夏休みを目前に控えた教室は、夏の暑気とはまた異なるある種の熱気に包まれていた。ほぼすべての生徒が高校受験を控えていることもあって、例年に比べれば些か詰まらない夏期休暇となりそうではあったが、それでも一月と十日ほどに渡る長い休みである。期待しない者は皆無と言えた。
浮ついた空気の中にあって、しかしシズは一人周囲とは異なる理由で心が浮ついていた。何をするにも身が入らず、時間に隙間ができれば物思いに耽る。布団に入っても寝つきが悪くなったのは、熱帯夜が齎す蒸し暑さだけが理由ではなかった。漏れ出た欠伸を噛み殺して右隣へ顔を向けると、見慣れた友人たちの顔が目に飛び込んできた。
「シズったら、どうしたのよー。そんなに眠たそうな顔しちゃってー」
「もうテスト終わったのに、遅くまで勉強してたりとか? もしかしてシズ、もう受験勉強してるの? 気が早いよお」
「言ってるうちに、もうすぐ受験かぁ。私もだけど、みんなも勉強大変そうだね」
「うーん……そういうわけじゃないんだけど、ちょっと、考え事してて……」
ルミが眠そうな顔をしているとシズに言うと、隣のクミが受験勉強に精を出しているのかと問い、向かいのチエがクミに同調した。シズは少々歯切れ悪く、そうではない、考え事をしていただけだと返した。シズは友人達の側に体を向けて、きちんと相対する形を取った。
クミとルミは、シズとスズと同じ双子の姉妹だ。戸籍上はクミが姉でルミが妹とされているが、本人らにしてみればどちらがどちらでも一向に構わなかった。対照的な性格のシズとスズとは異なり、クミとルミはやる事成す事いつも同じだった。服の好みも同じ、食べ物の好みも同じ、得意な科目も同じ、活発な性格も同じ。唯一違ったのは好みの男子のタイプという神様の絶妙なさじ加減ぶりで、姉妹仲は非常に良かった。顔を出す回数はめっきり減ったものの今もヒワダジムに所属していることもあり、シズとスズとは双子同士でよく遊ぶ仲だった。シズのクラスにはルミが、お隣のスズのクラスにはクミが在籍していて、ちょうど姉妹関係が反対になるようにされていた。
「せっかくの夏休みなんだから、ぱーっと遊ばなきゃ……って言いたいところなんだけど、現実はそんなに甘くないのよね」
「高校受験とかなんであるんだろうね。小中高ってさ、もう全部義務教育でいいじゃん。どうせみんな行くんだし」
うんざりした様子で話すクミとルミを前にして、シズは言葉を詰まらせた。
(やっぱり……当たり前だけど、みんな高校行くんだ)
クミとルミには、高校受験という大きなイベントを挟むとはいえ、中学校からほぼ地続きの日常が高校でも待っている。それが分かっているから、義務教育で構わないという発言が出たことは想像に難くない。しかし、シズの立場は彼女らと同じではなかった。中学を卒業すれば、そのままジムリーダーに就任することになっている。
話すなら、思い切って早い内に話しておいた方がいい。今まで言い出しあぐねていたシズが、意を決して口を開いた。
「あのね、みんな。ちょっと、急なんだけど……」
「なになに? シズ、何かあったの?」
「急にかしこまっちゃって、一体どうしちゃったのよ」
「しぃちゃん、悩み事? 相談なら乗ったげるよ」
「実はね……わたし、中学を卒業したら、ジムリーダーになれって言われてるの」
クミとルミ、そしてチエが、一斉に固まるのが見えた。よもやシズからそんな話を聞かされるとは、夢にも思っていなかった。三つ並んだ顔が驚愕ぶりを如実に表していた。シズは不安気な表情を見せ、友人たちの顔を代わる代わる順番に見つめる。
双子の姉妹が揃って顔を見合わせた直後、張り詰めていた糸がぷつんと切れたように、不意に場が沸いた。
「うそ!? シズがジムリーダーになるの!?」
「うん……お兄ちゃんがジムリーダーをやめて、わたしに後を継いでほしい、って……」
