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#30 シズちゃんの姿勢、スズちゃんの姿勢

夏休み中のヒワダジムは、授業のある平日のそれよりもずっと活気に溢れ、喧騒に満ちていた。

「クミちゃん、ルミちゃん。来てくれてありがとう。今日はお兄ちゃんがいないから、二人に手伝ってもらえるとすごく助かるよ」

「いいっていいって! ルミがさー、シズが悩んでるみたいだって言うから心配してたけど、来てみたら素で元気そうな顔してて安心したし!」

「メールしたあと、シズ怒ったり落ち込んだりしてないかなって、不安だったんだ。でも、いい方向に行ったみたいで何よりだよお。あたしとお姉ちゃんにちゃんと声掛けてくれたしね」

「ルミちゃんのおかげだよ。わたしがひとりで抱え込んじゃうってこと、気付かせてくれたからね」

子供が自由に走り回って遊べるようにと作られたヒワダジムは、シズとスズとアドバイザーの三人だけでくまなく監視するにはいささか広すぎる。加えて、面倒を見なければならない人数も大変多かった。今日は夏休みということもあって、普段忙しくてあまり来られないメンバーも含めて在籍しているジムトレーナーがほぼ勢揃いしているのみならず、在籍者でない友達を連れてきている者も多かった。こうした状況下でクミとルミに応援を要請したのは、シズの判断によるものだった。子供の扱いに慣れている二人に手伝ってもらえば、先日のようないざこざを未然に防げる確率が高まると考えたためだ。

ツクシはジムに籍を置いていない者も遠慮せずに来て欲しいというスタンスを明確にし、常日頃からメンバーに伝えることを怠らなかった。なるべく多くの子供に遊ばせてやりたいというポリシーももちろんあったし、ジムへ通う子供を増やしたいという戦略的見地からの目論見もあった。ジムを統括するリーグ本部では、ジムトレーナーの人数を一つの重要なファクターとして予算の配分を行う。よりよい環境を作るためには、トレーナーの人数も適切に増やして行くことが必要だった。

「シズお姉ちゃん、おはよう」

「おはよう、ミズキちゃん! あっ、コンちゃん、いつもよりもさらに元気そうだね」

「そうだよ。コンちゃんね、暑くなると元気になって、お外で遊びたいって言うの。いっしょに遊んであげてるよ。いちばん大切なおともだちだもん」

「うんうん。夏はむしポケモンが元気になる季節だからね。コンちゃんも喜んでるよ。ただ、最近暑いし日差しも強いから、熱中症には十分気をつけてね。水分をたくさん摂って、時々涼しいところで休むようにすれば大丈夫だよ」

「うん、わかった。あっ、そうだ、シズお姉ちゃん。来週ね、わたし、ジムをお休みしなきゃいけないの」

「来週――もしかして、お父さんとお母さんに会いにいくのかな?」

「そうだよ。おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にね、タンバシティに行って、海へお参りしてくるの。いい?」

「もちろんいいよ。行ってきてあげてね。ミズキちゃんのお父さんとお母さんも、きっと喜んでくれるよ。リーダーには、わたしが伝えておくね」

「うん。ありがとう、シズお姉ちゃん」

シズはクミ・ルミと共に、ジムへやってきたトレーナーたちに声掛けを始める。そしてシズもさることながら、面倒見もノリもいいクミとルミも子供たちからなかなかの人気があった。

