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#04 シズちゃんの道案内

ミートソースの缶詰めと新鮮なタマネギを二玉、いつも飲んでいるパック入りの低脂肪乳をカゴに入れ、ついでに安売りしていた六枚切りの食パンを追加する。必要なものをすべて揃えると、シズはまっすぐレジへ向かい、レジ袋不要のカードをカゴに入れて会計を待つ。代金とポイントカードを渡してお釣りを貰い、ポーチから折り畳んで袋へ詰められたエコバッグを取り出す。牛乳を横倒しにして詰め、その隣に缶詰を立て、タマネギを転がしてから最後に食パンを詰める。一連の動作を慣れた手つきですべて終えてしまうと、シズは食品スーパーの自動ドアをくぐった。

レシートを確認し、ポイントが結構な溜まり方をしていることに気付く。次に買い物に来たときに使おう。シズはそう考えて、レシートを丁寧に折りたたんで財布へしまう。寝る前に家計簿に出納を付けるためだ。母がもっぱら働き詰めなこともあり、家の財布は実質的にシズが握っている状態だった。几帳面で真面目な性格のおかげで、母もシズを信頼しきっていた。母から託されている厚手の皮の財布を今一度手にし、シズがその重みを確かめる。

財布を失くさないようにポーチへ入れて、シズが自転車置き場まで戻ってくる。前カゴにエコバッグを入れて、手提げの紐をハンドルにきつく括り付ける。鍵を差し込んでロックを解除し、サドルに腰を落とすと、シズは再び風を切って走り始めた。

ヒワダ工業高校を通りすぎて、市民会館のすぐ近くまで自転車を走らせたシズだったが、ここで横断歩道の赤信号に巻き込まれてしまった。ここは青になるまでひどく長く、青になったらなったでそそくさと点滅を始めてしまうやっかいな信号だった。シズは少しばつが悪そうな表情を浮かべて、信号が切り替わるのを待つ。しばらく律儀に待っていたシズだったが、間もなく暇を持て余し始め、気を紛らわそうと周囲を眺め回す。

市民会館の掲示板に目を凝らしている少女を見つけたのは、その時のことだった。

掲示板には周辺の地図とイベント情報が掲示されていることを、シズはよく知っていた。年端も行かぬ少女が、言い方は悪いがひなびた市民会館のイベントに興味を示すとも思えず、まず間違いなく地図目的で掲示板に目を向けているものと考えられた。シズがもう少し少女の様子を委細に観察する。動きやすさを重視したパンツルック、背中に見える小さなリュック、腕に巻かれたポケギア。そして足元に目を向けると、小さなワニノコの姿。

他の地域から来たトレーナーだと、シズはすぐに気が付いた。

街でトレーナーを見かけたらどうすべきかは、ジムリーダーの教条を教わる前からツクシより伝授されていた。地域に活力を与えてくれる「お客様」にして、将来を担う大事な「可能性」。各地方を巡るトレーナーには最大限のおもてなしをすべきであると、シズはいつも聞かされていた。

「こんにちは。どこか、行きたいところがあるのかな?」

「えっ?」

シズの行動は素早かった。自転車を降りてトレーナーの少女の隣まで押してくると、どこか行きたいところがあるのかと尋ねた。少女は横から声を掛けられて少々面食らった様子を見せていたものの、シズが親切心から声を掛けてきたことをすぐに理解し、ぱっと明るい表情を見せた。

「はい。ここの……えっと、ヒワダタウンのジムはどこにあるんだろうって、地図を見て探してたんです」

「やっぱりそうだったんだね。でも、今日はもうすぐ閉館しちゃうよ。明日にしたら?」

「挑戦するのは明日にします。だけどその前に、場所を調べておきたいんです」

「なるほど、準備がいいね。じゃあ、わたしがジムまで案内するよ」

「えっ!? それ、本当ですか!?」

「うん。ちょうど、わたしもそっちへ行く途中だったからね」

行く途中と言うより、そこのすぐ近くが目的地だったわけであるが、ともかくシズは少女をヒワダジムまで案内してやることにした。自転車を押していくシズのすぐ横に、トレーナーの少女が付いていく。

