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S:0054 - "Rumbling Park"

――それから数時間ほど経った、土曜日の昼間のこと。

「……掃除もした。洗濯も干した。皿洗いもした。晩飯の下準備もした。宿題は兄貴に手伝わせることにした」

「ふぅ……これでやっと、俺も自由に過ごせるってもんだ」

朝から家事に追われていたことを伺わせる独り言を述べつつ、あさひが大きく伸びをしながら散歩をしていた。短く切りそろえられた髪、男物のシャツにショートパンツ。傍目から見ると、やはり少年である。顔立ちは中性的だが、少女的な要素がどこにも見当たらない。千尋や宝石トリオが勘違いするのも納得の容姿であった。

「とは言え、特にすることもねえからな……その辺ほっつき歩いて、誰か捕まえてから考えるとするか」

あさひはこれといって、休日の過ごし方を決めているわけではないようだ。その場その場で、見つけた人間と遊びに出たりしているらしい。気ままといえば気まま、臨機応変といえば臨機応変。見方次第だろう。

「どうも、俺のクラスには骨のあるやつがいねえ。姉貴んとこの猛か太一でもいりゃあ、暇つぶしになるんだがよ」

猛や太一といった、A組所属の男子とよく遊んでいるようだ。確かに、性格的にも合いそうである。

「とりあえず、第一公園にでも……ん?」

日和田市南東部にある「第一公園」――日和田南東に位置する進学校「新開高等学校」の裏手にある、石造りの階段と噴水が目印の、美しい公園だ――にでも行こう、そう考えた矢先、あさひが足を止めた。

「……………………」

ポケットに手を突っ込んだまま、あさひがじっと耳をそばだてる。

……すると。

 

「お前っ、俺たちの砂場で勝手に遊んでるんじゃねーぞ!」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「そうだそうだ! お前みたいなやつは、俺たちがぶっ飛ばしてやる!」

 

「……そこはお前らの砂場でもねーだろ。ったく……」

あさひが動き出すまでは、わずかな時間も要さなかった。

 

――構図としては、こうだ。

「生意気なやつめっ! 俺たちに逆らったことを後悔させてやるっ!」

「へへへ……俺たちには兄貴もいるんだ。ただじゃすまさないぜっ!」

悪役、二名。共にあさひと同級生程度の少年。

「や、やだぁ……ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」

弱者、一名。あさひより三つほど年下の少女。悪役二人が砂場で遊んでいた少女に絡み、因縁をつけて苛めようとしている。数と年齢差にモノを言わせた、単純な構図である。

「女が砂場で遊んでるんじゃねーよ!」

「俺たちを怒らせたら怖えんだぞ!」

少女がまったく抵抗しないことをいいことに、図に乗る少年二人。その背後からつかつかと影が迫ってきていることには、いやはや、毛ほども気付いていない様子である。

「……なあ」

「……ああ」

自分たちが優位にあるのをいいことに、少年二人はよからぬことを思いついたようだ。下卑た笑いを浮かべ、腰を抜かしてへたりこむ少女に一歩一歩にじり寄っていく。

「俺たちの砂場を荒らしたんだ、覚悟しとけよな!」

「あ、あぁ……」

「へへへ、たっぷり可愛がってやるぜ!」

「た、たすけて……おにぃ――」

 

「よう、三下共」

 

「……! な、なんだお前!」

「三下って、どういう意味だっ!」

補足しておこう。三流以下の、箸にも棒にも掛からないつまらない存在、という意味である。

「てめえっ、俺達に逆らうとどうなるか――」

「どうなるってんだ?」

少年の一人が振り返り様に憎まれ口を叩き終える前に、問答無用で発言を遮る。面食らった表情の少年が、眼前に立つオレンジのショートカットの少年――に、見えただろう。間違いなく――に目を向ける。

「どうなるってのか……俺に教えてもらおうじゃねえか」

異様である。鋭い眼光を伴い、少年――ここはそう呼称しておこう――がひたひたと歩み寄る、その構図自体が異様である。辺りの空気を物理的に締め上げるような威圧感を伴い、少年は二人に迫っていた。

「はぁ? 知りてえのかよ! いいぜ。なら、てめえの体に教えてやらあ!」

「……………………」

そう言い捨てると共に、右にいた少年が殴りかかった。思慮の無い、後の続かない攻撃だった。

「……ふんっ!」

「……いでぇっ!?」

――その直後に、殴りかかった少年は地面に叩きつけられていた。殴りかかったスピードを殺されずにそのまま受け流され、勢いよく地面に激突したのである。要は、殴ろうとした相手がその場におらず、勢いを緩められないままバランスを崩してしまった……そういうことである。

