数日後、ヒワダジムにて。
「おはようございます! 今日もいい天気ですね!」
「おーす! 未来のジムリーダー! ってとこかな。おはよう、シズちゃん」
必要な準備が済んで、シズが扉の解錠を行う。すると決まって、この精悍な顔つきの男性が立っているのだ。各地域のジムには必ず、彼のような「アドバイザー」が専属で付いている。来訪したトレーナーにジム特有のルールの説明を行ったり、ジムリーダーを始めとするジムの構成員が使役するポケモンの傾向について伝えたりする役割を担っている。まあ、その名の通りと言えばその名の通りの職業である。
挑戦者たるトレーナーへ助言を行うのはもちろん、ジムに所属するトレーナーへアドバイスをすることもある。それに止まらず――ヒワダジムの場合、ジムリーダー本人やシズとスズのようなジムリーダーの親族、あるいはクミとルミのようなベテランのジムトレーナーがその役目を受け持っているために、あまり意識されることはないが――アドバイザーがジムトレーナーの監視・監督を担当しているところも多く見られる。
「少し前からだけど、ずいぶんいい顔をするようになったね、シズちゃん」
「はい。来年からわたしがジムリーダーになりますから、今からシャキッとしようと思ってるんです」
「不思議だね。いや、フシギダネじゃなくてね。シズちゃん、前の時も同じように言ってたはずなんだけどさ、全然調子が違うからね。いい意味で気負いがなくなったというか、ホントにいい顔だよ。こりゃあ来年が楽しみだ!」
開館まではあと三十分ほどある。シズはアドバイザーと共にベンチに腰を下ろすと、ごく自然に話の続きを始めた。
「しかしまあそうは言っても、俺がそれまでここに居られればいいんだけどな……」
「もしかして……異動とか、あるんでしょうか?」
「ああ。例によって……って言い方をしたらアレなんだけど、フスベジムにいた後輩が解任されて、リーグの人事部教育課付に回されちまったんだ。これでもう五人目だよ」
ジムリーダーはアドバイザーの任命権と解任権を持つ。アドバイザーが職責を果たしていないと判断すれば、ジムの長たるリーダーの判断でいつでも解任することができる。フスベシティにあるジムでは、この度五度目の解任が行われ、別のアドバイザーが派遣されるのを待っている状態にある。
「俺がツクシ君の就任と同時に任命されて、ヒワダジム一筋でずっとやってる間に、五人も辞めさせられちまった。一人は休職するし、大変そうとしか言えないさ。なんかこう、次は俺が行かされそうで怖いんだよな……」
「フスベジムって、確か、ドラゴンポケモン使いのイブキさんがジムリーダーでしたっけ? どうしてそんなに人の入れ替わりが激しいんですか?」
「理由は簡単。あのジムが完全な実力主義・成果主義を敷いてるからさ。勝てばさらに上へ行ける、だけど負ければそこで終わり。これぞまさしく『Up or Out』、上昇か退場か。常に競争ってわけさ。だからジョウトどころか、全地方でも選りすぐりの強豪トレーナーが集まってる。しかも新陳代謝が激しいから、強さは日に日に上がって行ってるんだ。ただ……」
「ただ?」
「激しい競争で摩耗したトレーナーが燃え尽きてバンバン辞めて行くから、リーグでもこりゃちょっと危なっかしいんじゃないかって意見がもう大分前から出てる。本来、そういうバーンアウトしたトレーナーを再起させるのがアドバイザーのタスクなんだが、これが全然追い付いてない。一人説得してる間に三人抜けたってな笑うしかない事例もあるくらいだしな」
「ええっ、そんなにですか……?!」
「ああ。ジムトレーナーが辞めるとジムリーダーの評価にも関わってくるから、アドバイザーがちゃんと防波堤になれって言われるんだが、土台無理な話ってもんさ。時にはすぐに病院へ連れて行かないといけないような、重篤な状態になってから相談しに来るトレーナーもいたりするって聞いた。俺たちアドバイザーは全員カウンセリングの基礎は押さえてるが、さすがにそんなケースはお手上げだよ」
壮絶な現場の一端を垣間見たシズは、軽いカルチャーショックを受けているようだった。地域によっては、それほどまでに苛烈で熾烈な競争を繰り広げているジムもあるのだ。
「そんな話があったんですか……ヒワダジムだとトレーナーがジムを辞めるときは、進学や引越しがほとんどで、他の理由はあまり聞いたこと無かったから、なんだかすごいなあ……って思います」
