リビングにあるソファに座ったシズとスズが、互いに寄り添いあって――どちらかというと、スズがシズに寄り掛かる形で、一緒に座っている。二人とも一度顔を洗ったのか、涙の跡はきれいに消えている。けれど、赤く腫れた目元や潤んだ目を目を見れば、今しがたまで泣いていたのは一目瞭然だった。
シズがスズの肩に手を置くと、スズがいっそうシズの近くへ身を寄せる。二人の間に、もはや一切の壁は存在しなかった。
「お姉ちゃん……今までごめんね、あたし、わがままばっかり言って……」
「大丈夫、気にしてないよ。安心していいから、ね?」
「うん……お姉ちゃん、ありがとう……」
ようやく落ち着きを取り戻したスズは、シズに対してしきりに謝り続けていた。シズはその度頷いてあげて、受け入れてあげて、「大丈夫」「気にしていない」と繰り返した。
シズはスズに「謝らなくていい」とは言わなかった。スズが謝りたいと思うのなら、謝ることで赦されたと感じることができるなら、赦されて少しでも心が癒されるのなら、いくらでも受け入れてあげたいと思った。聞き入れて、受け入れて、それが価値のあるものだと、無意味なものではないのだとスズに感じてもらえれば、それが一番良かった。決してスズの言葉や行いを否定せず、ありのままに共感して受け入れる。それが今のスズに一番必要なことだと、シズにはよく分かっていたからだ。
「今日、独りになってみて初めて、ずっとお姉ちゃんに甘えてたんだってことに気付いて」
「お姉ちゃんの気持ちを少しも考えないで、たくさんひどいことしてきたんだって、気付かされて」
「もうあたしのことなんか嫌いになっちゃったかも知れない……そう考えたら、涙が止まらなくなっちゃって……」
「でも……お姉ちゃんは、あたしに『側にいてほしい』『いなくなったら寂しい』、そう言ってくれた」
自分の存在価値を認めてくれたこと。スズにとっては、それが何よりも嬉しかった。散々我侭を言ってきた、理不尽なことをしてしまった、その事に気付いて後悔したとき、姉は「後悔したこと」を受け入れてくれた。悔やんでも遅い、そう拒絶するのではなく、受容してくれた。それがどれほどスズに救いをもたらしたか、計り知れなかった。
時折ちらりと目を向けるスズに、シズは必ず優しい瞳で応じてやる。そうするとスズは安心できるようで、こくん、と小さく頷いてまた視線を元の位置に戻す。それを繰り返していた。妹の仕草が愛おしくて、シズは暖かな気持ちが胸に満ちていくのを感じずにはいられなかった。
そうして穏やかな時間を過ごしていた最中のことだった。スズがおもむろに口を開いて、シズにこう問いかけた。
「お姉ちゃん。今まで言えなかったことがあるんだけど……言ってもいい? お姉ちゃんが悪いとかじゃ全然、全然なくて、あたしが勝手に思ってたことなんだけど……」
「うん、いいよ。スズの素直な気持ちが聞きたいな」
「ありがとう。あのね――」
前置きをしてから、スズはシズに自分の思いを語り始めた。
「あたし、家に居場所がないんじゃないかって思ってたの」
寂しげに呟いた妹の顔をシズが覗き込む。スズは少し俯きながら、今まで胸のうちに秘めていた思いを吐露し始めた。
「お母さんは毎日働いてて、仕事が休みの日は家事もしっかりしてて、お兄ちゃんやお姉ちゃん、あたしのこともちゃんと見てくれてる。すごく立派な『お母さん』だって思う」
「お兄ちゃんはヒワダジムのジムリーダーで、大人の人からも頼りにされてて、ジムにいる子たちもみんな慕ってる。子供の頃から家族みんなを支えてくれてて……『お兄ちゃん』でもあるし、『お父さん』みたいな存在だって思ってる」
「それで、お姉ちゃんは――」
スズが薄く目を閉じて、それからすぐに開いた。
「忙しいお母さんの代わりに、家事をみんなやってくれて、お母さんからお財布を預けてもらうくらい信頼されてて」
「お兄ちゃんの仕事もよく手伝って、ジムリーダーになるって決まった時も、すごく安心して任されてるみたいだった」
「学校が休みの日でも、家事を進んでやってくれて、いつもみんなが気持ちよく過ごせるようにしてくれてるよね」
「あたし、お姉ちゃんのこと、ずっとすごいと思ってた。あたしじゃ手の届かない、とても高いところにいるって」