「ホントに!? すごいよ! すごいすごい!」
クミとルミは揃ってテンションを上げ、来年ジムリーダーに就任するというシズをしきりに囃し立てた。
「やったねー、シズ! それホントにすごいよー!」
「友達がジムリーダーかあ。今の内にサインもらっとこうかな、なんて!」
「そんな、わたしなんて……」
「そうだそうだ! ねえシズ。ジムリーダーってことはさ、今のリーダーみたいに、テレビに出たりするんでしょ?」
「我らがシズちゃんが全国ネット進出!? スケールが違いすぎるよー……」
シズはぎこちない笑みを浮かべて、ジムリーダーになるなんてすごい、と興奮気味に繰り返す二人の言葉に応じていた。
「じゃあさじゃあさ、今からプラカード作ろうよ。『おいでませヒワダタウン』みたいなの!」
「それであれでしょ、隅っこの方でこーやって掲げてさ、いぇーいみんな見てるぅ? 的なやつ!」
「そうそうそれそれ! やるしかないっしょ!」
「あっ、でもさでもさっ、シズがジムリーダーになったら、リーダーの事なんて呼べばいいんだろ? 元リーダー?」
「ええ、それってなんかちょっと失礼っぽいよ。だからこう……ツクシさん? ツクシ兄? なんか全然ピンとこないよお」
脱線気味の話題で大いに盛り上がるクミとルミを尻目に、シズの方は浮かない表情を見せるばかりで、二人と同じ場にいるとは思えないほど沈んだ空気に包まれていた。
そんなシズの様子をつぶさに見ている目があることに、シズは気付いていなかった。
*
英語の授業中、シズはいつも時間を持て余してしまう。英語が嫌いだから、というわけではなく、シズはむしろ得意としていたが、如何せん退屈で話を聞く気が起きなかったのだ。机に頬杖をついたまま、教師が教科書を読み上げる抑揚の無い声を聴いていると、今にも眠ってしまいそうだった。
あと二十五分もある。黒板の上に取り付けられた時計を眺めて、シズは思わず溜め息を漏らした。これが終われば、次は社会だったはず。社会も同じような感じだったが、資料集を使って説明したりするので、これよりはもう少し眠くならずに済むだろう。
(スズはこの時間、確か数学だったかな)
大嫌いな数学が三時間目にある、三年生にあがりたての頃、スズがそうぼやいていたのを思い出した。スズのことを想起すると共に、ツクシから話を聞かされたあの日の夜に思いを巡らせる。
スズは、姉のシズがツクシの後を継いでジムリーダーになると聞いたとき、少なからず疑問を抱いていたようだった。
「お兄ちゃん。どうしてあたしじゃなくて、お姉ちゃんがジムリーダーになるのよ」
「そうだよ、お兄ちゃん。わたしより、スズの方が向いてると思うけど……」
ニュアンスは微妙に違えど、シズもスズも「シズではなくスズの方がジムリーダーとして適性がある」と考えている点では一致を見せていた。スズに疑問を投げかけられたツクシは、穏やかな表情を崩さずにこう答えた。
「ポケモンリーグの規約で、ジムリーダーの後任は、自由には選べないんだ」
「じゃあ、どういうルールで次の人を選ぶようになってるの?」
「まず前提として、後任は親族の中から選ぶようになってる。その中にも順序があって、現職のリーダーに子供がいて、子供がトレーナーとしての資格を持っていれば、その子供が後を継ぐんだ」
今回四天王を退任したキョウも、セキチクジムリーダーの後任として、実子のアンズを当てていた。
「でも、僕には子供がいない。となると、次は兄弟姉妹の中から決めることになる。それにもルールがあって、前任者から歳の近い順に優先順位が決められて、資格のある人がいればその人が選ばれることになるんだ」
「もしかして……あたしより、お姉ちゃんが順番が早かったってこと?」
「そう。戸籍上は、僕・シズ・スズの順に、兄弟が構成されているからね」