「いやあ、俺はヒワダジムもいいと思うよ、本当に。誰かが辞めるときにはお別れ会を開いてくれたりとか、悩んでたりしたらシズちゃんやツクシ君がたっぷり相談に乗ってくれるじゃない。でさ、進学とかでジムを辞めても名札はずっと残してくれてて、ふらっと遊びに来てくれるのをツクシ君は待ってるわけよ。そうするとたまに顔を出して、後輩の面倒を見てくれたりする。それで、ツクシ君にまた相談に乗ってもらったりして、いつまでもいい関係が続く。俺はこういうのもいいと思ってるんだ」
アドバイザーの言葉にシズは目を輝かせ、無意識のうちに頷いていた。
「こう言うとヒワダジムは競争してない、向上心が無いとか言い出す奴が絶対いるんだよ。俺も定例とかで何回も何回も言われたからな。んなこたあない。ヒワダジムは競争だらけだ。もう年がら年中競争してるって言ってもいい。ただし、競争の『種類』がハンパじゃなく多いんだ。シズちゃんなら俺の言いたいこと、分かるよな?」
「あれですよね! 虫取りコンテストとか、チームバトル大会とか、なかよしコンテストとか、工作ワークショップとか……あと、他にも数え切れないくらい!」
「そう、それだ。競争の種類を増やして、『あれで上は取れないけど、この種目なら負けないぞ』ってのを作るんだ。バトルが苦手でも、ポケモンと仲良くなれるなら、なかよしコンテストがある。走るのが不得意でも、ポケモンと一緒に何かを作るのが好きなら工作ワークショップがある。競争競争って言うけど、競争の種類が限られてるんじゃ不公平だろ。個人の向き不向きってもんがあるんだ」
「そういえば……ミズキちゃんなんかは、戦うのは好きじゃないって言ってますけど、コンパンのコンちゃんとすごく仲がいいんです。それで、いつもコンちゃんと一緒にコンテストに出て、他の子が目をまん丸くするくらい『仲良しだー』って様子を見せてくれるんですよ。ミズキちゃんが作ったシャボン玉にコンちゃんが念力を掛けて、ミズキちゃんと一緒に遊んだり、とか。仲がいいだけじゃなくて、こうすれば楽しそうに見えるってことが、感覚的に分かってるみたいなんです。それって、また一つの才能だと思います」
「まったくだ。人間もポケモンも、何が向いてるかなんてやってみなきゃ分からない。いろんなことをやれる機会を作れば、自分には何が向いてるのかって分かるチャンスも増えるってわけだ。最初からやれることが限られてて、それに合わなきゃ人間失格ポケモン失格とか、正直に言ってもったいない話だと思うぜ」
個々人の適性は、実際に行動して確かめる他ない。その機会を奪ってしまえば、適性の無い競争に不本意なまま参加することになる。それは自信の喪失、ひいては自分の存在意義に対する疑問という深刻な事態を齎すこととなる。才能を眠らせたまま「自分には何の取り柄もない」と諦めている者は数知れない。
ツクシがヒワダジム内でたくさんの競争を用意したのは、自分の適性を知る機会を多く用意すると共に、競争の持つポジティブな側面である「闘争心」を適度に引き出すことで、各人の持てる力を存分に発揮させようという意図があった。
「おっと、思い出した。確か、そのなかよしコンテストってのは、シズちゃんの発案だったっけ?」
「あっ、はい。ミズキちゃんとか、あとサツキちゃんって女の子の様子を見てて、ポケモンと仲良くしてる姿を見せ合えば、みんなで楽しい気持ちになれるし、こんな風に仲良くなりたいって思ってポケモンに優しくできるんじゃないか。そういう風に思いついて、兄に言ってみたんです」
「いやあ、あれはいつもホント楽しみなんだ。なかよしコンテストの面白いところは、発表の時にポケモンの素が出るところなんだよな。普段厳しかったりすると、発表の時にいきなりそっぽを向かれたりする。そうなると慌てて取り繕おうとするんだけど、ポケモンはよく分かってるからますます言うことを聞いてくれない。で、残念な評価をもらうと。その子にしてみればショックだろうけど、自分のあり方を見直すいい機会になる。名前の割に結構シビアなところがあるってのが面白いんだよな」
「そうなんです。兄も気に入ってくれたみたいで、わたし、うれしかったです」
