一日中部屋にこもって、なんであんなことをしたんだ、なんであんなことを言ったんだと自分を責め続けた海の日を挟んでから、終業式の日を迎える。
「やっぱり来てないかー、絵里香も仲村渠さんも」
「このまま夏休みに入っちゃうわけね……仕方ないけどさ」
一学期最後のその日、城ヶ崎さんもネネも学校に姿を表さなかった。城ヶ崎さんはショックで寝込んでいると聞いていて、ネネは凛さんが学校へ行かないように言っているらしい。たぶん、家で二人いろいろと話をしてるんだと思う。立場上被害者と加害者にあたる人物が同じクラスにいるわけだから、顔を合わせ辛い……というか、周囲がどう反応すればいいのか分かんないのが実情だろう。あたしがこんなこと言うのも、ホントにどうかしてると思うけど。
こうして気まずい空気をクラスに残したまま、なし崩し的に夏休みへ突入してしまった。あたしは結局誰にも何も言い出せないままで、全部自分の中に押し込め続けている。そんなことをしてて夏休みを楽しめるはずが無くて、毎日適当に宿題をして、適当にぐだったり、適当に図書館で時間を潰したりしている。何をしててもつまらなくて、ただただ辛い。それが全部自分のせいだと思うと、尚更だ。
その日も朝のうちに宿題のノルマをこなしてしまうと、気を紛らわせるために外へ出ることにした。
「サッちゃん、今日はおでかけ?」
「ん、ちょっと散歩してくる」
「外は暑いから、熱中症に気をつけてね。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
玄関を出て、廊下を歩いて、エレベーターで下へ降りて、エントランスを抜けて外へ出る。これからどこへ行こうか、あてなんて何にもない。ただ時間が潰れるに任せるだけ。その間当て所もない思考を続けて、自業自得の自問自答で自縄自縛を深めていくばかり。
教室で事件が起きてから一週間が経っても、たくさんの人に取り返しのつかないことをしてしまったという思いが少しも拭えなくて、片時も離れることなく纏わり付いてくる。ゆみにも、ケイにも、凛さんにも、城ヶ崎さんにも、ネネにも。それだけ自覚してるのに、まだあたしは本当のことを言い出せなかった。ここまで拗れてしまって、その原因は全部あたしにあると、どんな顔をして言えばいいのか分からなかった。
歩きつづけてどこまで来ただろうか。商店街が遠くに見える交差点まで差し掛かった頃に、あたしは見知った顔に出会った。
「あっ、サチコ」
「ネネ……」
それは、他ならぬネネだった。
やっぱりと言うかなんと言うか、ネネは以前から――事件の前から少しも、何も変わっていなくて、あのいつも通りの顔をこちらに向けてくるばかりだった。表情から考えていることを読み取れないのは同じだったけれど、ネネに変わったところがないことに、あたしは少しだけ安堵した。
「サチコ、ひさしぶり」
「こっちこそ……えっと、久しぶり」
「サチコ、これからどこかいくの?」
「いや、別にどっか行くってわけじゃなくて、ただ散歩してただけ。ヒマだったから」
「そっか。じゃあサチコ、これからあそべる?」
ネネが誘ってきた。他にすることもなかったし、何よりネネが今どうしてるのかを聞いてみたかったから、あたしはネネの誘いに乗ることにした。
「あー……うん。あたしは大丈夫。じゃあさ、とりあえず行こっか」
「うん。いこういこう」
ネネがいつも通りあたしの左について、歩調を合わせて歩き出す。さしあたって商店街を仮の目的地にして、まずは歩いていくことにする。訊きたいことはたくさんあるとはいえ、いきなりあの事件のことをどうこう言うのは気が引けたから、ひとまず当たり障りのない話題から入ることにした。
「ほら、先週から夏休み入ったじゃん。なんかやってることとかある?」
「うーんと、凛さんといっしょにテニスしたり、凛さんとお買い物したり、凛さんと本読んだりしてる」
「あ、今凛さん家にいるんだ」
凛さんはあの時「管理局をしばらく休む」って言ってたから、一日中ネネと一緒にいてあげてるみたいだった。
「うん。凛さん家にいてくれるから、なつやすみ、いつもよりたのしい」
「そっかー……普段ひとりで留守番してたから」
「今まで、なつやすみタイクツだったけど、今年は凛さんといっしょ」
「じゃあ、もうしばらくは仕事休んで家にいてくれるわけね」
「うん。凛さん、『ねねちゃんともっとたくさんいっしょにいる』って言ってくれた」
生徒指導室の前で凛さんから聞かされた言葉が脳裏をよぎる。「ねねちゃんに向き合おうと思います」「ねねちゃんときちんと話をしてみようと思います」――。それを忠実に実行してるんだと思うと、胸がギリギリと締め付けられた。
