「ハルコ先生のサポートもあって、あたしは二年生に上がってからまた小学校に通えるようになった。もちろん、給食も食べられるようになったわよ」
「他のクラスメートと校庭走り回って遊んだり、教科書とノート広げて真面目に勉強したりで、毎日楽しかったわ。算数は苦手だったんだけど、これもハルコ先生に根気強く教えてもらって、頑張って克服したっけ」
「学校は何をしてても楽しい、家に帰ればお父さんが毎日必ず帰ってくる。テストがあったり家でも掃除とか洗濯とかしたりで忙しかったけど、でも、なんかあの時初めて『人生って楽しい』って思えた気がする。それまではホント漠然と生きてて、食べて出して寝るってだけのダメな生き物だったし」
「学年が変わってもハルコ先生はしょっちゅう声を掛けてくれて、心配してくれてるのが分かった。嬉しかったわよ、やっぱり。先生は自分のこと見てくれてるんだって思ったしね。まあ、そりゃ前にあんなことになってたら心配だってするし、再発してないかしっかり監視してくれてたんだと思うわ」
「それで順調に小六にまで上がったんだけどさ……シズちゃんも当然知ってるでしょうけど、小六に上がるとあるでしょ、例のアレが」
「始業式に来てみたら、なんか同級生の数が異常に少なくなってて、前まで一緒に学校通ってた子達がごっそりいなくなってたのよ。終わってからハルコ先生捕まえて聞いてみたら、理由が分かったの」
「みんなポケモントレーナーになって、ヒワダから出て行っちゃったんだって」
「いやもうあたし滅茶苦茶ショックだったわよ、なんであんなのになりたがる奴が多いんだって。小五の終わりに、来年度は進級するかポケモントレーナーになるかを選べるって話を担任から聞いたけど、そんなの進級しか無いでしょって思ってろくすっぽ聞いてなかったくらいだから余計にショックで」
「五年まで三十五人学級だったのが一気に二十人学級になって、しかもクラス数も六つあったのが四つにまで減っちゃった。いくらなんでも減りすぎだろって思ったわ。六割近くいなくなったんだから」
「あたしは小さいときにあんなことがあったから『何があってもトレーナーにだけは絶対にならない』って決めてたし、それは今でもまったく動いてない」
「残った友達も親がトレーナーやってるせいで色々苦労しててさ、『あいつらの気が知れない』とか愚痴ってた。あたしも同じ気持ちだったわ」
マユコは小学六年生に進級する過程で、ポケモントレーナーになってヒワダを旅立って行った多くの同級生を目撃することになった。ポケモントレーナーという職業に何の憧憬も抱いておらず、ほとんど軽蔑一歩手前の感情しか持っていなかったマユコにとっては、まさに度し難い事態だった。
なぜポケモントレーナーを目指す人間がこんなにも多いのか。拭い去れない疑問を抱えたまま、マユコ自身は順調に学業を修めていき、地元の公立中学――現在シズが通学し、マユコが教鞭を振るっている学校とはまた別の――へ進学した。
「中学でもあたしは全然問題とかなくて、同級生もいい子ばっかりで楽しかったわ。ハルコ先生も変わらずによく連絡くれてたし、お父さんもすっかり仕事に慣れて給料もそこそこもらえるようになってきた。お父さんから任されてた家事も大体できるようになったし、ホント幸せだったと思う」
「だけどしばらくして、中二になった頃くらいだったわね。友達から、町を出てった同級生の状況がぽつぽつ聞こえてきたんだけど、どれもこれもひどい有様だったわ」
「いわく、今風に言うところの援交でどうにか食いつないでる」
「いわく、既にネンショーとシャバの往復を繰り返して、看守さんの顔馴染みになってる」
「いわく、ひっそりと舞い戻ってきて、そのまま家に引きこもってる」
「いわく、ヤの付く人の舎弟になって、鉄砲玉見習いみたいなことやってる」