「……消えな。お呼びじゃねえぜ」

「ぐあっ?!」

うつぶせに倒れていた少年の背中を、右足で容赦なく踏みつけて起き上がれないようにした後、少年がもう一人の少年に迫る。目が完全に据わっていて、ぎらぎらした視線を向けている。常軌を逸した視線の鋭さに、少年が思わず一歩退いた。

「てめえは教えてくれるんだろうな? 逆らったらどうなるか、ってのをよ……」

「お、お前っ……! 調子乗ってんじゃねーぞっ!!」

相方があまりにあっさり伸されてしまったことにたじろぎつつ、もう一人少年が遮二無二向かっていく。大きく右腕を引き、殴りかかる体勢になっていた。

「お前の顔面、ぶっ潰してやるっ!」

「……けっ。わざわざ言うかよ、馬鹿が」

攻撃目標を知らせてきたことに呆れつつ、少年が地面に倒れ付した少年を踏みつけたまま、殴りかかるもう一人の少年を迎え撃つ。

「食らえっ!」

少年が思い切り拳を突き出す。そのまま、相方を踏みにじっている少年の顔面に――

(ぱしっ)

――届く、その前に。少年の拳が、ぴたりと止められた。

「食わねえよ。なんで俺がてめえの言うことを聞く必要があるってんだ?」

「お、お前……! こ、このっ……!」

右手の拳を手のひらでがっちり掴み、少年が口元に不気味な笑みを浮かべた。殴りかかった少年は必死に振りほどこうとするが、掴まれた手はまったく離れる気配が無い。拳を捕まえた手にさらに力を込め、容易に離れないようにする。

「なあお前、知ってるか?」

「な、何を……い、いてぇぇぇっ?!」

拳を引っつかんだまま、少年が殴りかかった少年の腕を無理やりねじり始める。少年はあっという間に体勢を維持できなくなり、よろよろとよろめきだす。

「お前ら、さっきここの砂場が誰のものか、とか言ってたよな」

「い、いでででで……う、あああ……!」

雑巾でも絞るかのごとく腕をひねり、これ以上は物理的に無理、もちろん精神的にも無理、というところまでひねった後。

「そらよ!」

「うぉおあっ?!」

一際強く力を込めると、少年は拳を支点にして、少年を投げ飛ばして地面に叩き伏せた。

「ぐはっ?!」

「ぐえええっ?!」

既に倒れていた少年の上に倒れこむ形となり、二人が揃って悲鳴を上げる。なんとも惨めな、完全敗北であった。

「教えてやるぜ、三下。ここの砂場は――」

 

「――日和田市の所有だぜ。所有権が欲しいなら、市役所の役人にでもなりな」

 