「よかったぁ! エコバッグをカゴに入れたお姉さんなら、まず怪しい人じゃないですし!」

「あははっ。確かに、あなたの言う通りだよ」

互いに笑いあって、二人が歩き出す。赤になっていた横断歩道の信号が青に切り替わったのは、ちょうどこの時だった。ここの信号はすぐに赤に変わるから、今のうちに渡っちゃおう。シズが少女を促し、二人で足早に横断歩道の縞模様を踏み越える。

市民会館の前からヒワダジムまでは、歩くと結構な距離がある。だからこそシズも自転車を使っているのだが、今は少女にペースを合わせるために自転車から降りて歩いている。ジムまでの道のりで二人の間に会話が発生するのは、ごくごく自然な成り行きだった。

「アサギシティから来たんだ。ずいぶん遠くからだね」

「そうなんです。自分で歩いてきたり、バスに乗ったり、他の人の車に乗せてもらったりしたんですよ」

「ヒッチハイクまでしちゃうなんて、度胸あるよ。すごいね」

「皆さんいい人たちばかりでしたよ! 次はどんな人に会えるんだろうって思うと、これからも楽しみです」

少女は遠く離れた海沿いの町・アサギシティから、はるばるここヒワダタウンまで足を運んだという。道中徒歩や公共交通機関はもちろん、レンタルサイクルやヒッチハイクなども駆使し、柔軟に旅を楽しんでいる様子が伺えた。まだ幼いのに大人顔負けの度胸だ、いや、子供だから持てる賜物かと、シズは感心することしきりだった。シズの方は普段遠出することが無く、せいぜい月に数回、電車に乗って隣のコガネシティまで行くくらいだったから、尚更だった。

「アサギシティのジムリーダーは……確か、ミカンさんだったっけ」

「はい! とっても清楚で優しい、大人のお姉さんなんですよ!」

意識してか無意識のうちか、シズはアサギシティのジムリーダーの話に水を向けていた。ミカンの名前が出た途端、隣のトレーナーの少女がぱっと顔を綻ばせた。

「私、ミカンさんにずっと憧れてて、初めてバトルできた時は、もうすごく感動しちゃったんです!」

「じゃあ、もしかして最初に挑戦したのは、アサギシティのジムなのかな?」

「はい。ミカンさんが出してきたのは、コイルとエアームドでした。どっちもクロちゃんと相性が悪くて、ずっとドキドキしっぱなしだったんですよ」

あっ、クロちゃんっていうのは、私のワニノコのことです――と、少女が付け加える。幼い頃に生き物図鑑で見た「クロコダイル」というワニの種族に由来して名付けたとのことだ。足元のクロちゃんが、この自慢の顎でコイルとエアームドをノックアウトしたのだと言わんばかりに、口を広げてアピールして見せた。

「ワニノコって、結構珍しいポケモンだよね。連れてる子、あんまり見た記憶がないよ」

「はい。家の近くにポケモントレーナーのコーチをしてる人がいて、その人からバトルのことを教えてもらってたんです。旅に出る時にその人に呼ばれて、チコリータとヒノアラシ、それからワニノコの三匹の中から好きなポケモンを選んでほしいって言われて、それでこの子を選びました」

「なるほど――そういうこと、だったんだね」

シズは少女に対して、ごく普通に受け答えをしているように見せていた。

「もしかして……『ポケモン図鑑』って、持ってたりする?」

「はい! 持ってますよ。これですっ」

少女は何の迷いもなく――そもそも、少女には迷う理由などなかったのだが――、シズに往年の電子手帳を思わせるデバイスを差し出す。シズが差し出されたそれをそっと手に取ると、想像していたよりも僅かに強く、重みを感じた。

この重みが物理的なものなのか、それともそうではないのか。シズには、判りかねた。

「旅に出るときに、これを完成させてほしいって言われたんです」

「捕まえたポケモンの情報を記録して、いつでも参照できる図鑑、だよね」

「そうです! すべてのポケモンを捕まえるのが、目標の一つなんです!」

返却されたポケモン図鑑を受け取りながら、堂々と胸を張って力強く言う少女に、相対するシズは的確な言葉を返せない。何を言おうとしても、口に出す前に言葉が解けて、そのまま胸の中へ戻されていく。

