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#06 シズちゃんのLINQ

シズが気心の知れた友人達に「来年からジムリーダーになる」と打ち明けてから、早数日。

「ねえしーちゃん、ツクシさんの後継ぐってホント?」

「うん、本当だよ。来年から、わたしにジムリーダーになってほしいって」

「へぇー、しーちゃんがジムリーダーかー……なんか実感湧かないよ、あたし」

人の噂が伝播するのは想像以上に早い。普段取り立てて大きな話題の無いこのクラスでは尚更だ。恐らくおしゃべりなクミとルミや、隣のクラスで女子グループの仕切り役の一人となっているスズ辺りからまず話が広まって、今やほとんどのクラスメートの知るところとなったようだ。今もこうして、シズ自身が話を打ち明けた覚えのないクラスメートから、ジムリーダーに就任することの真偽を確かめられているのが、噂が拡散した何よりの証左と言えるだろう。

「もうみんな知ってるみたいだね、しぃちゃんのジムリーダー就任」

「そうみたい。正直、こんなに早く伝わるなんて思ってなかったよ」

「みんな敏感だからね。誰それがどうなる・どうなったっていう、人間関係には」

机の側に立っているチエが、ライムカラーのカバーをつけたスマートフォンを弄りながら、シズの呟きに応じた。シズとディスプレイに交互に目をやりながら、チエは両方の様子に気を配っているようだった。

「ちぃちゃん、それ、使いやすい?」

「スマホ? うん、慣れればいろいろ便利だよ。ネットしたり地図検索したりできるし、音楽だって聴けちゃうし」

「そっか……わたしも買い換えたいなぁ」

シズは未だに、中学校への入学祝に買ってもらった型式の古いフィーチャーフォンを使っていて、チエがスマートフォンを使っているのを見て羨ましく思ったようだ。契約してからもうすぐ二年と半年、機種変更の制約もそろそろなくなる時期だろう。検討してもいい時期かも知れないと、シズは一人考えた。

親指でスマートフォンを繰るチエを眺めていたシズは、チエがホーム画面に並べられたアイコンの一つにタッチするのを目撃した。アプリが起動して、画面ががらりと切り替わる。ディスプレイに映し出されたのでは、左右交互に「吹き出し」の並ぶ、少々不可思議な画面だった。

「しぃちゃんは知ってるかな、これ。最近流行ってるんだよ」

「ううん、知らない。初めて見るよ」

「『LINQ』(リンク)っていうんだよ。他の人にメッセを送ったりとか、一緒に遊んだりできるアプリ。何人も同時に会話できるしお金も掛からないから、すごく便利だよ」

チエが起動したのは、スマートフォン向けのインスタントメッセンジャーと言うべきコミュニケーションツール「LINQ」だった。気心の知れた友人やネットの知り合いを誘い、個別のグループを形成して会話ができる。「LINQ」というアプリケーション名は、「つながる」という単語「Link」に由来する。末尾が「K」ではなく「Q」なのは、「K」の固い響きよりも「Q」の柔らかな音韻の方が、アプリケーションの「ゆるく繋がる」というコンセプトに合致していたから、と言われている。それとは別にマーケティング上の意味もあるとされているが、ここでは割愛する。

「あとほら、見てみて」

「これ……ピカチュウの絵?」

「そうだよ。『ピクチャ』って言って、今思ってることとかを絵で簡単に表現できるの。ピカチュウだけで十六種類あったりするよ」

「すごいね、なんだか楽しそう。えっと……あっ、あれだ。スマホ用のしかないの?」

「残念だけどね。元々スマホ専用に作ってて、ガラケー版は無いって、開発者の人が言ってたよ」

デバイスの差異によるコミュニケーションの断絶。シズはそれを感じずにはいられなかった。自分が型式の古い携帯電話を使っている間に、「LINQ」内で表には出てこない別のコミュニティが形成されていることに疑いの余地は無かった。シズは少し気後れしながらも、思い切ってチエに訊ねた。