突っ込みようの無いど正論を述べて、少年――もとい、あさひ――が見栄を切った。

「ち……ちくしょう、覚えてやがれっ!」

「後で、必ず後悔させてやるからなっ!」

些か情けない捨て台詞を吐きながら立ち上がり、少年二人はよろよろと敗走していった。二人の背中を、あさひは余裕の表情で眺めていた。

「あ、あぁ……」

「……よし。悪いやつはいなくなったぜ。もう安心だ」

後ろから聞こえてきた怯えた声に、あさひが振り返りつつ応じた。これまでとは一転して、柔らかさと優しさを感じさせる声色だった。

「えっと……」

「大丈夫だ。俺も見た目は怖えかも知れねえが、お前を苛めたりはしないからな」

「……………………」

あさひがおどけたように言うと、後ろに控えていた少女に向けて、そっと手を差し出す。

「立てるか? 砂場で座ってると、服が汚れちまうぜ」

「あっ……」

少女は差し出された手を見て一瞬逡巡したが、あさひの態度に真摯なものを感じ取ったのだろう。恐る恐る、あさひの手を取った。

「よし……それでいい」

「……………………」

差し出された手を優しく、かつしっかりと取り、あさひが少女を立ち上がらせた。そのまま、少女を胸元へと抱きこむ。お尻についていた砂を、ぱたぱたとはたいてやった。

「よしよし。怖かっただろ……悪いやつは俺が退治してやったから、安心しな」

「……!」

少女はあさひにしがみつくと、小さく華奢な手にぎゅっと力を込めた。今までの恐怖と、今の安堵の狭間で感情が高ぶり、無意識のうちに手に力がこもっていた。

「えっと……」

「……ああ」

「たすけてくれて、ありがとう……」

「気にするなって。お前に怪我が無くて、何よりだぜ」

「……………………」

少女の背中を優しく撫でると、すっかり安心したのだろう、その表情を綻ばせた。ようやく安心した表情を見せた少女に、あさひは笑顔を覗かせた。

「あいつらに苛められたのは、今日が初めてか?」

「……うん。いつもは、ここであそんでてもだいじょうぶだったから……」

「そうか、そうだよな。それは、お前のほうが正しいぜ」

「……ありがとう」

「もう大丈夫だからな。安心していいんだぞ」

優しく声をかけるあさひに気持ちが解れ、少女は目を細める――

 

「兄貴っ! こいつですっ!」

「こいつが、俺たちを苛めたんですっ!」

 

――だが、それも長くは続きそうに無かった。

「……!!」

「……悪い。まだ大丈夫じゃなかったみてえだな。少し、後ろに下がっててもらえるか」

「う、うん……」

「俺のことは心配いらねえ。こういうのには、慣れてるからよ」

あさひは少女をそっと後ろに下げると、声の聞こえた方向、つまりは後ろへ向き直った。

「おいっ! お前はもう終わりだぞっ! 調子に乗るのもここまでだっ!」

「調子に乗ってんのはどっちだよ、三下」

「うるせえっ! 俺たちのために兄貴が来てくれたんだ! お前なんて、ボコボコにしちまうんだからな!」

勝ち誇る二人に向けて、あさひが鋭い視線を送る。この時点で、二人は既に少々怖気づいているようである。

「……!」

「……大丈夫だ。必ず、お前を守ってやるからな」

後ろで震える少女に向けては、優しい瞳を見せる。少女は不安げな面持ちで、あさひの目をじっと見つめた。

その刹那。

 

「……お前か? この二人を倒したっていうのは……」

「ああ。間違いないぜ、兄貴さんよ」

 

少年二人の間を割るようにして登場したのは、がっしりした体格の少年だった。ひょろ長く痩せ気味の体格の二人とは、明らかにタイプが異なる。「兄貴」と呼ばれるのも理解できる風貌であると言えた。

「先に手を出したのはお前か? それとも、こいつらか?」

兄貴はごく落ち着いた態度で、あさひに問いかける。どうも、考え方も二人とは明らかに異なっている。理性的で、正確な事実関係の把握に努めようとしている姿勢が窺えた。

「それはだな……」

「こ、こいつです兄貴っ! こいつが、俺達に喧嘩をふっかけてきたんですっ! お、お前が悪いんだぞっ!」

「……おい、三下」

「なっ……!」

「人の質問に勝手に答えるんじゃねえ。黙って聞いてろ」

あさひが凄むと少年は完全に萎縮し、そのまますごすごと後ずさりした。

「先に声をかけたのは俺だ。だがよ、ちゃんと理由はあるぜ」

「理由? どういうことだ」

兄貴がそう言った、直後のことだった。

「あっ……!」

 

「……おにいちゃん! おにいちゃんっ!!」

「……!! ゆいか!! お前、どうしてここに……?!」

 

……後ろにいた少女が、兄貴に向かって「おにいちゃん」と言った。少女にとってはそれだけのアクションなのだが、対する四人のリアクションは大変大きいものだった。

「……………………!?」

「……………………?!」

「……すげえ展開だな。笑っちまうぜ」

状況を掴んだあさひが緊張を解き、ゆいか、と呼ばれた少女をそっと前に出してやる。

「ゆいか……この公園で遊んでたんのか?」

「うん……それでね、あのおにいちゃんたちにぶたれそうになったのを、このひとがたすけてくれたの。やさしいひとだよ」

「……なんだって?! こいつらが、お前に暴力を振るおうとしただと?!」

ゆいかの短い言葉だけで、すべての真実が明らかになった。兄貴の表情が見る間に変わる。

「お前ら、よくもっ……!」

「ひ、ひぃぃっ……!」

「あ、あにっ、兄貴っ……!」

拳をわなわな震わせ、兄貴が怒りの感情を露にする。その拳がいつ振り下ろされようと、不自然なことではなかった。

「おにいちゃん……」

「くっ……!!」

だが、兄貴が引き金を引くことは無かった。弾を込め、照準を合わせ、撃鉄を起こす。ここまで終わっているというのに、兄貴は力ずくで感情を押さえつけていたのである。

「……任せな。あんたが手を汚す必要はねえぜ」

「……すまない」

兄貴の思いを慮ったあさひが歩み出ると、恐怖で震える二人の少年の前に仁王立ちして見せた。二人にはあさひの姿が、恐ろしい怪物か、はたまた畏れ多い神のように見えていたことだろう。

