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#35 シズちゃんのジム運営 その1

夏休みももう半ばを過ぎている。それにも拘らずヒワダジムは今日も活況を呈していて、ジムトレーナーたちの歓声が絶えることはない。

シズはツクシ及びアドバイザーと共に、いつものようにジム内の監督に当たっていた。スズは部活の練習に出ていて、ここには姿を見せていない。先日の一件以来、それまでとは別の意味で兄や姉と顔を合わせ辛くなっているようで、それもあってかあの激しい憤怒はすっかりなりを潜めてしまったように見えた。

「なあシズちゃん。あれから妹さんの様子はどうだい?」

「まだ、全然話せてないです。でも、外から見てると、やっぱり気まずそうにはしてます」

「そりゃそうだろうな。あれはシズちゃんが庇ったから大事には至らなかったけど、下手すりゃ警察沙汰だ。スズちゃんだって、そんなことくらい頭じゃ分かってるだろうしね」

アドバイザーの言う通り、あのままスズがケンジを殴り飛ばしていたら、今頃こうして平穏無事にジムを運営できていたかどうかも分からない。あの一件はそれくらい致命的な事態を引き起こしかねない出来事だったのだ。

とはいえ、それは「もしも」の話だ。現実にはシズが右腕に痣を作ってしまっただけで済み、ジムはこのように平常運営を続けていられている。追々反省と清算は必要だが、今はジムの監督に専念しよう。シズはそう考えた。

「おや。あれは、カオリちゃんかな?」

「そうみたいです。なんだか元気が無いような……。わたし、ちょっと行ってきますね」

ジムの隅で肩を落としている女子トレーナーの姿を見つけたシズが、アドバイザーに断ってすぐさまそちらの方面へ向かっていく。

「こんにちは。カオリちゃん、どうかしたの?」

「あっ、シズさん……」

カオリは小学三年生のトレーナーで、姉に二つ上の「シオリ」がいる。以前アドバイザーからホウエン地方に生息するむしポケモンに関する話を聞いていた、あの姉妹である。

シズはカオリがしょげてしまっている理由について、大筋で見当がついていた。

「もしかして、マーちゃんの『ソニックブーム』のことかな?」

「うん。だけど、なかなかうまくできなくて……」

寂しげに呟くカオリの傍らでは、マーちゃんと呼ばれたヤンヤンマが、困ったようにホバリングを続けていた。ぶーん、という低く鈍い羽音が、カオリの隣に立つシズにもはっきりと聞き取れる。

カオリが口にした「ソニックブーム」は、各々のポケモンの持てる身体機能を用いて空気を振動させ、そこで生じるエネルギーによって相手に打撃を与えるという流れで技が成立する。相手の防御能力を無視して決まった強さのダメージを与えるという性質を持つが、根本的に威力が高くなく、主に低レベル帯のポケモン同士で戦闘で採用される技となっている。

ヤンヤンマのマーちゃんはそろそろこの「ソニックブーム」を習得してもいい頃合いなのだが、なかなか技を成功させられずにいた。カオリは技を教えようと奮闘していたようだがどうにも上手く行かず、やがて意気消沈してしまったというのが今の状況だ。シズは少し前からカオリがマーちゃんに「ソニックブーム」を教えていることに気付いていて、そしてそれがうまく行っていないことも把握していた。

「きっと、カオリの教えかたが悪いんだと思う……でも、どうすればいいんだろ?」

「今はどんな感じなのかな? よかったら、やって見せてくれる?」

「分かった、やってみるね」

シズに促されて、カオリが一歩前に出る。

「マーちゃん、教えたとおりにやってみて。ハネをはばたかせて、『ソニックブーム』だよ」

マーちゃんと目を合わせたカオリが指示を出すと、マーちゃんは小さく頷く。背中のうすばねを目にも止まらぬ速さで振動させると、止むこと無く響いていた羽音がさらに大きくなった。

トップスピードに達したところで、マーちゃんは翅の動きを変えて、生じたエネルギーを前方へ押し出そうとする――が。

「!?」

「わっ、マーちゃんっ。大丈夫!?」

エネルギーの移動に伴って姿勢を崩してしまい、マーちゃんが後ろへ吹っ飛んでしまった。床に墜落して目を回すマーちゃんにカオリが慌てて掛けより、安否を気遣う。幸いケガはしていないようだった。