「ねえ、ちぃちゃん。そこで……わたしのこと、話題に出てたりする?」

「うーん……そうだね、結構出てるよ。こんな具合」

何度かディスプレイにタッチして必要な操作を終えてから、チエがシズにスマートフォンを手渡す。受け取ったシズは恐る恐る、ディスプレイを覗き込んでみた。

「シズってジムリーダーになるんでしょ」

「じゃぁあれ? 高校行かないのかな」

「志望校同じだったから高校でもテスト前に英語教えてもらおうと思ってたのに 聞いてないよ」

「あたしも昨日ルミから聞いたし、決まったの最近だよ多分」

「ジムのリーダーってなんか大変そう」

「うん 面倒くさいこと多そうだしかわいそう」

「そうかな もう勉強も受験もしなくていいんだからうちは勝ち組だと思う」

「スズはどうなんの? 高校行くのかな」

「うちは前にジムリーダーなりたいって聞いた覚えあるけど」

「多分補欠みたいな感じだよきっと」

「だよね。。。ジムリが二人いるなんて聞いたことないし」

「そうそう ツク兄は四天王になるらしいよ」

「マジで!? 出世じゃんすごい出世」

「キョウさんと入れ替えらしいよ」

「ていうか、シズにジムリーダーできるのかな」

「なんかすごい微妙。。。部活もやってなかったしリーダーとか経験ないと思う」

「でもあれだよ シズってあれでリョウタと付き合ってるんだから」

「あれって付き合ってるって言うのかな」

「え スズじゃないんだ いつもうちらの教室でしゃべってるし」

「ちがうちがうシズの方 スズはもう一人いるから」

「だからさ 困ったらリョウタが何とかしてくれるんじゃないのかな」

「やっぱりシズは勝ち組だよ勝ち組」

チエに倣って親指を使い、画面を下へ送っていくうちに、シズはもやもやした気持ちが膨らんでいくのを抑えることができなかった。仲間内にしか見えないLINQの空間では、かなり突っ込んだ形の会話がされているようだった。シズはその内にメッセージを読む気力が失せてしまい、チエにスマートフォンを返却した。

(みんな、言いたい放題言ってるよ……)

メッセージの中に「勉強をしなくていい」とあったが、それは大きな認識違いだとシズは訴えたかった。ツクシからは、ジムリーダーになってからも勉強は必要であり、可能であれば通信制の高校へ入学するよう薦められていた。兄が同じ方法で高校を卒業し、ある程度の大学へ行くことができる程度の学力を身につけることに成功していたので、シズも提案自体には賛成していた。ただ、ジムリーダーの業務との兼ね合いもあり、相当多忙になることは容易に想像が付いていた。そうであったから、まるで「勉強から解放される」という先の書き方は、多分に誤解が混じっていると言わざるを得なかった。

そしてシズは、二度ほど出てきたこの言葉にも引っ掛かりを覚えていた。

「勝ち組か……わたしは、とてもそうは思えないよ」

「人それぞれだよ。私はそもそも、勝ち組・負け組って言葉があんまり好きじゃないけどね」

「うん、わたしもだよ。なんだか、もやっとした気持ちになるし……」

「だってさ。いくらいい会社に入って、いいポストについて、ヤマブキの一等地に家を持ってて、高級外車を乗り回してて、お金はたくさんある、なんでもお金で買える、勝ち組だ勝ち組だって言っても、『でも、オーレ地方の石油王とか、イッシュにあるIT企業のCEOとかから見れば、全然負けてるよ』って思うもん。こんなこと言うと、空気が読めてない、って言われるんだけどね」

シズは無意識のうちに首肯していた。チエの言葉は、確かに「空気が読めていない」とか「そういう話はしていない」とか「あくまで勝ち『組』の話、線引きの話だ」というような反発を受けかねない。しかし、絶対的な資産の総量に基づいて厳密に勝敗を考えた場合、恐らくチエの言い分は動かしようがなかった。