凛さんはあたしより一つ上くらいの見た目で、実際のところ自分のことだけでも大変なはずなのに、ネネの保護者としての自覚を持って動いている。言葉通り、ネネとちゃんと向き合おうとしてるってことだ。あたしなんかじゃ到底及ばない、立派な人だって思う。
「あのさ、あれは? 新聞配達は?」
「うーんと、今はちょっとおやすみしてる」
「あー……休んでるんだ。夏休みだしね」
「夏休みはたくさんあそんで、それから宿題もしっかりやろうねって、凛さんに言われた」
「そういうことかぁ……確かにその方がいいよ、たぶん」
「凛さんがね、ネネといっしょに宿題してくれるから、ネネうれしい」
「分かんないところとか、教えてくれたりするわけ?」
「うん。ネネのとなりにすわって、わかんないところ教えてくれる。やさしくしてくれるよ」
ネネは新聞配達のバイトも休んで、凛さんと遊んだり勉強したりするようにしてるってことらしい。きっと、凛さんがそうした方がいいってアドバイスをしたに違いない。
商店街の方に歩きながら、あたしはネネの近況が知りたくて、あれこれと質問を投げかけた。
「じゃあネネ、バレー部は?」
「やめた」
「……えっ? やめたの? やめちゃったの?」
「うん。顧問の先生が、ネネはやめたほうがいい、って言った」
「先生が……そんなことを」
「ネネ、大会に出られるくらい上手じゃなかったし、それとね、部長の秋穂センパイとかが、ネネとはバレーできない、バレーやりたくないって言ったって」
「それって……それって、その」
「先生と、それから凛さんと相談して、お話して、うーん、ちょっとむつかしいねってなって、ネネ、バレー部やめた」
秋穂先輩……バレー部の部長がネネとバレーをやりたくないって言い出したのは、あの件の噂が広がったからだろう。クラスメートの中にバレー部所属の子がいて、ネネが城ヶ崎さんのニャスパー殺したとか、そういう話をしたんだと思う。部長は元々ネネのことを嫌ってて、何か理由があれば辞めさせるつもりだったんだろう。顧問も試合で活躍できないネネを守る道理はなかった、だから部長と同調してネネを退部させた。
けど、そのきっかけを作ったのは、紛れもなくあたしで。顧問と部長がネネをバレー部から追い出す結果を招いたのは、他でもないあたしで。
「ネネ……そんなことが」
「うん。バレー部やめた。かわりに、凛さんとトスの練習してる。たのしい」
あっけらかんと言ってのけるネネの姿が痛々しくて、ただただ辛かった。
「じゃあさ、誰かと遊んだりとかは?」
「ううん。凛さん以外とは、ぜんぜん」
「全然、か……」
「こないだケイちゃんに会ったら、なんかいそがしそうにしてて、ネネとおしゃべりできなかった」
「ケイ、そんな感じだったんだ……」
「サキちゃんとか、ユカリちゃんとか、レイちゃんとかも、最近はあそんだりできてない」
「レイって、うちのクラスにいる川越さんのこと?」
「うん。バレー部でいっしょだった子」
ネネが名前を出した三人は、前にあたしがネネの様子を見に行った時にいた子だろう。一人は同じクラスだってことも知ってる。いずれにせよ、ケイやバレー部の友達とも疎遠になってしまっている、それは間違いなさそうだった。
みんなから避けられている……そういうことだろう。
埋め合わせをしないと。あたしはそう強く思った。ネネの交友関係を滅茶苦茶にしてしまった原因はあたしにある。教室であんなことを言ったせいだ。少しでもいいから、埋め合わせをしないといけない。あたしはその思いに駆られて、ネネにこんな問い掛けをした。
「あのさ……あのさ、ネネ。なんか、食べたいものとかある?」
「ネネがたべたいもの?」
「そう。銀泉堂のシュークリームとか、リビエラのチョココロネとか、あたしが買えるものならなんでもいいよ」
銀泉堂は洋菓子屋、リビエラはパン屋だ。どっちも商店街にあって、お母さんが時々ケーキやパンを買ってくる。ちょっと値は張るけど味は値段相応って感じで、昔から人気がある。そういうのを自分のお小遣いを出して買ってあげたいって思うくらいには、あたしだって責任は感じてる。
「うーんと、ローストきのみバーガーがたべたい。ネネ、あれ大好き」
「あれね、商店街にあるバーガーランドのやつ。分かった、あたしがおごるよ。他にも好きなもの食べていいから」
「ホントに? ネネ、うれしい」
無邪気に喜ぶネネを横目に、一路商店街のバーガーランドを目指す。
バーガーランドは、商店街に入ってるハンバーガーショップだ。こないだケイと行ったのとは違う。あれは全国展開しててもっと有名だけど、バーガーランドはそういうのとは違う。個人がやってる小さなお店で、メニューもよそじゃ見ないのがほとんどだったりする。昔は結構あちこちにあったみたいだけど、今はもう数えるくらいしかないってお母さんが言ってた。