「家の中でしっかり役割を果たして、お兄ちゃんとお母さんから信頼されてる。輝いてる、眩しいって……そう思ってた」
静かに呟かれたスズの言葉を、聞き手たるシズは少なからぬ驚きを持って受け止めていた。
姉が家族の中で身を粉にして働いていること、そのために母や兄から大きな信頼を受けていること。スズは決してそれを見逃してなどいなかった。スズはシズが母から財布を預けられていることも、休日でも変わらず家事をしていたりすることも、すべて知っていた。
(スズは……わたしのこと、見てくれてたんだ)
率直に言って、シズは驚きを隠せなかった。スズがそこまで自分を見ていた、見てくれていたとは、今まで想像もしなかったからだ。同時に、これまで積み重ねてきた仕事が決して無為無駄無意味なものなどではなく、自分を含めた家族にとって価値あるものだったのだと再認識することができた。
不意に目頭が熱くなる。スズが自分を見てくれていた、自分を評価してくれていた。それが嬉しくてならなかった。かつて自信を喪失していた時には、こんなことなど有り得ないとばかり思い込んでいた。また顔に涙の跡がついてしまう、シズはそう言い訳して、目元にそっと手を当てて涙を拭った。
「ありがとう……ありがとう、スズ。わたしのしてたこと、スズはちゃんと見ててくれてたんだね」
「……うん。お姉ちゃんが家のことをてきぱき片付けてるところ、いつも見てたから」
「スズ……」
「お姉ちゃんってすごい、ホントにそう思う。何を頼まれてもすぐに片付けちゃうし、家事だってなんでもできちゃうし、それに、それに……」
スズがシズに真っ直ぐ目を向けると、シズはスズの潤んだ瞳を真正面から見つめる形になった。
「何より……あたしのことをいつも見てくれてて、どんな時でも優しくしてくれて……」
「なんていうか――家族の中で、お母さんとは違う意味で『お母さん』の役をしてくれてる。あたしはそう思ってた」
家にいないことの多いスギナに代わって、シズが母親としての役目を担っていた――スズの言わんとする所は、単にシズがスギナの代わりに家事を担当していたという表層的な意味に留まっていなかった。それよりもっと根本的な、家族を守り育てるという大きな役割の一翼を担っていた、そうした意味を伴っていた。
「さっき、あたしがお姉ちゃんに抱きしめてもらったときにね、思い出したことがあって……」
「ひょっとして、お母さんもお兄ちゃんも帰ってくるのが遅くて、わたしの部屋で一緒に寝た日のこと?」
「あっ、そうそう、それそれ。お姉ちゃんも覚えててくれたんだ」
「もちろん覚えてるよ。スズが泣いてて、すごくかわいそうで、慰めてあげたいって思ったから。ホント言うと、わたしも寂しくて泣いてたけどね」
「うん。お姉ちゃんも泣いてるのに、それでも『大丈夫だよ』って言ってくれたのがすごい記憶に残ってて。それで今でも時々ふっと思い出して、懐かしいって思ったりするの」
「頭までお布団被って、どっちも抱っこしあってたっけ。二人きりで寂しかったけど、でもだんだん、スズが側にいるって感じてきて、安心できたっけ」
「あたしも同じだった。お姉ちゃんはすごく近くにいる、お姉ちゃんがいるから大丈夫。そう思ってたら安心してきて、そのまま眠っちゃったのよね」
姉妹揃って懐かしい思い出に浸る。スズはここ数年見せたことがない――少なくとも、中学に上がってからは一度も――ほど穏やかな表情をしていた。険しさの抜けたスズの顔つきは、シズが驚くほど、シズとそっくりだった。
「ちょっと話が飛んじゃったけど、お姉ちゃんはお母さんみたいで、なんていうか、存在感があるって思うの」
「それで――あと一人残ったあたしは、みんなからどう思われてるのかって、それがすごく気になってた」
「お母さんもお兄ちゃんも、それにお姉ちゃんも、みんなあたしに優しくしてくれて、大切にしてくれてる」
「したいことはなんでもさせてもらえたし、いつでも支えてくれてた」
「だけど……こんなこと、ホントは言っちゃいけないのかも知れないけど、でも、やっぱり言う。ちゃんと言わなきゃ」
意を決したスズが、消え入りそうな声で呟く。
「『家の中で、あたしだけ<子供>なのかな』……ずっとそう思ってた」