「さあさあコウキ君。クミ姉ちゃんはどーっちだ?」

「さあさあコウキ君。ルミ姉ちゃんはどーっちだ?」

「えっと、こっちがルミ姉ちゃん」

「えーっ?! なんでこんなにあっさりバレたのお?!」

「ルミ姉ちゃん、カード首にかけたままなんだもん」

「えっ? うわっ、ちょっ、マジだあ! あ、あたしとしたことがあ……」

「ちょっとちょっとルミ、たるんでるんじゃないのー? 最近お腹もたるみ気味って言ってたしー」

「何よお。お姉ちゃんと一緒に体重計ったらグラムまでぴったり一致してて、一緒に太ったんだって結論だったのにい」

「こらー! コウキ君の前でいちいち言わなくていいことまで言うなー!」

「お姉ちゃんたち、食べ過ぎたの?」

「いやー。駅前に最近できた『ミツハニーの館』にちょこっと顔を出したら、ついあれこれ手が伸びちゃいましてー」

「ちょこっとだけのつもりが、チョコどころかチーズもストロベリーも、って感じになっちゃったからねえ」

「しかもー、それにかまけててー、大本命の『エクセレントバニラハニーケーキ』を食べ忘れちゃうというねー」

「本命があるからあ、やっぱりもう一回行かなきゃダメだねえ。そう、行かなきゃダメなんだよお」

「でもさでもさー、一番食べてたの、お母さんじゃなかったっけー? もうマジすごい勢いで食べてたしー」

「あれはヤバかったよお。お店の人明らかに目見開いてたしねえ。出入り禁止になってなきゃいいけどお」

「いいなあ。ボクもいっぺんでいいから、お母さんと一緒にお腹いっぱい甘いもの食べてみたいよ」

面倒を見るというか単に適当に遊んでいるだけのようにも見えるが、その軽さがまた子供たちにウケていた。二人がジムを訪れると、こうして賑やかな空気が醸成されるのが通例だった。

そして、この三人に加えて。

「今度までにもう一匹捕まえてきなさいって、あんなに言ったじゃない。どうしてできてないのよ!」

「せやけど、自分……ボールうまいこと投げられへんから……」

「言い訳しない! 自分のことは自分でなんとかするって考え方にしなきゃ、ずっとダメなままなんだから!」

「…………」

「いい? 次までには絶対何とかしなさいよ。でなきゃ、この先どうなっても知らないわよ!」

例によって、スズも見回りに参加していた。

「まあまあスズちゃん。トレーナーにだってそれぞれ事情があるんだ、もう少しそこを慮ってもいいんじゃないか? それにだ、テツヤ君は腕が……」

「ダメよダメダメ。そんなことしてたら、時間がいくらあっても足りないわ。厳しくしなきゃ、甘さは抜けないのよ。お姉ちゃんもお兄ちゃんもそこが分かってないから、いつまで経っても弱小呼ばわりされるのよ。こんなんじゃ潰れるのも時間の問題ね」

鋭い言葉をのべつまくなしにずらりと並べるスズに、諫めにきたアドバイザーも思わず顔をしかめた。スズの――特に、中学に上がった前後からの様子を見ていると、

(こいつは、まるで武器庫だな)

そのような思いを持たずにはいられなかった。彼女の心中には、ただ戟[げき]や矛が並んでいるかのようと言うべきか。それだけ先鋭的でラジカルな意見を備えていたというわけだ。

スズとアドバイザーは互いに向かい合う形になり、自然と議論が始まる。

「おいおい、さすがに言葉が過ぎるぞ。バトルの強さ偏重のリーグからヒワダジムが適切に評価されてないのは事実だし、一面的な要素だけで評価した気になる無責任な連中が多いのも間違いないが、潰れるとは穏やかじゃないな」

「知らないの? ヒワダジムがネットでどんな風に呼ばれてるか。『ゆとりジム』、『ゆとりジム』って呼ばれてるのよ! 競争しない、向上心の無いトレーナーばっかりが集まってるって、そういう言われ方をされてるんだから!」

「外野が各々勝手に感想を言うのは自由だ。俺たちがそいつらの口を縫い合わせることはできない。だが、そいつらがツクシ君の運営方針を一体どこまで理解してるって言うんだ? 的外れな評論なんざ、毒にしかならないぜ。大体、車のハンドルにも『あそび』があるくらいだ。このご時世、子供にだって少しくらい息のつけるスペースがあってもだな……」

「あたしは的外れだとは思ってないけど? じゃあ、お兄ちゃんがジムリーダーになって、ヒワダジムから一人でも名のあるトレーナーは生まれたわけ? 誰もいないじゃない。このまま続けてたら、競争に負けっぱなしよ!」

「分かった、分かった。じゃあ、スズちゃんはヒワダジムをどんなジムにしたいんだい? この際、ツクシ君やシズちゃんは二人共『りゅうせいぐん』が頭に直撃しておっ死んだとでも思って、スズちゃんがジムリーダーになったとしたら、って仮定で話を聞かせてくれよ」

攻めの姿勢を崩さないスズに、アドバイザーはやや困り気味の表情をして見せて、「もしスズがジムリーダーになったら」という仮定で話をしてもらうよう頼んだ。スズは待っていたと言わんばかりにふんぞり返って、自らの考えるジムの運営方針について口にした。

「決まってるじゃない。毎日バトルをして、その結果で順位付けをしていくのよ。負けが込んでるようだったら、勝てるようになるまで努力すればいい。これに着いてけないなら、さっさと辞めればいいわ」

