――ずっとずっとむかしから、ウバメの森は、みんなの遊び場だった。兄から、そんな風に聞かされた記憶がある。
「今日は虫取り大会! ウバメの森を探検して、みんなでむしポケモンを探してみようよ!」
「へえ……シズがこんなにやる気だなんて、珍しいじゃねえか。こりゃ、明日は大雨注意、ってとこか?」
「そうでなきゃ、霰(あられ)が降る、か。どちらにせよ、前向きなシズは、やはり少し意外な感じがするな」
夏休みのとある一日。シズはジムにいた顔なじみのメンバーを集めて、ウバメの森までくり出していた。顔を見せているのはシズを筆頭に、明日の天気は大雨と予想したサダオ、同じく霰と予想したトモミチ、そして。
「ふん。あんたなんかね、霰が頭に当たって記憶喪失になればいいのよ。ついでに剣道も綺麗さっぱり忘れればいいわ!」
「世の中には、記憶をなくしても身体は技術を憶えてた、って例もある。そう簡単には忘れられそうにないな」
「なんと言おうと、最後に勝つのはあたしの方よ。目をしっかり開けて見てなさい!」
「いいだろう。いつでも受けて立ってやる」
トモミチに対抗意識をむき出しにするシズの妹・スズと。
「スズのやつ、シズがウバメの森へ行こうって言い出したときは『えー……』って感じでしぶい顔してたってのに、トモミチも行くってなった途端これだからな。この底無しの対抗心だけは、おれも敵う気がしねえ」
「あいつ、新聞チャンバラのことまだ根に持ってんだな。俺とリョウタみたいによ、昨日は負けた今日は勝った、じゃあ明日は一からまた勝負だ、ってなれりゃいいんだけどな」
「違いねえ。あいつ、ホントにシズの妹なのか?」
「静かなシズと鈴みたいなスズ。名前どおりのふたごだよな」
スズを遠巻きに眺めるヒワダジム最強候補・ノリユキ。以上五名であった。
ノリユキと談笑していたサダオに目を向けたスズが、つかつかと大股でもって、二人の元へ向かっていく。
「それと……サダオ! あたしに『弱虫』って言ったの、忘れたわけじゃないわよ! 今日という今日は、覚悟してなさい!」
「ああ? 肝試しのときのことか? 散々ビビってシズに泣き付いてたんじゃ、どう見たって弱虫だろ。おれはあれで結構シズを見直したんだぜ」
「確か、スミ職人さんのとこにいるヒトモシが、散歩してて迷子になってたんだよね。無事に見つかってよかったよ」
「平然とヒトモシを抱えてさ、隣でわあわあ泣いてるスズを慰めながらこっちに歩いてくるシズを見たときは、俺もリョウタも驚いたな。やるじゃんシズ、って感じでよ」
「シズの肝が意外に太いのが分かった光景だったな。できることなら、普段からこうであれば、と思わないこともないが、俺も見直したぞ」
「う……う、うるさい! だいたい、ヒトモシがあんな時間に出歩いてるのが悪いのよ! 本当に強いのは、あたしの方なんだから!」
サダオに食って掛かるつもりが、みんなから一斉に少し前のいささか恥ずかしい出来事をむし返されたスズが顔を真っ赤にして、どうにかこの話の流れを打ち切った。
「じゃあ、そろそろ始めるよ。森の中を自由に探検して、三時になったらほこらで集合。それでいい?」
「俺は異議なし、だ」
「それでいいわ。どんなルールでも、勝つのはあたしよ! トモミチにもサダオにもお姉ちゃんにも、あたしは負けない!」
「俺もだ。さっさとおっぱじめようぜ!」
「おう、おれもそれで文句はねえぜ。しかしやっぱシズにしちゃ決めるのが早えな。やりゃあできるじゃねえか」
首尾よく全員から同意が取れたところで、シズがこくりと頷く。
「よーし! みんな、行くよ。探検……スタートぉ!」
シズが声をあげて、ウバメの森を舞台にした虫取り大会が幕を開けた。
自由行動になったすぐ後のこと。シズは相棒のチルチルをモンスターボールの外へ出してあげると、仲良く連れ立って歩きはじめた。シズがチルチルと手をつなぐ。シズに手を握ってもらったチルチルは、とてもとてもうれしそうだった。
「ねえチルチル。みんながビックリするような、すごいむしポケモンを探そうね」
おお、やってやろうじゃないか。そう言わんばかりに胸を張り、チルチルが空いている右の二つの手でどんと胸を叩く。背中の五つ星が、木洩れ陽に当たってきらきら輝いていた。チルチルは親であるシズのことが大好きな甘えん坊であると同時に、シズのためなら文字通り体を張れる豪傑でもあった。シズがチルチルのほっぺを優しくなぜてあげると、チルチルはくすぐったそうにして、口元をふにゃふにゃに緩ませた。
チルチルといっしょにお散歩気分でウバメの森を探検していたシズが、ふと横手に目をやったときだった。
「あれ……?」
緑ばかりの森の中ではひときわ浮いて見える、あざやかな赤色が目に飛び込んできた。すぐに立ち止まる。これと似た光景を、以前、ほとんど同じ場所で目にした記憶があった。緑一色の森の中で、小さな体をさらに小さく丸めて、ただただ怯えているばかりの姿は、むかし見た風景と完全に一致していた。