子供、という言葉を発したスズの表情に、とても濃い陰が差した。シズは思わず息を飲んで、寂しげに零した妹の顔をまじまじと見つめていた。
ツクシは兄という枠を越え、家族で唯一人の男性として、シズとスズの「父親」のような存在だった。シズは双子の姉でありながら、家事の類を一手に引き受け、いつでもスズに目を掛ける「母親」としての役割を果たしていた。そしてツクシとシズ・スズを支える大きな大きな屋台骨として、「慈母」とも言うべきスギナがいた。所謂通例としての「家族」とは些か異なる形なれど、各々に役割を持ちそれを果たすことにより、確固たる家族が形成されていたと言えた。
その中にあってただ一人スズだけは、父性としての役割も母性としての役割もなく、庇護される「子供」として位置付けられていた。それはスズの存在を軽んじていたわけではない。まったく逆で、皆が一丸となってスズを護ろう、スズを大切にしようとした結果であることなど誰の目にも明らかだった。純然たる善意により、スズは家族の中でただ一人の純粋な「子供」というポジションに置かれた。悪意の介在する余地など無かったことは、最早論を俟たない。
「小学校の四年くらいの時からだっけ、そういう風に思うようになってきて」
「どうすればお母さんやお兄ちゃんに<認めて>もらえるんだろう、どうすればお姉ちゃんに<並べる>んだろう」
「……ずっと、そんなことばっかり考えてた」
「お姉ちゃんもお母さんもお兄ちゃんも、あたしのこと大切にしてくれてるって知ってて、悪い気持ちなんかじゃ絶対無いって分かってたから、尚更どうしたらいいのか分かんなくて」
だが――それがスズにとって、思わぬ苦悩をもたらす結果となった。
兄も母も姉も、自分のことを決して無碍に扱っているわけではない。むしろ大切な存在だと考えて、自由に時間を使えるように、過大な責務を負わされないようにと心を砕いてくれている。それはスズも骨の髄まで理解していたし、家族がそうして自分を護ってくれることの有り難味は分かっていた。
分かっていた。けれどそれは即ち、スズはただ護られるばかりで、家族の中で何かの役目を果たしている訳ではないとも言い換えることができる。自分だけが「子供」であり、周りは皆「大人」として立派に役割を果たしている。思春期を迎えてなおそうした状況に置かれて、到底言葉にしがたいわだかまり、或いはとても口に出し辛い居辛さを感じていたのが、スズの偽らざる本音だった。
「だから、あたしも一人前なんだ、家にいてもいいんだ……そう思いたくて、ちょうど始めてた剣道に集中して」
「必死に頑張って、地区大会で優勝したりもした。お兄ちゃんやお母さん、それにお姉ちゃんに『すごい』って言ってもらいたくて」
「ポケモンだって同じ。あたしの方が強いんだってみんなに思ってもらいたくて、ミドリやストリングスと一緒にたくさんトレーニングしたり、戦術を考えたりしたりした」
「お姉ちゃんに並びたい、お姉ちゃんみたいにお母さんやお兄ちゃんに認められたい、お姉ちゃんに負けたくない――それだけ、ずっと考えてた」
「ジムリーダーになりたかったのだって、あたしならなれると思い込んでたっていうのもあるけど、ポケモンバトルならお姉ちゃんにだって負けない、そう思ってたから」
「だから……ルールであたしはジムリーダーになれないって分かったとき、すごく悔しくて、理不尽な気がして」
「あたし、いつになったら認めてもらえるんだろう。そんな風に考えちゃって」
シズは、スズの気持ちを痛切に感じ取っていた。
家の中に居場所がない、自分を認めてもらえている気がしない。それは自分も抱いていた感情だ。スズは自分の好きなことをさせてもらっているように見えて、そんなネガティブな感情とは無縁だとばかり思い込んでいた。しかし、実際はスズはスズなりにとても深く悩んでいた。経緯を聞けば十分納得の行くものだったし、厄介さで言えば自分自身が抱いていたものと大差ない、いや、下手をするとなまじ口に出せない分、スズの方が辛い思いをしていたかも知れなかった。
「だから」
「だから今日、独りで無理して頑張ろうとしたんだね」
「自分でもわたしと同じことができる、みんなにそう言いたくて、独りで全部やろうとしたんだね」