「そういうテレビとか新聞とかでしか見たことのなかったようなお話に、あたしのよく知ってる名前がバンバンバンバン出てくるもんだから、もう愕然としたわね。そんなにえらいことになってんのかよって」
「中には旅をきっちり切り上げてから勉強して中学に入って、トレーナーだった時の経験をうまく活かせてる子もいたわ。気さくで話しやすかったし、昔のあたしほど堅苦しくない、いい意味で真面目な子だったわね。今でも時々お酒飲んだりする仲よ、女の子だけど。けど、圧倒的に少なかった。ていうか、思い出してみてもあの子しかいないくらいだった」
「この時かしらね、あたしが『ポケモントレーナーになる子を減らそう、いつかは撲滅しよう』って思ったのは。本気でそう思ってたわ」
「だってさ、極端な言い方をするなら、『本当にできる奴以外は死ぬ世界』なのよ、あそこは。そんなところにこれ以上人を入れてなるものか、ってね。ましてや右も左も分からない子供を行かせてなるものかって考えてた。あたしもまだ子供だったのにね」
「今思うとめっちゃ青臭いけど、でも昔のあたし超真面目ちゃんだったから。ハルコ先生の影響で」
「だからね――あたし、先生になろうと思ったわけよ」
「生徒諸君を『正しい』方向へ導こう、そんな熱すぎる志を胸に抱えてね」
「それにもうその時から、ヒワダは人がどんどん減っていって、寂しい街になって行ってた」
「子供がトレーナーになって出ていくのを未然に防げば、また明るい町になる、割と本気でそう思ってた節もあるわね」
「仕事から帰ってくるお父さんを出迎えて、そのままよく連れて行ってもらってた喫茶店が中三の秋に潰れちゃったときは、ホントに泣きそうになったくらいだったし」
シズの脳裏に、以前マユコと共に寂れた商店街を歩いていたときの記憶が呼び起こされる。今は客を迎えることのなくなった店舗を前にして寂しげな目を向けていたマユコの姿が、はっきりと思い出される。
「しっかし自分で言うのもなんだけど、高校大学ん時はかなり勉強したわねえ」
「高校の時とかさ、今思うと何か部活やっときゃよかったって思うもん。運動部でも文化部でも」
「でもマジで勉強ばっかしてたわ、あたし。学校終わったら即家に帰って勉強、毎日そんなんだった」
「まあ今のシズちゃんと同じように、家事全般を全部やってたから、純粋に忙しかったってのもあるけどさ」
だからあの時のシズちゃんの気持ち、あたしにも結構分かったのよ。マユコはそう付け加える。
「で、だ。現役でコガネにある国立の大学に入って、遊んだりすることもせずにくそ真面目に勉強して教職取って、そのままストレートで卒業したわ」
「先生になるためってだけの理由で、少しだって関わりたくもなかったポケモンを扱うための免許だって取った。小学校で授業する時に、どうしても必要になるからさ」
「あたし小学校の頃取らなかったのよね、トレーナー免許。面倒だったし、お金かかるしってことで。だから他の人よりだいぶ遅れて取ったわ」
「それから最初に赴任したのが、奇遇にもヒワダの小学校だったわね。しかもしかも、五年生のクラスを受け持つことになったのよ。テンション上がっちゃうでしょ?」
「これはチャンス、クラスの子に『正しい』道を教えてあげましょうってなことで、あたしの教師一年目が華々しくスタートしたわけよ」
晴れて念願の夢だった教師になったマユコは、自分の味わってきた体験と経験を活かし、クラスの子供たちに「正しい」道を教えようと奮闘し始めた。
――しかし。
「もうね、事あるごとに言ったの。トレーナーになんかなっちゃいけない、真面目に勉強して学校へ通いなさいって」
「朝の会でも授業中でも帰りの会でも、ホントにいつでも何度でも。今更ながら、言い過ぎにも程があったって思うわ」
「でもさ、でもよ。あたしがどんなに必死に『ポケモントレーナーになるな、酷いことになるぞ』って口酸っぱくして言っても、肝心の子供らがちっとも聞いてくれないわけよ」