「そうなんだ。そうなんだね」

逡巡に逡巡を重ねた末に、シズの口からは。

「頑張ってね、応援してるよ」

その程度の、浅はかな、とても浅はかな言葉しか、出て来なかった。

 

「最後は一か八か、エアームドに体当たりを仕掛けたんです! そこからつばさに噛みついて、それで勝てたんです!」

「決め技は『かみつく』ってところだね。この歯で噛みつかれたら、ひとたまりもないよ」

それから少し間を開けて。先ほど少女が口にしたコイルとエアームドを戦わせたというミカンの話を思い出し、シズは数日前にツクシから伝えられた教条の一つを想起していた。ジムリーダーが戦闘で使用するポケモンに関する話だ。

ジムリーダーの使命の一つは、ポケモントレーナーたちの実力を確かめ、彼ら・彼女らがジムバッジを手に入れるだけの能力と器量があるか、ひいてはポケモンリーグに挑戦するだけの資格があるかを見定めることにある。それと同時に、ポケモントレーナーたちにとって適度な「ハードル」となることも求められる。誰でも簡単に突破できるようなことがあってはならないが、どうあがいても突破できないような高い壁として立ちはだかる事も、また本質からは外れている。そのため、ジムリーダーが戦闘フィールドに立つ際は、幾つかのルールが定められている。

その最たるものが、「挑戦者のレベルに応じて、使用するポケモンの構成を段階的に変更すること」というものである。

ジムリーダーは各ジム毎に定められたタイプを主属性もしくは副属性とするポケモン、ないしはそれに類似した系統のタイプのポケモンを使用することが義務付けられている。その上で、挑戦者のバッジの所有数などを勘案し、適切とされるレベル帯に属するポケモンを組み合わせて参戦させることとされている。例えば先に登場したミカンは、挑戦者が当時の少女のような初心者である場合には、比較的与し易いコイルとエアームドを使用し、ジムバッジを既に四つほど所有している経験者の場合には、低レベル帯で使用しているコイルを二体に増やし、エアームドに代わってハガネールをそれぞれ投入するといった具合だ。これとは打って変わって挑戦者が既に他のジムをすべて制覇しているような強豪の場合には、エアームドとハガネールという各レベル帯の主力に加え、コイルの進化系であるレアコイル、そしてそれまで登場させていなかったフォレトスを隠し球として使用し、攻め・守り共に格段に手強くなる。

このように挑戦者の実力に応じてポケモンを選択する事は、トレーナーの出身地によって格差を生じさせないための是政策であるとされている。仮にジム毎に繰り出すポケモンが種族・実力共に完全固定されていた場合、「旅の終盤に挑戦すること」を前提としているジムが存在する地域では、地元の駆け出しトレーナーが初めて挑むジムリーダーに対してまったく歯が立たずに圧殺されるという事態が続発することになる。これでは、トレーナーがいて初めて成立する種々の経済活動に多大な悪影響を齎すことになるだろう。それ以前に、これから成長しうるトレーナーの可能性を潰してしまっては元も子もない。ジムリーダーは、あくまで「手強いハードル」でなければならず、「超えようのない断崖絶壁」では意味を成さないのだ。

トレーナーの少女が対戦したミカンのチーム編成は、まさしく初心者である少女に対応する形のものと言えた。こうしたトレーナーのレベルに合わせた柔軟な対応がジムリーダーには求められていると、ツクシはシズに重ね重ね言っていた。

「私、ミカンさんに憧れてるんですけど、ポケモンはみずタイプが好きなんです」

「なるほど。パートナーがワニノコなのは、それが理由なんだね」

「そうです! みずタイプのカッコいいポケモンでチームを組んで、世界中のいろんなトレーナーと戦ってみたいと思ってます!」

チーム内のポケモンのタイプを重複させるのは、一昔前は典型的な悪手とされていた。チームのメンバー全員が一つの弱点を共有することとなり、苦手とするタイプや特技を持つポケモンを相手にすると苦戦は免れない。そう考えられていたことが大きかった。それに伴って、メンバーとなるポケモンのタイプや種族は偏らせること無く可能な限り分散させるのが、かつてのセオリーであった。