「おい、三下共」

「……は、はいぃっ……!」

「……な、なんで、ございま、しょうっ……!」

ぎらついた瞳を突きつけ、あさひが凄む。口元の笑みが、余計に恐ろしい。

「兄貴が手を汚す必要はねえって言ったがよ、俺もな、できればやりたくねえんだ。な?」

「あ、あわわわわわ……」

「どうすりゃいいか、もう分かってんだろ? な?」

「ひ、ひぃっ、ひぃ……」

「何? 分からないって? じゃあよ、俺が教えてやるからよ、よく聞けよ。な?」

両手でもって、二人の肩をバシッと叩くと同時に。

「……ここからさっさと消えろ! 二度と手出しすんじゃねえぞ!!」

「ひええええええっ!!」

「うわぁぁぁぁぁっ!!」

――少年達が逃げ出す速さは、先ほどの比ではなかったと言っておこう。想像は付くと思うが。

「……バカな奴等だぜ、まったくよ」

ため息混じりに吐き捨てるあさひの後ろから、兄貴とゆいかが近づいた。

「すまない! お前が、ゆいかを助けてくれたとは……」

「通りがかったら、くだらねえことしてる奴等がいたもんだからよ。お節介を焼かせてもらったぜ」

「本当にありがとう。感謝させてくれ」

「大したことはしてねえさ。だが、気持ちは受け取らせてもらうぜ」

妹を守ってくれたことに感謝の気持ちを述べる兄貴に、あさひはゆいかに向けたのと同じ、柔らかい笑みを浮かべた。

「あのね、おにいちゃん、わるいひとじゃないから、えっと……」

「大丈夫だって。ちゃんと分かってる。しかし、あの三下共にはもったいない親分だな、お前の兄貴はよ」

ゆいかが兄貴によく懐き、自分に「悪い人じゃない」と言おうとした様子から、あさひは兄貴があの二人とは異なり、しっかりしたまともな人間であるという認識を持っていた。兄貴があさひに歩み寄ると、事情を話し始めた。

「あいつらは元々、他のヤツらから苛められていたんだ。俺があいつらを不憫に思って、苛めるヤツから守ってやってたんだ」

「なるほど……だが、それでいい気になったあいつらは増長して、逆に弱いもの苛めをするようになった……そんなところだろ?」

「……その通りだ。本当にすまなかった。あいつらには、強く言って聞かせておく。この通りだ」

「頼んだぜ。今回のをクスリにして、つまんねえことすんなって言っておいてくれ」

「分かった。あいつらを追い払ってくれたことにも、感謝している」

「当然のことをしたまでだ。大切な妹を前に、他人を殴りたがる兄貴はいねえだろ? ま、結局俺も殴らずに済んだがよ」

一件落着、といったところだろうか。兄貴のシャツの端にゆいかがしがみつく様子が、なんとも微笑ましい。

「おにいちゃん……」

「ゆいか、よかったな。優しい――」

 

「『お兄ちゃん』が守ってくれたな」

 

「……………………」

――分かってはいたが、やはり、言葉にされると……あさひの胸中に、処理できない複雑な感情が去来した。

「迷惑をかけた。また会うことがあったら、よろしく頼む」

「……ああ。大切な妹が苛められないように、きっちり見ておいてやってくれよ、兄さん」

「面目ない。恩に着させてもらう」

「あ……おにいちゃん、このひと……」

「さあ、ゆいか。お前も、お兄ちゃんにお礼を言うんだぞ」

兄貴がゆいかの手を取る。ゆいかは兄貴に促され、小さく頭を下げた。

「……どうも、ありがとう」

「ああ。遊ぶ時は、ヘンな奴に絡まれないように気をつけるんだぜ。俺との約束だからな」

「……うん、わかった」

兄貴に手を引かれて、ゆいかは公園から去っていった。

「……………………」

一人残されたあさひが、砂場を背にして呟く。

「……まだまだ、道のりは長いってこった……」

……"彼女"の寂しげな笑みには、濃い陰影が差していた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。