「ここにいてもいいって、その証拠が欲しくて……」
胸がチクチクと痛んで息が苦しくなり、シズは無意識のうちにスズの躰に手を回して抱いていた。スズは姉の心遣いを受け止め、そっと姉に身を任せる。姉を拒絶したり振り払ったりすることなく、ありのまま受け入れていた。
「スズの気持ち、聞かせてくれてありがとう。話してくれてありがとう」
「わたしの気付かなかったところで、スズも辛かったんだね、苦しかったんだね」
「言ってくれて――ありがとう、スズ」
シズが瞳に涙を滲ませると、スズはごく小さく、しかしはっきりと分かるように頷いた。
「わたしね、スズは自分よりすごいって思ってたんだ。それは、今も変わってないよ」
「毎日朝早くから剣道の練習に出掛けて、一日も欠かしたことなんかない。夜も遅くまで頑張って、それでまた次の日は早く起きる。本当に真剣だなあって、いつも思ってたよ」
「地区大会だって何回も出場したよね。個人戦でも優勝したし、団体戦でもみんなを支えてたところ、わたしは見てたよ。立ち回りをうまく使い分けてて、すごく格好良かった。輝いてた」
「自分の好きなことを大切にして、一心に打ち込んでる。わたしはスズがそんな風にしてるのを見ながら、すごいなあって思った。輝いてるなあって思った。素敵だなあって思った」
「何よりね、羨ましいって思ったんだ」
「わたしはただ言われるがまま仕事をするだけで、スズみたいに自分で『こうしたい』『ああしたい』って言えなかった。もちろんわたしが家事をしなきゃいけないっていうのもあったけど、本当の理由はそうじゃないことなんて分かってた。自分の思ってることを言い出せない、弱気な性格が原因なんだって、自分が一番分かってた。分かってたけど、でも、どうしようもなかった。だから、頼まれるままに家のことをして、『自分は忙しい』っていつも言い聞かせてた」
「でも、自分の心は偽れない。スズはすごく輝いてるのに、わたしは全然そんなことない。いつもいつもそんな風にばっかり考えてたよ。朝早く防具と竹刀を持って出て行くスズを見送るときも、夜遅くに疲れて帰ってくるスズを出迎えるときも、大会の応援に行くときも、全部同じ。スズはこんなに頑張って実績だって残してるのに、わたしって一体何してるんだろう? そう考えるたびに、辛くて苦しくて、惨めな気持ちになった。誇れるものなんて一つもない、何も人に自慢できることなんてない。ずっとそう思ってた」
心情を包み隠さず暴露し、「羨ましい」「惨めだ」といった生々しい感情までも白日の下に晒したシズに、今度はスズが息を飲む番だった。
「さっきスズの話を聞きながらね、わたし、自分と同じだって思ったよ」
「お母さんとお兄ちゃんがすごくて立派ってところはまったく同じで、わたしはスズの方こそ二人に認められてて、自分はどうしようもないダメな子だって考えてた。お母さんもお兄ちゃんもよくスズのことを褒めてたし、遠くまで応援しに行くことだってよくあった。二人にくっついて行きながら、わたしって何も取り柄のない子だって思ってた。もやもやしながら席に座ってることなんて、しょっちゅうだったよ」
「だから、自分なんていなくたっていい。スズだけいれば十分じゃないのかな。そんな風に僻んで、卑屈になって、自分はダメだ自分はダメだって、誰に言われた訳でもないのに思い込むようになった」
「さっきの話を聞いてたら、スズの気持ちが分かって、分かりすぎて、胸が苦しくなるくらいだった。スズも自分の居場所とか存在価値とか、そういうことですごく悩んでたんだ、わたしと同じだったんだ、って」
目に涙を滲ませたのは、スズも同じだった。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんの気持ち、今日初めて聞かせてくれたけど……でも、すごくよく分かった。聞いてるうちに、あたしも胸が詰まってきちゃいそうになるくらいに、お姉ちゃんの気持ちが伝わってきたよ」
「だけどそれと同じくらい、嬉しかった。お姉ちゃんはあたしのことしっかり見ててくれたんだ、見守ってくれてたんだってことが分かって、ホントに嬉しかった」
「思ったよ。お姉ちゃんとあたしって――やっぱり、双子なんだね。やっぱり『ふたごちゃん』なんだね」