「ネネ、ポテトいらないから、サチコが食べて」
「ん、分かった」
ネネはできたてのローストきのみバーガーの包装を剥くと、小さな口をいっぱいに開けてかぶりついた。ローストきのみバーガーはライ麦パンの間にローストした大ぶりの木の実と厚めのベーコンを挟んだバーガーで、木の実の甘味とベーコンの塩味がうまい具合に噛み合っておいしい、と評判だ。材料のおかげでポケモンにも安心して食べさせられるから、ポケモンを飼ってる人にも人気だって聞く。
もしゃもしゃとバーガーを食べるネネは、やっぱり今までとどこも変わったところがない。ぼーっとしてる感じで、なんとなく間が抜けている。一連の騒動の渦中へ放り込まれたにもかかわらず、そんなのどこ吹く風って顔つきだ。
(どうしよう……なんて言ったらいいのかな、あのこと)
カリカリに揚げられたフライドポテトをちまちまと食べながら、たまに紙コップへ汲んだ水を飲んで口の中を洗う。明らかにあたしはなんか言わなきゃいけない立場と状況にあるけど、さりとておいそれとは言い出せない。何せあたしの口から出まかせのために、ネネは散々な目に遭ってしまったのだから。
「ねーねーサチコー、はるなって、まだ外国にいるの?」
「あー……うん。こないだ言ったカロスってところにいるけど」
「わかった。サチコ、ありがとう。ハンバーガーおいしい」
とりとめもない雑談を繰り返すばかりで、話が一向に前に進まない。あたしが言い出さなきゃ進む事なんて無い、それは分かってるけど、どうすればいいのか。
きのみバーガーを半分くらい食べたネネが、紙コップの水をぐいぐい一気飲みして、ポン、と軽い音を立ててトレイの上へ置いた。
「サチコ、どうかしたの。なんか元気ない」
「えっ? いや、その、なんていうか、別にそんなことないって。あたしよりネネの方はどうなのよ」
「ネネは元気だよ。元気。なんにも変わってない」
「けど、あれじゃん、バレー部辞めさせられたりしたじゃん。バレー部楽しいって言ってたのにさ、それなのに……」
「うーん。けど、凛さんがあそんでくれるから、ネネ、たのしい」
「凛さん……まあ、確かにそうだけど」
「それに」
「それに……?」
「ネネには、サチコがいるから」
あたしはネネの言葉に何か返すってことができなくて、そのまま黙り込んでしまった。
ネネはどういう意図で「ネネにはサチコがいるから」なんて言ったのだろう。あたしはネネに濡れ衣を着せた最低なヤツなのに、ネネの言葉は、あたしのことをまだ親友だって思ってるみたいに聞こえる。それが却ってあたしを混乱させて、どうすべきかを分からなくさせてくる。
わざと言ってるのか。わざとこんなことを言って、ネネはあたしに良心の呵責を覚えさせたいのか。いや、そんなはずはない。あり得ない。ネネはそんなキャラじゃない。ネネがそこまで深く考えて何か言うとは思えない。本心からそう思ってるって考えた方が、あたしが知ってるネネのイメージには合う。だいたい、ネネはあたしがニャスパーを盗んだことを知らないはずだ。だから本当にそう思ってるってことだろう。
でも、そうだとしたらあたしは居た堪れない。ネネは自分が罪を被せられたことさえ認識してないってことだから、いくらなんでも悲惨に過ぎる。
「サチコ。この後なにしてあそぶ?」
「えーっと……カラオケでも、行こっか。あたしがお金出すから」
「いいよ。ネネ、いっぱいうたう。スピードとか、アムロナミエとか」
「歌うのはいいけど……なんかちょっと古くない? ちょっとっていうか、だいぶっていうか」
「凛さんが好きだから。凛さんといっしょに聞いてたら、ネネも好きになった」
「あー、なるほど。まあいいや、好きなの歌っていいから。あたしネネが歌うの聴いてるよ」
せっかくネネと再会して、一連の出来事をきちんと整理清算するチャンスだったのに、結局うまく行かないまま、何も言い出せないまま、いつものように惰性で時間を潰してしまう。
いや、あるいはこのまま、触れずにいるのが一番いいのかも知れない――何がどう「いい」のかは、あたしにも分かんなかったけど。
ただ一つ、言えることは。
「もーしーも ふーたーり あーえーたこーとーに いーみーが あるーならー」
「わーたーしは そーう じーゆうをしーる ためーの ばいーぶるー」
あたしはこの後ネネとカラオケへ行って、ネネが歌う主に九〇年代、たまに八〇年代の古い曲を聴いてばっかりだった、ということだ。
何一つ、切り出すことができないまま。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。