「授業も上手く進まなくなってきて、例によって今風に言うなら学級崩壊の状態になってたわね。全然やりとりが成立しなくて、おいおい最近の子供はこんなにワガママになってきたのかよって、子供が悪いって思い込んでたわ」
「こんな調子だから保護者の評判もどん底のどん底で、しょっちゅう苦情や要望が来たんだけど、それも全部、ホントに全部『今流行のモンペだ』ってバッサリ。ちっとも聞かなかったわ」
「どうしてかはハッキリしてるわ。だってその時は『自分が正しい』、そう思ってたからよ」
「それだけじゃないわ。『正しいことを「教える」のが教師の役目であり務め』だって、頭から思い込んでたから。だから子供や保護者がなんと言おうと、あたしは自分の意志を貫き通したの」
「周りにいた同僚の先生も『他の人の声を聞いた方がいい』って言ってくれたけど、そういうのはもう全部無視してた。自分が絶対的に正しいって信じてたからね」
教師とは生徒の上に立ち、ものを知らない生徒に「正しい」ことを「教える」ことこそが、与えられた職務のすべてである――元々の生真面目さと、子供たちをトレーナーにすることで悲惨な目に遭わせまいという強い使命感が、当時のマユコを強烈に衝き動かしていた。他者の声は妄言に過ぎず、すべては自分の経験と知識こそが正解であると信じていて、疑うということをまったくしなかった。
そんな態度を取っていたマユコの自信と自負を木っ端微塵に粉砕したのは、彼女が「教えられる存在」として認識していた、他ならぬ生徒達だった。
「みんなが六年生に上がる直前になったときに、それはそれはものすごい事件が起きたの。あたしにとっては、だけど」
「この小学校は元々進級する子が多めで、ポケモントレーナーの志望者は少ない方に入ってたのよ。それで実際他のクラスは、志望者がどんなに多くても、クラス全体の半分を上回ることはなかったんだけど――」
「あたしのクラスだけは――三十五人中、三十二人。もう一度言うわ。三十二人が、ポケモントレーナーになることを希望して、学校から出て行っちゃったの」
「しかも学校に残った三人も、家の都合とか本人の希望とかで出て行かなかっただけで、あたしを慕ってたとかそんなんじゃ断じて無かった。断じてね」
ポケモントレーナーになってはいけない、そう繰り返したマユコに対する生徒たちの回答は、「ポケモントレーナーになってマユコの手から離れる」という、望んだ結果とはまったく逆のものだった。
「残った子たちから個別に話を聞いて、一人一人に尋ねたわ」
「先生は間違っていたの? だとしたら、何が間違っていたの?」
「でもみんな答えは同じで、まるで示し合わせたみたいにこう言ってきたの」
「『先生は間違ってないと思う』。ただそれだけで、あたしにどうしてほしかったとか、こんなことはしないで欲しかったとかは、どうやっても聞き出せなかった」
「もう何がなんだか分からなくなって、マジでうつ病の一歩手前くらいまで悩んだわ。でもどうしても分からなくて、たまらず電話を掛けて『会いたいです』って言ったの」
「ハルコ先生に、ね」
進退窮まったマユコが助けを求めたのは、自分の命を助けてくれた恩人であり、そして教えを施してくれた恩師でもある、ハルコ先生だった。
「あたしが小学校に赴任することになった時に、ハルコ先生に『教師になりました』って言ったの。そうしたらもうすごく喜んでくれて、マユコちゃんがこんなに立派になってくれて嬉しいって、そう言ってくれて」
「だけど次に連絡した時は『教師として自信を失くしそうです』ってなことを言うハメになったもんだから、あたしもう言うのも辛くて」
「それでもハルコ先生はすぐに飛んできてくれて、次の日には喫茶店で会ってくれた。あたしは先生を前にして、自分のしてきたことと考えてきたこと、それに対する生徒と保護者の反応を、もう洗いざらい全部ぶちまけたわ。ホントの意味でぶちまけそうになりながら、それでもあったこと見たこと聞いたことを残さず全部話した」
