのが分かった。ネネがポケモンの死体を持ち運んでる、両手を血まみれにしてるのを見た、服に血が付いてるのを見た――そんな話だ。

ネネがポケモンの死体を抱えてるとか、それに類するウワサ話がクラス内で共有されてることは、あたしもうっすらとだけども知ってた。みんなが参加してるリンクのネットワークで、ネネが怪しいことをしてるって風に思われてるのはなんとなく理解してた。今この状況になって、ウワサは本当だったんだって思われるのは、自然な流れだった。

「ネネちゃん待ってや! なんでそないなことしたん? なあ、なんでなん?」

「なんかそないする理由あったんやろ? エリちゃんのニャスパー殺すって、普通ちゃうで、ホンマ分からん」

橙花がネネの前まで駆け寄って、どうしてニャスパーを殺したんだって繰り返し訊ね始めた。まだネネが殺したって決まったわけじゃないのに――。

そもそも、ネネは明らかに殺してなんかないのに。

「うちらが話聞いたるから、話聞かしてや。うちらクラスメートやろ?」

「そんな、なんも理由あらへんでポケモン殺すとか、ありえへんやん」

早口でまくし立てる橙花の横から、ケイが割って入って行く。

「おい、おい橙花、ちょっと待てよ、待てって! まだねね子がなんかしたって決まったわけじゃねーだろ!?」

「なんで初めっからネネが全部やったって決め付けんだよ。ネネが何してたかとか、全然知らねーのによ」

「だいたい、城ヶ崎のポケモン……ニャスパーだっけか。そいつが死んだってのも決まったわけじゃねーし、どっちも知代が勝手に決めつけてるだけかも知れねーだろ」

ケイは「ネネが城ヶ崎さんのニャスパーを殺した」って方向でまとまりかけてるクラスの雰囲気にも物怖じせずに、ネネがやったって証拠もない、ニャスパーが死んだって確定したわけでもない、とはっきり言ってのけた。ネネが有無を言わさず犯人扱いされてしまうような流れに待ったをかけた形だ。

「勝手に決めつけてるって、ずいぶんな言い草じゃない。恵は寧々と仲がいいから庇おうとしてるだけでしょ」

「普段仲がいいとか悪いとかは関係ねーよ。ねね子がニャスパーを殺したところを見たわけでもねーのに、ねね子が犯人だって決め付ける方がおかしいだろーが」

「ニャスパーの死体を抱いて歩いてたんだから、寧々がやったに決まってんじゃん! 寧々がやってないって言うなら、やってないっていう証拠を出してよ!」

「だからさー、お前さー、ねね子は何の関係も無いかも知れねーじゃん。だったらそれはそれで、『やってない』なんて証拠出せるわけねーだろ。無いものを出せって言われても出せねーよ」

「理由も無いのにニャスパーの死体持って歩いてるなんてありえないし! じゃあ何、あたしが見たものは何かの間違いとかそういう風に言いたいわけ? 何の証拠があってそう言うわけ?」

ケイと知代がお互い一歩も引かずに、激しく言い合いをしている。知代の方は、ネネがニャスパーの死体を持って歩いてるのを見た、だからネネがニャスパーを殺したって主張している。ケイの方は、ネネが直接ニャスパーを殺したところを目撃されたわけでもなく、何も関係ないかも知れないって言っている。どっちも譲る気配は一切無かった。

この後どうなるか予測が付かなくなった。何よりネネが何を言い出すか、そのままありのままを喋って、あたしの名前が出てきたりしたらもっと厄介なことになる。全部自分が蒔いた種だってのは分かってる、分かってるけど、今はどうにかしてこの状況を切り抜けたかった。これ以上この空気の中にいるのは耐えられなかった。

「なあ、ねね子。悪いんだけどさ」

「土曜日の朝何やってたか、ウチに言ってくれよ」

まずい――まずい、まずい、まずい。

「いっ――」

無意識のうちに、あたしは口を開いていて。

 

「い……言ってたじゃん! 道歩いてたら、あたしに声掛けてきて!」

「死んだニャスパーのお墓作るから、こっち来て一緒に見て……って!」

 