「それだと、バトルは苦手だけど、他のことが得意って子の居場所がなくなっちゃうじゃないか。それにジムの役割は、バトルだけが得意なトレーナーを生み出すことじゃないだろう」

「違う違う! そもそもその発想がおかしいの! ジムは保育所でも幼稚園でも無いんだから、能力が無いならいちゃいけないのよ。そういう子は別のところに任せておけばいいわ。あたしには関係ないことよ」

「じゃあ……まあ、それでもいいとしよう。ジムはバトルとそれに付随する勉強だけをする場所にして、順位付けをして競わせる。だったら、下位になった子へのフォローは必須だと思うんだが、どうなんだ?」

「さっきも言ったじゃない。負けるなら努力して勝てるようにしなさいって。こっちからわざわざ手を差し伸べてあげる必要は無いでしょ。上がってこられないのは、自分に原因があるんだから。だからって、普段のレクチャーを休んだりするのは許さないわ。自分で時間を作ってどうにかしなさいってことよ。休み返上で、練習でも何でもすればいいわ」

「あー、まー、なんというかだ。時には努力だけじゃどうにもならないこともあると思うんだよ、俺は。大人だってどうしようもないことがあるってのに、子供じゃ尚更どうしようもないって状況は、はっきり言って腐るほどあると思うぞ。練習したくたって場所が無いとか……」

「そういう風にして、努力しないように持っていこうとするからダメだって言ってるの! 自分の人生なんだから、自分でなんとかしなきゃダメに決まってるじゃない」

「スズちゃん。俺は、その意見自体には強く賛成する。自分の人生には自分で責任を持つべきだ。他人に何もかもを委ねるべきじゃない。だけどさ、『全部自分でなんとかできる』って思い込むのもまずいと思うんだ。時には他人の力を借りて危機的状況を乗り切る、そういうことだって必要だろう?」

「なんとかできないのは、努力が足りないからよ。あたしは今までたくさん練習したし、負けないような戦い方の勉強だってしてきた。あたしの方がお姉ちゃんより絶対努力してる! ジムリーダーがあんなおかしなルールで選ばれなきゃ、あたしがジムリーダーになってたはずよ。お姉ちゃんみたいにいちいち人の話を聞いてうだうだ考えるようなタイプは、トップに立つにはまるっきり向いてないのよ!」

アドバイザーは肩を竦めると、ボルテージを上げるスズから一歩距離を置いた。やっぱりそこに原因があるのか、アドバイザーはそう考えざるを得なかった。ツクシの路線を継承しつつ、さらに自分なりのカラーを加えて運営していこうとしているシズに、スズはいい感情を抱いていない。もっと厳しい競争を進めて、強いトレーナーを生み出さなければならない。それについていけない「弱虫」は切り捨てるべき。スズの方針を取りまとめると、概ねそういう意味になる。

フスベジムそのものだな――誰にも聞こえないような小声で、アドバイザーは呟いた。

自分から目線を外してさっさと別のトレーナーの指導に向かったスズを横目で見送りつつ、アドバイザーがぐるりと視点を反対側へ向ける。

「ねえ、シズ姉ちゃん」

「あっ、カンタ君。どうかしたの?」

「俺、家出したいんだ」

「えっ? 家出?」

「もう、家にいるの、嫌なんだ」

隣にチルチルを連れたシズが、短パンの少年・カンタと話をしている姿があった。シズに話しかけるなり、いきなり「家出したい」などと口にした。シズはすぐに目線をカンタの高さまで落とすと、詳しい話を聞き始めた。

「家で、何かあったのかな? よかったら、わたしに聞かせてくれる?」

「昨日の夜、父ちゃんに『なんで算数もろくにできないんだ、お前は本当にだらしないな』って言われたんだ。父ちゃんは、ミホの方がかわいくて、ミホだけいればいいって思ってるんだ。俺なんか、いらないんだ」

「ああ……お父さんからそんなこと言われちゃったんだ。ミホちゃんっていうのは、カンタ君の妹のことだよね? 前に写真を見せてくれたの、わたし、覚えてるよ」

「そうだよ。ミホが生まれてから、父ちゃんも母ちゃんもミホのことばっかり見てるんだ。俺には『もうお兄ちゃんなんだから』って言って遊んでくれないのに、ミホには二人でかわいいって言って、ずっと遊んでるんだ」

