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S:0051 - "in the Library"

「……………………」

本庄さんが高い本棚を前にして背伸びをしている光景が、ともえの目に飛び込んできた。本庄さんはくりくりとした瞳をぱちぱちさせ、突然横からやってきたともえを真正面から見つめていた。何が起きたのか、誰が声をかけてきたのか、とでも言いたげな表情だった。

(前に会ったときも、図書室で本を読んでたっけ……)

本庄さんは以前会ったときも、図書室で本を読んでいた。珊瑚が本をぶちまけて、ともえが拾うのを手伝ってやった時のことだ。今日は図書館で遭遇することになった。図書館にいるのだから、本を読みに来たと考えるのが自然だろう。

「こんにちは、本庄さん。わたし、A組の中原ともえだよ」

「……………………」

声をかけられた本庄さんはというと、未だに状況が飲み込めていないのか、その場で硬直したまま動かない。背筋をピンと伸ばしたまま、ともえのことをじーっと見つめている。

「えっと……本庄さんも、本を読みに来たのかな?」

「……(こくり)」

ようやく反応があった。ともえから寄せられた「本を読みに来たのか」という質問に、頷いて応じたのだ。きょとんとした表情のまま頷く本庄さんの姿は、どことなく可笑しく、愛嬌を感じさせるものだった。

「そこに、本庄さんの読みたい本があるの?」

「……(こくこく)」

本庄さんが手を伸ばす先。そこには、少々分厚めの文庫本の姿があった。高い位置にある上に背表紙の文字が小さく、何の本なのかまでは分かりそうに無かった。ともえには相当縁遠そうな本であったが、本庄さんはその本を読みたいらしい。

「……(よじよじ)」

「……………………」

「……(ぐいぐい)」

短い背丈を懸命に伸ばして頑張る本庄さんだったが、もう後一歩で手が届かない。本人は必死に頑張っているのだが、背が足りなくては本が取れないのは自明の理だ。

「えっと……ちょっと待っててねっ」

「……?」

本庄さんの様子に何かを感じ取ったともえは、手提げを肩にかけて小走りにその場を立ち去った。残された本庄さんが、再び疑問符を顔に浮かべる。ともえは、一体何をしにいったのだろうか?

「……………………」

そのまま本庄さんが待つこと二、三分。律儀にもそのままの姿勢で待っていた本庄さんの瞳に、ともえの姿が再び映し出された。

「……お待たせっ。これで、本が取れるよっ」

「……!」

ともえが抱えてきたもの。それは、高い位置にある本を取るために使う、木製の踏み台だった。

「この辺りに置いて……」

「……………………」

「ぐーっと手を伸ばして……ぃよっとぉ!」

「……!」

踏み台に昇ったともえが体をいっぱいに伸ばして本棚にアプローチし、本庄さんが取ろうとしていた文庫本――「一般相対性理論」――を手中に収めた。

「おっとっと……よっと!」

少しよろめきながらも、ともえが踏み台から綺麗に着地する。ともえの一連の様子を、本庄さんは惚けたように見つめていた。

「はい。これで、合ってるかな?」

「……(こくり)」

ともえが差し出した文庫本「一般相対性理論」を、本庄さんは恐る恐る手を伸ばし、こわごわ受け取る。「一般相対性理論」を受け取った本庄さんは、それを胸に抱き、ともえの瞳をじっと見つめる。

「踏み台がヘンなところにあって、分からなかったんだよね。他にも欲しい本があったら、これを使って取れるよ」

「……(こくこく)」

踏み台の使い方に軽くフォローを入れてから、ともえは手提げを取り直す。

「じゃあ、わたしは向こうの窓際の席に行くね。気になることがあったら、いつでも声をかけてくれていいよ」

「……………………」

本庄さんに見つめられながら、ともえは窓際の席を目指し、再び歩き始めた。

 

「……さて! 続き続きっと」

座席を確保したともえは、小学校中学年向けの児童書コーナー……の隣にある、古びた文庫本の並ぶコーナーへ進入する。読みたい本の目星が大筋で付いているのか、本の探し方に迷いが無い。

