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#31 シズちゃんの手、スズちゃんの手

ジムでちょっとした騒ぎが起きたのは、開館から二時間ほどが経った頃のことだった。

「そうじゃない、こうやるんだよ。よそ見しないでちゃんと見てなよ」

「別にいいよ。ぼく、自分でやるから……」

「いいからだまって聞いて。口答えするんじゃない」

「…………」

「指示を出すときは、お腹から声を出すんだ。そんな声じゃ全然ダメ、トレーナー失格だよ」

キャタピーを連れた男の子のトレーナーが、体の小さなレディバを連れたこれまた男の子のトレーナーの隣に立って、何やら講釈をしている様子が見える。キャタピーのトレーナーは相手より一つか二つ年上で、立場的には先輩に当たる。戦った経験の無いレディバに戦い方を教えようとしている風に見えるが、どうもうまく噛み合っていないようだ。

やがて一応のレクチャーが終わり、キャタピーとレディバ、そしてそれぞれのトレーナーが対峙する。キャタピーは十分やる気を見せていたが、レディバはこれから何が起きようとしているのか理解できていないようで、困ったようにおろおろと方々に視線を向けている。それは、レディバの親であるトレーナーも同じだった。

「ほら、ちゃんと構えて。実戦なんだから、もっとちゃんとしてなきゃダメじゃないか」

「そんな……まだ、全然練習できてないのに……」

先輩風を吹かせているキャタピーのトレーナーは、先日サツキと派手なケンカを繰り広げてしまったケンジ少年、その人だった。まだジムに入って日の浅いレディバのトレーナーは、ケンジから講釈を受けて――というより、実態としては絡まれて、どうすればいいのか分からず困っているのは明らかだった。なし崩し的にキャタピーとレディバが戦う流れになってしまい、今すぐにでも逃げ出したいという表情をしている。

「たかが小さな試合に負けたくらいじゃない。あたしだって負けが無いわけじゃないけど、それをバネにして勝てるようになったのよ。いつまでもクヨクヨしてんじゃないわよ」

「でも、あの判定は……」

「言い訳しない! まだ大きな試合を知らないから、そういうつまんないことが言えるのよ。あんたは周りに対戦相手もたくさんいるんだから、まだまだ恵まれてる方よ」

「…………」

「分かった? 分かったならいい加減に気持ちを切り替えて、さっさと練習に戻る!」

ケンジと少年のやりとりが耳に届いたのだろうか。近くで別のトレーナーに叱責を加えていたスズが、ちらりとケンジの方へ目をやる。また何かつまらないことをしでかすつもりではないのか、瞳からはそんな猜疑心や疑念が渦巻いているのがありありと見て取れる。スズが見ているとはつゆ知らず、ケンジは臨戦態勢に入る。

「いいから始めるよ。グリーン、糸を吐いて相手の動きを止めるんだ!」

「待って、ちょっと……!」

ケンジはキャタピーの「グリーン」に指示を出す。側に控えるグリーンは怯えるレディバをまっすぐ見据えて、口から白い粘性の糸を吐き出した。レディバに向けて飛んで行った糸は瞬く間に全身に絡みつき、その場から一歩も動けなくしてしまったどころか、身動ぎ一つ満足にできない状態にしてしまった。糸が空気に触れて固まり、拘束はますます強くなる。

狼狽する年少トレーナーの前で、ケンジは淡々と次の指示を出した。

「待ってよ! ぼく、どうすればいいのか分からないのに……!」

「やらないなら、こっちがやるだけだ。グリーン、レディバに体からぶつかっていけ!」

糸から抜け出そうともがいているレディバに向けて、グリーンが渾身の体当たりを敢行する。体重もなくそれほどの早さもないので、実際のエネルギー量は微々たるものだが、それでもレディバにとっては痛打に他ならなかった。糸が絡みついたままぽーんと大きく吹き飛ばされ、背中から地面に倒れ伏した。

「もうやめて、やめてったら!」

「グリーン、もう一回だ!」

転がされた亀のように起き上がれずにもがくレディバを正面に捉えたグリーンが、小さな体を跳ね上げさせて相手のお腹の上にのし掛かった。立て続けの攻撃を受けたレディバは悲痛な声を上げて、じたばたともがくことしかできなかった。

一方、少し離れた別の場所では。

「あちゃー……また負けちゃいました。先輩、相変わらず強いですね。チルチルと息ぴったりで、羨ましいです」

「ううん。わたしはただ、チルチルのお手伝いをしただけだから。勝てたのはチルチルのおかげだよ。また、いつでも挑戦しにきてね。レディアン同士のバトルだと、わたしも一段と気合いが入っちゃうよ」

「もちろんですっ! ところで先輩、話変わるんですけど、さっきの技ってどんな仕掛けなんですか?」

「ふっふーん、企業秘密! ……と、言いたいところだけど、特別に教えちゃうね。リフレクターを展開した後に相手の裏に回り込んでマッハパンチで奇襲、壁に当たって跳ね返ってきたところにさらにもう一発、って流れだよ」