「お父さんもお母さんも、カンタ君のことを見てくれなくて、ミホちゃんに掛かりきりなんだね」

「俺、兄ちゃんになんかなりたくなかったのに。兄ちゃんになりたくてなったんじゃないのに。俺のこと勝手に兄ちゃんにしといて、ずるいよ」

カンタは昨年妹のミホが生まれてからというもの、両親がミホにばかり構っているというので、ひどく拗ねてしまっていた。出会い頭に「家出したい」などと言うのだから、相当鬱憤が溜まっているのは間違いない。シズが慌てず騒がず丁寧に事情を聴いてやると、カンタは寂しそうに「兄ちゃんになんかなりたくなかった」と口にした。

「まだ、立って歩くのがやっとなのに、『ミホはこんなにしっかりしてるのに、兄ちゃんは本当にダメだな』とか言うんだ。『兄ちゃんは歩けるようになるのが遅かったけど、ミホは早くてよかった。ミホはきっとよくできる子になる』って言うんだ」

「ミホちゃんはたくさん褒めてもらえて、カンタ君はちっとも褒めてもらえないんだね」

「それで、そうやって一人で歩いてたら転んじゃって、わあわあ泣き始めた。かわいそうだったから、泣き止ませようとしたら、母ちゃんが飛んできて、『どうしてミホをいじめるの、そんなことする子は捨てちゃうわよ』って怒られた。ちがうよって言おうとしたら、部屋で反省してなさいって叱られて、なんにも言えなかったんだ」

「カンタ君は何も悪くなくて、転んで泣いてるミホちゃんを慰めてあげようとしたのに、ミホちゃんを泣かせたと思われちゃったんだ」

「もう、ミホなんて大っ嫌いだ。家からいなくなればいいのに、消えちゃえばいいのに」

カンタの言葉一つ一つに頷いて、シズはひたすらカンタに共感してあげた。「ミホなんて大っ嫌いだ」。喉の奥に引っ掛かっていたその言葉を吐き出すと、カンタは少し気分が落ち着いたのか、それきり何も言わなくなった。

「そうだったんだね。カンタ君、話してくれてありがとう。そんなの、すごく疲れるし、悲しいよね」

「シズ姉ちゃんは、『もうお兄ちゃんなんだから』って言わないの?」

「もちろん。カンタ君は『ミホちゃんのお兄ちゃん』の前に、『カンタ君』だからね」

シズの発した言葉に、カンタが目を見開く。

「わたしもね、よく挑戦者の人に『ツクシさんの妹』って呼ばれちゃうから、カンタ君の気持ちは分かるよ」

「そっか、シズ姉ちゃんも同じだったんだ。俺と同じだったんだ」

「うん。それにね、わたしはカンタ君と一緒にいると楽しいよ。だから、カンタ君が家出してヒワダジムに来なくなっちゃったら、寂しいし、悲しいなって思う。だから、ここに居てほしいな」

「……じゃあ、家出しない。シズ姉ちゃんが悲しいなら、家出なんてしないよ」

「ありがとう、カンタ君。よく言ってくれたね。今日みたいに、辛かったらわたしにいつでも話していいからね。わたしにできることなら、精いっぱいやったげるよ」

「うん。分かった」

シズが「カンタがいなくなると悲しい」と口にしたのを見て、カンタの表情が俄に変わった。家出を取り消すと、シズは頬を綻ばせて、カンタに励ましの言葉を掛けてやった。

「それとね、カンタ君」

「何?」

「さっき、泣いてるミホちゃんを見て『かわいそうだった』って思った、そう言ってくれたよね。それで、側に行ってミホちゃんを慰めてあげようとした。カンタ君はとっても優しい子なんだって、わたしはうれしい気持ちになったよ。すごく素敵で、立派だと思う」

「ホントに? シズ姉ちゃん、ホントにそう思う?」

「もちろん。ウソじゃないよ。カンタ君が優しい子だってことは、わたしがちゃんと覚えておくよ。だから、安心してね」

それに加えて、慕っているシズに「素敵だ」「優しい子だ」と褒められ、カンタの顔に明るさが戻ってきた。シズに言いたいことを吐き出し、共感してもらい、さらに褒められたことによって、カンタも完全ではないにしろ、かなり気分が晴れたようだった。側に連れていたクヌギダマに合図を送ると、走って別のトレーナーたちの遊びの輪へ加わって行った。

(こういうのも、『効率が悪い』『自分でなんとかしろ』ってことで、バッサリ行かれちまうんだろうな)

鬱屈していた少年の心を絆したシズを、アドバイザーが遠巻きに眺めていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。