「そうしたらハルコ先生、あたしになんて言ったと思う?」
シズに問い掛けるように言ってから、マユコはこう続けた。
「『子供たちのしたことは、残念だけど、自然なことだと思うわ』――そう言ったわ、確かに」
それを聞いて、口開けて呆然としてたあたしを、先生はこう諭してくれた。そう言って、マユコはさらに続ける。
「『マユコちゃんは「間違い」ではなかった。トレーナーになってほしくないという思いは理解できるし、私も一個人として同じ思いを持ってるわ』」
「『実際、ポケモントレーナーになって成功できる人はほんの一握り。他の道へ進む方が、ずっと広がりのある人生になることは間違いない。だから、マユコちゃんの言ったこと・したことは、きっと「正論」ではあったと思う』」
「『けれどね、マユコちゃん。けれど、よ』」
「『論理的に隙のない「正論」が、いつも「正解」とは限らないのよ』」
「『人は不完全で、不確実。だから、論理以外の理由――そう、「感情」で動くことも多い生き物だから』」
「――ハルコ先生はそう言って、あたしに新しい見方を教えてくれたわ」
ハルコ先生に諭されたマユコは、自らの考えを改めるに至った。
自分は確かに「正しかった」かも知れない。しかし最終的な結果を見れば「間違っていた」のは明らかだ、と。
「相手に何かを伝えるには、特に自分の思いを伝えるには、絶対的な『覚悟』が必要よ」
「自分以外の誰かに気持ちを伝えようとするとき、それがただ『正論』であることだけを頼みにしていて、『正論』なら相手を納得させられると思ってるなら、鏡に向かって『自分は正しい』と叫び続けてればいい。そうすれば誰にも拒絶されずに、自分の正しさは常に証明されるわ」
「そうじゃない。血の通った人間に意見をするつもりなら、知恵を振り絞って考え抜かなきゃ」
「人に何かを伝えるってことを、生半可な気持ちでやるべきじゃない」
「相手が受け入れやすいメッセージは何か、どうすれば正しく相手に受け入れてもらえるか、相手に意味をつかんでもらえるか。それを常に考えなきゃいけないって、思い知ったもの」
最善だと思って取っていた行動が、最悪の結果を招いた。マユコはこの苦い経験を受けて、「伝える」ことの難しさを思い知ったと、シズに語った。
「結局あたし、何も分かってなかったのよね」
「自分が他人を『変えよう』って思って、思った通りに『変える』ことなんてできない。他人が『変わろう』と思って、初めて『変わる』もの」
「そもそも、自分で他人をどうこうできるって、それ自体がとんだ思い上がりなのよね」
「例の件があってからは姿勢を変えて、今みたいにちょっと肩の力が抜けたスタンスでやるようにしてるわ」
「ポケモンだって、好きになったわけじゃないけど、真正面から拒絶したり否定したりするのはしなくなったもの」
「それに――悪いのはそれに群がる連中で、ポケモンそのものに罪は無いって、今更だけど分かったから」
「まず受け入れる。それから、自分の意見を持つようにする。これを心掛けただけで、生徒や保護者からも信頼されるようになったし、あたし自身も楽になったわ。本当にビックリするくらいね」
教え子たちの大量離脱という出来事を経て、考え方を変えたマユコは、「まず受け入れる」という新しい見方を得てリスタートを果たした。そうして今のようなスタンスを確立し、今日に至っている。
怒涛の勢いで話し続けたためか、マユコは少々疲れた様子を見せていた。横に立てていた「みつばちレモン」を少し多めに飲むと、大きく息をついた。そうして長めの間を置いてから、シズに向けて話を再開した。
「だけどね。あたしの中でポケモントレーナーって職業に対するイメージは、やっぱり良くないのよ、実際」
「親がそうだったからっていうのもあるし、同級生が社会からぽろぽろ零れてくのを見てたから、尚更ね」
