トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

#45 シズちゃんの見た社会

夏休みも残りわずかとなった週末。シズはジム所属のポケモンたちに定期検診を受けさせるため、ヒワダタウンの中心地にあるポケモンセンターへ赴いていた。いつもならポケモンたちを預けるとセンターを出て、近くを散歩して時間を潰すのが常のシズだったが、今日は少し様子が違っていた。

「今週は来るかなって思って、少し前から待ってたんだ」

「そうだったんだ。振り向いてみたらちぃちゃんがいたから、わたしビックリしちゃったよ。でも、会えてうれしいな」

「私も同じ。最近プログラミングばっかりしてたから、気分転換にちょっとしぃちゃんと話したかったしね」

以前もポケモンセンターで鉢合わせしたチエと、再び遭遇したのだ。二人でそのまま休憩スペースまで移動し、そのまま涼しいセンター内でおしゃべりと相成ったのが今の状況である。シズもチエも、親しい友人と会って話ができるとあって、見るからに嬉しそうな表情を見せていた。

せっかくなので何か飲もうということになり、近くのベンディングコーナーで飲み物を買うことにした。チエが前回と同じく冷たいカフェオレを買うと、意外なことにシズも続けて同じ銘柄のボタンを押した。チエが目をまん丸くして、しぃちゃんもカフェオレにしたんだ、と呟いた。

「朝にお兄ちゃんのために作って、せっかくだからって自分も飲んでたら、だんだん好きになってきちゃって」

「そうだったんだね。私は美味しいと思うけど、でも、普通の中学生の女の子は飲まないよね、きっと」

「ちぃちゃんもわたしも、やっぱりちょっとズレてるみたい」

おどけた調子で言って見せたシズを見てチエが大笑いし、それにつられたシズも同じく声を上げて笑った。

空いていたテーブルを見つけて椅子に座ると、シズはまず買ったばかりの冷たいカフェオレを一口飲んで、乾いていた喉を軽く潤した。ミルクの入った甘味のあるカフェオレは、快い後味を残しながらするりと喉をすり抜けていった。

「さっき言ってたけど、スズちゃんもジムリーダーになれるようになったんだってね」

「うん。お兄ちゃんが偉い人に何回もお願いして、ルールを変えてくれたんだ。ジムリーダーは一人だけじゃなくて、条件に当てはまれば二人以上同時に就任できるっていう風にね」

「そっかぁ。でも、その方がいいよ。しぃちゃんがジムリーダーになれてスズちゃんはなれないって、やっぱりちょっと不自然だし。例えばさ、なんとか流の正当継承者とか、何人もいたらおかしいっていうシチュエーションはあるけど、ジムリーダーってそういうのとは違うと思うし」

「わたしもそう思うよ。だから、ホントによかった。スズもね、少し前に自分を見つめ直す機会があって、ちょっと前とは比べものにならないくらい大人になったんだよ。ぎくしゃくしてたこともあったけど、全部すっきりしたし」

「しぃちゃんと同じように、いい顔になったってことだね」

「うん。スズが一緒なら、怖いものなんかないよ」

スズと一緒にジムリーダーに就任できることを喜ぶシズを見て、チエはにっこり笑って頷いた。

「よかったね、しぃちゃん。前に会ったときも素敵だったけど、今は輪を掛けて輝いてるよ」

「そう言ってもらえると、わたしも嬉しいよ」

「スズちゃんはしぃちゃんとずっと一緒にいたから、きっと息ぴったりだと思うしね」

「そうそう。それでね、わたしとスズでタッグを組んで、ダブルバトルで戦ったりもできるって聞いたんだ」

「あっ、それ面白そう! ダブルバトルで挑戦できるジムって、今でもそんなに無いからね。楽しみだよ」

「うん。二人で力を合わせて、ヒワダジムをもっと盛り上げていくよ」

しぃちゃんの友達でよかったよ、なんだかエネルギーをもらえる気がするもん。隣で冗談めかして言うチエに対して、一ヶ月くらい前までは、ちぃちゃんのエネルギーをストローでもりもり吸い取ってたくらいどんよりしてたのにね、と返すシズ。チエはこれがツボにはまったのかまた爆笑して、最近のしぃちゃんは調子いいね、と笑いながら言って見せた。