「……あったあった」

お目当ての本を見つけ、本棚からそっと引き抜く。長らく誰も手を付けた形跡の無い文庫本の表紙には、些かかすれた字で「エヌ氏の遊園地」と書かれていた。

「星先生のシリーズ、この図書館が一番たくさん置いてあるんだよね~」

少々埃っぽい「エヌ氏の遊園地」をささっと手で払い、ともえが満足げな笑みを浮かべて座席へ戻る。今日はこの本を読むことに決めたようだ。

「~♪」

自席へ戻ると、ともえは手提げカバンを椅子の下へ置き、早速「エヌ氏の遊園地」を開いた。

「……………………」

ともえが「エヌ氏の遊園地」を読み始めて、10分と経たない頃の事だった。

「……(じーっ)」

「……………………」

彼女の横から、何やら視線が覗いている。ともえは「あこがれの朝」の2ページ目を開いていた。視線が自分を射抜いていることなど、毛ほども気付いてはいない。

「……(そぉーっ……)」

「……………………」

視線が動く。否、動いているのは視線だけではない。厳密に動いているのは、視線の主だ。物語に登場するひどい女性の話に眉をひそめているともえには、その隣でちょこちょこ動いている影などかけらも目に飛び込んでこない。

「……(ずずずずず)」

「……………………」

椅子をごくゆっくりと引く。ともえの隣だ。なるほど、結婚詐欺か! と納得したように頷くともえは、隣で椅子が動いていること、ましてや、そこに誰かが座ろうとしていることなど、気付くはずも無かった。

「……(ちょこん)」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「う~ん……なるほど、こういうオチだったんだね……あれ? 本庄さん?」

四本目の話「あこがれの朝」を読み終えたともえが、次のページの「副作用」へ移ろうとした際に、ようやく隣に本庄さんが座っていることに気がついた。本庄さんはともえの方をじーっと見つめて、小動物のように体を縮こまらせている。

「わたしの隣だったら、いつも空いてるから、座っても大丈夫だよ」

「……分かったの」

本庄さんが、ここに来て始めて声を発した。少々か細いものの、ちゃんと聞き取れるレベルの声ではあった。少し儚げな見た目に似つかわしい、線の細さを感じさせる声色だった。

「本庄さんも、いつもこの図書館に来るのかな?」

「あ……りりこ、いつもは中央図書館に行ってるの」

「中央図書館……あの、大きな図書館のことだね」

「……(こくこく)」

いつもは中央図書館に行っているという本庄さん――本名が判明した。「りりこ」というらしい――は、ともえからの問いかけに頷き、肯定の意を返した。

「中央図書館が改装工事で、入場できなくなったの」

「なるほど、それで、こっちに来たんだね」

「……(こくこく)」

本庄さん、もといりりこが南東図書館まで足を運んだのは、いつも通っていた中央図書館に改装工事が入り、立ち入れなくなったから、らしい。

「中央図書館のほうが本はたくさんあるけど、こっちも静かでいいところだよ」

「……うん。りりこも、そう思うの」

「わたし、本庄さんと話ができてうれしいよ。すごく難しい本を読んでるんだね」

「あ……うん」

胸の中に抱いたままだった「一般相対性理論」を手に取り直し、りりこが少し俯き加減で頷いた。

「わたしはここで本を読んでるから、本庄さん、何かあったらいつでも言ってね」

「……(こくり)」

りりこは小さく頷くと、ともえの隣で「一般相対性理論」を読み始めた。

 

――午前十一時三十分。

「……さて、と」

「……………………」

読み終えた「盗賊会社」――「エヌ氏の遊園地」と同じ著者が書いた、似たような色合いの短編集のようだ――を閉じ、ともえが静かに椅子を引いて立ち上がる。りりこは隣でノートを広げ、「一般相対性理論」を読み続けていた。

「本庄さん。わたし、そろそろ帰るね」

「……(こくり)」

ともえが「先に帰る」と言うと、りりこは小さく頷いて応じた。彼女の視線は「一般相対性理論」、そして広げているノートから片時も外れることは無い。

「それじゃ、本庄さん、さようなら……」

「あ……待ってほしいの」

「えっ?」

帰ろうとしたともえを、りりこが呼び止めた。ともえの目を見つめながら、りりこが呟くように言う。

「また、図書館に来る?」

「うん。毎週土曜日の朝は、図書館に行くって決めてるからね」

「……分かったの。それだけ……」

そう言うと、りりこは再び本に戻った。ともえは手提げかばんを手に取り、図書館を後にする。

「本庄さんと出会うなんて、考えもしなかったよ」

帰り道、ともえは一人でそう呟いた。以前から何度か目撃していたりりこであったが、ここに来ていきなり話をすることになった。

「物静かで勉強熱心で……わたしも、本庄さんを見習わないとっ」

別にともえが騒がし屋のおてんば娘というわけではないのだが(むしろ、そのポジションには千尋辺りが適役だろう)、りりこの物静かで(静か過ぎるきらいはあったものの)勉強熱心な様子は、見習うに値すると感じたのであろう。

(また図書館に行ったときに、一緒に本を読めるといいな)

りりこと再会できることを密かに楽しみにしつつ、ともえは家路に着いた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。