「えっ!? リフレクターを……!? 俺、防御に使うことしか知らなくて……そんな使い方もあるんですね」

「そうそう。少し前、チルチルが一人でキャッチボールをしてたんだけどね、その時にリフレクターにボールを当てて遊んでたんだ。それを見て、これってコンビネーションに使えるんじゃないかって閃いて、チルチルと一緒に練習したんだよ」

「リフレクターは守りの技――そんな先入観に囚われちゃダメ、ってことですね!」

「その通り。これは、わたしが『リフレクコンボ』って呼んでる連携だよ。練習して使ってみてほしいな」

「ありがとうございます! 俺も練習して使えるようになって見せます!」

「うん。練習する時は、相手をうまく壁に向かって飛ばすことを意識するといいかな。壁にぶつけるのが一番難しいから、そこさえ乗り越えれば、きっと大丈夫だよ」

「はい! あと、先輩に倣って、俺も技の使い方を工夫してみます! カッコいい連携を考えて、先輩をあっと言わせてみたいです!」

「いいね! それは楽しみだよ。わたしも新しい必殺技を編み出さなきゃ!」

「こういう連携を考えたりできるのも、バトルの面白いところですよね! 俺、ちゃんとしたトレーナーになって旅に出るつもりはないんですけど、バトルはずっとやっていきたいと思ってるんです」

「それ、すごくいいと思うよ。何事も楽しんで続けられるのが一番だよね」

「はい。先輩とチルチル、それからハーベスターの様子を見てて、あんな風に楽しそうに強くなれたらいいなって、そう思ったんです」

「そう言ってもらえると、わたしもうれしいよ! ようし。せっかくだから、もう一つ連携を教えちゃおう。これの発展形で、相手からダウンを奪った後すぐにリフレクターやひかりのかべを重ねて、すかさず相手の裏に回り込んで挟撃を仕掛ける! 名づけて『エイジス……」

「シズ姉ちゃんっ、シズ姉ちゃんっ!」

ケンジとグリーンの様子を目に留めた別のトレーナーが、年長組のトレーナーと楽しげに談笑していたシズに大きな声で呼び掛けた。傍らには、懸命にトレーナーにくっついていくパラスの姿が見える。先日「キノコのほうし」を習得し、「マッシュ」と呼ばれていたパラスだ。

「ヒロト君。どうかしたのかな?」

「た、大変だよ! 向こうでまたケンカになりそうなんだ! ケンジが小さい子に絡んでて、それで……!」

「本当!? 分かった、すぐ行くよ!」

ヒロトから事情の説明を受けたシズは直ちにその場を離れると、ケンジたちの元に急行した。

「ちょっと、何やってんの! やめなさい!」

シズが到着するよりも先に、ケンジと年少のトレーナーの異変に気づいたスズが止めに入っていた。傍らにはカイロスのストリングスの姿もある。スズに制止されたケンジは、スズの目をジッと見つめている。

「どうして?」

「どうして、じゃない! やっていいことと悪いことくらい、自分で判りなさいよ! 本当にどうしようもないわね!」

「ぼくは、スズ姉ちゃんに言われたとおりにやってるだけだよ」

「口答えしない! 言われた通りって、どういう――」

「『容赦せずに徹底的に叩き潰すつもりで行かないと、戦いには絶対勝てない』って、前にスズ姉ちゃんが言ってたよ」

冷めた目つきでかつてスズが口にした言葉を繰り返したケンジに、スズはハッと息を呑んだ。抑揚のない口調で、ケンジがさらに続ける。

「ぼくは言われたとおりにやってるだけだよ。レディバが動けなくなるまで戦っただけ」

「スズ姉ちゃんから言われたとおりにやってるだけだよ。それでもぼくは叩かれるの?」

よもやこのような形で反論されるとは思っていなかったのか、スズが明らかに動揺した様子を見せている。それでも表向き平静を装うと、ケンジに向けてさらに言葉を投げつけた。

「だからって……こんな風にしろだなんて言ってないじゃない! それに、あんたはこの子より年上でしょ! 年上なら、年下にバトルのやり方とかを教えるのが常識……」

「ちゃんと教えたよ。教えてから、バトルしたよ。何か、間違ってる?」

「ふざけるのもいい加減にしなさい! とにかくあんたが悪いの、間違ってるのはあんたの方なのよ!」

「でも、ぼくは言われたとおりにやってるだけだよ。ぼくが間違ってるなら、スズ姉ちゃんは間違ってないの?」

「この――!」

返す言葉を見つけられないスズが、わなわなと拳を震わせる。言いようの無い怒りが沸いてきて、今にも暴発する寸前といった様相を呈していた。

「スズ姉ちゃんはいつも言ってるよ。競争は相手より上に立てばいい、相手に負けたらダメだって」

「それなら、相手がまだ強くないうちに戦って潰しといた方が、絶対得だよね」

ケンジの呟いた言葉を受けて、スズの言い知れぬ怒りは、ついに沸点に達した。

「子供のくせに知った風な口きいて、口答えばっかりしてんじゃないわよ! この分からず屋!」

もはや我を忘れて、固く握った拳を大きく振りかぶった。そのまま、立っているケンジに鉄拳制裁を敢行しようとする。

だが――。

 

