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#36 シズちゃんのジム運営 その2

ヒワダジムが昼休みの時間を迎える。このタイミングで活動を切り上げて家へ帰る者、昼食を摂りに一度家へ帰る者、ジム内の休憩スペースでお弁当を食べ始める者、軽食を詰め込んだだけですぐに練習や遊びを再開する者。皆めいめい思い思いに、長い昼休みの時間を満喫していた。

「来年僕がセキエイヘ行ったら、シズにお弁当を作ってもらえなくなっちゃうのか。なんだか寂しいなぁ」

「大丈夫だよ。ヒワダに帰ってきてくれた時は、腕によりを掛けてごちそうを作っちゃうからね」

「それは嬉しいよ。じゃあ、僕はそれを励みにして、セキエイでも頑張ろうかな」

シズはツクシと共に、朝のうちに用意したお弁当を広げて食べていた。厚焼き卵とミートボール、ほうれん草と人参の胡麻和えに金平牛蒡、そしてお約束の発芽玄米という取り合わせである。持参した海苔と卵のふりかけをまぶして、シズが丁寧にご飯を口に運んでいく様子が伺える。

兄妹それぞれお弁当を食べ終えて、談笑しながら食休みを入れていたところに、思わぬ来客があった。

「シズ、ツクシ、ただいま。今日もよく頑張ってくれてるみたいね」

「あれ? お母さん。こんな時間にどうしたの?」

工務店へ仕事に出ているはずのスギナが、ヒワダジムにふらりと姿を見せたのだ。面食らうシズの横で、ツクシはいつも通りの穏やかな笑顔を崩さない。

「お帰り、母さん。今日も外回りの途中?」

「そうなのよ。担当の人が夏風邪をこじらせちゃって、お母さんに出番が回ってきたの」

「じゃあ、ちょっと寄り道……ってところかな?」

「ええ。今はお昼休みの時間だから、少しジムの様子を見に行こうかしら、そう思って来てみたのよ」

スギナが朗らかに微笑む。母親のこの表情を見ていると、シズはえもいわれぬ安心感に包まれる思いがした。自分も、いつかこんな表情のできる大人になりたい。そう思わずにはいられなかった。

「二人の元気な顔が見られて、来た甲斐があったわ。お母さん、お昼からも頑張れそうよ」

「シズはもう立派なジムリーダーだよ。ついさっきも、落ち込んでたカオリちゃんを励ましてあげてたしね」

「まだまだ、これからだよ。足りないところもたくさんあるし、勉強だってうんとしなきゃ。でも――確かに、気持ちはもうジムリーダーのつもりだよ」

「何事も気の持ちよう。シズがそういう風に考えてるのは、とてもいいことだわ。気を引き締めて、けれど肩の力は抜いて。これからも今の気持ちを持ち続けていれば、きっと大丈夫よ」

このようにして、親子で和やかなお昼休みの時間を過ごしていたのだが。

「あっ……。あれ、テツヤ君かな……?」

ふとジムの中央へ目をやると、朝のカオリのように肩を落として項垂れている少年の姿が見えた。あれは、テツヤ君だ――シズは直ちに、それが誰なのかを把握した。遠くから様子を伺ってみても、テツヤが元気を失くしているのは明らかだった。

「お兄ちゃん、お母さん。ごめんね、ちょっと話を聞いてくるよ」

「ええ、分かったわ。行ってらっしゃい」

兄と母に断ると、シズはすぐさまテツヤの元へ駆けて行った。

「テツヤ君、どうかしたの?」

「あ……シズ先生」

シズに声を掛けられたテツヤが、のっそりと顔を上げた。表情に生気が感じられない。これは何かあったに違いないと、シズが表情を改めた。

テツヤは一見ぼんやりした印象を受ける少年で、何事もワンテンポずれて行うマイペースなところがあった。しかし、考えることはとてもしっかりしていて、穴というものが見つからなかった。なかよしコンテストなどの審査員に当たると、「自分はこう思う」と前置きした上で、確固たる評価を下すことができた。テツヤの評価は毎回的を射ていた上に、評価に際しても相手を貶そうというところが欠片も感じられなかったために、彼に評価をもらうのを楽しみにしているメンバーも多かった。穏やかで和やかで、しかし言うべきことはきちんと言う、ただしそれは相手が飲み込みやすいように、丁寧に配慮を持って。テツヤに言われるとなぜか反論できない、しかも特段嫌な気がしないという、不思議な話し方のできる少年だった。