「チルチル、見て。あの子、はぐれちゃったみたい」
まだ子供に見える小さなレディバが、群れからはぐれて動けなくなってしまっていたのだ。シズとチルチルがすぐにレディバの方に向かう。
シズももちろん急いでいたが、チルチルは彼女以上に急いでいた。レディバを助けてやりたいという思いが、彼の仕草からもうかがえる。チルチルも群れから取り残されてしまって一人ぼっちになっていたところを、たまたま通りがかったシズに助けてもらって、そして今に至っているのだ。孤独なレディバを放っておけるわけもなかった。
「だいじょうぶ? ケガ、してないかな?」
声を掛けられたレディバは、いったい何が起きたのかがすぐには分からず、きょとんとしたままシズとチルチルの姿を見つめていた。やがて、シズが自分に危害を加える様子がないこと、何より隣に同じ種族のチルチルがいることに気がついて、よちよちと少し頼りない足取りで二人のすぐ近くまで歩いていく。
チルチルがレディバに話を聞いてみると、予想通り、レディバとレディアンの群れからはぐれてしまったようだった。さっきまで一緒にいて、遊んでいる途中に一人ぼっちになってしまったというから、まだそれほど遠くへは行っていないはずだ。今からでも探せば、元の群れへ帰ることができるかも知れない。
レディバから事情を聞いたチルチルが、シズに身振り手振りもまじえて訴える。この迷子のレディバの力になってやりたい。訴えた内容は、それですべてだった。
「なるほど、チルチルはこの子の仲間を探してあげるつもりなんだね。よーし、それなら、わたしも手伝うよ!」
使命感に燃えるチルチルに触発され、シズも俄然やる気を見せた。チルチルはシズに助けられて、それはそれで幸せだったものの、かつていっしょにいた仲間の元へ帰ることはできなかった。このレディバに同じ思いはさせたくない。泣いていたむかしの自分と目の前のレディバを重ね合わせ、チルチルがいっそう奮起する。
シズとチルチル、小さな二人の大作戦が、今幕を開けた。
「だけどさ、お前とスズって、ちょっと似てなくないか?」
「おい、ばか言うなよ。おれとスズのどこが似てるってんだ」
レディバの群れを探してシズ一行が歩いていると、森の奥から話し声が聞こえてきた。口ぶりを聞いて、シズはそれがすぐにノリユキとサダオのものだと分かることができた。歩く足は止めないながらも、シズがそっと聞き耳を立てる。二人が何を話しているのか、気にならないシズではなかった。
「そうか? 負けず嫌いなところとか、そっくりな気がするけどな」
「違ぇよ。おれとスズは違う。そんなこと言うんじゃねえ」
「悪かった悪かった、そんなにヘソ曲げるなって」
サダオはスズに似ている。ノリユキがそう言うと、サダオは不機嫌そうに顔を背けた。苦笑いを浮かべたノリユキがサダオに謝ると、サダオはふん、と鼻を小さく鳴らして、再びノリユキに目を向ける。
そういえば、とシズが思考を巡らせる。サダオはノリユキといっしょにいることが多い。単純に気が合うからだと思っていたが、サダオの様子を見ていると、どうもそれだけではないような気がしてきた。それが一体何なのかは、今のシズにはまだ理解できなかったが、二人の間柄が気になったことに間違いは無かった。
「ったくよ、どいつもこいつも。女なんて何がいいのか分かりゃしねえ」
「お前、筋金入りだな。本当に」
「へっ。あの家にいりゃ、自然とそんな風になっちまうってもんさ。男ばっかでいる方が気楽、お前だってそうだろ?」
「どうだかな。少なくとも、今は割と気楽だな」
シズはサダオとそこそこ仲がよく、ジムでは(主にシズがおちょくられる担当で)しばしばいっしょに遊んでいたが、サダオの家には一度として行った記憶がなかった。ただ、サダオには兄弟がいて、上と下にそれぞれ兄と弟がいるということは知っていた。弟は二人いて、しばしばジムまで引き連れてくることがある。正式なジムトレーナーではなかったが、ツクシは弟たちを歓迎し、いつも手厚くもてなしていた。
「なあノリユキ。お前、免許取ったら本当にここを出て行くつもりなのか?」
「そのつもりだな。いろんな人に聞かれるけどよ、俺は本気だぜ」
「やっぱりそうか……ここから、いなくなっちまうんだな。つまらない日ばっかになりそうで、今から気が滅入っちまう」
「そういうお前は、ずっとヒワダに残るのか?」
「ばか、出てけるわけなんてねえだろ。弟だっているし、兄貴もまだ高校に行ってる。大体、金がどこにもねえよ」
「やっぱり、そうなっちまうか」
「それに、おれが見てねえと、いつあのクソ親父が同じことをしでかすか分からねえ。今はしおらしくしてるけどよ、本当は何考えてるのかなんてあいつにしか分からねえからな。だから、おれがちゃんと見張ってなきゃいけねえんだ。次にやったら――お前をぶっ殺して、おれも死んでやる、ってな」
淡々と、けれど強い感情を込めて語るサダオの様子を、ノリユキはじっと見つめていた。