しみじみと語るスズを、シズは一層強く抱きしめた。
シズは、スズの言う通りだと思った。自分とスズはふたごちゃん、他人同士だけど、他人じゃない。どこまで行っても「ふたごちゃん」で、細かいところは違っても最後は同じになる。二人で一人、そう言うことだってできるに違いない。
「お姉ちゃんって、やっぱりすごいと思う。今だったらホントに素直に言えるよ。小学校の時からお母さんにいろんなこと任せてもらって、なんでも丁寧にできちゃう。あたし、やっぱりお姉ちゃんみたいになりたい」
「わたしだって、スズのこと立派だって思ってるよ。誰にも負けないって気持ちの強さも、地道に努力を続けられる根性も、全部ひっくるめて。スズみたいになれたらいいなって、小さい頃からずっと思ってるからね」
「うん……こうやってお互いがお互いのことをホントに『すごい』って思ってて、それって全然いいことのはずなのに、行き過ぎて『相手に比べて自分はダメ』ってなっちゃう。こんなところまでそっくりなんてね」
「どうせならわたしもスズも、どっちもお掃除やお洗濯が得意で、どっちもポケモンバトルも剣道もどんとこい、って感じだったらよかったのにね。神様ってやっぱり気まぐれだよ」
おどけて言うシズの様子をみて、スズは朗らかに笑った。
姉は妹の、妹は姉の体温を肌で感じ取りながら、とろけるような時間を過ごしていた最中のことだった。
「あとね、お姉ちゃん。この前八つ当たりした時に言っちゃったから、もう気付いてるかも知れないけど……」
「この前スズが怒ったとき……もしかして、リョウタ君のことかな?」
「……うん。あたしが、リョウタのこと好きだった、ってこと」
スズが零したのはリョウタのこと、スズがリョウタに想いを寄せていたということだった。
互いの気持ちを明らさまにして優しくぶつけ合う今の流れの中で、二人が共に好いている幼なじみの名前が出てくるだろうことは、シズもスズも既に想定の範囲内だった。たまたま口火を切ったのがスズというだけで、シズもいずれ俎上には載せようと考えていた。
「あれから……自分でもよく考えてみたの。なんでリョウタのことが好きなのか、あたしのホントの気持ちはどこなんだろうって」
「考えて考えて、たくさん考えて、もっと考えて――それで、やっと分かった」
「結局、『お姉ちゃんがリョウタのことを好きだから』、あたしも好きになってたってだけのことなんだ、って」
「ホントに心の底からリョウタが好きなんじゃなくて、お姉ちゃんと並びたい、お姉ちゃんと一緒の人じゃなきゃやだっていう、子供っぽい気持ちだったんだって、気が付いたの」
シズはスズの口調と言葉を読み取って、スズとリョウタとの間に生まれたぎくしゃくした三角関係が氷解していくのを、つぶさに感じていた。
「もちろん、リョウタが真面目で優しくて、しっかりした男子だってことは変わらないわよ。リョウタとはこれからも仲良くしてたい。だけどそれは『友達』としてってことで、男の子と女の子の関係っていうのは、リョウタとあたしじゃうまく成り立たない、やっぱりそう思う」
「こんなことあたしが言うのもヘンだけど……お姉ちゃん、心配させてごめんね。あたしはリョウタのことが男の子として好きだったわけじゃなくて、お姉ちゃんに並べるってことだけ考えてた、子供だったから」
「お姉ちゃんの代わりにリョウタの側にいられる、それしか考えてなかったことに、やっと気が付けたの」
「今更だけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんで、あたしはあたし。あたしはお姉ちゃんの代わりになれないし、お姉ちゃんだってあたしの代わりにはなれない。あたしはあたしで、本音から一緒にいたいって思う人を探してみることにするわ」
自分の心の歪みに――本心からリョウタが好きな訳ではなく、「姉の代わりに」リョウタの隣にいられる自分、という構図に焦がれていただけだということを悟って、スズは自ら身を引いた。いや、身を引いたというより、己れの本心と向き合ったと言う方がより適切だった。
「そっか……あのね、スズ。わたしの本音、言っちゃってもいい?」
「うん。もうぶっちゃけちゃって」
「ホントのこと言うとね、スズがリョウタ君のことを好きだって分かったとき……怖かったの」