そんなテツヤが珍しく気落ちしているのを見て、シズは何があったのかと気を揉んだ。彼女はテツヤにくりくりとした淀みの無い瞳を向けると、テツヤは思うところがあったのか、ぽつぽつと小さな声で話し始めた。

「自分、スズ先生に言われて、ポケモン捕まえんといかんのやけど……」

「もしかして、この間スズに怒られてたのは、そのことかな?」

「せやねん。せやけど先生。自分、腕こないやから、ボールうまいこと投げられへんねんよ」

そう言って、テツヤが右腕を上げようとする。しかし、それは身体に対して垂直になった辺りで、ぴたりと動きを止めてしまった。それ以上は腕を上げられないようで、テツヤはいささか辛そうにしている。シズが頷いて「もういいよ」とサインを送ると、テツヤはパタンと腕を下ろした。

「先生、知っとったっけ。自分、赤ちゃんの時に家から放[ほ]り出されて、今のお母[か]さんとお父[と]さんに面倒見てもろてるん」

本人は何を気にするでもなくあっけらかんと話していたが、聞き手たるシズにとっては心の痛む、世知辛い内容の話だった。

テツヤには幼少期に生みの親から虐待を受け、危うく落命し掛けたという経験があった。テツヤがネグレクトされていることに気付いた近隣の住民が児童相談所に相談・通報し、既[すんで]のところで救われたのである。その後、親がテツヤの引き取りを拒否したために、福祉施設へ送られてそこで一年程暮らしていたが、彼の境遇を不憫に思った現在の両親が里親になる事を申し出てきた。そうして、テツヤは里子として引き取られていったのだ。

「自分な、一年に誕生日二回あるねん。自分が生まれた日ぃと、今の家へ来た日やわ」

以前、誕生日はいつかという話題で同年代のジムトレーナーたちが話していた際、テツヤがそのように語っていたことを、シズは今も鮮明に記憶していた。目をまん丸くしたミズキから「じゃあ、どっちで歳を取るの?」と尋ねられると、「二回で半々かなあ」と答えて、皆と一緒に笑っていたはずだ。

「うん……聞かせてもらったよ。生まれてすぐぐらいに腕を骨折しちゃって、それで今も腕を上げられない。テツヤ君のお母さんからは、そう聞いてるよ」

「やんな、自分、前に先生に話[はなし]した気ぃするから。せやからな、自分ボール投げるん難儀やねん」

今の里親はおおらかで優しい人格者で、テツヤとも互いに深く心を通わせる事ができている。かつてに比べれば幸せな環境に身を置けていることに疑いの余地は無い。今の思いやりのある穏やかな性格も、里親からの良い影響と言ってよいだろう。しかしながらテツヤが生みの親から受けた傷は予想以上に深く、特に幼少期に酷く骨折した右腕は、今もなお不自由な範囲でしか動かず、力もうまく入れられなかった。しかも利き腕がその右腕だったために、代わりに左腕を使うという訳にも行かなかったのだ。

はっきり言って、これは「努力」とやらでどうにかなるようなものではない。スズはあまり事情を知らなかったために、練習すればどうにかなると考えてしまっていたのだ。これはスズに悪意があるわけではない。ただ、テツヤの置かれている状況や彼の心境に思い至らないだけのことである。詳しい事情を知っていれば、もしかすると別の対応を取ったかも知れないのだ。

「先生、どないしょう。自分このままやったら、ジム辞めやなあかんかなあ」

テツヤは一見のんびりしているように見えたが、内心深く悩んでいるのは明らかだった。シズは居た堪れない気持ちにならざるを得なかった。

「そんなことないよ。テツヤ君はみんなに優しくしてくれるし、他の子のポケモンたちもよく懐いてくれてるの、わたしは知ってるよ。ポケモンを捕まえられないからジムに来ちゃいけないなんてことは、ヒワダジムのルールブックには書いてないからね。ルールにない理由で辞めさせちゃったら、そっちの方がずっと問題だよ」

「そっかあ。でも、ポケモンおらんかったら、みんなと遊んだり戦[たたこ]うたりできひんし、やっぱりあかんかなあ。スズ先生、またカミナリ落とすやろしなあ」

自力でポケモンを捕まえられない。ただそれだけのことで、皆と心を通わせて場を和ませたり、適切な評論ができるといった優れた能力を持つテツヤがジムを辞めてしまうなど、あまりにも惜しいし、やるせない。