「やめて!」

 

スズの拳が降り注いだのは、突然スズとケンジの間に割り込んできた人影だった。

バシッ、という鈍い音がして、二人の間に立った少女が吹き飛ばされる。どさり、と音を立てて、少女は地面に勢いよく倒れ伏した。

「……! お姉、ちゃん……」

「シズ……姉ちゃん……!?」

スズに殴られたのは、ケンジではなく、シズだった。

倒れたシズは左手で右腕の上部を押さえ、顔をしかめて痛そうにしながら、よろよろと再び立ち上がった。高さ的に胸部を殴られそうになったところを、右腕を使って防いだようだ。

「いたたた……。ケンジ君、ケガ……してない?」

「…………」

腕を押さえながらぎこちなく砂埃を払う姉の姿を、スズは呆然とした面持ちで見つめていた。

「し、シズ……! 大丈夫!?」

「ごめんね、ちょっと右腕がずきずきするから、応急処置をしてくるよ。いててて……」

「あわわ、無理しないで……ねえシズ、あたしたち、何かできることある? なんでも言ってよ」

「クミちゃんとルミちゃんは、このまま監督を続けてて。それと、この子のフォローも頼めるかな」

シズがクミとルミの前に差し出したのは、レディバを連れた年少のトレーナーだった。目の前で起きた一連の出来事にまったくついていけず、華奢な躰をかたかたと震わせていた。シズが肩を抱き、「大丈夫、お姉ちゃんたちに任せて」と、優しく声を掛けると、少年はこわごわながら頷いた。

「何か困ったことがあったら、アドバイザーさんに相談してくれれば大丈夫だよ。それでも、どうしてもダメだったら、事務室に内線で電話してね。わたしが出るよ。それと……チルチル」

シズの近くにいたチルチルが、すぐさま反応する。

「このレディバのケアをお願いするよ。傷は無いけど、ひどく怖がってるみたいだから、落ち着かせてあげてくれる?」

クミとルミ、そしてチルチルが同時に頷く。各々やるべきタスクを割り当てられ、すぐさま行動を開始する。クミとルミが怯えるジムトレーナーたちを宥め、チルチルが糸だらけで地面に倒れ伏しているレディバの保護に向かう。シズが冷静に指示を出したことで、それほど時間を掛けずに落ち着きを取り戻せそうだった。

「お、おね……」

「ケンジ君と何があったか分からないけど、こんな力で顔を殴られたら、間違いなく骨が折れたり傷が残ったりするよ。そうなったら、わたしたちもケンジ君もケンジ君の家族も、みんな悲しい思いをするだけだよ」

シズはきっぱりそれだけ言うと、同じく立ち尽くしているケンジの方へ向き直った。

「ケンジ君。少し話があるんだ。一緒に事務室まで来てくれる?」

ケンジはこれといった反応を示さなかったが、それは否定ではなく肯定の意を示していた。シズはケンジの手を引き、ジムの奥にある事務室まで引いて行った。

騒ぎの後に残されたのは、スズ一人だけ。その傍らには、ストリングスとアドバイザーが立っている。

「ねえ、ちょっと――」

「…………」

何か言おうとしたスズを振り払うかのように、ストリングスは年少組のグループまで歩いていく。声を上げて呼び掛けると、トレーナーたちは一斉に歓声を上げてストリングスにくっついていき、やがて一緒に仲良く遊び始めた。

「あ、あたしは……そんなつもりじゃ……」

「さて。俺も仕事に戻るとするか。シオリちゃんに、ホウエンで捕まえられるむしポケモンの話の続きをしてやらなきゃな」

そしてこちらもまるで何も聞こえなかったかの如く、アドバイザーは踵を返し、年長組のトレーナーたちの元へ向かう。夏休みにホウエン地方へ旅行しにいくという女子トレーナーの姉妹に、そこで発見できるむしポケモンの情報を提供してやるためだ。

そうしてスズから八歩ほど離れた後、背中を向けたままアドバイザーが立ち止まる。

「シズちゃんの優しさ……そっちの言い方じゃ『甘さ』か。それがジムを潰す、だったっけ?」

「俺は、あんたがその『手』でジムを潰しちまう方が、比べ物にならないくらい早いと思うぜ」

スズの表情が凍りつく。スズがどんな顔つきをしているのか知ってか知らずか、さらに追い打ちを掛ける。

「暴力沙汰で相手を死なせちまったり、過酷な罰や苛烈な言葉で他人を死に追いやったような人間が、判で押したように必ず口にする決まり文句があるんだ」

「『そんなつもりじゃなかった、殺すつもりじゃなかった、死ぬとは思ってなかった』――だよ」

突き放すように言葉を投げ掛けると、決して振り向くことなく、そのままシオリたちの元へ歩いて行った。

後に残されたスズには、誰一人、近寄ろうとはしなかった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。