「怖かった……?」
「うん。どうしよう、って思ったの。わたしもリョウタ君のこと好きだって自覚し始めてたからね。スズと喧嘩になって、下手をしたら絶交しちゃうんじゃないか、リョウタ君の取り合いでどっちも傷つくんじゃないか、リョウタ君も辛い思いをするんじゃないかって思って、怖かった。すごく怖かった」
「お姉ちゃん……」
「せっかく今まで一緒だったのに、その関係が壊れちゃう。そんなのもう二度と嫌だったから、あんなことはもう絶対起きてほしくなかったから」
シズの口にした「あんなこと」が何か、スズには即座に理解できた。
「……うん。あたしだって、もう掴み合いの喧嘩はたくさんよ」
それは紛れもなく、ノリユキとサダコのことを指しているのだと、分からないスズではなかった。
「お姉ちゃん。今度リョウタに会ったら伝えとくわ」
スズは清々しい表情を見せて、シズに目を向ける。
「お姉ちゃんのこと、絶対幸せにしなさいよ。もし泣かせたりなんかしたら、トキワタリ様に孫子の代まで祟ってもらうんだからね、ってね」
「もう、スズったら。気が早いよ」
スズは安らかな表情を浮かべて、シズに冗談めかして言う。対するシズは頬を朱に染めて、スズの言葉をくすぐったそうに聞いていた。
「あと……あたし、できるならケンジ君とお兄ちゃんに謝りたい」
「引っ叩いたりして、暴力を振るってごめんなさい」
「自分勝手なことばっかり言って困らせて、ごめんなさい――二人が聞き入れてくれるなら、謝らせてほしいの」
この申出には、シズはすぐさま応じた。
「任せてよ。スズがそう言ってくれるの、わたし待ってたからね」
「お姉ちゃん……!」
「今のケンジ君なら、きっとスズの気持ちを受け入れてくれるよ。お兄ちゃんだって同じ。だから大丈夫。スズの真っ直ぐな気持ちを伝えてあげてほしいな」
「うん。分かった、お姉ちゃん。あたし、もう絶対あんなことしない。心を入れ替えて、自分をきちんと律していくから」
決意を新たにしたスズの目に、確かな覇気が宿る。もう何も心配は要らない、スズは生まれ変わることができた。今の自分とスズなら、快い<リスタート>ができるだろう。
「ふぅ……ずいぶんたくさん話したね。なんだかすっきりしちゃった」
「あたしもすごくいい気分。お姉ちゃんはやっぱりすごいって分かったし、でもあたしもお姉ちゃんにすごいって思ってもらえてるって分かって、もう自分がここにいていいのかとか気にしなくてよくなったから」
「うん。気持ちも新たに、これからも一緒に頑張ろうね、スズ」
「もちろん。これからはあたしも家事手伝うし、お姉ちゃんがちょっとでも楽になれるようにする。あと――来年お姉ちゃんがジムリーダーになったら、そっちでも応援させてほしい、そう思ってるよ」
「頼もしいね。スズが応援してくれるなら、百人力だよ」
二人の間にあった壁、溝、わだかまり、もやもや。そうした諸々の障害が文字通り一掃されて、シズとスズは新しい局面に入ることができた。
「でも、スズが本気になったら、わたしの出番なくなっちゃいそうだよ。あれかな? 表向きわたしがジムリーダーだけど、実はスズが影のジムリーダー、みたいな!」
「あっ、影のジムリーダーってなんかすごいかっこいい気がする! それいいそれいい!」
「もしかしてスズってあれじゃない? 『闇の勢力』的な組織とか、『漆黒血脈刃』みたいな技名好きだったりしない?」
「好きだし! てかお姉ちゃんも好きでしょ? そういうの」
「うーん……ホント言うとね、実は結構好きだったりするよ。ちょっと恥ずかしいけど……」
和気藹々と話す二人の耳に、炊飯器がご飯を炊き上げた音が入ってくる。
「ご飯炊けたみたい。遅くなっちゃったけど、晩ご飯作らなきゃね」
「それならあたしも手伝わせて。お姉ちゃんの側で作り方を見て、自分でもできるようになりたいしね」
「よーし、それなら一緒に作ろっか! スズならきっと、すぐに覚えられるよ」
二人が揃ってソファから立ち上がる。
台所へ向かって歩いていく二人の背中からは、もはや一切の憂いも迷いも感じられなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。