ところが近年は考え方が変化し、「特定の勝ち筋を導き出すため、タイプバランスよりもポケモンの役割を重視する」という戦略を用いるトレーナーが増加してきた。天候が雨の際に特殊な能力を発揮できる、あるいは持ち味を活かせるポケモンを多数パーティに入れた「雨乞いパーティ」は、その最たる例だ。雨が降っている際に真価を見せるのは、容易に想像が付くだろうが、みずタイプを持つポケモンがその大部分を占めている。パーティ内に複数のみずタイプのポケモンが存在している事は珍しくなく、極端な構成ではすべてがみずタイプというケースも有り得ないわけではない。

このようなパーティを相手にした場合、単純にタイプを分散させただけのパーティでは対応が難しいケースが多い。バランス型のパーティは、当然メンバーの中から相手の弱点を突けるポケモンをフィールドに登場させることになるが、弱点を叩けるのは多くても二体程度で、一体しか有効打が打てるポケモンがいないというシチュエーションも少なくない。特化型のパーティは弱点となる攻撃が可能なポケモンを多少の犠牲を払ってでも速やかに排除し、有効打を打てない残りの敵を、自陣の特性を活かしてなぎ倒すという流れが考えられる。あるいは始めから自陣にとって致命打となる攻撃が可能なポケモンを迎撃するための役割に特化したポケモンを用意し、必要な役割を果たせばダウンしたところで問題はない――そのような戦術も生まれてくる。何かに特化させることで、パーティ全体としての弱点を減らすという考え方が根底にあると言えるだろう。

このように、ポケモンを単純に種族やタイプのみで判断してチームを組むのではなく、各々の特性や持ち味を把握し、戦いに於ける明確な役割を与えて戦いに臨むというのが、昨今の主流となっている。そうであったから、少女の「みずタイプに特化したチームを組みたい」というのは、一つの戦略として充分考えられるものと言えた。

「私の友達とか同級生の子もみんな旅に出てて、いつかポケモンリーグで再会しようって約束したんです」

笑顔でそう述べる少女に、シズは感心することしきりだった。きちんと目標を持っていて、競い合える友にも恵まれている。自分のような赤の他人とも気後れせず話せる度胸は、これからの旅に於いてもきっと役に立つことだろう。

翻って――シズが自己の内面に展開しようとした思考は、隣から聞こえてきた声に打ち消された。

「お姉さんは、学校に通ってるんですか?」

ごくごく自然な様子で、トレーナーの少女はシズに尋ねた。シズは内心少しばかり慌てながら、表向きには落ち着いた風を装って、少女から寄せられた質問に応えようとする。

「そう。ここから、結構離れたところにある、ヒワダ東中学校ってところに通ってるよ」

「やっぱり、中学生だったんですね! お姉さん、大人っぽい感じがしたから、もしかすると……って思ってたんです」

「わたしなんて、まだまだ子供だよ。責任もないし、大したこともできないから」

自転車を軽く押しながら、シズが口元に優しい笑みを浮かべる。スズは続柄上妹と言えど、双子で背格好も大差なかったし、なによりあの押しの強い性格である。シズにとっては、スズが「妹」というのは、いまいち実感が湧かないところがあった。その点、目の前の少女は自分よりも小柄で、話すのにもそれほど気を遣わずに済む。シズにしてみれば、少女の方が印象の上ではよほど「妹」らしかった。

「私の友達はみんな旅に出ちゃったから、中学生の人と話すのって、結構久しぶりなんです」

「そうだよね。今は……確か六割くらいの子が、小学校を卒業すると旅に出ちゃうから」

この国においては、義務教育並びに教育を受ける権利として定められているのは、十五歳までの九年間(通例、小学校六年、中学校三年となる)とされている。ただしこれに加えて、次に述べる規定が定められている。小学五年生までの学業を修了したと同時に、教育を受ける権利をそのまま行使して進級・進学するか、権利を保留して一旦義務教育を完了とするかを、本人の意志に基づいて選択することとなっている――というものだ。なお、保留された権利は以後も任意のタイミングで行使が可能であり、行使した時点で残る初等教育・中等教育を受けることが可能となる。加えてこれは年度ごとに都度選択することができ、小学校の卒業後に権利を行使する、といったことも可能な柔軟な制度設計が行われている。