「……はぁ。やっぱり、ダメかぁ……」

「そうだったんだね。見せてくれてありがとう」

「お姉ちゃんは『カオリならきっとできるよ』って言ってくれてるけど、うまくいかないよ……」

シズが目線を落としてカオリに声を掛けると、カオリは伏し目がちにため息をついた。万策尽きた、もうどうしようもない。カオリの顔からは、今にも折れてしまいそうな彼女の心境を見て取ることができた。

しかし、シズには分かっていた。マーちゃんは、基本的な型はほとんどできている。ここまでくればもう後一歩なのだ。最後のステップまで、カオリとマーちゃんは辿り着いているはずだ。最後の一押しがあれば、目標は必ず達せられるだろう。逆に、今までの練習の積み重ねを無為なものと思わせてしまっては一巻の終わりだ。本当に、後一歩なのだから。

「カオリちゃんとマーちゃん、たくさん練習してるからね。根気強いな、って思うよ」

「えっ? シズさん、見てたの?」

「ずーっと張り付いてたわけじゃないけど、しょっちゅう見てたよ。お姉さんのシオリちゃんに教えてもらってるのを見てから、毎日真面目に練習してるよね。それって、もっと誇りに思っていいことだよ」

「シズさん、見ててくれたんだ……」

シズの言葉に思うところがあったのか、カオリがふっと顔を上げた。

「シオリちゃんのヤンくんが『やつあたりの木』をソニックブームで切り倒したのを見て、カッコいいって思った。だから、自分のマーちゃんにも覚えさせたい。練習中にわたしが話し掛けたとき、そんな風に言ってくれたよね」

「わたしは、カオリちゃんがシオリちゃんみたいにカッコいいところを見せてくれるの、楽しみにしてるもん」

「確かに、まだ完璧じゃない。でも、最初は羽ばたくのも覚束なかったのに、今はもうフィニッシュの直前までできてる。これって絶対、練習の成果だと思うよ」

「今だからこそ、もう一度、練習を始めた頃のことを思い出してみて。きっと、カオリちゃんもマーちゃんもすごく上達したんだってことが分かるはずだからね」

「カオリちゃんとマーちゃんなら、必ずできる。わたしはそう信じて、二人を見てるよ」

一通り言い終える頃には、カオリの表情には再び覇気が宿っていた。

「もうすぐお昼休みだから、少し休もっか。それで気持ちが落ち着いたら、また、練習してみてほしいな」

「……わかった。まだ、あきらめない!」

「そう、その意気! カオリちゃんもマーちゃんも、すごくいい顔してるよ。これなら、また頑張れそうだね!」

「うん!」

体勢を立て直してホバリングをしていたマーちゃんも、シズの言葉を聞いて再びやる気を取り戻したようだ。

「――とは言っても、わたしだって見てるだけじゃないよ。頑張ってる二人に、特別講師を付けてあげちゃうね」

「講師?」

「そうだよ。きっとうまいコツを教えてくれるはずだからね。おいで、ミドリ!」

シズが声を上げると、少し離れた場所で別のトレーナーが連れているイトマル達と遊んでいたミドリが、すぐさま彼女の側まで赴いた。普段はスズと共にいるミドリだが、スズが出掛けている際はジムで活動するのが常だったのだ。

「ミドリ。『ソニックブーム』を繰り出すときのポイント、特に最後に衝撃波をぶつけるところのコツを、マーちゃんに教えてあげてくれるかな? もちろん原理は違うけど、マーちゃんにも参考になるポイントがあると思うんだよ」

シズが要点を絞って講釈を依頼すると、ミドリは直ちに頷いた。彼女の――ミドリは♀である――正式な親はもちろんスズだったが、シズとも強固な信頼関係を築いていた。ダブルバトルではチルチルと組むことも多く、彼がミドリのサポートに回ることもしばしばあった。

ミドリはアリアドスであり、本来であれば「ソニックブーム」を習得することのできる種族ではない。だがスズのミドリは、どういうわけか捕獲された時点でこの技を行使する能力を持っていた。兄のツクシが言うには、ミドリのソニックブームは「遺伝」によって受け継がれたもので、おそらく父親に当たるポケモンがヤンヤンマだったか、或いはその進化系であるメガヤンマだった可能性が高い、とのことだった。