こうしたシチュエーションで必要なのは、ただ慰めたり励ましたりすることではない。そんなことをしたところで、事態は前へは進まない。

「テツヤ君。スズには、わたしがきちんと言っておくよ。それに――テツヤ君がポケモンを捕まえられるようにする方法を、わたしも考えてみるね」

「えっ? 先生、それほんま?」

「もちろん。こんなに広い世の中だもん、テツヤ君みたいに腕がうまく動かせない人のための道具とか、そういうのがきっとあると思う。だから……少しだけ、時間をくれないかな?」

眼前の課題を解決するために、共に適切なソリューションを考えていくことだ。

「ありがとう、先生。自分もポケモン捕まえれるようになったら、うれしいなあ」

テツヤが再び元気を取り戻す。シズなら何か妙案を出してくれる。その期待が、瞳に籠っていた。

「あっ、いたいた。てっちゃん! この間見せた『リフレクコンボ』、さらにパワーアップしたんだ! 見てくれよ!」

「セイジ君の声や。先生、自分向こう行ってくるな」

「うん。行ってらっしゃい」

ちょうどその時、以前シズから「リフレクコンボ」の手解きを受けたセイジがテツヤを呼んでいる声が聞こえてきた。テツヤはシズに一言断ると、走ってセイジの元まで向かっていった。

テツヤの様子を眺めていたシズの隣に、一つの影が近付いてきた。

「ねえ、シズ。さっき話してたテツヤ君っていう子、腕が不自由なの?」

「そうなの。それで、モンスターボールをうまく投げられなくて、ポケモンを捕まえられないって、悩んでるんだ」

「うーん……僕も、必要に応じてポケモンを貸し出したり、ポケモンセンターに相談してみたりしてるけど、うまく行かないみたいだね。できればタマゴをあげたいんだけど、今は例の法案の都合で、ジムリーダーからトレーナーへのタマゴの譲渡は自粛するように言われてるんだ」

「そっか、そうなんだ……何か、テツヤ君の補助になるような道具とか、そういうのがあればなあ……」

膠着しつつあった情勢に動きがあったのは、この直後だった。シズは何気なく思ったことを呟いただけだが、それが意外な人物のインスピレーションを動かしたようだ。

「待って、シズ、ツクシ」

「えっ、お母さん?」

「この間、社内報でバリアフリーの特集があったわ。それを思い出したの」

「なるほど。リフォームの時に、家に手すりをつけたり段差を無くしたりすることがあるからね」

「ええ、そのつながりよ。その時に、アサギシティにある個人経営の会社の記事が載ってて……そうね。一度帰社して、詳しく調べてみるわね。分かったら、みんなにも伝えるわ」

スギナは息子と娘にそう言い残すと、すぐさまヒワダジムを後にする。思い立ったら即行動する点は、ある意味スズとよく似ていた。いや、親子の関係を鑑みれば、スズがスギナに似ていると言うべきか。

「何かいいことが分かるといいね、シズ」

「そうだね。テツヤ君をサポートしてくれるような道具があるなら、なんとしても、手に入れたいよ」

颯爽と外へ出て行った母の背中を、シズとツクシは暫しの間見送っていた。

 

ジムの壁に据え付けられた時計は、午後の七時を指している。昼間は室内いっぱいに響いていたトレーナーたちの声はすっかり消え失せていて、今はジイジイジイとセミの鳴く声が外から入り込んでくるばかりだった。

午後五時で活動を終えた後、シズは自宅に戻って夕飯の下ごしらえを済ませてきた。今日は麻婆茄子とトマトのサラダを作るつもりだったが、思いのほか速やかに準備が終わってしまった。後は家族が揃うのを待って調理を始めるだけだったが、スギナもスズも一向に帰ってくる気配が無かった。このまま暇を持て余すのも忍びなかったので、シズは再びジムへ戻ってみることにした。まだ、兄のツクシがいたはずである。

裏口から事務所へ入り、中を通り抜けてレクリエーションフロアを目指す。額に浮かんだ汗をタオルでそっと拭うと、シズはフロアの扉を押し開けた。

「ポットっ、がんばれっ!」

「ツボツボが相手、だね。なら……ここはいわタイプ対決と行こうか。出るんだっ、サナギラス!」

レクリエーションフロアには、バトルに興じるツクシと年中組のトレーナー、そして戦いの行方を見守る三人ほどの年少組のトレーナーの、合わせて五人が残っていた。シズもさりげなく観戦者のグループに加わり、ツクシとジムトレーナーの戦いを見守る。

「コウキ兄ちゃーん! がんばれーっ!」

「リーダーもがんばれーっ!」

今ツクシと対峙しているトレーナーは、シズもよく知っていた。名前を「コウキ」と言う。先日、クミとルミに「どっちがクミちゃんでどっちがルミちゃんでしょうクイズ」(※正式名称)を仕掛けられていた、あのトレーナーだ。相棒はツボツボの「ポット」。ツボツボは全般的に打撃力には乏しいものの守りが固く、守勢に適した種族である。