十分笑って呼吸を落ち着けたところでカフェオレを一口飲んで、チエが落ち着いた口調を取り戻す。

「でも、やっぱり本当なんだね」

「本当って?」

「昔にね、偉い人が言ってたんだ」

一呼吸入れたのち、チエがおもむろに言葉を引く。

「『ゲームのルールを変えた者だけが勝つ』」

「既存の枠組みを越える新しいものを作った人が勝つ、そういう意味が込められてるんだよ」

「よく『イノベーション』って言うでしょ。それを言い換えると、さっきの言葉みたいになるんだ」

ゲームのルールを変えた者だけが勝つ。既存のルールの下で小規模な改善を積み重ねるのではなく、根本的にルールを変えてしまうような大きな手を打つ。そうして主導権を握ることで、競争を優位に進めることができる。変更されたルールを誰よりも熟知しているのは、他ならぬ変えた本人だからだ。

「多分、ツクシさんもしぃちゃん達に言ったと思う」

「ルールを守ることは大事、でもルールは絶対じゃない、変えられるんだって」

「私思う。やっぱりツクシさんはすごい、只者じゃないって」

「しぃちゃんとスズちゃんも、きっと同じように活躍してくれるに違いないって、私は思うよ」

感慨深げに言うチエに、シズも頷いて応じる。

「お兄ちゃんと同じってわけには行かないかも知れないけど、わたしなりに頑張るよ」

「みんなの力を引き出して、立派なトレーナーに、立派な人間になれるジムにしたいからね」

でも、いい言葉だね。「ゲームのルールを変えた者だけが勝つ」って。なんだかずしんと来たよ。そう感想を漏らすシズを見て、チエも同意して見せた。初めて聞いたときは、ちょっとショックを受けたくらいだったよ。言われてみれば当然だけど、でもそういう考え方が無かったからね、と。

スズと共にジムリーダーに就任する、という話題が一段落した後、二人はしばし取りとめもない雑談を続けた。

「ねえちぃちゃん。ちぃちゃんって、この夏休みにどこか出掛けたりした?」

「えへへっ。この間、シンオウまで涼みに行ってきたよ。夏とは思えないくらい涼しくて、気持ちよかった」

「あっ、いいなー、それ。わたしも行ってみたいな」

「あれかな、卒業旅行で行くって手もあるね。しぃちゃんはジムでどんな感じ?」

「元気にやってるよ。ヒワダジムって小さい子が多いから、妹や弟がたくさんいるみたい。まとめるのは大変だけど、でも、みんな楽しそうにしてくれてるし、わたしも楽しいよ」

「そっかぁ。私一人っ子だから、ちょっと羨ましいな。今度様子を見に行ってみたりしてもいいかな?」

「飛び入り参加は大歓迎だよ! 対戦相手になってくれたり、一緒に遊んでくれたりしたら、みんなも喜んでくれるしね」

こうして互いの近況を報告したり、さして取り上げる必要の無い話題のやりとりを続けていた二人だったが。

「でも……さっきしぃちゃんの言ってた、『立派な人間になれるジムにしたい』って、何気ないけどものすごくいいことだと思う」

再び口調を改めて、チエがシズに語りかけた。

「私も将来会社を作ったら、月並みだけど、やっぱり人を大事にしたいと思ってるから」

「『生きる』って、しんどいけど素敵なんだよって、そういう風に感じてもらいたいんだ」

「それでね――私が、こんなこと考えるようになったのって、理由があるんだ」

「この前しぃちゃんが話してくれた、ジムリーダーになることを決意したときのことと同じようにね」

「だからしぃちゃんには、私が自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、それから自分の頭で考えたこと――全部、洗いざらい話しちゃうね」

この間チエがシズに打ち明けた「会社を作りたい」という将来の夢。チエがなぜそんな夢を抱くようになったのか、シズに理由を話してくれるという。シズは大きく身を乗り出して、より一層感覚を研ぎ澄ませてチエの言葉に耳を傾ける。カフェオレを飲んで喉の渇きを癒すと、チエは話を始めた。

「私の幼稚園の時からの友達に、ユウキちゃんって女の子がいるの」

「男の子みたいな名前そのものの性格で、私もよく守ってもらってたっけ。ほら、私って今もそうだけど、目立たなくて悪戯されやすいタイプだったから」

「性格も好みも全然違ってたのに、私とユウキちゃんはすごく気が合ってね、毎日一緒に幼稚園へ通ったり、日が暮れるまで遊んだりしてたんだ。本当に、親友って言って間違いなかったと思う」

「小学校に上がってもそれは変わらなくて、あれは小三の時だったかなあ。夕暮れ時に家へ帰る途中に、ユウキちゃんと私で『ずっと友達でいようね』って約束したりもしたよ。すごく嬉しかった」