「すまねえ、辛気くせえこと話しちまったな」
「気にすんな。たまには外に出さねえと、気持ちがくさっちまうだろ。俺になら話せるって思ってくれたんだったら、悪い気はしねえさ。よし、そろそろ行くか。俺たちですげえむしポケを捕まえてやろうぜ。俺たち二人で、な」
「ああ――そうだな。それがいい」
二人がその場から走り去っていくのを、シズは何も言わず、ただ見守っていた。
「よかったよかった。仲間が見つかって、本当によかったね」
シズがレディバを見つけてから一時間ほど経ったころ。森の奥地で寄り固まっていたレディバとレディアンの群れを見つけ、チルチルが迷子になっていたレディバを引き合わせに行った。結果はビンゴ。一人ぼっちになっていたレディバは、この群れの一員だった。仲間たちも心配していたようで、戻ってきたレディバを代わる代わる撫でてやり、無事を確かめていた。シズとチルチルはお手柄と言ってよいだろう。
チルチルは他のレディバたちと仲良くなり、いっしょに遊び始めた。その様子を、シズはうれしそうに眺めている。シズのそばにもレディバが数匹やってきて、迷子のレディバを連れてきてくれたことを感謝している様子を見せていた。そっとシズが体をなぜてやると、レディバはすっかり心を許して、シズにくっつき始める。シズはレディバもレディアンも大好きだったから、こうしてたくさんのレディバたちと共にいると、あたたかな気持ちが胸にいっぱい満たされていくようだった。
ほほを緩ませたシズは、しばし幸せに浸っていたが――その時不意に、後ろから彼女に呼びかける声が聞こえてきた。
「シズ……? そこにいるのは、シズか?」
「えっ?」
驚いたシズが振り返る。背中にある木の影に立っていたのは、最初に別れてから一度も顔を合わせていなかった、トモミチだった。他の仲間たちの姿はない。一人で探索しているようだった。
「トモミチくん。どうかしたの?」
「いや、一人でいるのかと思って、声を掛けただけだ」
「うーん、一人だけど、一人じゃないよ。ほら、見て」
「これは……お前の連れているレディアンの仲間か?」
「さっきね、迷子になってたレディバがいたから、チルチルといっしょに仲間を探してあげたんだ。だから、さっき知り合ったばっかり。だけどほら、もうこんなに仲良くなっちゃった」
「そうか、だからか。いいことをしたな。シズのそういうところは、俺もいいと思う。だから、シズはやっぱりもう少し押しが強い方がいい。それこそ、スズのように」
「わたしには、スズみたいにはできないよ。スズはわたしよりずっと強いし、足を引っ張らないようにするだけでいっぱいいっぱいだよ」
わたしはスズのようにはいかないと苦笑いを浮かべつつ、シズがかがみ込んで足元のレディバをなでる。とても気持ちよさそうだ。レディバがすっかり安心しているのが見える。
「トモミチくんは、何か見つかった?」
「いや、トランセルやクヌギダマを見たくらいだな。そっちみたいに、たくさん見つけるというわけには行かなかった」
「そっか……ほかのみんなはどうしてるかな。そろそろ三時だから、ほこらで集合しなきゃね」
「それもそうだが、シズ。今のうちに、お前から一つ聞かせてほしいことがあるんだ」
「わたしに? なんのこと?」
「ちゃんというと、お前のことじゃなくて、スズのことなんだが……」
トモミチは少し言いづらそうに言葉をにごして、もごもごと口の中で言葉を転がしている。これは大変珍しいことだ。普段の彼なら、聞きたいことがあるならすぱっと手短に質問を口にして、すぐに用件を伝えてしまうところなのだが、どうもいつもと勝手が違うように見える。
「あいつが、剣道を始めたっていうのは、本当なのか?」
時間を使って出てきた質問は、スズが剣道を始めたのか、その一点だった。
「そうだよ。この間まで通ってたスイミングをやめて、新しく剣道を始めるんだって。お母さんに頼んで、もう手続きも済んだみたい。始まるのは、来週くらいからかな」
「シズは、それで何か聞いてないか? その、始めた理由とか」
ここで、シズはピンときた。トモミチがこの会話を始めたのは、おそらくこれが理由だろうというのが、判ったのだ。
「もちろん知ってるよ。ちょっと前にトモミチくんにいっぱい負けたから、どうしても勝ちたいんだって」
「やっぱり、それで……か。スズらしい理由だな。本当にあいつらしい」
「すごいよね。勝ちたいって気持ちで、どんどん前に進んでいけるって。わたしも見習わなきゃって思ってるけど、でも、思ってるだけで、うまく行動に移せてないかな……」
シズとトモミチは、共にスズのことを思い浮かべていた。
トモミチはどうしてスズのことを詳しく聞きたがるのか。シズは、疑いでも勘繰りでもなく、率直に疑問を抱いていたが、あえてそれを口にすることはしなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。