義務教育を暫定的に完了とする最大の目的は、適齢期を迎えた少年少女を、ポケモントレーナーとして旅立たせることに他ならない。この規程に則り、子供らは既定の年齢に達したと同時に地元を出て行くことが可能になる。シズの目の前にいる少女は、まさしくその例と言えた。

少女のように、権利を付与されると同時に地元から旅立っていく少年少女の数は、年々増加の一途を辿っている。シズの口にした「六割」という数字は誇張でも何でもなく、全国を対象とした統計調査により明らかになった精緻な数字である。専門家の見解では、今後もこの増加傾向は止まらず、最終的にその数字は八割にも手が届くのではないかとされている。仮に教室に三十人の子供がいたとするならば、権利が行使可能な四年の間に、そのうちの実に二十四人がいなくなることになる。

これについて各方面、特に教育界や経済界からは、教育の空洞化や価値低下を引き起こし、ひいては知識階層の弱体化や国力の低下にまでつながると懸念する声も上がっている。特に財界の懸念は深刻であり、学校教育の強化を訴える声が非常に根強い。その一方で、ポケモントレーナーは多数の市場でマス・ターゲットとなっているという側面もあり、現在のトレーナーに対する種々の施策・政策に強い遺憾の意を唱えることも、また難しいものとなっている。

そうした世情にあって、シズやスズのように中学校へ進学するのは、徐々にではあるが「珍しいもの」と受け止められつつある。シズはそれを理解した上で、家庭や家計の状況を鑑み、それでも中学への進学を選んだという背景があった。ツクシから後継者の話がでなければ、そのまま高校に進学するつもりだった。

「だとすると……もうすぐ、夏休みですよねっ」

「そうそう。もうあと三日くらいかな。いつもだったら、ウバメの森へ遊びに行ったり、アサギシティまで海を見に行ったりするんだけど……」

「アサギシティに行くこと、あるんですか!?」

「年に一回は、必ずね。家族みんなで行くんだよ。アサギの海は綺麗だし、わたし、海の食べ物が好きだから」

「そう言ってもらえると、なんだか私まで嬉しくなっちゃいます!」

シズの言葉を受けて、少女は満更でもない面持ちを浮かべて見せた。自分の生まれ故郷を褒められたのだから、悪い気はしまい。顔を綻ばせる少女を見ていたシズも、つられて一緒に笑っていた。

「そうだ。お姉ちゃんって、何か好きなポケモンっていますか? 私はさっきも言いましたけど、みずポケモンが好きです!」

「好きなポケモン、かぁ……こう言うと結構びっくりされることも多いんだけど、わたし、むしポケモンが好きだよ」

「えっ、そうなんですか。むし、っていうと……ヘラクロスとか、ストライクとか……あっ。あと、カイロスとかですか?」

「そういう勇ましいのも、もちろん好き。でも、特に好きなのは、レディバとレディアンかな。ほら、あの、いつつぼしポケモンの」

幼い頃からツクシやスズと共にジムのむしポケモンの面倒を見てきたこともあって、シズはむしポケモン自体に苦手意識は特に持っておらず、むしろ好きなポケモンの種類の筆頭に挙げることができた。シズ自身、いつつぼしポケモンであるレディアンを一番の相棒としていて、レディアンの次に長い付き合いになるストライクとよく組ませていた。このストライクは、ツクシが従えている雌雄のストライクが授かったタマゴをもらい、シズが自らの手で孵したものだ。レディアンで場の流れを作り、攻撃手であるストライクに連携させて場を制圧する。シズがよく使う戦法だった。