結局のところ――曖昧な基準と線引き、そして各々の勝手な感情で作られた「ルールのようなもの」が、あたかも確固たるコンセンサスを得られているかのように受け取られて、その上で勝った負けたと話をしているのが実状だろう。こういう「ルールのようなもの」は、えてして「常識」というとても手軽で使い勝手のよい言葉に置き換えられる。頻繁に引かれる「常識的に考えて」という言い回しは、この暗黙的に存在する「ルールのようなもの」に従え、という圧力と言えると考えられる。何らかのコミュニティに属する者は、必ず見えざる同調圧力に支配されると言っていい。

それが良い悪いという話ではない。そういうものが存在する、という話である。

シズがふっと視線を上げる。見つめた先には、何人かの女子が寄り集まってグループを成していた。

「受験勉強とか、かったるいだけでバカみたいじゃん。何の役にも立たねーし」

「そうだよ。私もそう思う」

「やらなきゃいけないって分かってるけど、面倒だよね。ホントにそう思う」

受験勉強なんてかったるいと言い捨てた、集団の中心にいる長髪のリーダー格の女子。そのクラスメートが後ろを振り向いて、シズが目を合わせた。

(サダコちゃん……)

そのリーダー格の女子の名前を、サダコと言った。

後ろを向いたサダコはシズに一瞥をくれると、しばしシズを品定めするかのように眺め回す。サダコに同調した周囲の取り巻きが、同じくシズに視線を送る。その色合いは様々で、露骨なまでに好奇の目をした者もいたし、あまり気分の良くない憐れみを帯びた目をした者もいたし、どうとも言えない色の無い目を向けている者もいた。

暫しシズを観察していたサダコは、やがてごく微かに、しかし確実に敵対心が感じられる目を見せてから、おもむろに視線を外した。シズを凝視するのを止めたサダコは、すぐさま手にしていたスマートフォンを弄り始めた。サダコを取り巻いているクラスメート達も、サダコに追随するかのように同じくスマートフォンを取り出し、めいめいに操作を始める。

(LINQ……かな……)

お互い何も話さず黙々とスマートフォンに向かう。外からはやりとりの一切を窺い知る余地の無いサダコとその一派の動きに、シズは強烈な疎外感に襲われた。どう考えても、LINQを使って話をしているとしか思えない。シズにしてみれば、それは耳打ちなどよりよっぽどタチの悪いコミュニケーションのやり口だった。お互い声を掛ければすぐ届く距離にいるというのに、態々電波にパケットを乗せて飛ばして、基地局を経由させて各々の端末までメッセージを送っているのだ。相手にやりとりを悟られないためとは言え、薄気味悪さを感じるレベルである。

しかしまあ皮肉なものだ。LINQの基となった英単語の「Link」には、「相互に繋がる」という意味も存在しているというのに、サダコと自分の間にはそうした繋がりが発生する余地が無い。お互いにリンクするどころか、閉鎖的なコミュニケーションが加速していくばかりではないか。シズは一人嘆息する。

「あっ……」

そして、シズの側に向けられていたチエのスマートフォンに、新着メッセージが二通三通四通五通と次々にスタックされて行くのが見える。あまりに予想通り過ぎて、シズは何も物が言えなかった。中身など、読まずとも知れたことだった。

「……ごめんね、すぐ片付けるよ」

「ううん、大丈夫だよ。気を遣わせちゃってごめんね、ちぃちゃん」

チエは電源ボタンを押してスマートフォンのディスプレイをロックすると、カバンのポケットへそそくさと仕舞い込んだ。シズはチエが素早く気を回してくれたことに安堵を覚えると共に、瑣末なことで気を遣わせてしまったと、些かの心苦しさも抱いていた。

スマートフォンの操作や有用なアプリに精通していて、トラブルのフォローも得意としていたチエは、クラスの中で「便利な知恵袋」のポジションを得ていた。ほとんどのクラスメートが必要な時にすぐサポートを得ようとしてチエと繋がりを持ったために、チエのスマートフォンにインストールされたLINQのコンタクトリストは、他の女子ではまず共存し得ない面子がずらりと並んだ状態になっている。サダコのグループが飛ばしあっているインスタントメッセージを受信できたのはそれが理由だ。もっとも、チエ自身はこれといってどのグループにも属さず、あくまでマイペースを貫いていたのだが。