無意識から意識を取り返した頃には、もう全部、何もかも言い終えていた。

自分が言ったことに自分で驚いてしまって、あたしは思わず口を手に当てる。目の前に鏡があったら、多分あたしは「ハッとした」とでも言うような顔つきをしていたと思う。さっきあたし自身が言ったことの意味するところ。それは、あたしはあの場にいなくて、だけどネネがニャスパーに何かしたということ。他の子からしたら、きっとこう思うことだろう。

ネネが城ヶ崎さんのニャスパーを殺した――って。

「ねね子、お前……まさか、そんな」

呆然としたケイが、普段からは考えられないような力の抜けた声でつぶやく。対するネネは、ここまで来てもやっぱりいつも通りの表情のまま、ただあたしの目をじっと見つめつづけているだけ。瞳の色からは、ネネが何を思っているのか、あたしの言ったことにどんな思いを抱いたのかを読み取ることは、少しもできそうになかった。

城ヶ崎さんは身をカタカタ震わせて、顔面蒼白になっている。今にも倒れてしまいそうで、あたしは視界に入れることさえ怖くてならなかった。城ヶ崎さんの方はあたしの方なんてこれっぽっちも見ていなくて、ただただネネのことだけを見ている――その事実がいっそう、あたしの胸を強く締め付けた。

「ほら、言った通りじゃん。寧々はポケモン殺して、それを埋めてるんだよ! もう何回もやってる!」

待って、そうじゃない! ネネはポケモンを殺してなんかない! 死体を持って歩いてたのは、埋めてお墓を作るためなんだ――あたしはそう言おうとして口を開き掛けたけど、クラスの雰囲気が、みんなの気持ちが、ネネを庇うような発言を許さないって空気で満たされていて、言い出せばたちまち袋叩きにされてしまうようにさえ思えた。

そんな中で正面切って言葉を吐けるほど、あたしは強くなかった。どうしようもない弱虫の、ゴミクズだったってことだ。

「見てよ! ここに証拠の写真だってあるんだから!」

知代がスマホを掲げると、十四、五人くらいの子が一斉に知代の前まで押し寄せた。

「うわ、ホントだ。仲村渠さんがニャスパー抱いてる」

「これ死んでるんだよね、死んでるんだよね」

「えー……これ、ちょっと、えーっ……」

周りのみんなの反応を見る限り、写真は紛れもなくネネとニャスパーを写していて、疑う余地なんて無いようなものなんだろう。どう言い訳したって、ネネがニャスパーを殺したようにしか見えない。それを否定できる材料なんてどこにもなかった。ネネが普段からお墓を作るためにこういうことをしてるだなんて、言ったところで信じてもらえるわけが無い。

「それに、バレー部の子から聞いたし! 金曜部活終わった後、寧々が何かしに教室まで戻ったって!」

「絵里香が教室に忘れたニャスパーを、寧々が盗んで持ってったってことじゃん!」

ネネが水着を忘れて教室へ取りに行ったことも知ってて、しかも城ヶ崎さんのニャスパーを盗んだことと繋げられてしまっている。そうじゃないって知ってるのはあたしだけで、けどそうしたら、残ってるあたしが疑われるわけで。

「おい……おいねね子! お前、ホントに……!」

ケイはそれでもネネの味方であろうとした。ケイはネネのことを信じていたから。

けれども、ネネは。

 

「うめたよ」

「ニャスパーをうめて、お墓つくった」

「ネネが、ニャスパーのお墓つくったよ」

 