シズがむしポケモン好きということを知った少女は、すぐに頭の中で考えを巡らせて、ある一つの質問を導き出すに至った。

「むしポケモンが好き、ということは……もしかして、ジムリーダーのツクシさんと知り合いだったりします?」

「知り合い、というか……」

とうとうこの質問が来たか。薄々可能性は察していたが、シズはどう答えようか迷わざるを得なかった。実情は知り合いどころの話ではなかった。ありのままをそのまま伝えてしまってよいものか。シズはこういう状況に置かれた時、とっさに言い逃れをするというのがとにかく苦手なタイプだった。もごもごと口の中で言葉を濁しつつ、しかしそろそろ答えねばならない。

意を決して、シズは少女の問いに答えた。

「実はね……わたし、妹なの。お兄ちゃんの……ヒワダジムリーダーのツクシの、妹なんだ」

「……えぇっ!? えっ……えぇえっ!?」

予想通り、少女は素っ頓狂な声を上げて驚いた。今まで気楽に話していた年上の少女が、よもやジムリーダーの妹だとは誰が想像できただろうか。シズは些か申し訳なさそうな表情を見せて、驚きに顔を染める少女の姿をじっと見つめている。

「それ、本当ですかっ。本当なんですかっ!?」

「嘘じゃないよ。今は家に置いてきちゃったけど、トレーナーカードにも『ジムリーダーの親族』って書いてあるし。それにね……」

この際だから……というわけでもないが、シズは知らず知らずのうちに、もう一つの重要なことを話し始めていた。

「来年、お兄ちゃんがジムリーダーを辞めることになってて、わたしが後を継いで、ヒワダジムのジムリーダーになることになってるんだよ」

「お姉ちゃんが……じっ、ジムリーダーに!?」

少女の驚き具合が最高点に達したのを、シズはすぐ近くでつぶさに見守ることとなった。ただでさえシズがツクシの妹という「ふいうち」を食らったにもかかわらず、続けざまに来年自分がジムリーダーに就任すると「おいうち」を掛けられたのだ。少女の心境としてはいろいろな方向から「ふくろだたき」を食らったようなものだろう。

あわあわとひとしきり慌てて見せて、少女がどうにか落ち着きを取り戻すと、今一度シズを上から下までじっくり見返した。シズは少々気恥ずかしい思いをしながらも、少女の心境を慮るとそれも致し方あるまいと受け入れた。やがて少女が再びシズと視線を合わせて、おずおずと口を開いた。

「すごいです……お姉ちゃん、ジムリーダーになるんですね!」

「うん……わたしにジムリーダーが務まるか、まだ分からないけど……」

以前級友らに話した時と同じように、少女もシズがジムリーダーになることを「すごい」と手放しで褒め称えていた。シズはやはり曖昧な笑みを浮かべて、勝算の言葉を連呼する少女の様子を横目で窺うことしかできなかった。

心の中で、言いようの無い気持ちがせり上がってくる感触がした。だんだん大きくなってきた気持ちは、シズにこんな言葉を思い起こさせるにまで至る。

(わたしなんかが、ジムリーダーになって……申し訳ないよ)

クミとルミの時もそうだった。今の少女も同じだ。ジムリーダーというのは皆の憧れの職業で、なりたいと思ってもそうそうなることのできない高嶺の花なのだ。皆がその花を目指して懸命に山登りをしているところを、自分はたまたまその花の側にいたというだけで、易々と摘み取ってしまおうとしている。その花に自分が相応しいかどうか、未だ分からぬままいるにも関わらず、だ。

自分なんかより、妹のスズや、このトレーナーの少女の方が、よほどジムリーダーという花を持つに相応しいのではないか。ずっと立ち止まって思案してばかりいる自分よりも、一心に前へ前へ進もうとしているスズや少女の方が、間違いなく適格と言えるのではないか。シズは胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる思いがして、小さく顔を歪めた。

「でしたら……私、来年またヒワダタウンに来て、お姉ちゃんに挑戦します! 私と、ジムリーダーとして勝負してください!」

「う、うん……来てくれるの、わたしも、楽しみにしてるよ」

ジムリーダーとして、勝負してください。

少女にジムの場所を教えて、最寄りのポケモンセンターの前で別れるまで――シズは、少女が何気なく口にした言葉に込められた重みを、幾度と無く噛み締め続けた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。