「社会に於けるポケモントレーナーがどういう位置付けか、シズちゃんは賢いから、きっと分かると思うわ」
マユコの言葉に、シズは無言のまま、しかし確かに同意した。社会に於ける「ポケモントレーナー」とはどういった存在なのか。ジムリーダーの妹として、それを知らないシズではなかった。
「勉強しなきゃいけない時期に外へ出て、必要な知識や経験が得られなくなる。それが後々、大きく響いてくる」
「トレーナーとして大成できるのはほんの一握り……いいえ、ほんの一つまみと言っても誇張じゃないわ」
「途中で挫折したトレーナーは、それでも自分と社会に折り合いを付けられるならいい。もう一回やり直せばいい」
「だけどそれだって苦しいし、半端なことじゃ社会の歯車にはなれない。歯車になるって、想像以上に大変なことなのよ」
「そこでまた挫折したり、あるいは折り合いを付けられずにぐだぐだになる人も腐るほどいる。実際に見てきたもの」
「それで、シズちゃん。いろんな地方に『なんとか団』って犯罪組織があるじゃない」
「あの手の犯罪組織って、こういう社会からドロップアウトした人たちをたくさん取り込んで、活動の幅を広げてるのよ」
「トレーナー支援金のような表のセーフティネットと対になる裏のセーフティネットとして、ああいう手合いは社会に存在しているの。関係ない人たちにとってみれば、まあ傍迷惑な話だけどね」
マユコ個人の生い立ちから始まった話は、いつしか社会全体を取り巻く状況へと幅を広げていた。
「親が芽の出なかったトレーナーだと、それしか生きる方法を知らないから、子供にもそういう生き方を強制する傾向にあるの。もしかすると、あたしもそうなってたかも知れないわね」
「そうして、トレーナーの子供は惰性でトレーナーになる、受けるべき教育も受けずにね。いや、受ける機会が与えられなかったって言った方が、きっと実情に即しているわ」
「子供は<子供>のまま、ただ身体だけが大人になって、そうして同じような境遇の人間と一緒に寝て子供を作る」
「<子供>の子供がどうなるかは……言うまでもないわよね。想像の通りよ」
「職業トレーナーの多くが貧困層に属していて、親もまた同じ境遇だって人は大勢いるのよ。本当にたくさん」
「そうして、ポケモントレーナーは永遠に再生産されていく。そこから抜け出す術も与えられないままにね」
親が貧困層に属する場合、子が成人しても同じく貧困層に属するということは、統計的に有意な数字として現れている。多くの場合、その理由は子が教育機会に恵まれなかったことにあるとされている。満足な教育を受けられなかった子は、学術的な知識が無くとも就くことのできる職業へ多く流れていくことになる。
この世界に於けるその代表格が、ポケモントレーナーということだ。
「成功者の数十万倍の規模で脱落者がいるのが、ポケモントレーナーたちの世界」
「脱落した人たちにだって生きる権利はある、それは認めるし、何の異論もないわ」
「だけど――この世界で満足に生きていくためには、どうしてもお金がいる」
「さっきも言ったけど、トレーナーへの支援金制度って、そうした人たちのセーフティネットとして機能してるのよね」
「名目上はトレーナーの活性化が目的。だけど実際は、トレーナーでいる期間を無為に長引かせるだけの制度よ。それこそ、あたしの親たちのように」
「でもって、年々それを使う人が増えてきてる。かなりの勢いで受給者が増えていってるのよ」
「だけど……これがいつまで保つんだろうって考えると、考えるのを止めたくなってくるわ。お金は無限にあるわけじゃない、むしろ限りがあるからこそ価値が保たれる。だから難しいの。コピー機回せば済む話じゃないからね」
「お金は必要、絶対必要。だから制度は止められないし、続けるしかない。だけどそれ以上に、どうにかしてこしらえなきゃいけないものがあるって、あたしはいつも思うの」