あっさりと正直に、自分のしたことを認めて口にした。

バタン――と、床に誰かが倒れる音がした。

「えっ、ちょっ、絵里香絵里香っ、大丈夫!?」

「城ヶ崎さん!? 大丈夫!?」

城ヶ崎さん、だった。

「ちょっと百恵百恵! 先生、先生呼んできて! すぐすぐすぐ、すぐ呼んできて!」

笹木さんたち数名が、床に昏倒した城ヶ崎さんの元へ駆け寄るのが見えた。笹木さんに呼ばれた辻井さんがすぐさま教室を出て、職員室まで走っていった。

「誰かー! 絵里香保健室連れてくの手伝ってー!」

「私が……私が連れてく!」

後ろにいたゆみが椅子を引いて立ち上がると、倒れた城ヶ崎さんを抱き起こそうとしていた笹木さんの側まで駆けつけて、城ヶ崎さんに肩を貸してあげる。城ヶ崎さんをどうにか立たせると、半ば足を引きずらせながら、一階にある保健室へ行くために階段の方へ歩いていく。

あたしは事態を収拾するために動いた笹川さんや辻井さん、そしてゆみのように自ら行動することもなく、ただ、ただ、一人の傍観者として、怒涛の勢いで進んでいく事態を、無力のまま見ていることしかできなかった。何かしようと頭で考えても、身体がそれに付いていかない、付いていけない。ただ、流れていくまま。

「仲村渠さん、なんでそんなことしたの」

「ポケモン殺すとかありえねーだろ、お前頭おかしいんじゃねーの」

「ピカチュウとかも全部殺したわけ? なんで? どうして?」

被害者である城ヶ崎さんがいなくなって始まったのは、「加害者」であるネネへの糾弾だった。

瞬く間にネネの周囲をクラスのみんなが取り囲んで、口々に批難の声を浴びせ始めた。みんな「ネネが城ヶ崎さんのニャスパーを殺した」って考えてて、遠慮も容赦もなくネネを攻撃している。中には「気持ち悪い」「気色悪い」なんて罵倒も混ざってる。普段からネネをよく思ってない子がいたってことだろう。

「真剣に意味分かんない……ポケモン殺して埋めるとか、犯罪じゃない?」

「犯罪だよ犯罪。それで捕まったって人、自分も知ってるし」

「気持ち悪い、いやもう普通に気持ち悪いって。なんでなんで? ホントにわけわかんない」

あっちこっちから刺々しい言葉を投げつけられているネネは、それでもちっとも表情を変えずに、いつも通りの顔をしたままだった。ただあたしの目を見つめ続けている。何を思っているのか、何を考えているのか、あたしには読み取れない。ひょっとすると、心の奥底ではいろいろ思っているのかも知れないけれど、あたしにはそれを掴むことはできなかった。

最後までネネを庇おうとしてたケイも、今はもうただ「信じられない」って顔をして、一歩引いてネネを見つめるばかりだった。ネネ本人が「ニャスパーを埋めた」と言ったことが、すべてを決定付けてしまったのだと思う。ネネは嘘をつかない、嘘をつけない。だから、自分のしたことを正直に言う。この状況で口にするその言葉がどんな意味に取られるか、そこまで考えが及ばないまま、本当のことを率直に言う。

目の前の光景が、あまりにも痛々しすぎて――あたしはこれ以上ネネを見ることができずに、後ろめたい思いを抱えながら目を逸らした。

「みんな! 騒ぐのを止めて、席に着きなさい!」

「おい、静かにしろ! 隣のクラスはもう朝の会やってんぞ!」

職員室へ走っていった辻井さんが先生を連れて戻ってきた。担任の河野先生と、生徒指導の中島先生だ。中島先生が一喝して、ようやく教室内の騒ぎが収まった。河野先生がそのままネネのところまで歩いていって、少しトーンを落とした声で語りかけたのが見える。

「……仲村渠さん。悪いけど、中島先生と一緒に行ってくれる?」

「わかった」

ネネが素直に――とても素直に、河野先生の言葉に頷いた。

「仲村渠。ちょっと話を聞かせてほしいから、生徒指導室まで来てくれないか」

「はい」

側で待っていた中島先生に連れられて、ネネが教室を後にする。バタン、と教室のドアが閉められて、ネネの姿が見えなくなる。

ネネの履いている上靴。それが廊下の床を叩くパタパタという音が、教室から徐々に遠ざかっていって、小さくなっていって、やがて聞こえなくなる。

あとはもう、それっきりだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。