戦いはなかなか白熱したが、ペースを握ったのは終始ツクシのサナギラスだった。決して手を休めること無く攻め続け、守りに長けるポットもさすがにバテてきたところを見逃さず、一気呵成で大技を仕掛けた。

「さあ、これで止めだ! 巌[いわお]よ! 降り注げ!」

ツクシから飛んだ指示を受け、サナギラスが躰を奮わせる。見る見るうちに周囲に生じた岩状のエネルギーの塊が、まさに雪崩の如く無数に殺到し、ポットはあえなくノックアウトされた。目を回したポットの側に寄り添い、コウキが「よく頑張ったね」と健闘を称える。弱々しいながらも頷いたポットをモンスターボールへ収容し、戦いはここに幕を下ろした。

「コウキ君、お疲れ様。惜しかったね」

「シズ姉ちゃん! こんばんは」

「やあ、シズ。またこっちへ来てくれたんだね」

「うん。この時間はどうしてるのかなって思って、晩ご飯の準備を済ませてから、ちょっと来てみたんだよ」

シズの姿を認めたツクシもバトルフィールドを離れ、彼女の側へ歩み寄ってきた。

本来、ジムは午前九時から午後五時までが開館時間となっている。ジムに在籍していないトレーナーの挑戦を受けるのもその時間内と定められており、規程の時間を過ぎると翌日以降の対応となる。しかし、ツクシはジムリーダーの裁量に基づき、午後七時頃まではジムトレーナーがジムで活動できるように取り計らっていた。安全配慮義務やアドバイザーの勤務時間等の都合があり、ツクシ本人が不在の場合は規程通り午後五時で閉館せざるを得なかったものの、それでもこの措置は諸手をあげて歓迎された。

その理由は、コウキら居残り組のトレーナーたちの境遇にあった。

「そろそろかな。コウキ君のお母さんが帰ってくるのは」

「どうかなあ。またお仕事忙しくなってきちゃったから、もっとかかりそうだよ」

周りにいるコウキ以外のトレーナーたちもこれと似たような境遇で、親が働きに出ていて帰りが遅く、長い時間一人で過ごさざるを得ない者ばかりだった。ツクシは彼らの境遇を慮り、親ともよく相談した上で、可能な限り彼らを遅くまでジムで預かってやっていた。家に一人きりでいるよりも、こうして寄り集まっていた方が安心だし、遊ぶこともできるという思いからの対応だった。

「ねえ、コウキ君。お母さんが働いてるのって、シルフだったっけ?」

「そうだよ。システムエンジニア、って仕事をしてるんだって。最近はね、中国の人と話すことが増えたって言ってたかなあ」

「コウキ君のお母さん、僕と話をしたときも、頭の回転も話の理解もすごく早い人だったからね。会社もありがたいと思ってるはずだよ」

コウキの母親は、ヒワダに拠点を構えるシルフカンパニーのシステム子会社にて、システムエンジニアとして働いていた。コウキの話ぶりを見ると、最近は実装の担当を離れて、部下やパートナーに指示を出すプロジェクトマネジャーに近い位置で仕事をするようになってきたようだ。実際に彼の母親と対面したツクシも、一目見て「できる人だ」という印象を抱いており、コウキの話に納得がいっている様子を見せていた。

会社で活躍している様子のコウキの母親だったが、当の本人は少々浮かない顔をしていた。それを見逃すシズではなく、すぐに前へと踏み込んだ。

「コウキ君、なんだか元気が無いね。どうかしたのかな?」

「えっと……ママ、最近ずっと忙しいから、大丈夫かなあ、って思って……」

「ここのところずっとだからね。夜、一人で寝ることも多いって言ってたよね?」

「うん。帰ってくるのが遅くなっちゃうから、先にお風呂に入って寝てて、って言われるんだ。ママ、大丈夫かなあ。休めてるかなあ」

システムエンジニア、それも管理職層へ食い込みつつある立場にあるコウキの母親は多忙を極めており、コウキと満足に話す時間も取れないほど仕事に追われている状態だった。折からの不況で人員の採用を抑えており、一人で担当しなければならない業務の量が大変多かった。コウキはそんな母親の状況を心配し、二度にわたって「大丈夫かなあ」という言葉で表現して見せた。