「一番面白いのが順位の決め方だ。ツクシ君とシズちゃん、それからくじで選ばれた五人のトレーナーが審査するんだけど、七人全員『どうしてそう評価したのか』が説明できないとダメなんだよね。『なんとなく』とか『気分で』とかじゃダメで、参加者からブーイングを受けたりする。コンテストって審査員の方が強く見られがちだし、一歩間違うと参加者による審査員のご機嫌取りになりがちなんだけど、やってみると審査員の方もしっかり考えなきゃいけないから結構大変なんだ。最終的にはツクシ君やシズちゃんがうまくまとめて、場が落ち着くようにはなってるみたいだけどね」
「わたし、思ったんです。評価の基準がはっきりしないと、曖昧でよく分からないコンテストになっちゃう。かと言って『こうすればプラス』『こんなのはマイナス』って基準をこっちで決めちゃうと、みんなそれにばっかり目が向いて、同じことをするようになる。それって、なんだか寂しい。だから、評価の基準はそれぞれ持ってていいし、基準に文句は言わない。その代わり、基準をはっきりさせよう、基準をしっかり考えてもらおう。自分の中で基準があれば、それは感覚的な物でも構わない。そういう方針にしたんです」
「価値基準なんて、六十億の人がいたら六十億個あるからね。それを大事にするのはいいことだ。あと、あれって何故か最初は絶対二位が最高になってるんだよね。じゃあ一位は誰かって言うと、リーダー特権とかシード権とかの取ってつけたしょうもない理由で必ずツクシ君になってて、『もしみんなが束になって僕に勝てたら、一位をあげよう』って自信満々で言うんだよな、毎回」
「この間なんか、『僕は全銀河ポケモンなかよし委員会の名誉会長だ。名誉会長は名誉があるから、どんな時でも常に一位なんだよ』とか、ぜんぜん訳の分からないことを言いながら堂々と出てきて、みんな爆笑してました」
「全銀河とかどんだけ規模でかいんだよって感じだよ。もうみんな流れが分かりきってるから、順位の発表の時点で既に半笑いで、そうやってツクシ君が出てくるのを待ってるんだよね。で、大体ツクシ君は負けてハッピーエンドになる、と」
「やっぱり、コンテストって評価が主観になっちゃいますから、みんながみんな納得するって難しいんです。じゃあどうしようって思って相談したときに、お兄ちゃんが『言われたことをすぐに反映できるようにする場を作って、最後は気持ちよく終われるようにすればいい。全員共通の敵役がいれば、盛り上がるんじゃないかな』って言って、ああいう形にしたんです」
「順位付けの時に『ここはよかった』『こうすればよかった』ってのも一緒に教えられるから、それを最後のツクシ君との決戦ですぐ試せるって寸法か。仮に最初の順位が不本意でも、フィードバックを受けてすぐに行動に移せれば見違えたようになる。ちゃんと考えてあるんだけど、でもあの強引な流れが笑えるんだよなあ。ツクシ君、いつもノリノリだし」
「今まで十回くらいコンテストを開きましたけど、兄はいつもどういう風に登場するのか、案を練りに練ってるみたいです。この間なんて、四天王のイツキさんからもらったマスクを付けて出てきちゃって、もうコンテストなんてどうでもよくなるくらい笑っちゃいました」
「普段生真面目な好青年キャラな分、あそこでふざけて理不尽ぽく振る舞うのが面白いのかもしれないね」
シズの発案した「なかよしコンテスト」は、その一風変わったコンセプトもさることながら、序列付けをきちんとしつつ、できるだけ禍根を残さない形で競技を締め括れるように配慮された構成になっている。こうした密かな配慮は枚挙に暇がなく、参加者が純粋に競技に熱中できるような仕組み作りがされていた。
もうすぐジムトレーナーの子供たちが来る頃だ。シズがそのように考えていたときだった。ジムの片隅にある数本の小さな木に、ふと目が止まった。
「そうだ。『やつあたりの木』に水をあげなきゃ」
「ああ、そうだったそうだった。確かさ、あれもツクシ君の発案だよね?」
「はい。あちこちにある『切ってもすぐに生えてくる木』を何本かもらってきて、ジムに植えてるんです」
「ポケモンの『いあいぎり』で豪快に真っ二つに斬っても、ふと気付いたら元の形に戻ってるんだよな。水さえ適当にやっときゃまず枯れないっていう、なんとも意味不明なしぶとさを誇ってるというね」