「こうやっていつまでも友達でいられる――その時は、そう思ってた」

記憶を一つ一つ紐解いていく。楽しかった頃の記憶がもたらす快い懐かしさに満ちていて、けれどどこか拭いきれぬ哀愁の色がチエにはあった。それらはもはや旧い記憶で、今となっては思い出の中にしか在り得ない風景だと悟っていたからかも知れなかった。少なくとも、側で見ているシズはそう解釈していた。

「ポケモンも大好きだったよ。バトルだってすごく強かった。私の通ってた小学校でも、その学年の中なら誰にも負けないくらいだったし」

「ユウキちゃんが連れて歩いてたのは、コダックだった。ウバメの森の池で泳いでたところを捕まえたんだ、って言ってたかな。それでね、ユウキちゃんひどいんだよ。連れてたコダックと私を横に並べて、顔つきがそっくりだって言うんだもん。私こんなにとぼけた顔してないもんって怒ったもん、ホントに」

「相棒がむしポケモンとは全然言えないコダックだったから、ジムには行かずに自分でトレーニングとかしてたみたい。ツクシさんは見掛ける度に『遊びにおいでよ』って誘ってたみたいだけど、結局行かなかったらしくて」

「もしかしたら――あの時のツクシさんは、ユウキちゃんに何か教えたいことがあったんじゃないかな。今にしてみると、そんな気がしてくるよ」

ユウキ、という名前の女子トレーナーには、シズも見覚えも聞き覚えもなかった。チエの言葉どおり、ヒワダジムに顔を出すことは無かったのだろう。チエの言葉の裏には、あるいはツクシと会っていれば何かが変わったかもしれないという、選ばれなかった可能性に対する未練が見て取れた。

「それで、例によって小六のときに、ユウキちゃんは周りの子たちと一緒に旅に出たの」

「必ず一番になって見せる、故郷に錦の旗を飾って見せる――そんな風にすごく楽しそうに言ってたのを、今でも覚えてる」

「私も思ってたよ。ユウキちゃんならきっと上手く行く、必ず結果を残せる、って」

「……何の根拠もなくね」

チエの話を聞きながら、シズはまったく無意識のうちに、このユウキという少女に対して自分のよく知る旧知の友人の姿を重ね合わせていた。チエの口ぶりを見る限りでは、無意識の成したイメージの投影は、当たらずとも遠からずと言えそうに思えた。

「しばらくの間は、私とメールや電話でやりとりしてたよ。楽しそうだったっけ」

「でも半年くらいすると、ぱったり連絡が来なくなった。いくら待ってみても連絡が無くて、毎日呟いてたミニブログも、全然更新されなくなっちゃった」

「忙しいのかな、そう思いながら、時々連絡を取ろうとしたけど、やっぱりダメで」

「心のどこかでずっと気にはしてたけど、そのままずるずる時間だけが経っちゃったんだ」

「それで、去年の今ごろだったかな。ふっとユウキちゃんのことが気になって」

「連絡を入れてみたけどやっぱり返事が無くて、どうしたんだろうって思ってきて」

「どうやっても連絡が取れなかったから、だんだん居ても立ってもいられなくなってきちゃった」

「少しでもいい、何か情報が手に入ればって思って、何気なくユウキちゃんの電話番号を入れて、インターネットで検索してみたの。そうしたら……」

音信不通になった親友・ユウキの情報を探していたというチエが、携帯電話の番号を検索エンジンに入れて結果を見たということを話したところで、不意に言葉を詰まらせた。苦しげな表情をして胸に手を当てている姿が、シズの位置からもはっきりと見えた。

「ちぃちゃん、大丈夫? 無理してない?」

「すぅーっ……はぁーっ……」

深く息を吸い込み、胸が萎むまで吐き出す。身体を沈み込ませるように息を吐き出し尽くすと、チエがようやく目を上げた。

「……こほん。うん、なんとかね。大丈夫だよ」

「それでね、しぃちゃん。これから私がする話は、全部ホントのことだよ。嘘なんかじゃない、ホントのこと」

「きつくて胸が悪くなる内容かも知れない……けど、今のしぃちゃんなら、きっと私がこんな話をする意味を理解してくれると思ってるから」

「しぃちゃん、覚悟はできてる? 私はできてるよ」

射抜くような目でまっすぐに自分を見据えるチエに、シズは身の引き締まるような思いをしながらも、やがて覚悟を決めてゆっくりと頷く。

「いいよ、ちぃちゃん。どんな話でも、わたしは逃げないから」

「本当にいいんだね? しぃちゃん」

「うん。きっとその話は、わたしやスズがこれから向き合っていかなきゃいけない、わたしたちの世界で起きてることの話だと思うから」

シズが完全に覚悟を決めたことを確信したチエが頷き返して、問題の話の続きを語り始めた。

「検索で見つかったのは、携帯電話向けサイトの掲示板だった」

「エンジンのクローラー……うーん、なんて言えばいいのかな、インターネット上にあるページを集めてくるプログラムみたいなもの、でいいか。クローラーが偶然ページを引っ掛けたみたいで」