後継者は任意で選べるというものではなく、ある一定のルールに沿って自動的に選ばれると言った方が正しかった。スズではなくシズがツクシの後任に選ばれたのは、役所に届け出られた戸籍の順でシズがスズよりも上、つまりスズの姉という扱いになっていたためだった。
「今のジョウトとカントーのジムリーダー選出の規約で、シズとスズのうち、どちらかしかジムリーダーになれない。ホウエンみたいに、双子の両方がジムリーダーになれればそれが一番だったけど、コンプライアンス上の問題があるって突っぱねられてね、今のルールに従ってくれって要請されたんだ」
「だから、僕の妹で、スズのお姉ちゃんになる、シズが次のジムリーダーってことになるんだ」
ツクシの言葉を受けたシズとスズが、互いに顔を見合わせる――
――そしてシズは、そこで一旦思考を打ち切った。
(生まれた順、か)
手にしていたシャープペンシルを五線ノートの上に置いて、シズが窓の外へ視線を向ける。
ヒワダの空は晴れ渡っていた。白い雲と碧い空が明瞭に分かれていて、日が強く差していることを窺わせた。シズが空を見つめる。眠気を催していたためだろうか、空に吸い込まれていくような浮揚感が身体を包み込んだ。
窓の外を、小さな群れを成したスバメが飛んでいくのが見える。仕切りの存在しない大空という空間を、思うままに進み、時として戻り、また進んでいく。シズは教室の四角い窓枠を通して、スバメたちの様子を追い掛け続けた。
スバメはしばしシズの視界の内で飛び回っていたが、徐々に学校の近辺から離れていき、やがて目では追えないほど遠くへ飛び去っていった。
「……いいなぁ」
人知れず、シズがぽつりと呟いた。
*
放課後。
「お姉ちゃん」
「スズ」
カバンを持ってまっすぐ家に帰ろうとしていたシズに、妹のスズが背中から呼び掛けた。立ち止まったシズがくるりと振り返ると、スズが自分に向かってぱたぱたと走ってくるのが見えた。
「珍しいじゃない、こんな早い時間に」
「今日は部活無かったから。家に帰って、ミドリの面倒を見てあげなきゃ」
肩に提げた竹刀袋を持ち直しながら、スズがシズに応えた。スズは剣道部に所属していて、主将とほぼ互角の腕前を持つかなりの実力者だった。昨年には地域の大会で優勝を飾った実績もある。スズの帰宅が決まって兄のツクシより遅いのは、遅くまで練習に励んでいるためだった。
スズの口にした「ミドリ」というのは、スズの相棒であるアリアドスのニックネームだった。かつてイトマルだった時期に付けたニックネーム(イトマルの体色が「緑色」だったから付けられたものだ)をアリアドスに進化しても使い続けているために、由来が少々分かり辛くなっている(アリアドスの体色は「赤色」である)。とはいえスズもミドリも呼び慣れ呼ばれ慣れた名前ゆえに、今更変えるつもりも無いようだった。
「もうすぐ地区大会だけど、今年も出るの?」
「もちろん。最後の大会だし、全力でやるつもりよ」
「頑張るのはいいけど、無理しちゃダメだよ」
部活に打ち込むスズとは対照的に、シズは三年間通してずっと帰宅部に在籍――言い換えると、どのクラブにも所属していなかった。兄も母も外で働いていて帰りが遅く、その中にあってシズもスズも部活に行っていては、家事の担い手が誰もいないという状況になってしまう。掃除に洗濯、炊事に買出し。するべき仕事はたくさんあった。
シズはそれとなく諸々の事情を察して、寄り道もせずに家へ帰るようにしていた。そして誰に言われるでもなく、家事の類をほぼすべて引き受けるようになっていた。
「この間の、土曜日だっけ。お兄ちゃんに挑戦したいって子がいたけど、あの時の結果はどうだったの?」
「あれね。あたしが引き受けて、あっさり勝っちゃった。ほとんど何もさせなかったわ」
「やっぱり。あの後元気を失くしてたから、そうじゃないかと思った。スズは相変わらず強いね」
