――夕暮れ時。
「……すみません。そろそろ、帰らないと……」
「お、みんとちゃん門限あるのね。時間もちょうどいいし、これくらいにしますか」
門限があるというみんとの言葉で、リアンは魔法の練習を終わらせることに決めたようだ。ともえとあさひもそれに従い、リアンの元へ歩み寄る。
「リアンさん、そろそろ終わりにしますか?」
「そうね。みんとちゃん、門限があるみたいだから」
「俺の家にも一応あるが、爺さんと正人以外は誰も守ってねえな……門限」
ともえ・あさひ・みんとが次々に変身を解き、アトリエへやってきた私服の姿へ戻る。
「みんな、今日もお疲れ様。だんだん魔法が安定してきたみたいで、あたしも嬉しいわ」
「揃って予想以上に飲み込みが早いみたいね。油断は禁物だけど、自信は持っていいわ」
「はい! リアンさん、ルルティさん、ありがとうございます!」
「どういたしまして! あたしの方も、みんなの成長が見られて楽しいわよ」
頬を綻ばせ、リアンが頷く。愛弟子が目に見えて成長し、日々成果を出しているとあっては、師匠として間違いなくうれしいはずだ。表情には、その気持ちが一杯に溢れていた。
「俺も安定してきたみたいだし、いい感じだな!」
「……私も、少しコツがつかめてきた」
「後から入った二人も、筋のよさはともえ並ね。リアン、日和田って、こういう子が多いのかしら?」
「その可能性はあるわね。ちらほら聞く話だと、ユニットを構成する魔女見習いは、程度の差はあれど大体同一地域から五人固まって――」
ルルティの問いかけにリアンが答えようとした、その時だった。
「……あれ? リアンさん、向こうの部屋から、何か音が聞こえます」
「……なんだ? 携帯の着信音か?」
「携帯? まさか……」
リアンが右の指をはじく。刹那、空中にシルバーの折りたたみ式携帯電話が出現した。携帯電話のサブディスプレイがアクティブになり、上部についているライトが緑色に繰り返し発光している。
「どうやら、着信中みたいね……」
「こんな時間に掛かってくるとは、いい話じゃなさそうね」
携帯電話を素早く開き、リアンが受信ボタンを押下する。
「はい、リアンです……ナギオス? どうしたのよ一体……」
この直後、リアンの表情が急変した。
「はぁ?! 三十二区が陥落した?! 三十三区にも影響が及んでるって……」
「分かった分かった! とにかく落ち着きなさい! この後すぐ様子を見に行くから、身の安全だけは確保しときなさいよ!」
「いいわね! じゃあ!」
……明らかに場にそぐわない会話をひとしきり交わした後、リアンが大きくため息をつく。
「……ふぅ。ホントにどうにかならないのかしら……」
「リ、リアンさん……一体、どうしたんですか……?」
「お、おい、何なんだよ……陥落とか、身の安全とか……」
「……何か、危険な出来事が……?」
物騒な言葉の乱舞に戸惑う三人の少女達を前にして、リアンが申し訳なさそうな表情を見せる。
「いや、ね……あたしの住んでる地域って、ごたごたがものすごく多いのよ」
「ここじゃなくて、魔女界の方ですか?」
「そうそう。中央と違って開拓されてない地域が多いから、ヘンなのがあちこちにうろついてるのよね」
携帯電話をポケットに押し込みながら、リアンは言う。
「ともえちゃん、あさひちゃん、みんとちゃん。ホントにごめん。明日とあさっては土日なんだけど、あたし、ちょっと帰らなきゃいけないわ」
「気にしないでください。リアンさんには、リアンさんの事情があると思いますから」
「聞いてたら、相当面倒なことが起きてるみたいだったからな……分かったぜ、リアン」
「……分かった。先生も、体には十分気をつけて」
「ありがとね、三人とも。なるべく早く帰ってくるつもりだから、月曜になったらまた来てちょうだいね」
「分かりました!」
「おうよ! 月曜には元気な顔を見せてくれよな!」