「普通はそういう掲示板って、外から検索エンジンが探しに来ないように設定でブロックするんだけど、そこは不備があったみたいで、たまたま検索結果に出てきたみたい」

「すぐにアクセスしようとしたんだけど、パソコンからのアクセスは弾いてるみたいで、そのままじゃ繋げられなかった」

「でも気になって、どうしても気になって仕方なくて、ブラウザのユーザーエージェントや環境変数を弄って、『私は携帯電話です』って詐称した状態で繋いでみたら、ページがちゃんと表示されたの」

「そうしたら、ユウキちゃんの使ってる携帯電話の番号と、ユウキちゃんの契約してるキャリアが使ってるホストアドレスが掲示板に載ってて」

「メールアドレスも、間違いなくユウキちゃんのものだった」

「だからその書き込みは、ユウキちゃんがしたって考えるべきだと思ったんだ」

「書き込みは……一週間位前のものだったかな。もうすぐ過去ログに流れそうになってたから」

「それで――そこに、何が書かれていたか」

チエは、針の穴に糸を通すような正確さを持って、シズの瞳の中心を見つめながら。

「アサギで会える人まってます。えんおkです」

タブレットを操作して、その時見た書き込みをメモ帳の上に忠実に再現する。

「それから、改行を二つ挟んで」

エンターキーを二度タッチしてから、チエはこう付け加えた。

「ポケ寝もおkです」

一連の作業を終えると指をスワイプして文字を拡大し、シズに書き込みをはっきりと見せる。

「しぃちゃん。これがどういう意味か、分かるかな」

「『えん』『おk』……頭のいいしぃちゃんなら、きっと分かるよね」

シズはそれを一目見て、おおよその意味をつかんでしまっていた。暗号のようなユウキの書き込みが、全体を通してどんな意味を持っているか。それをチエの親友だったユウキが書き込んだということに、どれだけの意味が込められているか。

チエの射抜くような瞳の奥に消しようの無い哀切が溢れているのを、むざむざ見逃すシズでは無かった。

「最初の方は、私もすぐ分かった。ちょうど、そういうニュースを聞いたばっかりだったから」

「でも、二行目は、『ポケ寝』は、すぐには分からなかった。見たことも聞いたこともない単語だった」

「全然意味が分からなくて、でもものすごく怖くなって、夏だったのに身体が震えるくらい寒気がして、怖いのに止められなくて、気づいたら『ポケ寝』で検索してた」

あくまで淡々とした調子を装っていたが、声の震えは隠しきれていなかった。それでもチエは息を整えると、シズにこう告げた。

「『ポケモンと一緒に寝ること』」

「『人とポケモンとがセックスすること』」

最初に出てきた何かの用語解説のページが、そういう意味だって説明してた。身体が凍りついた感覚は今でも忘れられない、多分この先ずっと、私が死ぬまで繰り返し思い出し続けることになるんだと思う――チエはそう付け加えた。

「世の中には、人とポケモンがセックスするのを見たいって人がいて」

「そういう<需要>に応えれば、もっとたくさんお金がもらえるかも知れないんだって」

「できれば知らずにいたかったことも、全部知っちゃった気がするよ」

チエの呟いた言葉には、生半可なことでは済まされないほどの重みが込められていた。シズはチエの抱えていた闇の深さにたじろぎながら、それでも目を背けることも耳を塞ぐことも決してすることは無かった。

これから対峙していくことになる<現実>が、そこにあったからだ。

「その掲示板はすぐ見られなくって、そこから先のユウキちゃんの足取りは掴めてないよ」

「もしかしたら……あれは何かの間違いで、今もどこかで元気にやってるかも知れない、そうだって思いたい」

「だけど……多分今頃、ユウキちゃんは……っ」

チエは言葉を詰まらせる。そこから先のことを明言することは、いかにチエと言えど容易いことではなかった。

それでも気持ちを立て直して、チエが話を続けた。

「表舞台に立てなかったポケモントレーナーの多くがね、こんな風に危ない橋を渡るんだって」

「何をするにもお金が足りなくなって、お金欲しさに……とか、生きるためには……って人が、本当にたくさんいるみたい」

ユウキちゃんみたいに自分の身体をお金にする人もいれば、ポケモンを使って犯罪をする人もいる。いろんな地域で同じことが起きてて、だんだん悪化していってるんだって。チエの言葉は思い込みや想像などではなく、実際に集めた確かな情報に基づいた、認めざるを得ない現実の事象だった。