「そりゃそうよ。だって、強くなるためにいろいろ頑張ってるんだから」
剣道のそれと同じく、スズはポケモンバトルにも滅法強かった。相手を焦らして踏み込ませたところを狙い、怯んだと見るや一気に畳み掛けるという戦法を持ち味としていて、休日はジムに張り込んで挑戦者の相手をしてやるのが常だった。ツクシもかなりの実力者だったが、その前にスズに蹴散らされるトレーナーの数も半端なものでは済まなかった。
方やシズはどうかと言うと、時折他のジムトレーナーの穴埋めで参戦することがある程度で、スズほど頻繁に顔を出しているわけではなかった。ただ、バトル自体は好きなことに加えて、実力も無いわけではなかった。まさしく一気呵成型のスズとは対照的な種々の搦め手を駆使した毛色の異なる強さを持っていて、実のところスズに勝るとも劣らない実力者ではあったのだが、派手なスズに比べるとどうしても地味な感は拭えなかった。シズ自身、スズの方が自分よりも数段上だと思い込んでいる節もあった。
「それで、お姉ちゃん。あの事だけど」
「ジムリーダーのこと……だよね?」
こくり、と頷く妹の姿を見て、シズが小さく息をついた。
あの晩、ツクシが自分に対してジムリーダーになってほしいと依頼してきたときだった。隣に座っていたスズが少なからず複雑な表情を見せていたことを、シズは決して見逃していなかった。直情的な性格のスズのことだから、いずれ直接話を持ち掛けてくることは予想できていた。
「お姉ちゃんは、本当にジムリーダーになるつもりなの?」
スズの口にした言葉には二つの意味がある。シズはすぐさまそれを見抜いた。一つは額面どおり、シズがヒワダタウンのジムリーダーに就任する気があるのかという問い掛け。もう一つは、なぜスズではなくシズがジムリーダーになろうとしているのかという疑問。返す答えを考えながら、シズはスズの顔を横目でちらりと見た。
率直に言って、スズの質問に満足な答えを返すのは難しいと、シズは思った。シズ自身、ジムリーダーになることについて未だ実感を持てずにいる。だから、「ジムリーダーになるつもりなのか」と問われても、「ルールでそう決まっているから」という受身の答えしか返せそうになかった。けれど、それでスズが納得するとは到底思えない。シズはスズの考え方をよく知っていた。
「そのつもりだよ。今は、まだ、実感がうまく持てないけど……」
「ふーん……そっか」
スズは肩に提げた竹刀袋を持ち直して、シズの言葉に素っ気ない反応を示す。
外はまだ明るかったものの、日は少しずつ傾き始めていた。
双子の姉妹が歩調を合わせて歩く。同じ道のりを、同じ歩幅で、同じ早さで歩いていく。ただ、このまま一緒に家へ帰ることはないだろう。シズは母から言付けられた買い物をするために近くの雑貨屋へ寄って行かなければならなかったし、スズはスズで寄り道をして、アリアドスのミドリが好きな木の実を採っていくのが通例だったからだ。
スズがこうしてシズと一緒に帰るのは、久しぶりのことだった。気が付いた頃には、シズが先に家へ帰り、スズが遅く帰ってくるという形が出来上がっていた。こうやってて隣同士で歩いてみて、シズは自分がこうではないかと踏んでいたスズの考えが、大筋で間違っていなかったことを認めた。
結局のところ、スズは自分がジムリーダーになりたかったのだ。自ら先頭に立って挑戦者と戦い、相手の力量を確かめる仕事。スズは自分の方が適正があると思っていて、あらかじめ決まったルールとは言え、シズがジムリーダーになることに疑問を抱いていた。
そしてシズはシズで、スズの方がジムリーダーに向いているのではないかという思いが拭い去れなかった。もし、スズにジムリーダーを代わってもらえるなら、進んでそうしていたに違いない。ジムリーダーという立場や仕事が嫌、というわけではなく、自分に職責を果たすだけの力量や器量があるとは思えず、どうしても気が引けてしまったためだ。