こうしてミドリとやり取りしていた最中、シズの側にもう一つ影が近付いてきた。

「あっ、チルチル。もしかして、チルチルも手伝ってくれるの?」

シズの服の裾を引っ張って存在をアピールしたチルチルが、例によってどん、と胸を叩いて、手伝わせてほしいという意志を示した。ミドリと一緒にいたいようだ。

「ありがとう、助かるよ。それじゃあ、側で見ててあげてね」

ミドリは近付いてきたチルチルを快く出迎えると、心なしか嬉しそうな様子を見せていた。共にシズとスズの相棒筆頭ということもあって、チルチルとミドリは実に仲がよかった。チルチルが♂でミドリが♀ということも関係しているのだろうか、どちらかと言うとチルチルの方がミドリをリードする場面が多々見られた。親同士の関係とはちょうど正反対で、シズもスズも面白がっていたことがある。

(チルチルはミドリに「バトンタッチ」を伝授しちゃうくらいだから、一緒にいると楽しいんだね、きっと)

二人は単に仲がよいというだけではなかった。少し前、二人でちょっとした「奇跡」を起こしたことがあるのだ。

研究により、アリアドスには潜在的に「バトンタッチ」――以前チルチルとハーベスターがストリングスを撃退した際に使用した、運動エネルギーを別のポケモンにそのまま引き継ぐための特技だ――を使える可能性があるとされているが、通常の方法では習得し得ないという結論が出されていた。親から遺伝的に技術を継承させて潜在能力を活性化させることが、現状知られている唯一の修得法である。先程挙がった「ソニックブーム」もこれと同じで、ミドリの場合親がそれを習得していたために用いることができた可能性が高いというのは先に述べた通りである。

ところが、チルチルはこの前例を意識せぬまま覆していた。シズとスズがタッグを組み、チルチルが能力を高めてミドリに「バトンタッチ」をする、という連携を繰り返しているうちに、ミドリはチルチルから「バトンタッチ」の技術を教えてもらうようになった。そうして二人が度重なる試行とトレーニングを重ねた結果、なんとミドリは後天的に「バトンタッチ」を習得するという離れ業を成し遂げたのである。元々の修得可能性を、チルチルの懇切丁寧な指導で見事花開かせた形である。こうした例は世界中でもほとんどなく、珍しい例として研究者のヒアリングなどの対象となったこともあるほどだ。

閑話休題。マーちゃんを前にしたミドリとチルチルは気合い十分で、早速マーちゃんに羽ばたくように指示を出している。これからフォームの矯正や姿勢制御の補助をして、マーちゃんの身体にソニックブームを繰り出すイメージを的確に覚えさせてくれることだろう。

(頑張ってね、カオリちゃん、マーちゃん)

ミドリとチルチルに指導を任せると、シズはその場を後にする。

「そうそうっ、それでいいよ! うまいうまい!」

シズの背中から、カオリの張りのある声が聞こえてきた。

 

「シズ先輩、今日もお疲れ様です!」

「あっ、マイちゃん! こちらこそ、お疲れ様。小さい子たちの様子を見てくれて、ありがとう。すごく助かってるよ」

「とんでもないです。私もあれくらいの時に、リーダーやシズ先輩に面倒を見てもらってましたから」

シズの隣に立ったのは、彼女とほぼ同じ背丈の黒髪の少女だった。雰囲気もシズに似ているが、温和な空気を漂わせるシズよりも少しシャープな印象を与える風貌をしている。シズの言葉から類推するに、名前を「マイ」というようだ。マイは今年中学に上がったばかりで、まだまだ幼さの残る顔立ちをしているが、これでもヒワダジムの中では古参の部類に入るトレーナーである。

二人はジムトレーナーたちの世話を随時焼いてやりながら、ごく穏やかな調子で会話を重ねていた。

「来年からは、先輩がリーダーになるんですよね」

「そうだよ。お兄ちゃんがキョウさんの代わりに四天王に就任するから、その跡継ぎってところ。今からしっかり気を引き締めなきゃね」

「頑張ってください! 大したことはできませんけど、私も応援させてほしいです」

「マイちゃんの応援があれば百人力だよ。すごくしっかりしてて、わたしも見習わないと、って思ってるよ」

マイは少し前からシズたちに混じって年少組の面倒を一緒に見てやっていたためか、歳の割にしっかりとした受け答えと思考ができていた。シズが屈託の無い笑みを見せると、側にいるマイもつられて一緒に笑う。シズ先輩と一緒にいると、なんだか楽しくなってくるんです。マイの言葉に、シズは頬を綻ばせた。