「でも、サダコちゃんもさあ、しぃちゃんの何が気に入らないんだろうね」

「理由は……やっぱり、わたしがジムリーダーになるから……だと、思うよ」

「そうなのかなあ。しぃちゃんが来年ヒワダジムのリーダーになるから、自分よりも目立ってるとか、先に進路を決めたとか、そういうことで妬んでたりするのかな」

チエは今年の頭にスマートフォンを買ったサダコにLINQの設定方法を教えたきり、対面でもLINQでもほとんど話をしていなかった。サダコから話し掛けてくることは絶えて無かったし、チエもサダコに会話を持ち掛けるような用件が無かったのだから、致し方あるまい。サダコが三年生になるまでどんなキャラだったか、どういう過去の持ち主だったか、チエには知る由もなかった。

シズとチエは暫しサダコの一派の様子を眺めていたが、シズの視界にちらちらと映る人影があった。反射的にそちらへ目をやると、サダコの二つ隣の席に座るルミの姿があった。

「どうしたんだろう……ルミちゃん、時々、わたしの方を見てるけど……」

「あっ、しぃちゃん。携帯に何か来てるよ」

「えっ。ちょっと待って」

閉じていた携帯電話を開くと、一通のメールが届いていた。

「『シズちゃん、ごめんね』……ルミちゃんからだ。気にしてるのかな……」

「してるよ、きっと。しぃちゃんのこと心配なんだと思うけど、サダコちゃんのグループじゃなくて他の子とよく一緒にいるから、身動きが取れないんだよ」

差出人は、今しがた気まずそうな表情をしていたルミだった。

ルミはシズと長い付き合いのある気心の知れた友人だ。そこは、シズもルミも揺らいでいない。ただ、ルミは活発で前に出る性格のために、シズよりも交友関係が広かった。故に別のグループの女子たちともよくつるんでいたのだが、生憎そのグループの仕切り役はサダコとかなり折り合いが悪かった。必然的に、ルミもサダコとの接触を避けるようになっていった。サダコは仕切り役のポジションにあることから推測できる通り強気で支配的な性格の持ち主であるから、下手に目を付けられると厄介な事になるのは火を見るより明らかだった。

「そう言えば……さっき見せたの、ルミちゃんのいるグループの会話だったよ」

「なんとなく思ってたけど……あちこちで話題になってるみたいだね」

加えて、シズはルミが属しているグループ内でも話の種にされていた。ルミが「ごめんね」と謝ったのは、それに対するフォローの意図もあったと考えてよいだろう。

クラス中がシズのジムリーダー就任の話題で持ち切りになっている。その異様な雰囲気を、渦中のシズは嫌が応にも実感せざるを得なかった。

「ねえ、ちぃちゃん」

「どうしたの? しぃちゃん」

「ちぃちゃん、このままわたしと一緒にいて、大丈夫?」

こんなややこしいポジションの人間の側にいて大丈夫か。クラス内の見えざる諍いに巻き込まれたりはしないか。心配になったシズが、小声でチエに問い掛ける。

それに対する、チエの答えは。

「違うよ、しぃちゃん。大丈夫とか、そういう問題じゃないよ。全然違う」

「私はしぃちゃんと一緒にいるのが一番いいから、一緒にいるだけだよ」

「グループとか派閥とか、私にはちょっと合わないから。身の丈に合わない服は、流行ってても着ない主義なんだよ」

「無理して調子を合わせるくらいなら、変わってるけど便利な子くらいに思われてる方がよっぽどマシだって、お爺ちゃんからもよく言われてるからね」

見事な自主独立ぶりを見せて、シズを励まして見せた。

今や針の蓆に立たされた立場のシズにとって、チエの態度がどれほど頼もしく見えたか。態々記すほどでもあるまい。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。