「……また、必ず来ます」
ともえ・あさひ・みんとは別れの挨拶を交わし、荷物を持ってアトリエから立ち去った。
「……やれやれ。土日も、あの子達と過ごせたらよかったんだけどね」
「予定が狂っちゃうのって、どうしてもやりきれない気持ちになるわよね、リアン」
彼女らの背中を見守りながら寂しげに笑うリアンの隣に、ルルティがそっと寄り添う。いつものとぼけたやり取りとは毛色の異なる、真面目な色を帯びたやり取りが続く。
「アナタも大変ね。ナギオスは身を守る術を身につけてないの?」
「あの子、生粋のエンジニアだからね……ま、あたしも人のことは言えないけどさ」
「なるほどね……なら、私も同行するわ。アナタ一人じゃ、心配だもの」
「そうね。文字通り猫の手も借りたいくらいだったし、ルルティ、一緒に来てちょうだい」
「いいわ。退屈しのぎに手伝ってあげる」
「ま、退屈はしないと思うわ。概ね、悪い意味でだけど、ね」
三人の少女たちの姿が完全に見えなくなったことを確認し、リアンとルルティはアトリエの中へ戻った。
――土曜日。
「ふんふんふーん♪」
例によって楽しげに鼻歌を歌いながら、あさみは玄関の掃除をしていた。ほうきを手に楽しそうにゴミを掃く姿は、まさしく平穏な日常風景そのものだった。
「ほうきを持っちゃうと、やっぱり楽しい気持ちになるわね♪」
何が彼女をそんなに楽しい気持ちにさせているのかは分からないが、あさみ本人はとても幸せそうだったので、ここはよしとしておくべきだろう。
「あっ、お母さん」
「あら、ともえちゃん。どこかにお出かけ?」
掃除中のあさみの目の前を、手提げカバンを持ったともえが通り過ぎた。あさみは一旦掃除の手を止め、ともえを見やる。
「うん。ちょっと、図書館に行ってくるよ」
「あら! えらいわね、ともえちゃん!」
「えへへっ。お昼ごろには戻ってくるね」
「分かったわ。遅くなりそうだったら、家に電話してね」
笑顔のあさみに見送られ、ともえは図書館に向かい始めた。
「ともえちゃん、えらいわね~。私の小さい頃は、お母さんに言われるまで勉強なんてしなかったのに……」
手提げを持って颯爽と歩く愛娘の背中を見つめつつ、あさみが頬にそっと手を当てる。
「……う~ん。これはこれで、『勉強しなさい!』とか言えないから、ちょっぴり寂しいかも……」
あさみの願望。それは魔法少女(魔女っ娘も含む)アニメに出てくる主人公のお母さんのように、ダメダメな娘をちょっと厳しく叱ること。あさみの願望そのものは叶わないが、実際の彼女の立場は「魔女っ娘のお母さん」に他ならない。子の心親知らずであると言えよう。
「でも、やっぱり真面目が一番ね♪ ともえちゃん、ふぁいとふぁいとっ♪」
ひとしきりしゃべった後、あさみは鼻歌交じりの掃除を再開するのであった。
――日和田市立南東図書館。
「今日は人少ないなぁ……」
いつもの土日は人の溢れている日和田市立南東図書館であったが、今日に限っては人の入りが少なく、まばらにぽつぽつ本を読んでいる人がいるだけだった。
「あのテーブル席、静かでゆっくり本が読めるんだよね~」
ともえは隅にあるテーブルに向かう。そのテーブルの窓際の席は、ともえのお気に入りの場所だった。窓から外の風景が望める上に、静かで読書に集中できる。朝のうちに来ればほぼ確実に確保できたから、ともえはこうして早くから図書館を訪れていたのである。
「ここを曲がって……」
やや入り組んだフロアを歩きつつ、ともえが目的地に向かう。
「あとは、ここをまっすぐ!」
目星を付け、てくてく歩を進めるともえ。
――と。
「……あっ」
「……?」
――そこで出会うは、同級生。
「えーっと……本庄、さん?」
もとい、D組の本庄さんであった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。