「それこそ、居場所とか、存在価値とか、生きる術とか。なんとかしてそういうものを作っていかなきゃいけないけど、あたし一人じゃできることだって限られてる。社会に於ける一個人がどれだけ無力かは社会人になればすぐに分かるし、シズちゃんのようにできる子なら、もう感覚として分かってると思うの」
自分にできることは限られている。すべての問題を一挙に解決する方法など無い。マユコはそれを骨身に染みて理解していた。理解していたから、だからこそ。そう言って、続きを口にする。
「せめて学校に来ている子には現実を見せて、その現実と対峙する最低限の知識を、受け入れ易い形で伝える努力をする」
「今のあたしにできるのは、それが精一杯よ、悔しいけどね。本当に無力だって、自分が一番良く分かってる」
「だけど、できることからやっていかなきゃいけない。『0』と『0.01』じゃ、歴然たる違いがあるもの」
「いつかこのサイクルが変わることを信じて、できることをしていく。今の社会と折り合いをつけて、けれど変えるべきところは変えていくための試みを止めない。それが、今のあたしのスタンスだから」
ここまでほとんど止まらずに話を続けて、ようやくマユコの話は終わった。完全に付き物の落ちた晴れやかな表情で、感嘆の表情を見せているシズに穏やかな笑みを見せる。
「シズちゃんがさっき言ってくれた言葉、あたし嬉しかった。シズちゃんが考えるきっかけになればって思ってたけど、想像以上にシズちゃんが成長してくれて、ビックリしたくらい」
「マユコ先生……」
「でもシズちゃんは元々よくできる子だから、きっかけがあれば爆発するんじゃないかとは思ってたのよ、ホントに」
「そんな、わたしは……みんなに支えてもらって、先生にもいろんなことを教えてもらって、それからやっと気付けたくらいですし……」
「気付けるっていうのが、既に一つの才能なのよ。誇っていいわ、シズちゃん」
謙遜するシズに「気付けるということが一つの才能だ」と答えるマユコ。シズは顔を赤らめて恥ずかしがりながらも、マユコの言葉を素直に受け入れていた。
「さっきの意見もあたしはすごくいいと思ったし、シズちゃんとスズちゃんならきっとできるって思ってる」
「シズちゃんなら、人とポケモンのあり方をしっかり考えられる、そんなトレーナーを育ててくれるに違いないわ」
「あたし、シズちゃんにはすごく期待してるの。だから、思ってることを全部ぶちまけてみたってわけ」
「もし、あたしの話で何か感じるところとか思うところがあったなら、あたしは嬉しいわ。心からね」
マユコは言う。シズに期待している、シズを信じているからこそ、自分の生い立ちから今の社会情勢に至るまでを、徹底的に語ってみたのだと。それを受けてシズがさらに成長すれば、これに勝る喜びは無い。マユコの思いをしっかり掴んで、シズは力強く頷いた。
「先生」
「わたし、来年からジムリーダーになります」
「みんなの思い描く理想を形にできる、そんなジムリーダーになって見せます。必ずです!」
決意を新たにするシズに、マユコは頬を綻ばせた。
「シズちゃんは、これからヒワダの顔になるのよね。あたしも応援する、いや、応援させてほしいの」
「あたしはいつまでも、シズちゃんにとっての『先生』でありたいから」
「だから、困ったらいつでも相談して。いくらでも話を聞くから、ね」
凛々しい顔つきになったシズを、マユコは頼もしげに見つめる。そしてマユコの真摯な眼差しを見て、シズは満面の笑みを浮かべて頷く。シズの決意はより強固なものとなり、ジムリーダーになるという意志はさらに盤石なものとなる。
――自分を遠巻きに眺める二つの影があると、少しばかりとて気付くこともなく。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。