シズは自ら矢面に立って戦うことは、率直に言ってそれほど上手ではないと認識していた。もちろんシングルで戦うことも多々あったが、スズとチームを組んで、ダブルバトルで戦うこともまた多かった。シズは積極的に前に出て相手を攻め立てるよりも、相手の置かれている状況や場の空気を基にあれこれ考えを巡らせて、都度スズや自分のメンバーにアドバイスをすることの方が得意だった。
他のトレーナーにはあまり見られない特徴として、シズは自分の指示よりも、フィールドに出ているポケモンの意志を尊重することが多々あった。シズがポケモンに相手への攻撃を指示しても、ポケモンがそれは妥当でないと判断すると、シズに目を向けて再考を促す。シズはそれを受けて必ず一度は考えを練り直し、仮に自分の指示が正しいと思えばポケモンにその意図を伝えてきちんと納得させ、逆にポケモンの判断が妥当であればそれをそのまま受け入れて採用するというやり口を取っていた。このやり方はしばしば相方のスズから「トレーナーらしくない、ポケモンに振り回されてる、甘やかしてる」と強く指摘されていて、シズも自分が間違っているのではないかという疑念を拭えずにいた。
こうした考え方もあって、シズはスズのようにどんどん指示を出して相手をなぎ倒して勝つのは自分には不向きなやり方だと思っている節があった。派手な戦いを好むスズに比べて、将棋を一手一手指すように地道に相手を追い詰めていく戦い方をしていたのが、その大きな理由だった。
だからシズは、自分よりもスズの方が、ジムリーダーとしては適任だと考えていた。
「いまさら、こんなこと言ったってしょうがないんだけどさ」
うつむいて考え事をしていたシズは、スズがおもむろに口を開いたことではっとして顔を上げた。
「あたしとお姉ちゃんって、生まれた時間、二時間しか違わないんだよね」
「お母さんが、あたしとお姉ちゃんが生まれたときの話をしてくれたから」
姉に視線を向けないまま、スズは、あえて抑揚をつけることなく、淡々と呟いた。
シズとスズは双子の姉妹だが、シズの方が二時間だけ先に生まれてきた。それをもってシズは双子の「姉」とされているが、実際のところシズとスズには体格的にも精神的にも「姉妹」と明確に区切れるような違いは存在しなかった。スズの方が積極的で快活であるから、事情を知らない人がスズを姉だと勘違いすることも多々あった。
つまりどちらが姉でどちらが妹というのは、これは文字通り些事でしかなく、二人に何かはっきりした違いがあるというものではなかった。良い悪いの話ではないが、運がよければ先にスズが生まれてきて、スズが姉でシズが妹になっていた可能性も十分あった。
それを踏まえて、シズはスズが何を言いたいのか分かっていた。スズは今自分の置かれている状況に理不尽さを感じていて、収まらない思いを直接の関係者である姉のシズに、それとなく水を向けているという形だった。スズがここまで考えているかはともかくとして、意地悪な言い方を躊躇しなければ、シズは単に運が良かったためにジムリーダーになれることが決まった。そのようにも見えていたはずだ。
シズは、やりきれない思いを抱かざるを得なかった。シズ自身が何か悪いわけではない。そして、スズが不条理だと感じることも理解できる。だから、気持ちをどこにも持っていけない。ただ只管に、居心地の悪さだけが消しゴムくずのように堆積していくばかりだった。
(代わってもらえるなら、わたしだって代わってほしいよ)
喉まで出掛かったこの言葉を飲み込んで、シズは唇をきゅっと噛んだ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。