ただ……。とため息混じりに前置きし、マイはわずかに顔を曇らせる。シズはすぐさまマイの心境の変化を察知し、彼女に視線を投げ掛ける。

「シズ先輩。スズ先輩は……」

「うん……あれから、まだ話せてないよ。向こうから何か言ってくるのを待ってるんだけどね、言い出し辛いみたいで」

「さすがに、あれは見過ごせないと思います。シズ先輩に大したケガが無くてよかったです、でも……やっぱり許せません」

先日スズがシズを殴打した際、マイはすぐ側で様子を目撃してしまっていた。感情に任せて暴力を振るったスズと、それを受けても努めて冷静な対処をしたシズとを並べて比べ、スズに対して義憤の感情を露にしていた。マイは正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性質だったのだ。実のところ、マイの気質はシズよりもスズに近いものがあったのだが、それ故に却ってスズの行動は看過し難いものがあったのだろう。

「少し前までは、言葉遣いは厳しいですが、暴力を振るうようなことはありませんでした。でも、あの様子だと、またどこかで同じことが起きてしまう気がして、心配なんです。こんなことが起きるとしたら、ヒワダジムか、あるいは……」

「そうだよね。だって、ユイちゃんが……」

「はい。姉が……剣道部にいますから」

マイには、「ユイ」という双子の姉がいる。マイとは対照的に気弱で線の細い印象を与える少女で、どちらかというとこちらの方がよりシズに近しい印象を周囲に与えていた。

シズとスズ・クミとルミ・ユイとマイ。ジムにこれだけの双子の姉妹がいるのも相当なものだが、ヒワダタウンにはまだまだ多くの双子がいた。どういうわけか、ヒワダは双子が生まれやすい土地柄のようなのである。はっきりした理由は定かでは無いが、ヒワダの土壌が母体に対して何がしかの影響を齎しているのではないかという見方が根強くある。ちなみに紛らわしいが、先に登場したカオリとシオリは双子ではなく、二つ歳の離れた姉妹である。

少々話が逸れてしまった。ユイとマイの双子は、いつも妹のマイがユイをリードする形になっていて、傍目から見るとマイの方が姉に見えることも多々あった。シズとスズとちょうど同じ構図である。ただ、年下に対しても年上に対しても本人が考えている以上に分け隔て無く積極的にコミュニケーションを取り、思いのほか社交的なシズとは異なり、ユイはまさに「引っ込み思案」という言葉が似合う性格をしていた。ジムに通い始めたのも、学校ではなかなか友達ができなかったために、人間関係の幅を広げた方がいいという両親の判断によるものだった。

しかしながら、本人も自分を変えたいと思っていたのだろう。中学へ上がると一念発起し、剣道部に入部したのだ。マイは姉のいささか唐突な行動に少々驚いたが、姉の気持ちを察して応援してやることにした。泣き言も言わずに懸命に練習に取り組んでいる姿を見て、姉も変わろうとしているのだと考え始めた矢先、スズの一件を目にしてしまった次第である。

「姉は、ああ見えてとても我慢強いです。何かつらい事があっても、絶対に私や親には言わないと思うんです」

「だけど……我慢するにしても、限界があります。何もかも抑え込むって、できないはずなんです」

「もし、あの時と同じことが、姉にも起きたら……そう思うと、心配で心配で、堪らないんです」

「こんなの、心配し過ぎなのは分かってます。姉だって、妹なんかにこんなに心配されて、逆に迷惑に思ってるかも知れません。でも、やっぱり、気になるんです。心配なんです」

ユイにとってスズはジムの先輩であるだけでなく、剣道部でも先輩に当たる存在だ。双子の姉妹、それも妹にリードされるような内気な性格。スズがユイにシズの姿を見いだしても何ら不思議ではない。しかも、剣道は始めたばかりのまったくの初心者。ずぶの素人と言い切っても良い。スズにとっては、ともすると目障り以外の何者でも無い存在になっているかも知れない。

シズは、姉に対する正直な心配を口にするマイの気持ちが、痛いほどよく理解できた。あのように激昂し我を忘れたスズの姿を目にしてしまっては、自分の見ていない場所でも同じことが起きるのではないかという懸念を抱いても、シズには否定のしようが無かった。

「そうだよね、心配だと思う。マイちゃんは、お姉ちゃんが辛そうにしてたら、寄り添ってあげてほしいな」

「はい。よく見て、サインを見逃さないようにしたいです」

「うん、そうしてあげて。わたしも時間を見つけて、スズに話をしておくよ。約束するね」

「シズ先輩……ありがとうございます」

深々と頭を下げるマイを前にして、シズは凛々しい顔つきをして、確かに頷いて見せた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。