「そうです。なので、どの地域でも邪魔だって言われてたんですけど、兄が『何をしても生えてくるなら、好きなだけ叩いたり蹴ったりできるサンドバッグみたいな扱いにすればいいんじゃないか』って言って、『他の人や物は絶対叩いたりしちゃダメだけど、あの「やつあたりの木」にだけは何をしてもいいよ』ってみんなに伝えてるんです」
「確か、外部から強い刺激を与えられるほど根が強くなるんだっけ? 切られたり折られたりすると却って根をしっかり張るようになるんだよな。いやあ、あれも大胆な発想だよ」
「家や学校、あるいはジムでも、どうしても我慢できないことがあったら、その気持ちを『やつあたりの木』に遠慮せずぶつけていいってことみたいです。でも最初、スズはあれを置くのに反対してたんです。そんなことをしたら我慢することを学ばなくなるし、暴力的な子供になるって。わたしも、そうなったらどうしようってちょっと心配でした。でも、実際に置いてみたらすごく気に入ってもらえて、相手を叩いたり蹴ったりする代わりに『やつあたりの木』にぶつけるって流れができたんです」
「子供ってのは攻撃的な生き物だからね。有り余るエネルギーが暴力的な方向に向かうことなんて普通にある。だけど、勢いに任せて人を殴ったり物を壊したりすれば、取り返しが付かなくなることだってある。そうならないように、どれだけ乱暴に扱っても平気なものを置いておくってのは、いい発想だと思うな。あと、考えなしに木を素手で殴れば、自分も痛いしね。『暴力を振るう』ってことがどういう意味か分かるのは、いいことだと思うよ」
切っても折ってもすぐさま生えてくる細い木。ツクシはこれを「やつあたりの木」と称してジムに植えて、好きなように攻撃を加えて構わないという位置付けにした。子供の持つ攻撃的な気質を、人や物ではなくやつあたりの木に向けさせることで、ストレスを溜め込ませずにしようという配慮からのものだった。
「最近は家でも学校でも、子供は気が休まらない。親にはもっと勉強しろ、習い事に行け、家の手伝いをしろ、一人で早起きしなさい、あれこれあれこれ。いろんなことを求められる。学校は性格も考え方も全然違う大勢の人間の中で過ごさなきゃいけなくて、そこで人間関係が拗れていじめたりいじめられたりってこともしょっちゅうある。気を抜ける時間が無いんだ」
「だから、その両方から解放される『ポケモントレーナー』ってのは、子供には素晴らしい物に見えちまう。本当は、本気で人生を賭けられる人間だけが生き残れるような職業なのにさ」
「ツクシ君は――知ってると思うが、ジムトレーナーに外へ旅に出ることはあまり勧めてない。外へ出たいって言う子には、それがどれだけ厳しいことかを真面目に教える。旅に出るのは今の状況から逃げるためじゃないか、自分の力を過信してるんじゃないか。それをまっすぐ突きつけるんだ」
「そうすることで、子供が外へ出たいって気持ちが、どこから来ているか分かったりする。そういう子は大抵、家庭環境が悪くて親に虐待されてたり、学校で酷いいじめを受けてたりするんだ。それが分かるといつも通りの穏やかさを取り戻して、問題を取り除くにはどうすればいいか、一緒になって親身に考えてくれる。必要なら学校に掛け合ったり、児童相談所へ持ち込んだりもしてくれる。問題がすぐには解決できなくたって、『ツクシ兄ちゃんは自分のことを分かってくれる』って思えるだけで、随分違うもんだ」
「しかし、ジムトレーナーに対してだけじゃなくて、『友達にそういう子がいたら、ヒワダジムに連れて来てほしい』っていつも言ってるのはすごいと思うな。学校や家でろくな目に遭ってないなら、ジムに来ればいいって発想だろうけどさ。あの熱意は只事じゃ無いさ」
まあ、その理由は察しがつくけどな。アドバイザーの言葉に、シズは深く頷く。
兄・ツクシが何を考えて、このヒワダジムを運営しているのか。妹であるシズには、それが痛いほど強く感じ取れた。ジムトレーナーの子供たちに喜んでもらうにはどうすればよいか、少しでも「生きていること」の実感を与えてあげるには何をするべきなのか。兄は常々、そのことに心血を注いでいるように思えた。
あたかも、それが自分に課せられた使命だとでも言うかのように。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。