一呼吸置いてから、チエが少し語気を緩めつつ、再び口を開いた。

「ねえしぃちゃん、知ってる?」

「有名なインターネット百科事典で、すごくたくさん寄せられる「項目を削除してほしい」って要請が、どんな内容か」

「問い合わせ窓口担当の管理者さんが言うにはね、それは――」

「『AV女優』の項目なんだって」

「その時お金が必要でビデオに出演したけど、後になってそのことを無かったことにしたいって人が、少なくない数いるみたいなんだ」

「今更こんなこと言っても、信じてもらえないかも知れないけど……私は、職業選択は個人の自由で、職業に貴賎は無い。そう思ってるし、そうであってほしいと思ってる」

「お爺ちゃんだって、モンスターボールを作ってるっていうだけで、ポケモン愛護団体の人から罵倒されたりしたのを見たことあるから、なおさらそう思う」

「だけど、世の中みんながそう考えてるわけじゃない。職業には貴賎も上下もある、そう考えてる人が大勢いる。ほとんどの人がそう考えてるって言ったって、全然言いすぎじゃないと思う」

「今はそういう世の中だってことを、受け入れなきゃいけない」

「ユウキちゃんが掲示板にあの書き込みをしたのは、ユウキちゃんの選択の結果だって、今は思うようにしてる。辛いけど、そう思うしかないって考えてる」

「この先ユウキちゃんが、百科事典から自分の名前を消してほしいってお願いした人たちのように、もう二度と戻らない過去を悔やむかも知れない。消したいって思うかも知れない。それでも、それはユウキちゃんの選択だから、私にはどうすることもできない。どうすることもできないんだ」

チエはユウキを想っているからこそ、深く想っているからこそ「私にはどうすることもできない」という、言葉だけを見ると突き放したような印象を受ける結論に達した。苦渋に満ちた結論と言っていい。チエは自分が他者に対して、そして社会に対してあまりにも無力で、どんな救済も絵に描いた餅、ただの絵空事以外にはなり得ないと、骨身に染みて理解していたのだ。

「でも、もし……ユウキちゃんに他の選択肢があったら、別の、もっと別の選択をすることができたなら」

「私は――そう思わずにはいられないんだ」

「私ね、だから、会社を作りたいと思った」

「誰かに必要とされている、自分は生きていていいんだ、そう感じられる場所を作りたいと思った」

「とても完璧なんかじゃないけど、でも他の人にも受け入れられる選択肢の一つを作りたいと思った」

「生きるのって、辛くて苦しくて面倒だけど、でも楽しいことなんだ、素敵なことなんだって、分かってもらいたい」

「私が誰かを助けるなんて、そんな大それたことは言えない。その前に、自分を助けろって言われるような人間だよ」

「だけど――きっかけを作ることはできるんじゃないか」

「自分で考えるきっかけを作って、自発的な動機を生み出すトリガーになることは、頑張ればできるんじゃないかって」

「そういう風に考えるようになったんだ」

あの日チエが「会社を作りたい」とシズに語った背景には、自身の目撃したショッキングな「現実」が背景にあった。親友が音信不通となり、長い時間が経ってからようやく見つけたときには、既に自分の手の届かないところへ行ってしまっていた。他に選択肢があったなら――チエはずっとそう考え続けていたのだ。

「誰かに必要とされていたいと思うのが、心ある生き物の性だから」

「自分が幸せであると感じるには、他の生き物とのつながりを実感できなきゃいけないから」

「一人じゃ生きていけない、それが人間だからね」

チエが安らかな表情を見せて、シズにこう告げる。

「しぃちゃん。しぃちゃんは、今の気持ちを忘れずに持ちつづけてほしい」

「ポケモンジム、特にヒワダジムは、これからどんな風にだって伸びる子供がたくさん来る」

「その子たちみんなに、できるだけ多くの選択肢をあげて、自分で考えるくせをつけてあげてほしい」

「きっとそれが……今を、現実を生きるための力になるはずだから」

私もすぐ近くにいるから、何かあったら相談してくれるとうれしいな。はにかみながらそう言うチエに、シズは大きく頷いて返した。

「ちぃちゃんの気持ち、受け止めたよ。しっかり受け止めたから」

「自分の人生を自分のものにできる、そんな人間になれる場所にしていけるように、わたし、頑張るよ」

この、シズの返答は――。

「頑張ってね、しぃちゃん。私も私で、目いっぱい頑張るから」

チエを納得させ、安心させるには、十分な説得力があったようだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。