コウキは母子家庭なこともあり、母親が働く必要があること、仕事が大変忙しいことを十分承知しており、決して我侭を言ったりするようなことはなかった。一人でもしっかり留守番をしたし、母親に見てもらわずともきっちり宿題をやり遂げることもできる。母親もコウキのそうした面を大いに喜び、安心して仕事に集中できているようだった。コウキが自立していること、それそのものは、コウキの美点として捉えて良いものだった。

ただ――コウキの内面では、小さく静かな、しかし明らかで無視できない、確かな葛藤が生じていた。

「九月の授業参観も、また、ボクだけいつも通りかなあ」

寂しげにぽつりと呟く。コウキの言葉を逃さず拾ったシズが、彼に声を掛ける。

「お母さんが忙しくて授業参観に出られない、そうだよね? コウキ君」

「うん。みんなのパパやママが出てきてて、なんだかすごいなあ、ボクのママもいればなあ、って思ったんだ。だけど……」

コウキはそこで言葉を詰まらせる。「だけど」。その後に続く言葉を推し量ることは、さして難しいことでは無かった。コウキの沈んだ面持ちを見れば、答えはむしろ明々白々とさえ言えた。

「リーダー、それにシズ姉ちゃん」

慕っている二人の姿をしっかり眼に映して、コウキが心の内に湧いてきた言葉を口にする。

「ママは、ボクのこと、好きなのかなあ」

ツクシとシズが顔を見合わせる。コウキの漏らした言葉は実に短かったが、そこに様々な思いが込められていることは動かしようがなかった。母は自分のことが好きなのだろうか。それは不満や鬱屈というより、大きな不安から生じた言葉だった。朝早く出掛けて、帰ってくるのは自分が寝静まってから。たまの休みも、時に会社に呼ばれてしまう。コウキは一人で留守を守りながら、母を思慕する日々を過ごしていた。

先に述べたとおり、コウキの母親はシングルマザーで、家庭に父親の姿はない。実家はジョウトはヒワダより遠く離れたシンオウの地にあったため、そうそう祖父母と会うこともない。コウキにとっては母親が唯一の拠り所だった。無論、ツクシやシズといったヒワダジムの面々にも信頼は置いていたが、それとは根本的に異なるレベルで、コウキは母親を支えにしていたのである。それが揺らいでいるということは、即ちコウキの心の安定が揺らいでいるということと同義であり、本人は表出している仕草や言葉以上に思い悩んでいた。

安易な慰めや励ましの言葉を口にするのは大いに躊躇われた。コウキに言葉を掛けるということは、寂しがっている少年を慰撫するという表層的な意味だけでなく、もっと複雑で繊細な意味を伴う行為だった。彼に対する言葉は、そのまま鏡のように跳ね返ってくる。これから口にする言葉が嘗ての自分目掛けて降り注げばどのような心境に至るだろうか。それを、シズは普段以上に深慮し、熟考した。

「コウキ君」

「なに?」

「今度ね、お母さんがお休みの日に――『お母さんと一緒にいられなくて寂しい』って、言ってみたらどうかな」

シズの提案を受けたコウキは目をぱちくりさせて、些か戸惑っているように見えた。

「コウキ君は、お母さんと一緒にいられなくて、寂しいって思ってるんだよね?」

「……うん。でも、お仕事だし、忙しいし、そんなこと言ったら、ママ困ると思うなあ」

「そうかな。もしかすると、お母さんもコウキ君とあまり一緒にいられなくて、寂しいって思ってるかも知れないよ」

「ママも?」

「そう。だから、正直に、コウキ君の気持ちを伝えてみてほしいんだ。寂しいって思ってるってことは、それだけ、お母さんのことが好きだってことだからね。お互いに素直な気持ちを伝えるだけでも、ずいぶん楽になると思うよ」

「そっかあ、そうかも知れないなあ」

「多分、すぐには変わらないと思う。お仕事だって大切なことだし、それをこなしてるコウキ君のお母さんはすごく立派だよ。お母さんがお仕事を頑張るのは、きっとコウキ君のためだと思うんだ。だから、コウキ君がお母さんを心配してること、側にいてほしいと思ってること、何より、大好きだって思ってること。それをちゃんと伝えれば、お母さんだって分かってくれる。わたしは、そう信じてるよ」

母と直接話をしてみたらどうかというシズの提案を、コウキは受け入れた。

「わかったよ。ボク、今度お母さんに話してみるね」

「うん、頑張ってね。わたしはきっとうまく行くって思ってるからね」

シズに背中を押されたコウキが、母親と話をすると、シズに約束して見せる。シズはそれを喜び、応援していると太鼓判を押す。

コウキを励ますシズの姿を、ツクシは感慨深げに眺めていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。